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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第二章 赤バニーおおいに怒る
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第七話「そんなこと可能なのかな」



宇宙服の歴史は、極限環境との戦いの歴史。


最小の宇宙船であり最小の領土、重厚で多機能で、それでいながら工作作業を可能にする運動性、冗談のような二律背反。まったく真逆のコンセプトの中で構造は冗長となり、値段は際限なく上昇し、着るにも脱ぐにも大変な手間がかかる。

それはもはや、科学的な機能美からかけ離れているようにも見えた。


でも仕方がない、宇宙服はあれしかないのだ。

あの白くて巨大な、怪物のようなシロモノしかないのだ。


人間はいつまで、この面倒くさくて大仰な鎧と付き合わねばならないのか。


宇宙を目指す者たち、まず宇宙服と戦わねば。





「どういうつもりなんだ」


放課後の廊下にて、僕は神咲ささか先生に詰め寄る。他に人はいない。生徒は少しずつ校門を出ていくところだ。生徒が酸素の粒ならば、学校が少しずつ死に近づく時刻。


「どう、とは?」

「とぼけるな! なんで僕の学校に潜入するんだ! あんたは「よいち」をハッキングするのが目的なんだろ!」

「内部にいるとあまり意識しないだろうが、月夜町では新参者は警戒されるのだよ。教師なら比較的怪しまれない」

「すべて警察に通報するぞ、どうせプロフィールだって改ざんしてるんだろう」

「現代の戸籍データに干渉するのは簡単ではないが、まあ可能性まで否定はしないよ」


先生はぼんやりと窓の外を眺める。あまりに背が高いために傾いた日は全身を照らしていない。胸から上は暗がりの中にある。


「……「よいち」にも伝える。匿名の電話でハッキングテロをほのめかしてもいい。「よいち」のセキュリティは格段に強化される」

「やめたほうがいい、少年、君が捕まるよ」


それに、と、先生は腰をかがめて、柔和な笑顔のままに顔を近づける。


「「よいち」をあまり揺さぶると、何があるか分からないよ。月夜町には「よいち」の関係者が多い。君の両親もそうなのではないかね?」

「そ……それが何だよ」

「「よいち」に何かあれば、内部の人間も調べられるだろう。君の両親の横領の証拠なんかが出てきたらどうするかね? その証拠が真実であってもなくても、少なくとも「よいち」からは異動させられる。どこか遠い土地の関連施設に行くことになる」

「うぐ……」

「そうすれば君も転校するしかない。せっかくの新婚なのに、転校は嫌だろう?」


どうする。

どうすればこいつの凶行を止められるんだ。


「うーん、思いつかない」


仕方ないので、僕はゴーグルを外す。


外すと僕の部屋である。朝の月夜町には太陽が濃くなりつつある。


今のはAIで作った仮想人格。とりあえずウィザード級ハッカーで犯罪者性向というステータスで作ったけど、なんか実際の神咲先生より露悪的になった気がする。

それにタイトスカートが実際の先生より短かった。なんでだろう? 


証拠もないのに本物の神咲先生を問い詰めるのは早計だ。なので簡単な予行練習をしてるけど、どうにかなる感じじゃないなあ。両親を使って脅すぐらいはAIでも思いつくみたいだし、神咲先生が本当にウィザード級なら何をしてくるか分からない。


と、そろそろ生地を仕込んでから1時間。発酵が終わる頃だ。僕は階段を降りて台所へ。


料理とは化学であり科学だ。


生地が膨らむ条件、撹拌と気泡の混入率、焼成と化学変化、それに関係する加熱機器の性能。レシピこそが法律であり、レシピこそが科学法則。レシピ通りに作ることが何よりも大切。


よし焼けた。2色の生地を使ったクッキーだ。定番の市松模様と二重円のもの、ロケットを模したクッキーに炎を模したクッキーをくっつけたもの。結構うまくできた。


それを持って学校へ。不本意ながら神咲先生の授業を受け、昼休みに不来方さんと合流、学校の片隅にある散策の森へ向かう。


色々な種類の木が植えられ、人工の川と池もある。この川はバイオームになっていて、授業にも活用されるのだ。


ベンチに並んで座る。不来方さんが作ってきたのはオープンサンドだ。ローストサーモンにポテトサラダ、ドライトマトに硬めのスクランブルエッグ。それと、この小さいつぶつぶのやつって。


「え、もしかしてキャビア?」

「ううん、イカ墨であえたとんぶり」


とんぶり……何だろう未知の食材だ。


あ、でも塩辛くてパンによく合う。


量はたっぷりあったので、クッキーは放課後に食べることにした。伊勢先輩にもおすそ分けしよう。


「それで……神咲ささか先生がよいちを乗っ取るって」

「うん、何とかしないと」


「よいち」をハッキングし、月面都市に投射体を射ち込む。実際にそこまでしなくても、「よいち」が乗っ取られれば月に人が住めなくなる。そういう計画なのだろう。


「大昔の小説みたいな話だね」


不来方さんが言う。彼女はいつもカバンを持ち歩いており、ジッパーの隙間から文庫本がはみ出している。読書家なのだ。


「そんな小説あるの?」

「うん、月の低重力を利用して岩石を地球に落とすって話。月は地球に植民地支配されてたんだけど、岩石を地球に落とすぞって脅して独立を要求するの」

「なるほど……月の低重力それ自体がアドバンテージになるんだね。今のところ月にはマルチキャスターはないけど、作るとすれば地球よりずっと簡単だね」


飲み物はコーヒーを持ってきた。僕は赤と青のツートンカラーの水筒を取り出す。


「不来方さんはホットがいい? それともアイス?」

「ありがとう、ホットがいいかな」


ツートンカラーというのは横から見て右半分が青、左半分が赤に塗られているという意味だ。


僕は赤の方を紙コップに向けてコーヒーを注ぐ。湯気を立てながらホットコーヒーが注がれる。

僕の紙コップには青の方を向けて注ぐ。今度はアイスコーヒーが出てくる。


単なる電磁誘導の温冷ポット、小学校からずっと使ってるやつだ。子供用なので赤と青がはっきり塗り分けられている。


「なんだかキカイダーに似てるね」

「あ、たしかに似てる」


不来方さんは口元をゆるめて笑ってくれる。


キカイダーって何だろう? あとで検索しとこう。


僕はアイスコーヒーを飲む。苦みと甘みが中和せずに同時に来る感覚。お腹も一杯になったし頭もすっきりしてきた。


「でも……ちょっと疑問なんだよ。「よいち」をハッキングするなんて。そんなこと可能なのかな」

「そうなの? でも神咲先生ってすごいハッカーなんでしょ?」

「うーん。警察署や防犯カメラにアクセスするのとレベルが違うからなあ。「よいち」は今もっとも重要な施設の一つだし」


月面開発のためもあるけど、電力のためもある。


「よいち」は150キロの投射体を月まで飛ばす施設だ。スーパーロングバレル方式なのでピーク電力は抑えられるけど、それでも莫大な電力を要求する。


これを確保するために、「よいち」のすぐそばには新型の高速増殖炉が建設されてる。「よいち」は大変な大ぐらいである。最大で原発の生産電力の30%を消費するのだ。

それだけの施設、当然セキュリティも固いはずだ。


僕がそう言うと、不来方さんは髪を耳に乗せるような仕草をして言う。


「でもそういうの見たことあるよ。昔のアニメで、CERNセルンをモデルにした架空の組織が出てくるんだけど、その組織にハッカーが攻撃を仕掛けるって話」

「CERN? CERNって欧州原子核研究機構? そんな馬鹿な、あれは大型の粒子加速器を持ってる巨大な組織だよ。一介のハッカーにハッキングを許すなんて」

「ええと、確かSQLインジェクション攻撃っていうのでメールサーバーにアクセスしてた」

「ありえないよ。CERNぐらいの組織なら専門のセキュリティ部署があるだろうし、SQLインジェクションに対してはバリデーションチェックと準備プリペアでステータスチェックすると思う。そもそも公開ウェブサイトからアクセスできたとしてもメールサーバーは暗号化されててたぶん個別サーバーだからそこへの横展開も無理だろうし定期的な脆弱性のチェックも」

「あ、たしかにそうね」


分かってもらえたようだ。僕はコーヒーを飲んで喉を鎮める。


まあフィクションの話だから、物語の都合としてハッキングできなければいけないのは分かる。そのキャラクターが天才だったという事でもいい。


でも「よいち」は現実の存在だ。確かにウィザード級ハッカーが国家のインフラに侵入したなんて話もあるけど、相手が魔法使いだから、で片付けてはいけない気がする。


「もしかしてソーシャルハックかも知れない」

「女スパイがやるやつだね」

「別に女性じゃなくていいけど、「よいち」の職員に協力者がいるとか、あるいは人質を取って逆らえない状態に置かれてるとか」


だけど、「よいち」はインフラに匹敵するような巨大なシステムであり、命令系統も複雑だ。一人か二人抱き込んだぐらいではどうにもならない。


……確かに、「よいち」は他の国のマルチキャスターに比べてセキュリティが低いと言われてる。国際機関がマルチキャスターの安全性のリポートを出したことがあるけど、「よいち」は物理的防御が7段階評価で上から4番目。テロリストやドローン攻撃に対しての備えが十分じゃないとされたのだ。それは確かにそうなんだけど……。


「……不来方さん、そう言えば伊勢先輩ってキャスターガードの資格取るって言ってたよね。詳しいこと聞けるかも」

「あ、そうだね、部活の時に聞いてみようよ」





放課後。


僕と不来方さんは第二部室棟に来たけど、まだ伊勢先輩の姿が見えない。


実は昨日も先輩はいなかった。弓道部の助っ人に呼ばれたのだ。先輩は万能の人なので、他の部に呼ばれることも多い。


「結婚の報告したいんだけどな」

「うーん。着具ちゃくぐ武道部じゃない?」


不来方さんが言う。


「どうして?」

「なんとなく。武道場の方に人の流れが多かった気がするの。今日は着具武道部が使う日だし」


そうなのか。武道場は畳敷きの空間であり、剣道部、柔道部、着具武道部が交代で使ってるのは知ってるけど、具体的なローテーションまでは知らなかった。


そちらに向かう。なるほど柔道部は校庭でランニングしている。月夜中にはトレーニングルームも低酸素ルームもあるので活動には困らない。


どおん、と巨大な音がする。

古タイヤが屋根から落ちたような音。着具武道に独特の音だ。僕たちは小走りになる。武道場周辺には数人の観客がいた。


そして中には、白い固まり。


分厚い与圧スーツはナイロン、アルミ、ゴアテックスなどを十層以上も重ねたもの。ポリカーボネート製のヘルメットはお寺の釣り鐘のように大きく、手袋はボクシングなら12オンスはありそうだ。大きく重く、ごわごわとして拷問一歩手前の動きにくさである。


「いた、伊勢先輩だよ」


確かに、入り口から見て右側、ショートボブの明るめの髪。


25キロはあるスーツで小刻みにステップを刻み、相手の出方を待つ。

相手はと言うと最大サイズのスーツを着ている。見上げるほどに大きな男子生徒だ。手袋をぎしりと握り込んで、踏み込みつつジャブを放つ。


宇宙服を着ての武道。それが着具武道スーツタクティクスだ。


宇宙服でのパンチに攻撃力はない。腕を素早く伸長できないし、多重構造の宇宙服は大リーガーの剛速球をも受け止めるからだ。


勝利条件は相手を倒すこと。判定は柔道に似ていて、膝をつけば有効、手をつけば技あり、膝と手のひら以外の部分が畳につけば1本となる。


この競技、もっとも有効な攻撃はつまるところ体当たりだ。宇宙服は重たい生命維持装置を背負っているため重心が高い。パンチで伊勢先輩を突き放しつつ、タックルをかけられる距離を作ろうとする。


そして間合いが開く。すでにリングの角。テープで作られた四角形の端に追い詰められている。その機を逃さず相手が突進をかける。


だが伊勢先輩の「起こり」の方が早い。一瞬で身をかがめて相手のふところに飛び込む。前に動きかけていた相手はつまずくようにバランスを崩し、先輩が股間部分と肩を抱え、あろうことか背負うように持ち上げる。

動きにくいだけに持ち上げられると何もできない。相手の大男は一瞬だけ手足をばたつかせ、先輩は持ち上げる勢いのままに背中側に投げ落とす。


どおん、と、なめらかな動きであっても重量は百キロ近い。エネルギーをすべて畳に放出して大きくバウンドする。


「一本です」


審判の宣言、そして観客のどよめきと拍手。すごい技だった。


そう、これが伊勢いせ穂香ほのか先輩。


万能の人であり、おそらく月夜中でもっとも月に近い人。


「すごいねえ、今のって撞木しゅもくりだよ。お相撲の技だね」



お相撲って言い方かわいいなあ。


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