第三話「興味があるんですって」
「何なんだろ、流行ってるのかなあ」
そう口に出してみるが、さすがにそんなわけない。
いや、世の中何があるか分からないけど、少なくとも聞いたことはない。バニースーツで深夜徘徊するブームなんて。
僕はピックアップマイクを回収して青バニーを追うことにした。二つ以上の調査すべき対象があるとき、より奇妙な方を追うべきだろう。
夜の月夜町は静まり返っている。すべての家は防音建材がふんだんに使われてるし、あまり光が漏れない作りになっている。防犯のためらしい。
やっぱりバニーガールだ。お尻の白いポンポンが月明かりに白く浮かび上がっている。青いバニースーツは街灯の光にきらめく。闇の中に青がぽつんとある様子は、海底にひそむ深海魚のようだ。
青バニーは正門の前を折れて町の方へ。
やがて至る。月夜町の円形交差点。
ここは町の中心。道路が円形になっていて、その中心に噴水がある。夜なので噴水は止まっているが、空気はしっとりと涼しげに思える。
背後は南であり月夜中学校、このラウンドアバウトを起点にして月夜町の異なる四つの面を見ることができる。
大企業の実験施設や病院が並ぶ科学の町。
商店街がある商売と生活の町。
そして正面にまっすぐ進めば防音林、その向こうに月夜山と「よいち」がある。
この頃になると分かってきた。青バニーは髪を高く結い上げている。つぶ貝のように高くしっかりと、サファイア色の櫛でまとめているのだ。彼女の毛量は非常に多く、夜の闇を飲み込むほどに黒い。
青バニーは西側に曲がる。僕はそろそろ声をかけるべきかと思って。
「……!」
硬直する。周辺視野が色彩を意識している。
信じられない。これは何の冗談なんだろう。
右手側、商店街方向に赤いバニーガール。
左手側、科学と医療の町に青いバニーガール。
正面には誰もいない。だけどまっすぐ進めば月夜公園。銀色のバニーガールが、あの不思議なお姉さんがいた場所だ。
まさか、と思って背後を振り向く。
果たしてそれはいた。月夜中の正門、中に入っていくのは緑色のバニーガール。
「……」
どのバニーさんも背中を向けて、互いに遠ざかっていく。誰も僕など見ていない。
現実感が遠ざかっていく、非現実が僕の世界を満たそうとする。
だけど僕は非現実的という言葉が嫌いだ。この世界に不思議なことなんかあるわけない。そうだ、バニーガールはバニーガールであって、妖怪でも幽霊でもないのだ。
頭を振る。冷静になろうとする。
これは、ひどく悪質なドッキリだろうか。それにしては荒唐無稽すぎる。
それとも偶然なのだろうか。たまたま、この町に三人、いや四人ものバニーガールが? 銀色、青色、赤に緑のバニーガールがいるというのか。
ヒーローもののアニメのように、夜な夜な町をパトロールしているバニー軍団。彼女たちには超人的な力があり、ひそかに悪の怪人を退治している。もう何というか、その方が妥当性があるような気もする。
だけどやっぱり、僕は超能力とかそういうのも嫌いだ。
とにかく青バニーを追おう。中央噴水から左手側へ折れて、町の西側に。
青バニーはごくゆっくりと歩いている。つま先で地面を蹴るような悄然とした足取りだ。
このあたりはいよいよ静かだ。大手化学メーカーの支社とか、製薬会社の研究施設などがいろいろと並んでいる。そしていずれも無人。条例で夜7時以降の操業が禁止されているのだ。
青バニーが立ち止まる。
さっと自動販売機に身を隠す。省電力運転中なので真っ黒い箱になっている。
青バニーは身をかがめ、ラメ素材の靴のヒールが浮いて。
泣いている。
たくさんのビルとコンクリートに囲まれた中で、声を上げずに泣いているのだ。
おそろしく静かな泣き方だ。顔を覆う両手から涙の粒がこぼれ落ち、コンクリートに吸われていく。降り注ぐ街灯の光は円錐型に彼女を照らす。ウサギの耳が感情の震えを示すように揺れる。
青バニーの黒い髪。サファイア色の櫛で止められた髪が印象的だ。この世界のすべての音がその髪に吸い込まれるかのようだ。僕の意識は無音の世界で彼女に集中する。30メートルは離れているのに、彼女の細かな部分まで見えるような気がした。ネイルも青く塗っているし、ハイヒールの靴も青い。
5分ほども泣き続けただろうか。彼女はゆっくりと立ち上がって、また歩き出す。僕はその場を動けない。
彼女はなぜ泣いていたのか。
バニーガール姿だったことより、彼女の涙が心に残っている。
彼女のそんな姿は見たことがない。彼女が感情を高ぶらせる様子も、髪を結い上げた姿も。彼女について僕はあまりにも知らない。
それは、僕のクラスメート。
不来方まおだった。
※
週が明けて月曜。
あれから数日経つけど、まだ不来方さんは登校してこない。
三輪先生は何も言わない。さすがに数日連続で休んだら安否の確認ぐらいするのだろうか。現代では中学をドロップアウトして別の生き方を探す人も珍しくないけど、それはやはりアウトローな生き方である。月夜町では聞いたことがない。
僕は三輪先生の授業を記録モードにして、タブレットで別のことを調べる。
まずはやはり現実的に、心の病気だ。
バニーガール姿で夜の町をうろつき、道路の真ん中でさめざめと泣く。
どう見ても普通の状態じゃない。本当に病院で診てもらった方がいいのかもしれない。
(……でも、僕たち入学時の健康診断受けてるしなあ)
月夜中では、というより月夜町では全市民を対象とした人間ドックが無料で受けられる。町民は二年に一度、小中高では入学時に1泊2日の検査入院をするのだ。そこでは遺伝子検査も行われるし、メンタルチェックも行われる。月夜町には「よいち」関連の技術者や企業家もたくさん住んでいるから、こういう検査も必要らしい。
奇抜な格好をしたり、露出の多い格好で町をうろつくというのは確かに心の病気で解釈できなくもないけど、調べてみてもどうもピンとこない。それに病気で片付けるのは早計に思えた。
不来方まおのことを思い出そうとする。
だけど記憶が曖昧だ。僕は小学校時代は女子にあまり関心を持たなかった。今でもだけど。
個人IDからアルバムを閲覧。小学生時代のサマーキャンプ、運動会、合唱コンクール。そして筑波の学術都市に行った修学旅行。
不来方さんは確かに写っているが、メインの被写体になることは少ない。僕もそれは同じだ。引率で参加していた伊勢先輩のほうが目立ってるぐらいだ。
そしてなんだか厚着である。ニットのカーディガンを羽織っていることが多い。
彼女のふわふわとした長い黒髪と、ニットの柔らかい印象がよく合っているが、逆を言えば合いすぎて没個性的になってる。袖も余り気味だし全体的にだぼっとしている。
不来方さんの服装はあまり気にしたことがなかった。というか自分の服もけっこう無沈着で、ロケットが描いてあればなんでも良かったからなあ。
その不来方さんに、コスプレの趣味が?
まあ、あっても不思議じゃないか。恋愛物の小説とかたくさん読んでたし、オタク気質みたいだし、遠目だったけど意外にふくよかな体の線だった気もする。男女ともに二次性徴を迎えてる頃だし、体つきに自信が出てきて、だからコスプレ趣味に目覚めて、夜の町を徘徊……。
違う。
絶対にそんな行為ではなかった。あの涙は何かとても深刻な事情があってのことなのだ。
ともかく調べないといけない。
なぜ?
彼女のことが心配だから? クラスメートで同じ部活とはいえ、友人づきあいなどしたこともないのに?
……別にそのぐらいの関係でもいいじゃないか。伊勢先輩だって不来方さんを心配してたし。
それに、そうだ。彼女が来てくれないとバイオスフィア部の活動ができない。
そうだ、十分に意義のある調査なのだ。
放課後、僕はとりあえず噴水のある交差点に来る。ラウンドアバウトの円には車はない。たまに電動ビークルに乗った高校生が通り過ぎるぐらいだ。月夜町ではバスを利用する人が多くて、マイカー派は少ない。夜になればさらにひっそりとしてくる。
そもそも、月夜町では夜に出歩く理由がない。
条例で飲食店は深夜営業ができないし、コンビニもない。
というかコンビニはここ30年ぐらいで激減した文化だ。ごく一部の繁華街ならともかく、普通の住宅地で深夜帯に採算が合うわけない。かつては全国どこでも24時間営業だったそうだけど、実に不思議な時代である。
それはともかく、僕はタブレットに町の地図を呼び出す。
道路図から住宅地図に切り替える。それぞれの家に居住者の苗字が出る。表札の出ている家なら地図に反映されるのだ。
不来方さんの家は町の西側。医療関係者の住む社宅のようだ。
つまり不来方さんは家に帰る途中だったのだ。では不来方さんの家から月夜中学の正門前で折れて、フェンス沿いに進んだ先にあるのは何だろう。学校周辺にあるのは……。
「……これって」
月夜中の、教員が住む区画が。
※
「ええ、最近何度か来ましたよ」
三輪先生の家を訪ねると応接間に通された。この区画に建つ家はすべて月夜町の公営住宅で、教育関係者は格安の家賃で入れる。
月夜中学に先生は5人しかいない。基本的にはどの先生も全教科やれるらしい。優秀な人たちなのだ。
身重の先生を働かせるわけにいかないので、僕がお茶を淹れる。乾燥茶葉でお茶を淹れるのは初めてだった。お茶っ葉は2〜3人なら5グラムと書いてあったので、キッチンにあったデジタルはかりを使う。
「ありがとう、いいお茶ね」
「どうも」
先生はゆったりした服を着て、電動のリクライニングソファに座ってる。角度が変えられるので妊婦さん向きなのだ。
「不来方さんね、先週ここを訪ねて来たの。学校を休んだ最初の日ね」
ええと確か、5月25日の水曜日だったな。
「それ以前も何度か来てたの。休み時間とか放課後にも」
「放課後もですか?」
「ええ、職員室まで来て、お腹の様子はどうですか、とか。お腹に耳を当ててもいいですか、とか」
そういえば部活に遅れて来た日があった。三輪先生のところに寄ってたのか。
「興味があるんですって」
先生の言葉は短い。必要以上は話さないようにしている、という感じだ。
「先生、最近の不来方さん、何か悩んでる感じだったんですけど。感情に起伏があるというか、落ち着かない感じというか」
僕は伊勢先輩の言葉をそのまま言ってみる。
三輪先生は優しい丸顔の人だけど、僕をちらりと見て、わずかに様子をうかがう気配。
「不来方さんから何か聞いてる?」
「いいえ」
「私も何も聞いてない。先週ここを訪ねたときはね、しばらく学校を休みたいって言ってたの。今はそっとしておいてあげましょう。授業は自分で進めておいてって言ってあるから」
……。
「木曜日はどうでした?」
僕の言葉に、三輪先生は首をかしげる。
「木曜日? 先週の?」
「はい、ここを訪ねてきましたか?」
「いいえ、水曜日が最後ね」
では、不来方まおは先生の家を訪ねていない。
それなのに正門前を通るルートを歩いていた。
他の教員宅を訪ねた。
いや、そうじゃない、訪ねようとしたけどできなかったんだ。だから引き返した。
そして、うずくまって泣いた。
彼女はバニーガール姿で、先生に何か相談したいことがあったのだ。バニーガールでなければ言えないこと。
何だろう。想像もつかない。
「竹取テルさん」
ふと、三輪先生の目が僕を向いている。優しい先生なのに、少し硬い声音だ。僕をまっすぐに見ている。
「同じ部活だから心配するのも分かるけど、あまり深く立ち入っちゃダメよ。不来方さんにだっていろいろ事情があるんでしょうから」
僕はぽかんとした顔になる。
これは、叱られたのだ。ほんの少しだけどそんなニュアンスがあった。自慢じゃないけど小学校からここまで、先生に叱られたことは数えるほどしかない。
僕なにかしたっけ?
「あ」
声が出かけて口をつぐむ。湯飲みを口にあててごまかす。
そうだ、先生はバニーガール姿の不来方を見てないのだ。先生の視点では、不来方は妊娠と妊婦について興味を持ち、家を訪ねるほど熱心だった。
そして何かに悩んでいる様子であり、ついに学校を休んでしまった。
ここから導かれる答えはつまり。
(……不来方さんが、妊娠してる可能性)
思いついてみると、それで説明できなくもない気がする。バニーガール姿はつまり、あまりにも悩みに悩んだ末の奇行でしかない、と……。
(でも、まさかそんな……ありえない)
ありえない?
中1だから? ここが平和な月夜町だから?
12〜13歳で妊娠を経験する女性がいないわけじゃない。その場合、肉体的にも社会的にもたいへんな困難が予想される。悩んで当然だし、夜中に一人で泣いたって少しもおかしくない。
ありえないとするのは早計だ。この答えは簡単に切り捨てていいものじゃない。
(……でも、もし)
この答えですら、違っていたら。
ひたすらに奇妙で、掴みどころがなく、深遠で、誰にも答えの出せないような悩みだった、ならば……。