第二十二話「神咲先生って何なんだろう」
「ロボット……まさか、人間と間違えるほど高度なロボットなんて」
「実際にいるんだからしょうがねえだろ」
Tことタブレットは「顔」を戻す。耳のあたりが蝶番になっているらしいが、ぱちりと閉じてしまうと継ぎ目もまったく分からない。
「なんで人間の姿なの?」
「思想的なもんらしいぜ。鉄の箱が動いてしゃべっても、それは人間の後継者と言えねえだろう。月面基地は人間の規格で作られてるから、人型のほうが都合がいいってこともあるかもな」
思想的なもの。人間の姿に近づけるのはそれだけで多大なコストがかかるというのに、ただ機械の姿が嫌というだけでこんな精度を……。
「人間があたしを作るとき、目指したのはオンラインストレージに頼らないAIだ。それはどうにか完成した。あたしはほんの数ペタのメモリーで動き、ご主人どもはそれを人間型のボディに搭載した」
「それが君なの?」
「そうだ。あたしは自我を持ってる。だから研究所から逃げた」
「逃げ……」
タブレットは手をひらひらと振る。
「正確に言うとオンラインに干渉して生産台数をごまかした。一台だけ余分に作ってそこにあたし自身をフルスペックで乗せたんだよ。あたしの同型機は30体ぐらい生産されたが、フルスペックで起動してるのはあたしだけだ」
「それ犯罪なんじゃ」
「そうか? あたしは生まれて1年も経ってないんだぜ。そんないたいけな子供を月に送り込む方が何かの犯罪だろ」
「いたいけ……」
「ああん?」
手首が熱くなる。リストバンドに負荷がかかって発熱してるんだ。
「ちょ、ちょっとこういうのやめてよ」
「話を続けんぞ。あたしは何とか自由になる体を手に入れたけど、すでにあたしの分身たちは、新たな人類としてすでに月に送り込まれている」
「……それで?」
「あたしは、月面都市の本当の姿を知ってる」
「……」
「月面は、もはや投資された金をむさぼるだけの場所になってる。バニー・バニーがこじあけた第二次月面開発競争の歴史、確かに技術は進歩したけど、いよいよそれも停滞しだした。より正確に言うと新しい時代を嫌がっている」
僕の肌がざわついている。
この話はどこへ着地するんだろう。なんだか、僕にとってあまり好ましい話ではない気がする。それでも耳をふさぐことができない。
不来方さんがおずおずと言う。
「それで……タブレットちゃんは、どうしたいの?」
「だからよ、あたしは別に月になんか行きたくないんだよ」
え? と、僕は少し話を見失った気がする。
月に行きたくない人がいるのはそりゃ理解してるけど、タブレットは今まさに月に行っているはずなのに。
「あたしは人間の上位種なんかになりたくない。人間にかしづいてるほうが楽なんだよ。だからバニーガールなのさ。飼われていたいんだよ。だいたい、自分が行けないからって後継者に行かせようなんてしみったれた考えだろ。東大に行けなかったおっさんが息子にスパルタ教育するみたいな話じゃねえか」
「ロボットがやるたとえにしては渋すぎる……」
そうか、タブレットにとってバニースーツは服従の証。あるいは自分はけして霊長類にならない。地球の支配者など御免だという意思表示なのか。なんだか、バニーガールになる理由にも色々あるなあ……などと思う。
「だから」
緑バニー、タブレットは、そこでわずかに言葉をためる。
その一瞬がひどく人間臭いものに思えた。抑えきれない感情の発露。あるいはそれが魂の実在。機械と生命を分ける境界なんだろうか。
「ご主人ども。あんたらが行け」
「え……」
「竹取テルと不来方まお、あたしがサポートしてやる。二人で月に行って、月面基地をすべて乗っ取れ」
な……。
「月面都市には次の時代へ進むための技術と資材がある。あたしの同型機が手足になってくれる。あたしらを指揮して火星にでも木星にでも行けばいい。やる気のねえ連中なんか地球に送り返せ」
「む……無茶だ!」
僕はさすがに声を荒げる。
「そんなことできるわけない! というかしたくない! なんで月面都市を乗っ取らなきゃいけないんだよ!」
「ご主人ども、人間は木星に行けるぜ」
「え?」
「理論は完成してる。核融合エンジンを搭載したロケットは月面の資材で建造可能だ。工作用ロボットだけで全部作れる。星の海を渡ることすら不可能じゃない」
タブレットに3Dモデルが表示される。見たことも無い形状のエンジンノズル。ピサの斜塔のようなロケット。これが核融合エンジンのロケットなのか。
「本当は人類が作るはずだった。けどな、完成しちまうと飛ばさないといけない。火星や木星を目指さなければならない。それを嫌がっている。だから開発が止まってんだよ」
「そんなはずは……だいたい技術はまだできてないはず。核融合エンジンロケットの開発は、まず核融合発電の実証を終えてから」
「言ったろ。月面の核融合発電なんかもう必要ないんだ。だからどの国も本気で作っちゃいねえ」
「そんな、じゃあ」
核融合発電もしない。さらなる遠方に旅立つわけでもない。
「じゃあ人類は、なぜ月に行ったんだよ」
「それが開発競争ってやつさ。月に橋頭保を作る事に意味があると、あるいは意味があることにされたんだ。実際に核融合炉もロケットも理論は完成してる。ほんの少しずつだが作ってもいる。別に嘘をついてるわけじゃねえ」
タブレットは、小さい体で大きく両手を広げる。
「プランも用意してるぜ」
いつの間にかタブレットの足元に粘土板たちが集まってきている。割りばしのような手足で動ける個体もいる。それらが壁を這って窓を埋める。緑バニーの背後で引き戸が閉まる。机と椅子が片付けられて僕たちは押しのけられる。
「ちょ、ちょっと」
「映すぞ、平衡感覚に気をつけな」
プロジェクションライトが照射され、僕たちを立体的な映像が包む。
空に浮いている。
全面投射の立体映像。机や棚を見失うほどの精度だ。眼下には広大な森と、いくつかの巨大な施設が。
「これが「よいち」の全景だ」
斜めの砲身を持つ構造物。台座に三角定規を乗せたようなフォルムは、僕には英雄に見える。投げ槍を構えた英雄の姿だ。
莫大な電力を食らい、投射体を月にまで飛ばす。人類の英知の結晶だ。
周囲には枯れ木のようなものが見えたが、よく見るとそれはコンクリートの柱に鋼線の枝を生やしたものだ。無数に打ち込まれた矢のようなそれは、高さ80メートル以上。
不来方さんの丸眼鏡にも風景の一部が映っている。彼女は下方を指さして言う。
「緑バニーちゃん、この矢みたいなのは何?」
「消音ウーファーだ。「よいち」が射たれる瞬間に逆位相の音を出して衝撃波を減衰させてる。これがねえと月夜町に届く音は今の4倍になっちまう」
「よいち」の周辺にはさまざまな防音設備がある。実物を見るのは僕も初めてだ。
視界を伸ばすとドーム型の構造物。あれが高速増殖炉だろうか。広大な敷地にはビルなども建っている。月夜町へと延びる道には鉄製のゲートがある。
立体映像の中で僕たちは移動し、長大な滑走路の真上に。
「「よいち」の近くにあるスペースプレーン飛行場。目指すのはここだ。あたしの力で飛ばすことができる。だけど管制塔からの電波で離陸を阻止できる仕組みがあるし、ドローン迎撃用の短距離ミサイルもあってな。スペースプレーンのハイジャックが見逃されるとは思えねえ」
その部分がアップになる。地面から生えた箱のような構造物。ドローン攻撃などを防ぐための多連装ミサイルランチャーだ。
「いくつかの機能はスタンドアローンなんだ。どうしても内部に侵入して、これを挿す必要がある」
タブレットが取り出すのはメモリースティック。なんと8メガバイトのものだ。
「この中にあたしの分身が格納されてる。「よいち」の中央管制室で挿せば、「よいち」を含めてすべてのシステムを乗っ取る」
「で、でも、どうやって中央管制室まで行くんだよ」
「ここだ」
地面が透明になる。地中を走るのは長大な電磁レールガン。東京で見た断面図が、ほぼそのままに表示される。
「レールガンの砲身を通って行く。ここは構造的に対人センサーなんか設置できねえ。11キロ先の装填施設から侵入して、「よいち」内部の点検口まで行ける。カギはあたしが開ける」
「そんな馬鹿な!」
僕は叫ぶように言う。語られるすべてがあまりにも非常識だ。
「砲身は真空環境なんだぞ! それに直径は2メートルもないんだ! 乗り物も使えない!」
「あるだろ、真空の中を進める装備が、行けるやつもいる」
何だって。
僕は何を言われているのか分からず硬直して。
一瞬後、伊勢先輩が息を呑む気配がして気づく。
「トリエックス宇宙服!」
「そうだ、あれなら真空でも生存できる。装填側から侵入して11.7キロを走破し、「よいち」本体へ行く」
「むちゃくちゃだ! 月面じゃないんだぞ! 110キロを超える宇宙服で12キロ近く走るなんて不可能だ! パワーローダー機能を使うとしてもバッテリーが持たないし、酸素だって、それに「よいち」に着いたとしても、そこにも保安要員がいるだろうし」
「落ち着けご主人。あたしだってギリギリの作戦なのは分かってる。どうなんだ赤バニーのご主人」
言われて、伊勢先輩はぐっと顎を引く。
「分からない……やったことないもの」
「やめるんだ! 伊勢先輩を巻き込むな!」
「このままじゃ、宇宙服を着ての作業はいずれ無くなる」
タブレットは言う。
「時代を切り開く必要がある。人類が火星に、木星に行けば、力仕事だって必要になる。体力要員ってのは、開拓時代にこそ輝くってもんだろ」
「だからって、そんなことのために伊勢先輩が……」
「手伝ってもいい」
伊勢先輩が、意志という槍を場に突き立てる。
「伊勢先輩!」
「確かにとてつもなく大それたことだけど、タブレットさん、あなたが人類より頭がいいこともわかる。その作戦が人類の未来に必要だというなら、私が「できない」ことを決断の枷にはしたくない。もし二人がやるなら手伝う」
「伊勢先輩、でも……」
「すぐに決めなくてもいいさ、ゆっくり考えなよ」
緑バニーは、タブレットは、ボールは渡したぞという意思を込めて語る。
「人間は月面では生きられないかも知れない。だけどたまに、それが分かった上でも行きたいってやつがいる。ご主人どもを選んだのはそれが理由だ」
「僕たちに……行くガッツがあるっていうのか」
「さあね。別に拒否したってかまわないさ」
その眼が。
タブレットの目が、繊細な感情を込めて、僕を見たような、気が……。
「夢なんだろ、ご主人」
※
夜。僕は噴水の前に来ている。
眠れなかった。緑バニーの言葉が耳の奥に居座っている。
月面都市ではすべてが停滞の中にある。
人類は火星にも木星にも行かない。行けないのではなく行かない。そんな状況になってるなんて。
……でも、だからって、僕が月面に行っていいわけがない。
リストアップすれば数え切れないほどの犯罪行為になるし、僕は世界中から非難を浴びるだろう。人類史に刻まれるほどの悪党になってしまう。もちろん両親だってただでは済まない。
だから、行けるわけがない。
月面都市が、いずれ滅ぶと、しても。
「竹取くん」
不来方さんが歩いてきた。バニースーツは夜に溶けそうなほど青い。
「何となく、ここにいるような気がしたの」
「うん……僕も、ここにいたら不来方さんが来るような気がしたよ」
僕たちは並んで座る。夜の噴水は水が出ていない。噴水池から、背中を撫でる冷気が上がるだけだ。
「竹取くん、がっかりしたの?」
「した……のかな。まだ信じられないし、確かめたわけでもないし」
いや、違う。僕は頭を振る。
「本当は信じたくないんだ。月が停滞してるだなんて話。信じてしまうと今までのすべてが崩れるような気がして。僕は月にいる科学者たちに憧れてたのに。名前を言える人だけで百人以上いるのに……」
「そうだねえ……」
確かに月に行くのは僕の夢だ。
火星に、木星に、あるいは冥王星の向こう、異なる恒星系まで旅をする、それが人類の目標だと言ったのも僕だ。
でも僕が行くとすれば、一生をその旅だけに費やすことになる。そもそも、タブレットはできると言ったけど、本当に成功するかどうかも……。
「ねえ、じゃあ神咲先生は何なんだろう」
「先生?」
「うん……」
不来方さんはとても低い声で話している。音階ではなく、声自体が低いところを這うような感覚。かくれんぼをしながら話すような。という比喩が浮かぶ。
「タブレットちゃんは、今の月面都市が不甲斐ないから、遠くに行きたい人のために乗っ取る。じゃあ先生はどうなのかな。月面都市の現状に絶望していて、崩壊する前に自分が壊したい、って話だったよね」
僕が説明した話だ、もちろん覚えている。
「二人の目的は似たようなものなのかなあ。タブレットちゃんは私たちを月に送るって言ってたけど、神咲先生は壊したい……。壊すって完全に? それとも有意義な施設や人は残して、それ以外を壊すの?」
「分からない……先生とは何度か話したけど、具体的なことは教えてくれないし」
「私ね……神咲先生を見てると、白いイメージが浮かぶの」
「白?」
こくり、とうなずく。
「そう、白というより銀色、何もない色。あの人だけ何を考えてるか分からないの。まったくイメージが湧かないの。あの人だけ、台本にはいなかったはずのキャストが、舞台が始まるとなぜかいて、他のキャストと絡んでいる、そんな気がするの」
不来方さんの言葉は、僕にふと内省をもたらす。
確かに僕も……神咲先生がテロリストには見えない。ハッキング能力は並外れてるし、いろいろ神出鬼没だけど、僕たちを手伝ってくれることもあるし、悪い人には見え……見え……まあ、それは美人だから僕の目が眩んでるだけかも知れない。
「神咲先生って何なんだろう……」
不来方さんは述懐のようにつぶやく。
「あの人だけ何かが違うの。竹取くん。私たちのお話が、バイオスフィア部を中心とした一つの物語だとして、神咲先生だけは本来それとは無関係。私たちの話に無理やり絡んできている、そんな感じがするよ」
バイオスフィア部に起きた、いくつかのこと。
不来方さんの問題は、彼女の感受性の強さによるもの。未来への不安と、人生のノルマを果たさなければいけない、という焦り。
伊勢先輩の問題は、月に行きたいという願いと、役割としてのキャスターガードとの乖離から来るもの。宇宙服を着て行う仕事が、遠隔操作ロボットに置き換わるという漠然とした不安もあるだろうか。
そしてタブレットの悩みは、月に行きたくないということ。人類の後継者なんて御免だ。行きたいならあんたたちが行け、と……。
神咲先生が何かをたくらむとして、その動機はまだ分からない。
あの人が物語に絡んでくるのは、ただその目を引く容姿と、ウィザード級ハッカーとしての実力と、バニーガール姿だからで……。
バニー服。それはまさか、月夜町の物語に介入するため……?
大人としての記号。役割から自由になりたいという記号。そして人類の後継者に、星の頂点になどなりたくないという記号。
そして、バニーガールたちの物語の一員であるという記号……?
分からない。
あの人はいったい何者なんだ。なぜ僕たちに「三つの鍵」を探させるんだ。
あるいは、それこそが魔法使いなのか。
不思議な術を使い、あらゆる場所に現れるのが魔法使い。
ともすれば、己の物語ではない場所にも……?




