第二十五話「常識的にはありえねんだよ」
世界に魔法があるならば。
世界から不幸がなくなるだろうか。
世界に魔法があるならば。
人は星の果てまで行けるだろうか。
世界に魔法があるならば。
人は、魔法に頼らず生きるという選択ができるだろうか。
間もなく時は満ちる。
月への扉が開き、翼が展き、道が拓くだろう。
魔法使いが唱えるのは祝福の歌か。
それとも呪いのまじないなのか――。
※
真夜中の月夜町。
僕たちバイオスフィア部は学校のグラウンドに集まっていた。
「始まりは魔法使いだった」
昨日と同じ切り出しでタブレットが語る。僕たちはグラウンドの真ん中に立ってそれを聞く。一応言っておくとバニースーツなのはタブレットだけだ。
魔法使いと呼ばれる人々はネットワークを自在に操り、あらゆることを行った。国を滅ぼすことも、不治の病を治すこともできた。彼らは「万能の詠唱者」とも呼ばれた。昨日聴いたのはそこまでだ。
「それって都市伝説じゃないかなあ? ウィザード級のハッカーが不思議な事件を起こしたってオカルト話はあるよお」
不来方さんはそう言う。
確かに僕も聞いたことはある。ハッカーがメキシコで麻薬の畑を焼いたとか、アメリカにある悪魔崇拝者の村を壊滅させたとか、自分を探そうとする衛星をすべて落としたとか、そんな話だ。
「ほとんどはただの噂だ。結局、そういう連中がいるという物的証拠は何もなかった。本当にいたのなら、この情報過多の時代に痕跡が残らないわきゃねえ。だけど何もない。それが実在するとはっきり分かったのは、バニー・バニーが出現した時だ」
バニー・バニー!
その名前がここで出てくるのか。2人のバニーが月へ行ったのは20年も前のことなのに。
「バニー・バニーが用意していたロケットは粗雑な作りだったが、アメリカとロシアの最新技術が使われていた。日本のJAXAも、中国もインドもブラジルも、とにかく世界中から技術をかき集めたシロモノだった」
粘土板がとことこ歩いてきて映像を表示する。解像度が低いが、バニー・バニーの乗っているロケットだ。僕は何度も見た。
「月面で組み上げるモジュールも、宇宙服も、低重力でも尿のハネにくい便器とかもだ。まだ公開されていない技術もあった。どこかの国が単独で開発したもんじゃねえのは明らかだった。一般人がハッキングで情報をかき集めた、どうしてもその結論にしかならなかった」
他にも粘土板が集まってきて、月でのバニー・バニーの生活を表示する。確かに彼らは宇宙服も持っていたし、機械や道具など色々なものを持っていた。また物資投下のために、何度か無人のロケットが打ち上げられた。
「ここへ来て世界は理解したのさ。本物の魔法使い。あるいはそれに匹敵するぐらいのハッカーが存在してる。この世界には確実にネットワークの支配者が、魔法使いがいるってな。世界を牛耳ると言える連中ですら、その魔法使いを恐れた。その人物は「始まりの魔法使い」と呼ばれた」
「始まりの魔法使い……」
映像は切り替わる。パソコンを前に居並ぶワイシャツ姿の男たち、ビルの一室に踏み込む警官隊、段ボール箱にいっぱいのディスクやメモリー類。
「世界はその人物を探し続けた。だが見つからねえ。情報が消された痕跡すらもねえ。そして存在を公にすることもできなかった。一切のセキュリティを無効化するハッカー、実在すると知られれば混乱は計り知れねえからだ」
「ねえタブレット、君は魔法使いを「あの連中」って言ってたよね。魔法使いは複数なの?」
「魔法使いは複数いたと言われてる。それがどこかの段階で潰しあって、一人だけが残ったんだ。魔法とも言える力は独占された。ウィザード級が関与したかも知れない事象の数とか規模とか、そんなもんからの推測だ」
だけど、とタブレットは月を見上げて言う。
「結局、魔法使いは見つからず、なぜバニー・バニーを月に上げたのかも分からなかった。確かにバニー・バニーは第二次月面開発競争を引き起こしたけど、それだけが理由だったのか、何もかも分からねえままだ」
始まりの魔法使い。世界を裏から操る存在。本当にいるのかどうかも分からない深淵の存在……。
「世界に刺激を与えたのは、実のところバニー・バニーよりも魔法使いの方が大きかった」
「何だって?」
「そりゃそうだろ。マジモンの魔法と言えるほどの力だ。それだけのハッキング能力が世界には存在する。それが一部の連中をかき立てた。それはハッカーそれ自身の天才性なのか、それともハッカーの使っていたツールなのか。莫大な金をつぎ込んで研究された。人材育成とツール開発、これに注ぎ込まれたカネは月面開発より多いんだぜ。よくやるよな」
多少、あきれた様子で肩をすくめる。
「だが結論は、どちらも失敗だった」
「失敗?」
「優れた人間を育成するプログラムは、せいぜい早熟とか秀才レベルしか生まれねえ。AIは既存のものを大きく超えねえ。もっともあたしという存在は生まれたが、あたしのフルスペックでも「始まりの魔法使い」には及ばないよ。あたしが仕掛けるハッキングはわずかに痕跡が残るんだ。マジの意味で完全に消すってのは常識的にはありえねんだよ」
「ちょっと待って」
伊勢先輩が手を挙げる。
「より優れた人間を生み出すプロジェクトでしょう? バニー・バニーが現れてから20年しか経ってないわ。人間の……この言い方は語弊があるけど、品種改良をしようと言うなら20年は短すぎるわ。せめて五世代、百年は見てくれないと」
確かに。
それに何というか、不来方病院で見た僕たちのファイル。あれは気のせいか、あまりやる気が感じられなかった。あれも駄目これも駄目と、手にした果物を次から次と捨ててるような印象が。
「人間の寿命のスパンでは、百年は長すぎるのさ」
粘土板たちが映像を表示する。
それは廃棄される書類だ。シュレッダーにかけられたもの、炎を上げるドラム缶に投じられるもの、全面が黒塗りになったものも。
「一度は盛り上がった魔法の探索も、次第に熱が冷めていった。人間は、自分が生きてる間に実る事業しか理解できねえ。まあそういう理由だ。というより、「始まりの魔法使い」のレベルは再現できないことがうすうす分かり始めた。その頃ちょぅど仮想通貨バブルも終わり始めた」
ん?
なんだか話が、急に飛んだような。
「何の話?」
「仮想通貨っての知らねえか? まだ小規模な市場はあるんだけどな」
「いや仮想通貨は知ってるけど、それがどうしたの」
一言での説明は難しいけど、つまりはネットワーク上に存在する情報だけの通貨だ。その存在は複数のコンピューターが常に演算を続けることで担保され、すべての取引ログも全世界で共有されている。だから決してごまかせない。これをブロックチェーン技術と言うんだ。
実体経済よりも信用が置けるということで、一時期は総額にして数京円にも及んだらしい。
でも現在は使われてない。いま残ってる市場はきわめて小規模で、ほとんど趣味の域だ。
「仮想通貨は便利なモンだったけどよ、マネーロンダリングに使われたり、未成年が海外のカジノに課金したりすんのが問題になってた。何より存在するだけで莫大な演算を常に続けなきゃならねえ。環境団体とかも問題視するようになった」
「あ、聞いたことあるよ。データセンターの放つ熱が環境に悪いってことで打ち壊された事件」
「僕も聞いたことある。不来方さんの言うのはアメリカでの事件だね。それは極端な話だけど」
緑バニーはぱんぱんと手を叩く。話を進めるぞと言いたいのだろう。
「世界から演算端末が激減した時、人類はふと気づいた。これもまた「始まりの魔法使い」の仕業じゃないかと」
「え……」
「「始まりの魔法使い」が使っていた魔法とは、世界中のマイニングコンピューター、ブロックチェーン技術を実現するための莫大な演算リソースを利用するものじゃねえかとな。そして魔法を行使する必要がなくなったので、仮想通貨バブルを弾けさせ、データセンターを削減させた。魔法使いは魔法そのものすら消してしまったのではないか、と噂された」
すさまじい話だ。
まさに世界を操る存在。魔法が生まれて消えるまでの歴史すら操るのか。
伊勢先輩は、あごの下に指をあてて問う。
「始まりの魔法使いは……いったい何がしたかったの?」
「さあな。まあ第二次月面開発競争は起きたんだ。それが目的なら願いは叶ってんじゃねえか?」
だけど、月面都市はもう滅びかけてるという。
誰も、さらなる彼方へ行く勇気はなく、技術開発も停滞していると。タブレットがそう言ったじゃないか。
じゃあ。
「じゃあ人は……これから、どうなってしまうの?」
僕の疑問に、しばらくは誰も答えない。
僕の言葉は誰かにではなく、もっと大きな何かに、雲とか山とかに問いかけてるような感覚があった。
人は、どうなりたいのか。
根源的であり普遍的。でもとことん話し合われることは多くはない疑問。
それは、考えること自体が悲劇性をはらむから。
考えることが、あまりにも恐ろしいから……。
「わからねえな」
タブレットは両の腰に手をあてる。
「人間って何になりたかったんだろうな。最後まで分からねえまま、だらだら生き続けて、何もできなくなるほど地球のリソースを食いつぶして、それで終わりかもしれねえ。人生だってそうだろ。何も成せず、何者にもならずに終わる人間の方がずっと多いんだ。地球がそうなったって別に不思議じゃないのさ」
「そんな……」
それでは、あまりに悲しすぎる。
人類を一人の人間にたとえたなら、今の地球はどんな人物だろうか。
アポロ計画から数十年。何もせずに月を見上げるばかり。やっと動き出しても、二十年で飽き始めてしまって……。
「だから、あんたらが行けばいい」
タブレットは、長い話を総括するかのように言う。
「あんたらが宇宙の果てを目指すなら、人間が生きてきたことにも意味があるってもんさ。あたしの分身たちも手伝うよ。ご主人の言う通り、あたしらがやがて人間になるってのもあり得るだろうさ」
また沈黙が。
夜の重さがのしかかってくるような停滞がある。
沈黙は長いトンネルのようだった。あらゆることを考えて、まとまらない思考に翻弄されて、急かされるような、逃げる何かを追うような焦燥があって。そして……。
「答えは……明日まで待ってほしい」
明日、という言葉に、他の二人が僕を見るのが分かる。
「分かった。別に急がせるつもりはねえんだ。何ヶ月も待ったっていいんだが、あの銀色バニーがどう動くか分からねえからな」
「銀バニーは……神咲先生はいったい何者なの?」
「それもわからねえ」
お手上げと言いたげに両手を上げる。
「あの人物が何者なのか、あたしでも追えねえ。こんなことは一度もなかった。あるいは「始まりの魔法使い」かも知れねえと思った。ちょっと若すぎるけどよ、魔法使いなら年齢ぐらいいじれそうだしな」
タブレットでも分からない……。
伊勢先輩が、僕の背をぽんと叩く。
「竹取くん。不来方さん。どんな選択をしても私は味方だから」
「はい……ありがとうございます」
「じゃあ明日」
伊勢先輩は去っていく。余計な感傷を残すまいとするような、さりげない別れ方だった。
「不来方さん」
僕は声を投げる。僕の奥さんに。
「うん、どうしたの竹取くん」
「不来方さん。また……また部室で会おうね」
「……うん。もちろんだよ」
僕は。
僕は決断しなければいけない。
そのために、どうしても一つだけ、確認しなければ……。
※
翌朝。僕はぱちりと目を覚まして、寝床を降りて洗面台で身だしなみをする。
服を着替えて、リストバンドをはめて、一階へと降りていく。家がとても広く感じる。清潔で光に満ちた家だ。
「おお、起きてきたか、今日は早いな」
父は新聞を読んでいる。うちが新聞配達を頼んでるわけではないので、どこかで買ったものだろう。
「テル、朝ごはんはバゲットだけど塗るものは何がいい? 好きなの持ってきなさい」
僕は桃のコンポートを持ってきて、バゲットにたっぷりと塗って食べる。サラダも目玉焼きも、ミネラルウオーターも何もかも美味しい。体中に感動が満ちるような味だ。
「お父さん、お母さん」
食べ終えて、僕は二人に呼びかける。
僕の両親は、食事の手を止めて僕を見る。僕が今まで出したことのない声を出したからだ。
「どうした?」
「何か相談ごと?」
僕の中に鉄の玉がある。
僕がそれを吐き出したなら、鉄の玉は凄まじい重量で皿を砕き、テーブルを砕き、床を砕いて、この家のすべてを壊すような、それほどに重い言葉がある。
僕が言おうとしている言葉は、僕を構成するすべてを壊そうとしている。
なぜ、人生は平穏でいられないのか。
なぜ、大人にならなくてはいけないのか。
それはきっと、新しい場所へ行くために。
僕は二人を見て、こみ上げる涙を腕でぬぐって。
そして問う。
どこかで、世界の果てで、月への扉が開くような、そんな気が――。
「僕は……あなたたちの子供なの……?」




