第九話「もうサイダーも開けちゃったし」
ともかく月夜町のBBSを確認する。
「竹取さんは町BBS見ないのかしら?」
「え、いや、すいません一度もないです」
「私もあまり……ふだんネットはやらなくて」
不来方さんも同様のようだ。というか町のホームページの掲示板って、誰も使ってないか変な業者の英語の書き込みで埋まってるものと思ってた。
掲示板はすぐ見つかる。開くと四角い縁取りの中にコメントが書きこまれている。
【赤バニー連戦連勝】
月夜町の夜のかがり火、戦いに飢えた男女が集う月夜町ナイトファイトにて赤バニーがまたもや快勝。相手はタイに留学経験も持つキックボクサー。目にも止まらぬ蹴り脚はサムライの刀のごとく、肘打ちは槍の一撃、しかしいずれも赤バニーにはかすりもせず、背後を取られてのジャーマンにて失神KOとなった。
【赤バニーの強さの秘密とは】
このところ連戦連勝の赤バニー、その強さの秘密について考察します。格闘技のベースはコマンドサンボかシステマか、各国の軍隊格闘技を独学で取り入れてると思われます。特筆すべきはやはり一撃の重さでしょう。大の男を悶絶させるその打撃、天性のしなやかさと筋肉の密度、そして「打つ」というより「斬る」かのような加速力。おそらくは何手も先を読んでの…………続きを読む
「月夜町ナイトファイト? こんなのあるの?」
僕が呟くと、伊勢先輩も首をひねる。
「さあ……私も掲示板は見てるけど、実際にあるものかどうか分からないわね。一種のネタ投稿というか、リレー小説みたいなものかも」
「え、でもこんな誰も見てないような掲示板で」
「AIにオートで書かせてるとか?」
「それはもう誰がどう面白いんですか?」
「竹取くん、とにかくそのナイトファイトっての行ってみようよ」
「え、う、うん、そうだね」
いつの間にか赤バニーさんを探す流れになっている。それはまあ、神咲先生のほのめかしていた「三つの鍵」という言葉もあるし、興味が無いわけでもないけど。
その前にちょっと調べてみる。僕は大手検索エンジンを開き、提供されている検査ツールに月夜町BBSのアドレスを打ち込む。
もちろん検索除け設定に……あれ、なってない。
こんな催しがなんで話題になってないんだろう? クラスメートもそんなこと一言も言ってなかった。
「うーん、でもこれ開催地が書いてないかも……」
不来方さんが言う。
「赤バニーさんが参戦したのは一か月ぐらい前らしいけど、ナイトファイトってのはそれ以前からずっとあるみたい。書き込み自体はたくさんあるんだけど、詳しい情報が……」
「そんな書き込みがずっと放置されてるの……? いちおう月夜町って有名な町のはずだし、この掲示板だって見る人がいるかも……」
「そうだよね。こんなの見つかったら騒ぎになりそうだけど」
僕はまたBBSを開く。確かに広告っぽい書き込みや、意味不明な英語の羅列、いわゆるスパム的投稿も大量にあるので、あまり気付かれないかも知れない。すでに五件ほど広告の投稿がされてて、さっき見た二つの記事は次のページに流れてしまっている。状況だけ見ればこのBBSは機能を失ってる状態であり、町役場のIT担当の人の怠慢だ。
でも、誰にも気づかれないなんてあるんだろうか? 月夜町のホームページには「よいち」の情報だってある、全国の人が見るはずだ。
「ねえ竹取くん」
「え、あ、なに?」
「竹取くんも探すの手伝って、これ大変そうだよ」
一つのページに投稿は5件まで。ページ数はなんと150万以上ある。ほとんどはスパムだろう。
「いや大丈夫、情報を探すだけなら何とかなるから」
「そうなの?」
僕はタブレットを操作してAIツールを呼び出す。全ページ情報を読み込ませてスパムを除外。格闘技とか月夜町ナイトファイトに関連するものを探させる。
入力。月夜町ナイトファイトの開催地は?
――月夜町商店街を抜けて300メートルほど、ステラ鉄工所の敷地内です。操業は停止していて、観戦希望者と挑戦者は敷地の裏手側から入る。カードの組まれない日もあるが、多くは夜中22時以降、試合が行われている。
「ほら出てきた」
「すごい! どうやったの?」
「AIにテキストを読み込ませただけだよ。どれかの投稿に詳しい情報が書いてあったのか、それとも断片的な情報をAIが分析したのかは分からないけど」
「じゃあさっそく今日いけるね! 噴水のところで待ち合わせでいい?」
「う、うん」
違和感。
「……?」
なんだろう。違和感が猫の毛のように体にくっついている。
それは体感と違うからだ。いま、タブレットの挙動に違和感があった。
テキストの表示が妙に早かったような。それにこの文章、AIに答えさせたにしては妙に断定的で……。
「竹取くんはすごいね、バイオスフィアの建設も早いし」
「あ、いえ、僕なんか全然です」
置いたブロックの数なら僕が多いかもしれない。でも実は、他の二人に引け目を感じるときもある。伊勢先輩の整地と建設はとても丁寧だし、不来方さんの作る内装は柔らかい印象があって繊細だ。ゲーム内で花もたくさん育ててるし、作業してる僕も和ませてくれる。
僕はツールとマクロを使うので大雑把な作り方しかできない。三人とも適材適所でやってるんだ。
「じゃあ今夜行くとして、伊勢先輩はどうします」
「ごめんなさい。私の家は19時以降の外出は禁止だから」
「あ、そうなんですね。じゃあ僕たちだけで……」
僕たちはまた建設に戻る。
先ほど感じた正体不明の違和感、それはもう覚えていなかった。
でもこの部屋には、まだ猫の毛が……。
※
そんなこんなで夜の10時。
僕は月夜町の中心部、ラウンドアバウトの噴水で不来方さんを待つ。
「竹取くーん」
そして彼女の声に振り向いて。しばし硬直。
「え、バニーガールなの?」
「うん」
青いバニースーツに目の細かい黒のタイツ。かなりの毛量を三角形にまとめ上げ、水色の櫛で止めている。ウサギの耳が天に伸びている。バニーガールの時はコンタクトにするらしく、いつもより目が大きく見える。
「ごめんね、普段着で夜に出歩くのに抵抗あるの。この格好だと落ち着くの」
「うん、いや別に大丈夫だよ、ちょっと意外だっただけ」
不来方さんにとってバニーガールは大人の記号。その恰好でいるときは少しだけ自由な気分になれるらしい。
不来方さんは体をひねって、お尻のポンポンを見る。
「ううん、でもちょっと露出が多いし、警察の人に見つかったら危ないかなあ?」
「ああ、大丈夫だよ」
僕はリュックからタブレットを出す。
「ほらこれ」
月夜町の地図である。かなり遠方、ごみ処理場のあたりをゆっくり移動する輝点がある。それに月夜交番の前にも一つ。
「これ何なの?」
「交番のパトカーと自転車にGPSタグつけたの。シール型で基板も配線も透明だからほとんどわかんないよ。これで警察の人の接近が分かる」
「……竹取くんってべらぼうに行動力あるよね」
言いつつ、なぜか笑いながら腕を組む。不来方さんの腕って思ったよりしっかり肉がついてる感じだ。ふだんはニットのカーディガンとかを羽織ってるので体型が分かりにくい。
夜の月夜町は、いつものようにひっそりと静まり返っている。
商店街は昼間はそれなりに賑やかなのに、19時を過ぎるとまるで呼吸が止まったかのようだ。生まれてからずっと月夜町しか知らないけど、他の町の夜もこんなに静かなのかな。
「商店街を抜けて300メートルだっけ、ステラ鉄工所ってあそこのことかなあ、つぶれた鉄工所が一つあるのは知ってるけど。たしか、月夜町が造成されるより前からあるんだって」
「そうなんだ……僕は町の新しい部分しか知らないけど、以前から人は住んでたんだね」
商店街の向こうに来ることはあまりないので、この辺のことは分からない。なるほど食品工場とか自動車の解体工場なんかが見える。こういう工場は騒音とか匂いが出るので山の中に作られることがあるけど、月夜町の以前の姿が想像できる眺めだ。
今は夜間操業が禁止されてるから、やはり静まり返っている。
やがて、2メートルほどのフェンスに囲まれた工場が現れる。
その内部からぼんやりと光が立ち上っている。空を照らすかがり火のようだ。その表現は月夜町BBSでも見た気がする。
「ステラ鉄工所……ここか」
「裏手から入るんだったね。この細い道かな」
工場の周囲は雑草が生い茂っていて、その中にけもの道がある。踏み固められて道ができたんだ。
奥へ行くとチノパンに無地の白Tシャツという人物がいた。やたら体の大きいおじさんだ。
「坊主たち、どうしたこんな夜中に」
「ええっと、あの、月夜町ナイトファイトを見学したくて」
「観戦希望か。学生なら一人500円だよ」
えらく安い。おじさんがスマホを出したのでリストバンドを押し当てて払う。すると足元にあったクーラーボックスを開ける。
「好きなの取りな」
中身は水と氷と、たくさんの飲み物である。ジュースにお茶に、ビールもある。とりあえず二人ともサイダーをもらう。
「そっちのバニーガールは彼女かい、若いのに羨ましいねえ」
「いえ、奥さんです」
「けっ」
冗談と思われたのか何なのか、ともかく中へ。
鉄工所の敷地はかなり広い。工場のほかに駐車場のスペースもあり、砂利や鉄くずが山と積んである場所もある。2階建てのプレハブの宿舎や、朽ち果てた冷蔵庫が野積みしてある場所も。
「竹取くん。この鉄工所って「よいち」関連の仕事してたのかな?」
「それなら潰れてないと思う。「よいち」と高速増殖炉で3兆円のプロジェクトだからね。フェンスも錆びきってるし、潰れたのはだいぶ前かも」
「3兆円かあ、ガチャガチャ何回分だろう」
「100円のやつなら300億回だよ」
「300億回のガチャガチャって何時間かかるんだろ」
「1回10秒だとすると一万年ぐらいだよ」
「竹取くんって全然ダメだねえ」
どうも会話を間違ったらしい。難しすぎる。これがこの世の深淵か。
奥へ進む。道路からはどんどん離れていく。
やがて、声が聞こえてくる。
「武器の使用以外はすべてがオーケー! さあ血潮にたぎる若者よ! 四肢にドーパミンを走らせろ! 鉄拳こそが禁断の果実だあ!」
鉄工所の奥まった場所。鉄柱を地面に打ち込んで針金を渡し、円形のリングが作られている。四方八方から照らすのは車のフロントビーム。エンジンを吹かした4台の車が対角線上にあり、中央に光を投げている。
観客もいる。ビールを片手にリングに詰め寄るのは5人ほど、隅の方で雑談してるのが一組。
がなり立てる司会者はマイクなんか使ってない。選手と観客、司会者、この3組の距離がどんな格闘技よりも近く感じる。
そして……赤バニー。
腰にかかるほどの長い黒髪。都会的であり攻撃的な赤。極上の、という形容詞が浮かぶようなボディライン。タイツは肌色、夜の廃工場でその赤だけがこの世の真実のように鮮明だ。
銀バニーのミステリアスな雰囲気とも、落ち着いた静けさをまとう青バニーとも違う。きわめて先鋭的であり攻撃的なバニーガールだ。胸元の切れ込みはぐっと深く、ハイレグの角度もかなり攻めている。そこから生ハム原木みたいな脚が覗いている。
芯材の入った胸当ては激しく動いても揺れない。かなり強固なワイヤーで固定しているんだ。ヒールは低めに抑えているが、もともと足が長いために優美なシルエットが崩れていない。
対戦相手は190以上ある大男。肩パッドをつけてボーダーのシャツを着たラガーマン風の男だ。突進からタックルをかけようとして、円形のリングを走り回る。
赤バニーさんは煙のように回避する。黒髪が大きく広がり、バニースーツの赤と混ざって強烈なコントラストをもたらす。
「これって……!」
不来方さんが僕の肩をぎゅっと掴む。
「「ファイターズクラブ」だよ! すごい! ほんとにあったんだ!」
「ファイターズ……なに?」
と、相手のラガーマンが吹っ飛んだので視線がそちらに引っ張られる。赤バニーさんは腰を沈めて、中国拳法でいう崩拳の構え。ラガーマンは鉄柱の一つにぶち当たって失神している。
明らかに相手の方がウェイトがあるのに不思議だ。これが武の力なのかな。
「夜な夜な、殴り合いのバトルを行う集団だよ! そういう映画があったの! すごいよ! まさか月夜町にあったなんて!」
「そ、そうなんだ……」
けして豪華絢爛な舞台とは言えない、リングがあったとしてもただの鉄工所だ。
でも何故だろう。僕も戦いの空気に引き込まれるのが分かる。ナマの迫力を感じる。舞台が戦いを引き立てるのではなく、戦いが鉄工所を檜舞台に変えるのか。
「でも伊勢先輩、こんなとこで戦ってたんだね」
……。
「え?」
反応が5秒ほど遅れた。
「うん? 気づかなかった? あの人って伊勢先輩だよ」
「えっだって髪が長い」
「ウィッグじゃない? それとも普段のショートボブのほうがウィッグなのかな」
「だって19時以降は外出できないって」
「こういうアングラな催しに出るぐらいだし、門限どころの話じゃないと思うけど」
それはまあそうか。
僕たちは少し離れた場所からオペラグラスで観戦。今度は空手家が相手みたいだ。
ううん、あんな顔だったかな。なんだか普段の印象とまるで違う。薄く笑ってるのに目つきは鋭くて、冷酷で容赦がなくて、まるで戦うマシーンだ。あ、金的に入った。
がらんがらん。
と、鐘をかき鳴らすような音が響く。
ような、ではなく本当の鐘だ。鉄工所の作業用クレーンの高い位置にくくりつけてあるんだ。
「おおっとお! 名残惜しいが今宵のバトルはここまでのようだ! 勇者どもよ! 月影の夜にまたここで拳を交えろ!」
あれ、もう終わりなのか。
「そこのお二人」
と、さっき入り口にいたおじさんが歩いてくる。
「予想より早く終わっちまった。入場料は返すよ」
と、現金で1000円返してくれる。
「いえ、もうサイダーも開けちゃったし」
「サービスだ。そうする決まりだ」
なんだか凄くしっかりした人だ。白い無地のTシャツだけど、よく見ればどこもヨレてないしシミ一つない。考えてみたら月夜町に「町のチンピラ」なんかいないんだし、ちゃんと仕事のある人なんだろう。
「本当はあと何戦かやるつもりだっだんだが、予定されてる選手が来なくてな、最近みんな忙しいからな」
「忙しい……」
「さ、明日もたぶんやってるから、いつでも来な」
帰り道。月夜町商店街。
僕たちはなんだかふわふわした気分だった。少しだけだったけど非日常を覗き見たことと、赤バニーが伊勢先輩だったということがまだ呑み込めないのとで、心が落ち着かないんだ。
「赤バニーさんに話を聞けたらよかったんだけど、もう消えてたね」
「私もそうしたかったけど、選手には接触禁止らしいよ」
分からないことが多い。
特に伊勢先輩だ。なぜ月夜町ナイトファイトのことを知らないと言ってたんだろう。黒髪のウィッグで変装してるつもりだったんだろうか?
「とにかく明日、伊勢先輩に聞いてみよう」
「うん、そうだね……あっ」
不来方さんは、ふいに口に手をあてて立ち止まる。
「でも人に言って大丈夫なのかな」
「どうして?」
「だって、ファイターズクラブのことを、人に話すと」
「話すと?」
「その……た、えっと……あの……………………」
真っ赤になっちゃった。なんでだろう。




