第二十七話「すべてにあなたは必然じゃないんだ」
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昼休み、僕と不来方さんはお昼を食べる場所を探す。
やっぱり人が少ない。いつも賑わってる庭園も、わずかな休み時間に3on3をする上級生もいない。伊勢先輩はグラウンドの真ん中で柔軟をしている。午後もずっとトレーニングするんだろうか。
「不来方さん、食堂に行ってみようか」
「うん」
そこもやはり人は少ない。湾曲したテーブルが円を描き、波紋のように何重にも続くデザイン性のある空間。端のほうで数人がランチを食べている。
お弁当はおにぎりの詰め合わせである。どれも濃いめのきつね色になっている。
「これって焼きおにぎり?」
「ううん。おにぎりの燻製」
なるほど燻製香だ。軽めのチップでじっくりと燻してある。ホテルのベランダで何かやってたのはこれか。
よく嗅ぐと風味が何種類もある。これはオイスターソースのような香り、こっちはパクチーの香りがする。
中身はサワラの味噌漬け、ピクルスとジェル状の焼き肉のタレ、ほぐした梅干しをまぶしたカッテージチーズなどもある。どれも味のバランスがよくて食欲が沸く。不来方さんの料理は創意工夫が素晴らしいけど、味はけして奇抜じゃない。ずっと昔からあるレシピのような安定した味だ。
「不来方さんって料理上手だよね」
「ありがとう」
不来方さんはリンゴを剥いている。食べてみると蜜の少ないさわやかなリンゴだ。薫製おにぎりの濃い味がリンゴで洗い流されていく。
「そうだ、月に持っていく調味料とか買いに行こうか」
「うん、そうだね」
月面には地球の調味料はだいたい何でもある。日本のモジュールでは発酵食品なども作っている。とはいえ月にしては、という意味だ。それに大抵の調味料は減塩されている。
僕がそういう話をすると、不来方さんが髪を揺らして視線を向ける。
「どうして減塩なの?」
「ムーンフェイスだよ。月は低重力だから体液が頭の方に行きがちになる。すると頭全体がむくんで、鼻が詰まったような状態になって味を感じにくくなる。味の濃いものを好むようになるので減塩なんだ」
僕たちも減塩を意識するべきかも知れない。でも持ち込めなかった後悔よりは持っていく後悔だ。
そんなわけで、午後の授業はパスしてスーパーに向かう。購入するものは焼き肉のタレ、お吸い物の元、フリーズドライの味噌汁にカレーの固形ルウ。不来方さんはハーブ類をたくさん買っていた。
他には各種サプリメントに正露丸。香りのいい石鹸に洗口液に歯磨き粉に、そうだ、牛脂をたっぷり持っていこう。
そして商店街近くにあるホームセンターへ。なるべく頑丈なクーラーボックスを買う。
「チューブとかペットボトルに入ってるものはここに入れよう」
「どうして?」
「スペースプレーンは0.7気圧の与圧。月面モジュールもだいたいそのぐらいだけど、何かのきっかけで低圧環境に暴露しないとも限らないからね。破裂しても大丈夫なようにだよ」
買い物とは浮世を忘れる行為かもしれない。十分な予算の裏付けのもとで行われる買い物は楽しく、購入するものの必要性は低い方が良い。万が一、もしかして、いざというときに、そういうふわふわとした言葉が僕の背中を押してくれる。僕はリストバンドをレジスターにかざして、とにかく思いつくままに購入する。
「でもこんなに持ち込めるのかな」
不来方さんは書店で本を購入。ずっしりと重くなった紙袋は僕が持つ。
「そのへんは心配すんな」
リストバンドから声がする。タブレットだ。
「荷物はバイオスフィア部に置いとけ。もうスペースプレーンに積み込む段取りはできてる。まあ2トンぐらいは簡単だ」
「分かった。ナマモノも大丈夫かな?」
「今どき月にだって冷蔵庫ぐらいあるから気にすんな。それと、ご主人どもが購入したもんは本以外はすべて月面にもあるぜ」
なんだそうなのか、ちょっとがっかり。
まあ月で生きていく足しにはなる。僕たちは月夜中の部室に向かう。
そこにはタブレットがいて、すでに大量の荷物が運び込まれていた。白いダンボールに入ったそれを、蜘蛛のような多脚の粘土板たちが検品している。
「何してるの?」
「あたしを作る材料だ。プリインストールしたCPUとロボットの構成部材。向こうで組み立ててあたしの分身を作る。ひとまず50体ぶんかな」
タブレットの方でも準備を進めてるようだ。それにしても大量にある。
「タブレット、月の状況はどうなの?」
「月面基地はさすがにセキュリティが固いんだよ。それにデータリンクが遅くて不正侵入が難しい。まあちょっとずつ手を回してるぜ、いくつかの国のモジュールを停止させてスタッフを帰国させてる。思ったよりスムーズだな」
そこで、僕はずっと持ってた疑問をぶつけてみる。
「月ではいがみ合いが起きてて……月面都市はいずれ崩壊するとか」
「良くない話ってのはあんまり降りてこねえ」
タブレットは僕をちらりと見て、淡白に言う。
「確かにここ最近、暗号通信が慌ただしく交わされてる。あたしにも解読できねえけど日本とアメリカが特に多い。他のモジュールもスペースプレーンの往復が増えてるし、全体的に人員を減らしてる感じがある」
「戦争でも起きるのかな」
不来方さんがぽつねんと言うが、僕がびくりと背中を硬くしたのに気づいて、ぽんと手を添える。
「ごめん、そんなつもりじゃないの」
「いや、不来方さんは悪くないよ」
むしろ、戦争でも起きてくれたほうが僕たちの計画には良いのかもしれない。停滞に入りつつある月面都市から人を追い出して、僕たちがそこに君臨しようというんだから。
それから図書室に移動。僕たちは月面都市とスペースプレーンについて勉強する。タブレットが用意してくれたモジュールの資料なども読み込む。
気がついた頃には日が暮れていた。僕たちはホテルへの道を歩く。
決行は、3日後。
今日のような準備を何度か繰り返せば、3日などあっという間だろう。
「竹取くん、わたし夕食の買い物してから帰るから、先にホテルに戻ってて」
「買い物なら付き合うよ」
「ううん。何を作るか秘密にしたいの。驚かせたいから」
「わかった」
ホテルは月夜中から歩いて30分ほどの距離。自転車は持ってくるべきだったかな。もう家に戻る気はないし、どこかで買おうか。
ホテルの周辺にも人は少ない。タクシーが1台停まっていたが、誰も乗ってない。ガードマンも姿が見えない。見上げてみると明かりのついている部屋は数えるほどしかない。
町から人が消えつつある。あるいは僕の世界から。
ふと左を向く。ホテルに隣接した遊歩道。月琴の音が聞こえた。
「……なんでしょっちゅう現れるんだろう?」
無視してもよかったけど、僕はそちらに向かう。この遊歩道は夏にはお祭りなんかも開かれる場所で、いつもカップルとかがいるんだけど、やはり誰もいない。
赤レンガの道と七色の花壇。木製の大きなベンチにバニーガールがいる。
月琴をつまびいて、長い足をしなやかに組む。
「やあ、少年」
「何の用だよ」
神咲先生だ。今日は午前の授業だけ受けたから、8時間ぶりぐらいか。
「もうあんたの課題はクリアしただろ。三つの鍵は手に入れたんだ」
「そうだね。見事だったよ。何かご褒美が欲しいかね?」
胸元を指で引っ張りながらほほ笑む。
「やめてくれ、僕は既婚者だぞ」
「……年下にそう言われるシチュって恥ずかしいものだね」
と、ベンチから立ち上がる。やはり背が高く、引き締まった脚は驚くほど長い。
「両親から連絡が来ないことが不安かと思ってね」
「あんたが何かしたのか?」
「何も。実は君の両親は「よいち」関連で少し汚職をしていてね」
「……」
「不来方くんの両親もだ。月夜町の人材育成プログラム。あれは内閣府直轄のプロジェクトだが、書類の写しが不来方病院にもあっただろう? 計画を公表するとほのめかして、補助金に便宜を測ってもらっていた。他にも脱税やら何やら色々ね」
「だから、町から消えたって言うのか」
「海外へ逃走したのさ。君が望むなら追跡して逮捕させてもいいけどね」
「……別に」
不思議と、意外という感情はなかった。
両親は優しかったけど、僕に対して放任気味だったし、深夜の外出も咎めなかった。だからというわけでもないが、昔から親子の情は薄かった気がする。
僕が本当の子ではないからだろうか。それとも生意気で早熟な僕の気質のためか。
「両親には迷惑かけたくなかったし、海外に行ってるなら都合がいいよ」
「そうかい?」
「不思議なんだ」
僕は銀バニーを見て言う。
「すべてのことがお膳立てするかのように整っていく。「よいち」に侵入してスペースプレーンを奪い、月面都市を乗っ取る。そんなことが本当にできそうな気がする。この計画が人類の未来に必要だと思えてくる。客観的にはとんでもないテロリズムのはずだ。僕はなぜこの計画をやろうと思うんだろう。あんたが僕の頭をいじったのか?」
神咲先生は。
一瞬。その表情に暗い影を落としたように見えた。美しい唇をそうと分からない程度に噛み、月琴の弦をびいんと弾く。
「マルチキャスターの砲弾を月に届けるのに、どのぐらい精妙な計算が必要か分かるかね?」
そんなことを言う。
「……ええと、ものの喩えとして、ゴルフで50メートル先のカップに入れるほどの計算がいるとか」
「そう。しかし着弾地点は数百キロ程度ズレてしまう。気温に湿度、大気の密度、世界の誰も観測してない小惑星の引力すら軌道に影響するからだ。そのすべての要素を厳密に算出し、「よいち」の出力に反映させることは人間レベルでは不可能だ」
「よいち」の着弾精度は国によってだいぶ差がある。インドや中国は少し大ざっぱであり、日本はもう少し精度が高い。
もっとも精度が高いのはアメリカだ。これはマルチキャスターがハワイのオアフ島にあり、空気が澄んで天候が安定していて、気候による誤差をかなり低くできるからだ。
それでも着弾地点の誤差は240キロメートル。現実的にこれ以上の正確さは不可能と言われている。
「もし、人間を超えるほどの知性があるなら」
銀バニーは誰にともなくつぶやく。
「人の世の複雑さを読み解き、経済も政治も、あらゆる社会現象を自在に操る知性があるのなら。竹取くん、君の思考すら操ることも可能だろう。あるいは地球上の人類すべてを」
「すべてを……?」
「バニー・バニーの出現により起きた第二次月面開発競争。月面には大量のリソースが持ち込まれたが、やがて開発は停滞した。そして君たちが月へ行き、二人きりでさらなる遠方を目指そうという。すべてが君たち二人のために用意されていたかのようだ。あるいは、君たちが決断することすらも」
「……」
「始まりの魔法使い」という言葉を思い出す。
世界中から技術をかき集め、バニー・バニーが宇宙へ行くためのロケットを提供した人物。あらゆることを見通し、あらゆる場所へ自在に出入りできた魔法使い。
では、僕たちの心にも入れただろうか。
遠くへ行かねばならない。星の果てを目指さなければならない。
技術的特異点を突破しなければ。
そう思わせたのも、魔法使い……?
「でも、魔法使いは力を失ったって聞いてる」
仮想通貨の凋落によって、大量の演算インフラが削減された。全世界の演算リソースが減少し、それを利用していた魔法は存在しなくなった。タブレットがそう言っていた。
先生はそれに答えて言う。
「そう、私もかつての魔法使いほどの力は使えない。あの自我を持ったAI、緑バニーも同じだろう。かつての真なる魔法の前に、我々の魔術は明らかに格が落ちている。仮に魔法がまだ続いていても、それに気付けるかどうかも分からない」
魔法が、まだ続いてる……。
それはあるいは、500キロ先にある4.25インチの穴にカップインさせる離れ業。
始まりの魔法使いの遺した、真なる魔法。
それが生きている? まだ魔法の効果が続いている?
だけど、僕の目には。
目の前の人物こそが、魔法使いに見える。
「あなたは何がしたいの」
僕は銀色のバニーガールを見つめる。その美しい顔は微動だにしない。
タブレットは、神咲先生が始まりの魔法使いではないかと言っていた。バニー・バニーの出現は20年前だから年齢が合わないが、真なる魔法使いであれば年齢や外見、性別すら自由なんだろうか。
「月に旅立つことは僕たちの物語だ。本当は三つの鍵なんか関係ない。僕は自然に不来方さんに出会って、伊勢先輩の問題を解決して、タブレットの助けを受けて月に行くはずだった。月面都市が滅ぶことも、それを僕たちが乗っ取る計画も、すべてにおいてあなたは必然じゃないんだ。なのになぜ、あなたは月夜町にいるの。何をしようとしているの」
「最初に言ったろう? 私はただ、君たちに会いに来たのだよ」
銀バニーはにこりと笑う。何の感情も乗っていない、すべてを笑顔で糊塗するような顔。
「少年、君に幸あらんことを」
去っていく。その周囲で街灯が消えていく。闇の中に呑まれる一瞬。幽かな、本当に微小な声が――。
「そして、魔法に結末の訪れんことを……」




