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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第四章 銀色バニーは夢を見る
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第二十八話「誇り高い旅を」



まばたきを惜しむような日々。


この数日は一瞬のようにも、体感では数年のようにも思える計測されざる時間。僕たちバイオスフィア部は多くのことを話し合い、できる限りの準備をして、そして月夜町を通して世界の美しさをおもう。


出発の前日。この日は伊勢先輩のトレーニングは無い。筋肉を十分に休ませ、必要な食事をとってひたすらに休むのだという。


「正確にはトレーニングじゃないのよ。自分が走れる距離と時間を把握する必要があったの」


最後の夜、僕たちはカラオケに出かける。数少ない月夜町の遊興店。別にどこでも良かった。だけどそのうたげは必然だった。


伊勢先輩は体を丸めて深く静かな呼吸をずっと続けている。伊勢先輩は全身に静かな気力がみなぎり、さらに何段階も強くなったように見えた。きっと気のせいではない。


伊勢先輩は座ったままでバラードを歌った。不来方さんは80年代のアニソンを。僕は実のところ歌える曲があまりないけど、歌詞を覚えてる曲があったので披露する。


「……なぜアメリカ国歌なの?」

「竹取くん、ロケット打ち上げセレモニーの動画とか好きだから、かな……?」


それほど長い宴にはならない。1時間ほど他愛のない時間を過ごしただけだ。すべての段取りはタブレットが打ち出しており、僕たちはすでに丸暗記している。話し合うことはない。


「ただ心配なのは」


最後に、伊勢先輩が言う。


神咲ささか先生のことね。私たちを妨害するかもしれない」

「そうですね。可能性はありますけど……」


何となく、そんな展開にはならない気がする。僕たちを妨害するつもりならいくらでも方法はあった。


そうなると、なぜ手を出してこないのか、という話になる。伊勢先輩は指の腹をかるく噛む。


「あの人は何がしたいのかしら? 私が先生を攻撃しようとした時も無抵抗だった。ただ、攻撃したらすべてが終わりと言うにとどめていたわね」



――あなたが滅ぼすんだ。「よいち」をハッキングして


――異常なことというのは摂理の輪に乗っていないからだ。循環は訪れず、やがては結末を迎える


――あらゆる不可思議な物語は消滅し、世はなべて事もなし。ありふれた日常に戻っていく



「たぶん……先生はいつでも月を攻撃できたのかもしれない」


僕はそう発言する。


「何もかもぶち壊して、ちゃぶ台をひっくり返すことができたのかも」


でもそうしなかった。それはなぜだろう。


「先生って、町に現れてからずっと何をやってたんだろう。教師として潜り込んでまで、僕たちを見守る必要があったのかな。僕がどこに出かけてもついてくるし」

「あ、私が一人の時にも会ったよ」


と不来方さん。ノンアルコールのピーチフィズを飲んでいる。


「そうなの?」

「うん。月夜町ナイトファイトのとき、学校の図書室で月夜町の歴史について調べてたの。そしたらバニーガール姿で現れて、面白い催し物だねとか、なぜ町の外に知られてないのだろうねとか、そんなこと言ってたよ」

「学校にバニーガールで……?」

「うん。先輩もそう思いますよね。変だよって私も言ったんですけど……」


知られてないのは簡単だ。月夜町ホームページにある掲示板。外部ネットワークからあそこにアクセスした場合、月夜町ナイトファイトについての書き込みは見えなくなる。タブレットがそうしてるのだろう。


「それと、タブレットちゃんがTって名乗ってたころ、月夜小学校の生徒かもって思って行ってみたの。その時も出たよ」

「割とマメに出没してるね……。ヒントを出して導こうとしてる、ってことなのかな」

「そんな感じでもなかったよ。私、あまりそういう謎解きに興味なかったから」

「小学校にバニーガールで……?」

「先輩、そこ突っ込むと長くなるので」


ともかく、先生は不来方さんにも接触していた。僕だけというわけでもないのか。


先生は言っていた。僕たちが三つの鍵を見つければ、世界のどこにでもバニー・バニーが出現すると信じられると。


なんだか取ってつけたような理由である。ただの口実のようにも思える。

それに、それなら先生の目的はもう達成されている。先生自身も僕たちを認めた。


では……見送る気なのだろうか。スペースプレーンが発着場を飛び立つまで?


いや。


そうじゃない。


僕は気がついてないふりをしているだけだ。


先生には、やはり確固たる目的があって、そのために僕たちの物語に、この月夜町で起きた物語に干渉したんだ。


しかし物語の結末を変えることはなかった。僕たちの月面行きを頓挫させることもできたが、それは最悪の選択だからだ。基本的には僕たちの物語を終わらせる必要があった。



何のために。


何のために。


何のために――。



言葉がずっと反響している。カラオケルームを出て、ホテルに戻ってきて、キングサイズのベッドで不来方さんと一緒に寝ていても。


「……」


僕はベッドを降りて、ベランダに出る。


月夜町の夜はいつも静かだ。人の気配はどんどん少なくなっている。僕はリストバンドに呼びかける。


「タブレット」

「どうしたご主人」


今さら、何を怖気づくことがある。

僕たちがたくらむのは、世界をひっくり返すほどの計画。


今さら、恐れることなど……。



「一つ、調達してほしいものが」





朝の月夜町には白いもや・・が立ち込めている。やや標高の高い月夜町はそれほど気温が高くならず、森の香りを残す湿った風が、町の西から東へのっそりと動く。


空が白み始めている。時刻は04:30、夏至が近いことを意識する。月夜公園は静かで落ち着いた空気に満ちており、草は朝露に濡れている。


「最終確認だ」


緑バニー、タブレットが僕たちを見て言う。上空には何台かのドローンが飛行している。


「これから赤バニーのご主人、伊勢いせ穂香ほのかはレールガンの装填施設に向かう。そこは比較的セキュリティが弱い、あたしが無効化するからトリエックス宇宙服を着て侵入。11.7キロの直線を走破して「よいち」の点検用通路から出る」

「ええ」


タブレットがメモリースティックを渡す。それは儀式的なものだった。すでに宇宙服の端末にも同じデータがあるし、伊勢先輩のリストバンドにも入力されている。


「この中にあたしの分身が入れてある。「よいち」の中央管制室についたらどこのソケットでもいいから挿入しろ。あたしが「よいち」に干渉してバックドアを開く、そこからは一瞬で乗っ取る」


僕の認識だとタブレットの分身というより攻撃型ウイルスに思える。タブレットの自我を形成するにはどのぐらいのデータが必要なのだろう。あるいは数メガバイトで十分なのだろうか?


「次はこっちのご主人だ。竹取たけとりテル、不来方こずかたまお」

「うん」

「よろしくね、タブレットちゃん」


ドローンの1台が下降してきて、駐機場の見取り図とスペースプレーンを表示する。それは二等辺三角形のシルエット。鳥のくちばしのような機首とコーラ瓶のようなスクラムジェットエンジン。もちろんすべて頭に入ってる。


「ご主人どもは荷物に紛れてスペースプレーン発着場まで行く。運搬は無人のフォークリフトだ。スペースプレーン機内に積み込まれるから、梱包を破壊して外に出る。内部から貨客エリアへ行けるからそこで待機だ。あたしが「よいち」を乗っ取ったらスペースプレーンにも分身を送る。そこからは座ってるだけでいい」

「月での受け入れ準備は」

「あたしの分身が30体ほどいる。そいつらが手伝ってくれる。あたしも月へ向かう途中で自分を組み立てる」


スペースプレーンにはタブレットの素材が50体分ほど積み込まれる。さらに月面の資材を使って増えていく。

何しろ多ければ多いほど良いという話になっている。最終的には2000体ほど作る予定だとか。


月にいた人々は地球へ帰還させ、僕たちは月で巨大なバイオスフィアを作る。そして火星や木星、さらに遠くへ向かうための核融合エンジンの開発を始める。


人間の肉体では耐えられない旅かも知れない。


それでも行く。


たとえ旅を続けられなくなっても、タブレットたちがいる。彼らが次なる人類となって、星の海へ広がっていく。ひとまずはそれが計画のすべて。


「神咲先生の様子はどうなの?」


伊勢先輩が問う。そう、それは最後の懸念事項。


「あの女だけはどうしても追えねえ」


タブレットは苦々しく腕を組む。


「どこにいるのか、どんなデバイスを持ってるのか、何もわからねえんだ。だが、ご主人どもが宇宙に旅立ってからは手を出せねえはずだ。地球上の誰も」


僕たちは、もちろん世紀の大犯罪者になる。月へ追っ手をかけようとする人も、あるいは月を攻撃しようとする人もいるだろう。


それはタブレットの力で沈黙させる。人類はしばらくの間、ロケットを発射させることができなくなる。世界中のマルチキャスターもだ。マルチキャスターの乗っ取りとなると大変だけど、射出不能にするだけなら無数にやり方があるらしい。


僕たち四人は円になって見つめ合う。


すべては確認し終わった、あとは実行するだけ。


このだいそれた、前代未聞の、ファンタジーとすら思える計画。富士山よりも大きな歯車でできた機械が、地球をぎしぎしと回転させ始める感覚。


「以上だ、何か質問は」

「何もないわ」

「うん、私もないよ」


伊勢先輩と不来方さんはそう答える。


タブレットは、最後に僕を見た。

昨日、タブレットに頼んでいたものはすでに手に入っている。そのことが気になるのだろうか。


僕はタブレットを真っ直ぐに見て、静かに答える。


「僕も、何もない」

「わかった、じゃあ作戦スタートだ。出発は5分後」


ブレーキ音がする。近くに2台のワゴン車が停まったのだ。自動運転車であり、運転席には誰もいない。


「次の「よいち」の射出は15分後だ。レールの冷却が終わる頃には装填施設に着ける」

「竹取くん、最後にあれ、やりましょう」

「そうですね」


僕たちは互いに手を重ねる。不来方さんが促し、タブレットもその小さい手を重ねた。


「偉大なるバニー・バニーのために」


僕たちは手を持ち上げて宣言する。


僕たちの始まりだった人物。始まりの魔法使いは彼らに手を貸したかもしれないけど、月に旅立ったのはバニー・バニーの意思であり、月で四年も生き延びたのは彼ら自身の力だ。人間が持つ力なのだ。僕はそう信じている。


「偉大なる跳躍者ちょうやくしゃのために」


「偉大なる先導者せんどうしゃのために」


「偉大なる放蕩者ほうとうもののために」


バニー・バニーはいまだにおおやけの場で評価されることが少ない。彼らは無謀なテロリストであり、愚か者であり秩序の破壊者であるという人もいる。


でも彼らは時代を動かした。人類の目をふたたび月に向けた。

それだけは、誰もが認識している。


「我々はその持てる力のすべてをかけて」


「人生を楽しみ」


「新しきことに取り組み」


「意義あるものを残すことを誓います」


「偉大なるバニー・バニーのために」


僕たちはバニー・バニーの申し子。誰かが時代を切り開かねばならないなら、僕たちがやってやる。


この熱量だけは、誰かのお仕着せじゃない。始まりの魔法使いなど関係ない。人間が本来、持っている熱量であると――。


「二人とも、頑張ってね」


伊勢先輩が車に乗り込む。一瞬。すべてを捨て去ろうとしている僕らにも、一瞬だけ、目がくらむほどの親愛の情が行き来する。


「先輩、一番危険なのは先輩です。少しでも不安を感じたらすぐに引き返してください。先輩に何かがあったら、この旅には何の意味もないんです」

「先輩、引き受けてくれてありがとうございます。私と竹取くんと、タブレットちゃんはずっとバイオスフィア部の仲間です。ずっと、永遠に」


離れがたい感情がある。

もう二度と伊勢先輩には会えない。タブレットのフォローがあるとは言っても、伊勢穂香の人生がこれからどうなっていくのか誰にもわからない。

願わくばいつか宇宙で再開したいけれど、それが叶う日は来るだろうか。僕たちは月に留まる気はないのだ。


「二人とも……」


そして伊勢先輩は。

最後に僕たちを見て、あるかなしかの微笑みを。


「誇り高い旅を」


ドアが閉じる。


車が、僕たちの感傷の鎖を引きちぎって走り去る。


そして僕たちは。



「――行こう」

「うん」



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