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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第四章 銀色バニーは夢を見る
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第二十六話「宇宙に行かなくちゃいけないんです」


雨が降っている。

もう六月だ、梅雨だから当たり前だが、空を覆う雲はとても低い位置に思えて、この世の不安が上空にたまり、それがゆっくりと降りてくるかのようだ。


僕は月夜中の屋上から町を見る。雨にけぶる町。雨煙うえんに包まれる町はひどくしっとりと静まっていて、数千年が一気に過ぎるように思えた。


「竹取くん」


頭上に傘が差しだされる。横を見れば不来方さんだ。全身がずぶ濡れになって、長い黒髪はぺたりと肩に貼りついている。なぜ傘を持っているのにずぶ濡れなのか。きっと、僕と同じ理由だろう。


「不来方さん、風邪ひくよ」

「少し冷えたぐらいで風邪ひかないよ。私たち、人よりは少し頑丈らしいからね」


不来方さんは膝を曲げて、伸び上がる勢いのままに傘を放る、それはフェンスを飛び越えた瞬間、強い風にあおられて上空へと向かう。その軌道には力強さがあった。月夜町という世界がドーム状の概念であったなら、そこは閉じられた結界。一歩でも出れば世界という名のうねりが吹き荒れている。


僕たちは温室育ちで、裕福で苦労を知らず、教育にも健康にも、家族にも恵まれた、いけすかない人間だ。

その家族が本物でなかったぐらい何なのか。血の繋がってない家族なんていくらでもいるのに。


「たぶん、東京に行ったからだ」

「東京に?」

「東京にはいろいろなものがあった。良いものも悪いものも、理想も現実も、善意も悪意もあった。月夜町は静かでいいところだけど、本当の姿じゃないんだ。だからきっと、何もかもそうなんだ。この町も、月も、自分自身も本当の姿じゃない。生きていくって、きっと、本当の姿を探すことなんだ」


おかしなことだ。たった1、2回の旅行で世界を知った気になってる。


そんなわずかな経験で、だいそれたことを決断しようとしている。


僕の見てきたことも、考えてきたことも。


僕の悲嘆ひたんも、絶望ぜつぼうも、寂寞じゃくばくも、虚無きょむも、懊悩おうのうも、憤怒ふんぬも、哀惜あいせきも、焦燥しょうそうも、諦念ていねんも、あらゆる感情も、何一つ保証してくれないのに。僕が何を思ったって、僕の正しさの根拠になんかならないのに。


自暴自棄なのだろうか。この地球のどこにもいたくないから、いっそ月に行ってしまおうと思っているのか。


旅に出る動機なんて、その程度のものかも知れない。


「月に行くよ」


僕は言う。不来方さんは彫像のように動かない。


「人類の未来がどうとか、僕の出生とか関係ないんだ。僕が月に行きたいから行くんだ」


分かっている。僕の言葉は、そうでありたい・・・・・・・という言葉だ。本当は逃げ出すのかも知れない。投げ出すのかも知れない。大きなものは背負えなくて、こまごまとした理由で武装することもしない。だから純粋で高潔な、僕の中から湧き出す衝動なのだと言おうとしている。


「私と一緒に?」


不来方さんは雨ざらしのコンクリートにぺたんと座る。僕も並んで座る。僕たちが雨に溶けて流れていけばいいのに、川となって海に注げばすべてが満たされるのに。


「不来方さんはどうなの」

「私も行くよ」


肩を寄せる。冷たい雨の向こうに不来方さんの体温を感じる。


「長生きできないかも知れないよ」

「いいよ」

「不来方さん、子供が欲しいんでしょう? 月での出産は大変かも」

「きっと産めるよ」 

「僕に気兼ねしなくてもいいんだよ。僕は一人でも」


沈黙が。

わずかな肩の筋肉の硬直。そこに千の言葉がある。離れがたい感情。僕との絆を否定したくないという感情。そして僕と同じ、月に行きたいという衝動。それがあると感じる。


思えば僕たちは、なぜバイオスフィア部に集まったのか。


バニーガールという奇妙な符号。バイオスフィア部という、伊勢先輩には似合わない部活。


不可思議な偶然が。惑星の直列のような奇妙な符号が、月夜町での不思議な物語としてあらわれている。


「タブレット」


僕はリストバンドに呼びかける。答えはすぐに返る。


「どうした?」

「月へ行く。準備してくれ。それまで月夜町のホテルに泊まるから、ウォレットに百万円ほど振り込んで」

「わかった」


残高を確認する。百万円でいいって言ったのに……。


いつの間にか雨は収まってきている。月夜町の西側には天使の梯子エンジェル・ラダーが、雲間から差し込む光が見えた。


「不来方さん。どこかでタオルを借りよう。とにかく体を拭かないと」

「うん」


手を引く。不来方さんの手はとても小さいなと感じる。

不安はある。きっと、月へ向けて飛び立つ時までこの不安は続くのだろう。


僕たちは本当に月へ行けるのか。

月面都市を乗っ取ることができるのか。


そして。


「そして……?」


校内を歩きながらつぶやく。すでに多脚のタブレットが集まってきて、廊下の水気を拭いている。


「どうしたの竹取くん」

「何か、まだ解決できてないことが、あるような気が」

「ああ、神咲ささか先生のこと?」


先生?


そうなのだろうか。

先生は月面都市を滅ぼすことをほのめかしていた。だけど、僕は先生の求める「三つの鍵」を見つけたはずだ。先生の課題には答えたはず。


「先生って、ここから何か関わってくるのかな」

「どうなんだろう? 三輪先生の産休って年度末までだよね。だから今年はずっと先生やってるのかなあ」

「そんなはずないと思うけど……」


神咲先生、銀色のバニー、ウィザード級ハッカー。


月琴の魔法使い。


あの人は、やはり異物だと感じる。僕たちが「よいち」を乗っ取って月へ向かう計画はタブレットが立てたもので、あの人は何も関係してない。


でも、あの人にも何か目的があり、物語があるのだろうか?


物語があれば、結末もある。


月琴の魔法使いが、たどり着きたい結末とは……。





翌日。僕はキングサイズのベッドで目を覚ます。


リビングの方に行くと、壁の二面が全面窓になっている。ホテルの角部屋である。今どきはこんなホテルですらノールック決済で泊まれる。


「竹取くん、起きた?」


不来方さんの声だ。台所からは肉とコンソメの匂いがしてくる。コンドミニアムの部屋を取ったのは、不来方さんが料理がしたいと言ったからだ。


「不来方さん、朝ごはんなら手伝うよ」

「ううん。台所は人に渡したくないの。私にやらせて」


仕方がないので洗顔と歯磨きを済ませる。すると不来方さんの声が投げられる。


「竹取くんって朝ごはんの前に磨くの?」

「うん。こうすると朝ご飯が美味しくなるから1日の好スタートを切れるんだって」


両親からそう教えられた。まだその言葉は体に残っている。


朝食はワンタンの入ったポークビーンズと、アルファルファとキャベツと梨のサラダ。

デザートは果物だ。ピンク色の皮に白い果肉、黒いつぶつぶが見える。


「あ、これドラゴンフルーツだね」

「ううん。ジャムで皮を作ったごま豆腐」


なるほど豆腐だ。優しい味だけどジャムの甘さで全体を引き締めてる。不来方さんってクリエイティブだよなあ。


「やることはいっぱいあるね」


朝食が終わって、僕はぽつねんと言う。


タブレットは準備が整うまで1週間ほどかかると言っていた。それまでに宇宙服のチェックをしたり、月面に持ち込みたいものを用意したり、月面都市の設備について学んだり、やるべきことは多い。


両親から連絡はない。


……それは不自然だ。連絡の1本ぐらい入れていいはず。僕たちの世界から登場人物がどんどん消えていく。世界はシンプルで寂しいものになりつつある。


「不来方さんの方は、ご両親から連絡あった?」

「ううん」


なぜだろう。もう僕たちに連絡する必要もないということか。僕たちは月に昇るべき人材ではなくなり、月夜町のプログラムから排除されたのか。両親は、僕たちを養育するという仕事から解放されたと思っているのか。


作り物の町。 


不来方さんはそう感じることがあるという。自分が巨人になって、ミニチュアの月夜町に囲まれて、一歩も動けずに途方に暮れる夢を見るとか。


家族と家。この二つから切り離されると、僕もそう思えてきた。今までの自分が、自分の過ごしてきた町が、家族が、別に必然なものではない、背景の一部にしか過ぎないような。


「不来方さんはどうする?」

「うーん。学校に行こうかな」


学校。月夜中か。

あと何日行けるか分からない。伊勢先輩と打ち合わせることもあるし、僕も行こうかな。


僕は朝日に照らされる月夜町を見る。このホテルのほかに高層建築はほとんどない。大きな平屋の並ぶ住宅街と、噴水を中心として四角四面に区分けされた町。遠景には工場がいくつか。


静かで平和な町だ。

おそらく数日後には、世界で最も注目される町になる。





学校に行くと、グラウンドを走る人物が。

僕は二宮金次郎像を連想する。それというのも大きな古タイヤを三つ。針金で縛って背負っていたからだ。


伊勢先輩である。おそらくはトレーニング。僕たちの月面行きのために……。


「伊勢先輩」


僕が呼びかけると、伊勢先輩は軽く手を挙げただけでペースを落とさない。目の前を通り過ぎてしまった。


それを見るような野次馬はいない。こんなにすごい光景なのに。

不来方さんが、斜め上を見上げつつ口を開く。


「荷物を背負ってのマラソンって、ギネス記録でいくつかの種目があるんだよね。一番重いのが120ポンド、55キロのバックパックを背負ってのハーフマラソンで、記録は2時間22分だったかな」

「そうなのか……100キロ超えの記録はあるの?」

「ううん。そのぐらい重いと危険だからね。やったとしてもギネス記録には載らないと思うよ。ギネスって危険なこととか、一生を棒に振りかねない長期間の挑戦とかは載らなくなったの」


トリエックス宇宙服の重量は112キロ。タブレットは多少、軽くできないか試してみるとのことだったが、劇的に軽量化できるとも思えない。


よく見ると伊勢先輩は膝にサポーターを巻き、腰にも腹巻きのようなベルトを巻いている。関節と骨が壊れないよう気をつけているのだ。


それにしても、こんなにすごい光景をなぜ誰も見てないのだろう。

月夜中にも人の気配が少ない気がする。僕はリストバンドで曜日を確認した。





「えー、太陽系惑星のテラフォーミングにおいて金星は論外です。金星の大気は硫酸であり、大気は90気圧。それに太陽に近すぎる灼熱の星です。宇宙放射線はきわめて強く、また太陽から受ける巨大な潮汐力が……」


神咲先生はやはり適当に授業をしている。古代ローマの水道技術について語り、伊能いのう忠敬ただたか間宮まみや林蔵りんぞうについて語り、今は金星について語っている。


「地球というのがいかに奇跡的な星か分かりますね。太陽から近すぎず遠すぎず、大気組成も海洋と陸地のバランスも申し分ない。太陽系にやってくる隕石は木星と土星がガードしてくれます。ちょっと全体的に寒すぎる気もしますが、まあ人類はそれに合わせて進化してきたからこんなものでしょう」


僕は周囲を見回す。クラスメートが10人もいない。


前の方にいる不来方さんもどことなく不安そうだ。なぜこんなに少ないのだろう。病気の流行なんて聞いてないけど。


斜め後ろで誰かが席を立った。何か着信でも入ったのか、教室を静かに出ていく。月夜中では個人の持ち物というのはあまりないので、誰もが手ぶらで教室を出る。舞台から退場していく。


「地球で満足していれば、それで良いのかも知れません」


先生の言葉に意識がはっと引きつけられる。


「人間は未来永劫、地球だけで過ごしてやがて種の終わりを迎える。地球もやがては赤色巨星となった太陽に飲み込まれる。結局そんな終わり方になるかも知れません。それを拒むなら、遠い星の海へ出ていくなら、大変な困難が伴うかも知れませんね」


人は地球で生きていくべきか。それとも宇宙へ出ていくべきか。


なぜそんな話をするんだろう。いや、先生は月面都市を滅ぼす存在なんだから、そもそも宇宙で生きていくことに反対なんだろうか。


その問いへの、答えは。


「そうは思いません」


発言するのは。僕……ではない。

不来方さんだ。僕が手を挙げる瞬間の発言だったので、一瞬、僕の発言かと錯覚する。


「人は宇宙に行かなくちゃいけないんです。狭い地球を出て、星の海へ渡るべきなんです」

「不来方さん。なぜそう思いますか? 不来方さんは文学少女だから、SFから受けた思想かな? でも宇宙へ向かうSFって、まだまだ宇宙開発に希望が持てた時代に書かれたものですからね」

「それは、誰かがそう望むからです」


強く重い声。僕以外の人の前だと引っ込み思案だった不来方さんなのに。


「行きたいと思う人がいるなら応援するべきです。なぜ行くか、行ってどうするのかは無意味な問いです。行く理由も、行かない理由も無数にあるからです」

「そうですね」


神咲先生はにこやかに笑う。首を傾けて、不来方さんをしげしげと眺めるような数秒。


「何が正しいのかを見極めるなど誰にも出来ない。どんな無謀な挑戦でも応援すべきなのかも知れない。たとえ失敗しても、失敗したという経験が共有できるのですから」


気がつけば、クラスメートはさらに数を減らしている。


この広い月夜町で、この世界で、舞台に残るべきキャストはどんどん減って。



そして、最後には……?


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