第二十九話「地球はえらい騒ぎだぜ」
すべてが動き出す。あるいは僕たち以外のすべてが停止するような感覚。僕たちの物語は一気に加速する。
物音が失敗につながるため、僕と不来方さんは骨伝導のインカムを装着。まずは車で移動。
僕たちは倉庫に運ばれる。そこで強化プラスチック製の小型コンテナに入るんだ。2メートル四方ぐらいの箱であり、入るとまず空気穴を確認し、2人で寄り添って座る。
コンテナはやがて持ち上げられ、トラックに積まれる。このままゲートを抜ける手はずである。
「ここからしばらくは声を出すな。話がしたきゃ手元の端末に入力しろ」
タブレットの声が耳骨を通して届く。
僕は不来方さんに向けて「聞こえる?」と入力してみる。暗闇の中なので、不来方さんは指で僕のおなかに丸を描いた。
ゲートは三つ。このコンテナは解放厳禁の紙が貼ってあるのでパスできるはずだ。それでもトラックが揺れて、スライド式のゲートが開く音には緊張する。
人の声がする。書類を読み上げて確認する声。雑談を交わす声。誰かに呼びかけてる声。
他者の声というのを懐かしく思う。月夜町からどんどん人が減っていくような奇妙な感覚の中で「よいち」だけは変わらず動き続けてる、そのことにひどく安心する。
「なあ、昼はなに食べる?」
「そうめんとトンカツかな」
そうめんとトンカツ。不思議な組み合わせだ。
「よいち」の食堂にはそんな定食があるんだろうか。それとも別個に二品、注文するんだろうか。
よく食べる人だね、と、骨伝導にて読み上げ音声が届く。不来方さんだ。
そうだね。きっとお腹がすいてるんだ。と返す。コンテナの中にはほとんど明かりはないけど、不来方さんが笑ったと分かった。
心が揺れている。
不思議なことだ。僕はあの声に人恋しさを覚えている。地球を、僕たち以外の人類すべてを振り切って旅に出るはずなのに、そうめんとトンカツという組み合わせが映像として浮かぶ。食べてみたくなる。僕たちだけがひどく遠い場所にいる感覚。物悲しさが胸を締め付ける。
二人ともカロリーバーを食べておいて良かった。お腹が鳴ってしまうのを避けられたから。
やがてフォークリフトでトラックから降ろされ、がたがたと揺れてスペースプレーンに積み込まれる。僕たちの以外にもコンテナはたくさんある。本来はスペースプレーンで運ぶはずの届け物。「よいち」の砲弾では運べない精密機械や生きた家畜、あるいは職員への個人的な届け物などだ。
だけど実際はすべて僕たちの荷物。たくさんの食料に書籍、そしてタブレットの分身を作るための部品。
そして忘れてはならない、バイオスフィアのための準備。
いくつかの植物と、種子と、薬品と、多少だけど土や肥料も。
搬入口が閉まる。リストバンドから声が。
「もういいぜ、コンテナを破壊して貨客側へ行け」
用意していたのは枝打ち用の電動ノコギリ。強化プラスチックのコンテナを破壊するのにそれなりに時間がかかる。何とか5分ほどで穴を開け。暗闇の中に這い出る。
貨客エリアへ移動。内部は左右に分かれた26席のシートだ。超音速で飛行するスペースプレーンなので、旅客機のシートよりさらに頑丈にできている。天井はそれなりに高く、シートの間隔もとても広い。贅沢な作りだ。
すべての窓はスクリーンが降りていて暗い。外からの光はまったく漏れてこない。
「ねえ竹取くん。伊勢先輩は大丈夫かな」
「うん……ここまでで2時間半か。予定だとあと1時間ぐらいかかるよ」
電磁レールガンである「よいち」の超ロングバレル。それは地中深くに通っている巨大なトンネルだ。
「よいち」の砲撃は仰角24度ほどで打ち出されるが、この角度でトンネルを作ると装填部分が深さ2000メートル以上になってしまう。
実際にはトンネルは深さ40メートルほどを水平に進み、「よいち」に近づくと徐々に角度を高めて射出に至る。これは大深度トンネルの建設が困難なためではなく、大地下の地熱の影響を受けないようにするためだ。緩やかなカーブだけどそれでも強烈な遠心力がかかる。それを電磁的に押さえつけて投射体を曲げるんだ。
つまり……後半になると徐々に坂道がきつくなる。もちろんそれを踏まえて伊勢先輩は「できる」と言ってくれたけど、実際はどうなるか分からない。
ほぼ真空の環境。110キロもの宇宙服は与圧で風船のように膨れ、巨大なレールの間をえんえんと走る孤独な道のりだ。酸素残量と自己のバイタルに気を配りつつ、時間も意識しなければ。
「ねえ竹取くん。レールガンって推進力がないから、空気の中を通る距離って短いほうがいいんでしょう? なぜあんなに浅い角度で撃つの?」
すごくいい質問だ。確かに「よいち」の砲弾は莫大な空気抵抗を受ける。仰角90度で撃つことと比較すると、通過する大気の長さは6倍以上になる。
理由としてはまず超ロングバレル方式は仰角を高くすることが難しいこと。高速増殖炉から得られる大電力なら大気の厚みを突き破ることが可能なこと。
もう一つは打ち上げ失敗のときのためだ。
「失敗?」
「うん。十分な速度が出ないまま真上に射ってしまうと、投射体が日本国内に落ちてくる可能性がある。だから海の方へ向けて射つんだ」
大気圏外まで登った120キロあまりの投射体。確かにかなりの運動エネルギーを持ってるけど、海に射てばいいという問題でもない気がする。というか角度が浅いほど重力圏を脱出するのは難しくなる。まあ、日本ならではの事情というものらしい。
僕たちは手荷物を適当な席に置いてベルトで固定。念のため船内を点検する。
物理スイッチも多いコックピット。さすがに手狭なトイレ。機内食を用意する厨房。スペースプレーンは観光にも使われるので、設備は充実している。
出入り口も点検。スペースプレーンは飛行場で離発着するけど、宇宙ステーションにドッキングすることもできる。だから側面にある出入り口は大きく四角く作られている。ここにステーション側からユニットを伸ばしてドッキングするんだ。
他に床下の簡易収納スペース。消火器と医薬品などが入ってるエマージェントボックス。ミスト式のシャワー室もある。
「けっこういろいろ設備あるんだね」
「月まで18時間かかるからね」
今回はさらに20分ほど余計にかかる。所要時間は飛び立つときの月の位置で決まり、今回は最適な位置ではないからだ。
アポロ計画では104時間かかったから、これでもだいぶ短くなったんだけど。
「厨房で火が使えるなら何か作ろうかな」
「火はどうだったかな。電子レンジはあるみたいだけど」
僕は電子レンジもがちゃりと開ける。冷蔵庫も、ブランケット置き場も、お地蔵様ならギリ入れそうなワインセラーも。
「……いないな」
「どうしたの竹取くん」
「いや、もしかしたら神咲先生がいるかもと思って」
貨物室のコンテナも調べる。内部に人がいる様子はない。念のために貨客エリア側から物理ロックをかけておこう。
「人間が隠れられる場所はない……はずだよな。いやでも、先生なら体を折りたたむぐらいやるかも……」
「先生って妖怪みたいだね」
妖怪のほうがまだ何とかなりそうな気がする。
「来た!」
リストバンドから声。そしてスペースプレーンの主電源が入る。
「タブレット! 伊勢先輩はどうなったの!」
「うまくいったぜ! すげえな赤バニーのご主人は、予定より15分もはええ」
「二人とも、聞こえる?」
伊勢先輩からの通信だ。声にわずかに息切れを感じるけど、無事なことに安堵する。
「先輩、すごいです。こんなに早く」
「いえ、いろいろ予定外のこともあったわ。お父さんとも戦ったし」
お父さん。そうか、伊勢先輩のお父さんは「よいち」の警備を担当する会社の社長さん……。
僕たちの事情を考えると本当の親なのか分からないけど、少なくとも月夜町ナイトファイトの時は親子の親密さを感じた。もうだいぶ昔のことのように感じる。
「すいません、身内と戦わせてしまって……」
「ううん。向こうも何となく察してくれたみたい。たぶん手加減してくれてた」
もう少し、できればずっと伊勢先輩と話していたかったけど、そこでタブレットの割り込みが入る。
「二人ともシートに座れ! 自衛隊にスクランブルがかかった!」
僕たちは飛びつくように席につく。四点式のシートベルトで自らを固定。スペースプレーンは甲高いエンジン音を奏でながら滑走路に出る。施設全体にアラームが鳴っている。
「大丈夫なの」
「飛んじまえばこっちのもんだ。自衛隊機なんか簡単に振り切れる。ミサイルも来ねえぜ。あたしの本体がすでに全世界規模で手を打ってる」
スペースプレーンは加速。まだシャッターが降りてて外は見えない。滑走路には慌てふためく作業員がいるだろうか。大丈夫とは思うけどひかれないように気をつけて。
「タブレットちゃん! 伊勢先輩のフォローも忘れないでね!」
「任せとけ! すでに脱出ルートに誘導してる! 「よいち」の全システムは乗っ取ってるから何も問題ねえ!」
巨体が。
月へ向かう鳥が翔ぶ。
シートに全身が押し付けられる。不来方さんが小さく悲鳴を上げて、僕は隣にいる彼女の手をぎゅっと掴む。
スクラムジェットエンジンの強烈な加速。追撃の可能性を振り切るために最大速度で。一気に雲を突き抜け、空気の密度が薄まる高さまで。
数分間。すべての息が吐き出される加速度と、魂だけが天に運ばれるような浮遊感。
そして。
「オッケー、お疲れさんご主人ども」
窓のシャッターが開く。
地球だ。もう星の丸みが分かるほどの高さになってる。
席を立つと微妙に体がふわふわする。遠心力と地球の重力が相殺されつつあるんだ。
「追っ手は大丈夫かな」
「地球はえらい騒ぎだぜ。だがもう何もできねえよ」
星がうっすらと光って見える。大気の層が太陽の光を蓄えるような輝き。
本当に美しい星だ。僕たちが行くのは月の裏側だから、次に肉眼で地球を見るのはだいぶ先だろう。
「バイオスフィアだ」
「うん?」
「不来方さん。僕たちが参考にしてたバイオスフィア2、なぜ2なのか知ってる? 2があるなら1があるはずだよね」
「え? 前にも同じような実験があって、もっと規模を大きくしたのがバイオスフィア2、とか」
そうじゃない。僕は首を振る。
「バイオスフィア1は、地球なんだ」
母なる星。
銀河の中で奇跡のような好条件に恵まれ、長大な歴史の中で生命をはぐくんできた星。
バイオスフィア2の実験は失敗だったかも知れない。
でもそれは、地球の持つ偉大なる恒常性を知る旅だった。複雑で深淵で、きわめて完成度の高いシステムの偉大さを再確認したんだ。
次はもっと、うまくやれる。
僕たちが月で作るバイオスフィア3こそ、完全な生命の循環を……。
「じゃあ着替えようかな」
「え?」
「竹取くん、向こうむいてて」
不来方さんは丸眼鏡をカバンにしまい、コンタクトのケースを取り出す。僕は後ろを向く。
「もういいよー」
振り向くと青バニーになっている。ゴム紐で髪をアップにまとめていた。
「持ってきてたんだ」
「うん。やっぱりこれじゃないと」
バニーガール。不来方さんにとっては大人の象徴。
僕たちはもうとっくに大人だと思うけど、その格好が落ち着くならそれもいいかもしれない。
月にウサギ。出来すぎてるけどこれもまた僕たちの物語だ。
「あ、そういえば月ってストッキングあるかなあ。これ伝線しちゃったら替えがないよ」
「どうだろう。女性の職員も多いはずだしあると思うけど」
「何か変だ」
タブレットの声。妙に緊張感がある。
「どうしたの」
「光学観測で発見した。スペースプレーンがもう一機飛んでる。距離は約6000」
なんだって。
「フライトプランが出てねえ。未確認機だ。だがこいつはどっから飛び立ったんだ? まるで分からねえ」
「竹取くん! あれ!」
不来方さんの示す先、機体が近づいてくるのが分かる。
僕たちと同じようなスペースプレーン。だけど側面に何か増設されてる。四角い箱のような。
「ドッキングユニットだ」
「はあ!? マジかよ! スペースプレーン同士でやる気かよ!」
がくん、とこちらのスペースプレーンが揺れる。方向舵が急に動いたような揺れだ。
「くそっ! こっちの操縦系を!」
「タブレット! 逆らわないで! 向こうのしたいように任せるんだ!」
現在、高度は約80000メートル。
つまり宇宙との境界線に至っていない。地上の一万分の1程度だけど大気がある高さだ。
やはり来た。
世界で一度も行われたことのない、大気圏内でのスペースプレーン同士のドッキング。こんな無茶ができるのは先生しかいない。
月琴の魔法使い。
月夜町に来た異物。僕たちの物語に干渉した存在。
そして、おそらくは……。




