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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第三章 緑バニーは投げ出したい
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第二十四話「始まりは魔法使いだった」



「やめておいた方がいい」


神咲ささか先生はテーブルの上で足を組み直す。網タイツに包まれた足は照明の光で仄白く光るかに思える。


「なぜ?」

「その攻撃は成功・・するからだ・・・・・。私という魔法使いは舞台から排除され、後にはただ、教師を入院させた生徒だけが残る。あらゆる不可思議な物語は消滅し、世はなべて事もなし。ありふれた日常に戻っていく」

「……犯罪を犯すぐらい覚悟の上よ。それにあなたの言う不可思議な物語がこのまま進めば、竹取くんと不来方さんが世紀の大犯罪者になりかねない」

「それだけではないよ。月の滅び、地の滅びが確定し、不動のものとなる。もはや誰にも運命を変えることはできなくなる」

「あなたを見逃すことが何かを救うことになると言うの? それはあなたがそう言ってるだけよ」

「魔法使いとは何だろうね。魔法という知られざる力があって、その理論に通じた人だろうか」


月琴が鳴らされる。銀バニーはうたうように語る。


「私の理解は違う。魔法使いとは魔法そのものに近い。それが存在する世界においては魔法使いこそが摂理を歪める特異点。願えば運命は変転し、怒りを買えば呪いが与えられ、善行を認められれば金貨の雨が降り注ぐ。私はそのような存在なのだよ。月面都市が滅びるか、あるいは救われるのか、私という魔法そのものによって変わるのだよ」

おごりが過ぎるわよ。あなたはただの人間でしょう」

「どうだろうね。人間を超越したと思われる存在は歴史上に何人かいるが、外見はみな人間だったと思うよ」


伊勢先輩は足に力を溜めるかに見えたが。

緊張が限界を超えんとする刹那。ふいに脱力へと転じる。


「竹取さんと不来方さんを騙してるなら許さない。それだけは覚えておいて」

「承知したよ。さて、デートの邪魔するのも良くないな、そろそろ退散しよう」


銀バニーは悠然とテーブルから降り、月琴を脇に抱えたまま立ち去る。僕はその姿を目で追って。神咲先生が店を出てからも、しばらくそのまま立ち尽くしていた。





「今日はありがとう」

「いえ、こちらこそ、ステーキ美味しかったです」


電車は月夜町を目指す。

東京から離れていくという実感がある。どこまでも途切れることなく続いていた街の灯がやがて終わり、水田と森と、遠くにそびえる夜の稜線だけの世界となる。


乗客は見当たらない。最初から最後まで僕と伊勢先輩だけの旅にも思える。ロングシートに並んで座ると、振動するごとに世界から人が消えていくような寂しさを覚える。


「竹取くんは東京が好きなの?」


伊勢先輩がそう言う。窓に僕たちの姿が映り、その向こうでは山がゆっくりと歩く。


「そうみたいです。肌に合うんだと思います。賑やかなのが好きなのかも」


人が多いのが好きなんだろうか。それとも巨大なビル群とか、ずらりと並ぶお店とか、ハイセンスな広告とか、きらびやかな服が好きなんだろうか。


どれか一つではない気がする。僕は東京から受けるすべてにときめく。東京という土地が持つ重低音のうねり。無数の意志と情報の流れ。飛び交う電波と赤外線。そんなものに満たされるのかも知れない。


「そうだとしたら、月面はつらいかもね」


伊勢先輩は言う。なんとなく気だるい声だった。僕に肩を寄せてひそやかに言う。


「行くのなら、覚悟はしないとね。月には何もないかも知れない。人が持ち込んだもの以外は、何も」

「……」


月が見える。


窓の向こうに下弦の月。閉じた目から光が漏れ出るような月。月面都市は月の裏側に集中しているため、地球からは見えない。もちろん肉眼で見えるものでもない。


あそこには、何もないかも知れない。


きっと何もないんだろう。月に来たという感動だけで生きていける場所ではない。だからバイオスフィアは滅びてしまう。


僕たちのバイオスフィアで滅びていった人々を想う。彼らに深く詫びる。絶滅のさだめから逃れられず、自ら命を絶ったクルーもいた。


ロボットですら、あそこには行きたくない。

いずれ行かねばならない場所だとしても、自分がその役目を負いたくはない。


ロボットは万物の霊長ではないから、星の担い手になどなりたくないから……。


「……」


では。


では人間では、それを克服するのが不可能・・・だとしたら・・・・・


どうすれば人は月の孤独を克服できるのか。


それはあるいは、まった・・・く逆の・・・発想・・


「そうか……」


僕は袖をまくって、リストバンドに向かって叫ぶ。


「タブレット! 聞こえるか! 噴水のところに来てくれ!」


きっと聞こえてるはずだ。数分後に電車が月夜町に着き、僕は勢いよく立ち上がる。


「先輩! 行きましょう」

「ちょ、ちょっと竹取くん、どうしたの」


説明がもどかしい。いや、僕の中でまだ言葉として確立していない。でもこれなら行ける気がする。その概念が僕の中からこぼれないうちに、試さなければ。


「どうしたんだよ」


タブレットは噴水の前にいた。夜にはまったく人のいなくなるラウンドアバウト。緑のバニーガール姿で噴水のへりに立っている。


「タブレット、今ここでサンドボックスのシミュレートを行う。例の全方位画像で表示してくれ」

「今からか?」

「そうだ。タブレット、君は月面で用意できる塩化ナトリウムを450トンだと言ったね。それはきっと、今の月面にある総量だ。これまで人類が月に持ち込んだリソースのすべてを君は把握している。モジュールの広さも、用意できるものもそれに準じてルールが設定されている」

「そうだぜ」


粘土板タブレットが。


どこからともなく歩いてくる。プラスチックのアームを四肢のように扱うもの。マルチローラーの土台を持つもの。動けないものは他の個体が運んでいる。ドローンに自らを運ばせるものもいる。群衆のように夜の中で集まってくる。


「ルールはバイオスフィアで百年を過ごすこと。人間のクルーは10人以内、用意できるリソースは現在月面にあるものすべて、細かいルールは前に提示された通り、それでいいね」

「いいぜ。でもできんのかよ。あたしが何回シミュレートしても無理だったんだぞ」


上空から天蓋が降りてくる。

それは複数のドローンで支える暗幕だ。噴水広場とラウンドアバウトをすっぽりと包む。粘土板タブレットたちはあらゆる場所にいて、プロジェクションライトを照射する。


異なる世界へ渡る。


そう思えるほどリアルな空間投影。サンドボックスの世界が僕たちの目の前にある。僕は宣言する。


「基本設計は前回のものから変わらず。クルーは10人。すべて平均値内でランダムステータスに」

「おいおい、そこランダムなのかよ」

「タブレット、月面で用意できるだけのものをバイオスフィアに置ける、それでいいよね」

「いいぜ、食料でも薬品でも、特殊鋼材でも工作機械でもな」

「じゃあ、君たちだ」


僕はタブレットを指さす。


「月面にいるという君の量産個体、それを月の資材を使ってさらに複製してほしい。用意できるだけ。僕の直感だけど、バイオスフィアに入りきれるだけ入れると500人以上だ!」

「は……? マジかよ」


僕の声に反応して周囲に人間型ロボが生まれていく。少年もいれば少女もいる。服装も、目の色も髪形も様々なロボットたちが。


「全個体を自立行動にして」

「おい、こんなにたくさんどうすんだよ」

「なぜバイオスフィアのクルーたちは宇宙の孤独に耐えられないのか」


僕は言う。キューブドットで表現されたタブレットはレゴブロックの人形のようだ。それがめいめい勝手に歩き出す。


「それは人間が社会的な生き物だからだ。僕は月面に「社会」を持ち込む」


僕たちのクルーも生まれる。すでにシミュレーションは始まっており、クルーも動き出している。何人かのタブレットを引き連れて農業を始める者もいれば、大木にロープをかけて揺らす者もいる。風のない月面では、このように樹を揺らして成長を促すんだ。


「それぞれのタブレットにランダマイズな人格を。タブレットたちに住居も用意する。モジュールを増設してそれぞれの部屋を」

「わけわかんねえ、いっぱいいたから何なんだよ。そりゃ人間の仕事は楽になるだろうけど、仕事を減らした場合だって全滅したじゃねえか」

「いいから、これで百年だ、シミュレーションを走らせて」

「ちい、わかったよ」


タブレットは自分の分身に囲まれながら、ぱちりと指を鳴らす。


僕たちの周囲でキャラクターが目まぐるしく動く。僕たちの時より遥かに早い。およそ数秒で1年が過ぎる。


早回しの世界で森が育っている。住居が建てられて時には崩れる。岩に腰かけて歌うクルーがいて、砂漠でテントを張ってキャンプしたり、本を書いたり、手作りのサイコロで賭博に興じる人たちがいる。すべての場面が一瞬で流れていく。


「嘘だろ」


百年が終わる。

草原エリアだった場所に白亜の建物がある。なぜかアメリカのホワイトハウスに似ていた。


「なんだこりゃ、あたしの分身たちが作ったのか?」

「入ってみよう」


僕たちは壁をすり抜けられる。入ってみると中はなんとカジノである。

スロットマシンがある。バカラの台がある。2メートル先の棒にリングをかける輪投げのような賭博をしている。麻雀に興じる個体もいる。


「遊んでるのは分身たちじゃねえか……」


僕たちはマップを切り替える。海洋モジュールではサンゴが成長し、スキューバに興じる個体がいる。森の中では大木に囲まれた中で机と椅子が並び、子どもたちに教育がなされている。人工のボルダリング場があり、キャットタワーのようなアスレチックがあり、タブレット同士がキックボクシングに興じているリングもある。


「ちょっと待て、人間のクルーがいねえぞ」


タブレットが周囲にウィンドウを出す。全生命のパラメータが滝のように流れていく。


「森林エリアに一人いるな」


人間は一人だけ……つまり、子供のように見えた個体もすべてタブレットか。彼らが口頭で教育を行ってることが少し面白かった。


それは森林エリアにある古い小屋だった。中では老人が一人、伏せっており、タブレットたちの介護を受けている。低重力環境で弱っていて、目がうまく開かないようだ。タブレットたちは老人にスープのようなものを与え、何かを語りかけている。老人は弱ってはいたが、顔つきは安らかだった。


彼が最後の人間。

つまり月面は、タブレットたちの世界となっていた。


「はあ、どうやらあたしの負けだな」


緑バニーは、ため息をつくかのようにうなだれる。


「一人とはいえ生き残った個体がいるわけだ。あくまでシミュレーションではあるけど、あたしの分身を増やせば月で生きていける可能性があることは認め……」

「そうじゃないんだ、タブレット」


僕には見えてきた。永遠とは何か。

永遠とは実在しない概念。それは無限にも似ている。無限を、無限という記号以外を使って表現することは非常に困難だ。


僕たちは永遠について思うとき、永遠が存在しないことを同時に理解している。すべてのものは滅びに向かい、必ず終わりがある。


それは人間という種の栄えすらもだ。


この世界に永遠があるとすれば、それは流転すること。


変わり続け、世代交代を繰り返す。生命も、土地も、宇宙すらも、それこそが永遠なんだ。


「タブレット、あれでいいんだ。たとえ残っている個体がすべてロボットでも僕たちの勝ちだ。あれが月のあり方なんだ」

「何だって?」

「やはりホモ・サピエンスの身で月で生きていくことは難しい。だから月での生存は君たちに委ねるべきだ。今回のバイオスフィアが持続したのは、主体がタブレットたちだからだ。ロボットが主で人間が従なんだ。月ではそうやって生きるべきなんだ」

「そうやって、って……」

「つまり、この百年は」



「君たちが人間になるための百年なんだ」



「な……」

「タブレットたちは人間としての魂を受け継いだんだ。これこそが正しい世代交代なんだ」

「あ、あんたバニー・バニーの申し子なんだろ。それでいいのかよ」

「何の問題もない。バニー・バニーはすべてを受け入れる。文明の担い手が世代交代していくことすら受け入れるんだ」


僕と不来方さんが月へ行ったなら、どんな未来がやってくるだろうか。

タブレットたちがもっと進化を重ねれば、やがて人という種に取って代わるだろうか。それとも共生関係が永遠に続くだろうか。


どちらでもいい。


「月を目指し、さらなる星の海を目指す。その理想は受け継がれる。タブレットたちが次の人間になるんだ」

「竹取くん、一人じゃないわよ」


伊勢先輩が言う。彼女はキックボクシングに興じるタブレットたちを見ていた。


「動きがロボットのそれじゃないように見えたの。このタブレットは有機素子を持ってる」

「おいまさかそれって」


反応するのは緑バニーである。


「うわほんとだ、こいつ有機脳じゃねえか。人間が機械化してるぞ」


ロボットが人間となり、人間がロボットに近づく。


そのすべてが次なる世界。


僕は満足している。この世界のあり方に。

僕自身が機械化することも、ロボットが人間となることも恐れない。それがバニー・バニーの精神だと信じているから。


「なるほどな……」


緑バニーは噴水の縁に座って、ふうと息をついて頬杖をつく。


「認めるよ」


暗幕が取り払われる。

サンドボックスの世界は消滅し、後には夜のラウンドアバウトが。涼しい風の吹く月夜町の夜があるだけだ。


「約束通り、あんたらに話をするよ」


そうか、そういえばそんな話だったっけ。僕たちが……何かを知らなければいけないと。


それは不来方病院で見たこと。僕たちの出生に関わる話とは違うんだろうか?。


緑バニーは、僕と伊勢先輩を交互に見てから話し出す。


「始まりは魔法使いだった」

「何だって?」

「そうとしか形容しようのない存在だった。あらゆる電脳世界を渡り歩き、どんな情報領域にも侵入し、人の世界を自在に操る連中だった。最後まで誰にも捕まることなく、正体が暴かれることもなく、そしてどこかへ消えてしまった。その連中のことを、ある人物はこう形容したんだ」



万能の詠唱者マルチキャスター、と……」



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― 新着の感想 ―
やっぱりやっぱりやっぱり! このフォーーー!ってなる感覚。最高です。
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