第八話「赤バニーさんなら有名だけど」
「練習相手になって欲しいって誘われたの。乱暴なとこ見せちゃったわね」
第二部室棟。それぞれタブレットを持ち、バイオスフィア・モジュールを建設しながら話す。
「凄かったです。あんなに重い宇宙服を着て人を投げるなんて」
「着具武道は技よりも体力なのよね……。だから練習メニューも筋トレばかり。武道じゃないなんて言う人もいるけど」
中学校で着具武道の部活があるのは全国に30校ぐらいしかない。高校で80校ぐらいだ。いちおう全国大会もあるし、高校ならインターハイの種目にもなってるけど、さほど競技人口が多いとは言えない。
でも知名度は高い。何しろ月面基地の守備隊が履修する武道だからだ。キャスターガードになるための科目でもある。
と、その話をする前に、僕たちはまず自分たちの結婚を報告する。
「え、結婚?」
目を丸くする。伊勢先輩は落ち着いた印象の美人であり、そのように驚くのは珍しい。
「その……結婚を約束したということ?」
「いえ結婚です。籍は入れてないですけど」
「そ、そうなんです。竹取くんから、ぷ、プロポーズしてくれて」
不来方さん、昼食の時はなめらかな話し方だったのに、また少しつっかえるようになってる。僕と話すときだけ緊張が取れるのかな。
「そ、そうなの……おめでとう」
伊勢先輩はまだよく分からないという顔をしてたが、まあ仕方ない。結婚のあり方が数え切れないほど多彩な時代だけど、さすがに中1での結婚が珍しい自覚はある。
「それで先輩、お聞きしたいことがあって」
言いながらも手は動かす。このところ建設が遅れ気味だったのでペースを上げている。
今作ってるのは運動区画だ。月面でも走り回ったりスポーツのできる場所は必要である。
まず伊勢先輩が月面の岩を砕き、クレーターを埋めて平原を作る。僕がマクロを使って大雑把に建設。不来方さんが窓や設備など内装を整えていく。
それをやりながら僕は話す。神咲先生のことと、「よいち」のこと。
「神咲先生って、三輪先生の代理で赴任してきた人よね。その人がテロリストなの?」
「そうなんです。間違いないです」
「わ、私も保証します」
建築用の石が足りなくなったので、伊勢先輩に貰いに行く。月面に巨大な建築物を建てる場合、資材のどこまでを地球から持ち込み、どれだけを月の土砂から調達できるかは重要なテーマだ。運動区画のモジュールはすべて月の土砂から作ろうとしている。
「それで先輩。スタンドアローンな部分も多い「よいち」を外部からハッキングできるか疑問なんです。もしかして先生は「よいち」の内部に協力者を持っているか、それとも私設部隊を使って、「よいち」に強襲を仕掛けて乗っ取るつもりかも」
「日本でそんなこと起きるのかしら……」
伊勢先輩は想像がつかないみたいだけど、僕はそこまで非現実的なこととは思わない。「よいち」はまさに今の日本の要石だ。僕がテロリストの首領だとして、日本を転覆させたいなら狙うべきは国会議事堂よりも「よいち」、そして近くにある高速増殖炉だ。
不来方さんが控えめに手を挙げる。
「じ、実際どうなんでしょうか? い、伊勢先輩はそのへん、詳しいんじゃないかなって、思って」
今日は隣に座って作業してたけど、なぜか僕の二の腕をつまみながらの発言だった。
「確かに私の父は「よいち」の保安会社の代表だから……現場のこととか少しは聞いてるけど」
伊勢先輩は少し考えてから、タブレットを置く。
「私も聞いただけの話だけど、「よいち」の警備はそこまで厳重じゃないらしいの」
「え、そ、そうなんですか」
不来方さんが動揺した声を出す。
「うん……「よいち」のある月夜山の敷地は広大だから、そこをちゃんと守ろうと思うと200人ぐらい必要になるのよ。人員は確保できなくもないのだけど、そんなにたくさんの保安員を入れるのは嫌がる人もいるのよね」
まあそういう事情も聞いたことがある。「よいち」は本当なら自衛隊が守るべきだと思うけど、駐留してるのも民間の警備会社なんだ。
保安員、という言い方もなんだか独特だ。いろいろと屈折したものを感じる。
「でも対空設備には最新のものを使ってるの。対ドローン用のレーザー装置でしょ。広域レーダーもあるし、「よいち」自体もとても頑丈に作ってあるんですって」
「外部から侵入して、管制センターを乗っ取ることは可能だと思いますか?」
「それは……駐留してる武装保安員を倒せば可能かもしれないけど」
「どういう武装をしてるんですか?」
「ううん……」
ごめんなさい、と伊勢先輩は頭を下げる。
「そこまで詳しくは知らないし、知っててもそれは言うべきじゃないと思う。この話はここまでにさせて」
「分かりました、すいません無理に聞こうとして」
「いいの、こちらこそ気を持たせてごめんなさい」
伊勢先輩はタブレットを持ち上げて、また建設に戻る。
「最後に一言だけ言うと、仮に制圧できるとしても数時間はかかると思う。それだけ時間があったら「よいち」を使えなくすることもできるわ。それなら乗っ取っても意味がないでしょう?」
確かに。原発にもテロリストに占拠された場合にシステムを完全に死滅させる仕様はある。「よいち」が襲撃されて乗っ取られるような事態になれば、職員は迷わずそれを実行するだろう。たぶん。きっと。日本でそんなことが起きた例がないのでいまいち断言しにくいけど。
「それで竹取くん、先日の件なんだけど」
「はい、参加者に集団行動させると対立が生まれるってやつですね」
不来方さんはその時いなかったので、タブレットでメールを送る。先日発生した事案とそれについての検討だ。
「結論は……むしろ対立に対応していくべきかなと」
「そうなの? でもバイオスフィアで事件でも起きたら」
「現実のバイオスフィア2の参加者は8人でした。だから対立は個人間の問題に終始しましたけど、僕たちが作る設備はもっとクルーが多いので、大きな枠で対応するべきだと思うんです」
あらためて言うと、バイオスフィア2とは広大な施設を利用した閉鎖環境実験である。
熱帯雨林、海洋、霧の出る砂漠、サバンナなど人工的に環境を構築し、完全な生命の循環。小さな生態系を作るための実験だった。
最初に弁護しておくなら、バイオスフィア2は挑戦的な実験であり、いわば叩き台だった。施設の広さに対して多すぎる生命種を持ち込んでおり、何割かは閉鎖系内での「絶滅」が想定されていた。
失敗と評されているのは、想定されていなかった事態が次々と起こったためだ。
まず酸素の不足である。動物が酸素を呼吸し、二酸化炭素を排出、それを植物が光合成によって酸素に戻す、これは小学生でも知ってるサイクル。
問題は基盤に使われてるコンクリートだった。コンクリートは二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウムに変えてしまう。これによって大気組成の均衡が乱れて、最終的には20.9%あった酸素は14%まで低下した。これは富士山の山頂よりも厳しい数値だ。
他にも予想よりも作物の収穫がずっと少なかったり、不快害虫などが優勢になって繁殖したり、施設がガラス張りだったために観光客の好奇の目にさらされたりと、クルーたちのストレスは高まるばかりだった。8人のクルーは2つのグループに分かれて対立するようになり、親しい友人だった者が必要最低限の会話しか交わさないようになった。
しかし、それに反してクルーたちは自分の仕事に没入し、バイオスフィア2の維持運営に高い集中力を見せた。彼らは誰もがバイオスフィア2に依存し、バイオスフィア2そのものとの深いつながりを感じていたという。
酸素については危険な水準にまで達したので、やむなく外部から供給を受けた。その時はクルーの誰もが笑顔になり、ハイになって走り回る者もいたという。
そういう話をすると、不来方さんは感慨深げに言う。
「それって南極の越冬隊とか、無人島で暮らした漂流者の話に似てるね。閉鎖環境にいるとグループを作って対立したりするけど、毎日の暮らしを守る仕事については黙々とこなせるようになるんだって」
「一種の適応なのかもしれない。ストレス環境下にあると人は没交渉気味になるんだ」
ではどうするか。もちろん僕たちの作るバイオスフィアは空気とか生物相とか練り込んでいくけど、それ以外での対立はいわば未知の領域だ。
宗教的対立、心情的対立、クルーの抱える秘密。それらを乗り越えるためには。
やっぱり、保安官を置くしかない。
「対立が起きないようにじゃなくて、起きてもいい準備をするべきです。対立を経験して絆が深まることもあるかも。ただし決定的な事態が起きないように治安要員を置く必要があります」
僕はバイオスフィアの中でNPCを召喚する。彼は身体能力に優れ、調和と秩序を重んじる傾向があり、対立に対しては柔軟に対応できる知性がある。僕はそのNPCに鎧と警棒を装備させる。ゲーム内では素手のNPC5人分ぐらいの強さになる。
「警察官的な性向の人に治安要員をやってもらいます。重火器は持たせず警棒だけです」
「やっぱりそういう方向になるわね」
伊勢先輩はマップを切り替え、NPCの養成所に移動。ここは建物の中に何十人ものNPCが詰め込まれて、それぞれ訓練と座学でステータスを高めている。
「私の方で適した人材を探しておく。それと保安官を置くなら留置所もいるわよね。不来方さんの方で作っておいてくれる?」
「は、はい、分かりました」
正直なところ、部活やってていいのかな、と思わなくもない。
まさか今日明日にでも「よいち」が乗っ取られることも無いだろうし、部活をいったん休部にしてそれで何をどうするアテもないのだけれど。
本当に警察に通報するべきだろうか。でも、正直まだ何をしてるってわけでもないし、いや警察内部のデータにアクセスしたとは言ってたけど、不正アクセスで捕まえられるようならそもそも「よいち」の乗っ取りなんてできるわけが。
――だいじょうぶ。
「?」
なんかウィスパーが流れてきた。マルチプレイで個人間で送るメッセージだ。薄い水色の文字が表示される。
――今は、バイオスフィアを作って。
送り手が匿名になってる。不来方さんかな。それとも伊勢先輩かな。別にそのぐらい口で言えばいいのに。
と、そうだ。もう一つ聞くことがあった。僕は伊勢先輩の方を見る。
「伊勢先輩、実は先日、夜中にバニーさんを見たんですよね」
「バニーさん?」
「はい、バニーガールです。あのカジノとかにいるやつ」
伊勢先輩は顔を上げる。僕は半分マクロでやってるから顔を上げたままでも建設できるけど、伊勢先輩は画面が止まる。
「神咲先生と……不来方さんがバニーガール姿だったのは聞いたけど、それとは別なの?」
「はい、しかも二人なんです。赤バニーと、緑バニーです」
「さすがに幻覚とかじゃないの……?」
そう言うのは不来方さんだ。彼女は眼鏡の奥の大きな目で僕を見る。
「きっと疲れてたんだよ。繁華街とかカジノ街とかじゃないし、夜中にバニーガール姿で歩く人なんていないよ」
「…………」
突っ込んだ方がいいのかな。いややめておこう。なんとなく素で言ってる気がする。
「見間違いじゃないよ。そこまで遠くなかった。タイツも履いてたし、ウサ耳も、お尻のポンポンみたいなのも見えたんだ」
どちらかと言えば赤バニーのほうが近くにいた。月夜町の東側、商店街のあるエリアのほうに歩み去っていったんだ。
「どうなんでしょう? 伊勢先輩、部活の掛け持ちで遅くなることもありますよね。バニーさん見たことありませんか?」
「見たことあるかというより……」
伊勢先輩は頬に指を当て、困惑の混ざった顔で言った。
「赤バニーさんなら有名だけど……」
「え?」
僕と不来方さんの声がハモる。
「月夜町のBBSで話題よ。町の格闘場のチャンピオンだって」
「格闘場???」
えっ何それ。そんなファンタジーなものがこの町に?
「夜な夜な、強者が集まる場所があって、何でもありの格闘技の大会が開かれてるとか……」
伊勢先輩は、そこではてと天井を見る。端正な顔は少し眉根が歪んでいた。
「そんなの本当にあると思う……?」
「僕たちに聞かれても……」




