第二十話「あなた、わりと子供っぽいのね」
深夜の病院が怖いという人もいるけど、僕はあまりそういう感覚はない。幽霊なんていないし、病院が静かなのは良いことだし。
待合室の長椅子の間を抜けて、そろそろと進む。受付時間は終わっているので一階には誰もいないようだ。警戒しながら進んでるが防犯カメラもない。
不来方病院は地上5階建て、それなりに大きな病院であり、最新の医療機器が設置されてる。だけど平和な月夜町のためか、警戒は緩いらしい。
不来方さんの言ってた通り、一階廊下の突き当たりに階段室があった。
しばらく降りると地下一階の扉。だが階段はまだある。地下一階と二階があるようだ。
地下にはまったく明かりがない。非常口の緑ランプが遠くの方に点灯しているだけだ。僕は暗視ゴーグルの感度を上げる。
さてカルテ室にカギぐらいかかってるだろう。不来方さんに調達してもらう予定だったが、さすがに無理だった。
僕はふと脇を見る。用具室と書かれた扉はスライド式の自動ドアであり、右端中央にガラス質の黒い四角がある。
「……これって」
赤外線受光部だ。赤外線信号で電気ロックが外れるらしい。
ががが。
音が聞こえたのでそっと移動。
エレベーターのドアが開いて、漏れ出る光が暗視ゴーグルの画面を白く染める。僕はそっと感度を落とす。
現れるのはラグビーのタックルダミーのような円筒形のフォルム。表面には黒い防具。防刃ベストを着た保安ロボだ。
ががが、と底面のマルチローラーがわざとらしい音を立てる。保安ロボは多少、音が鳴ったほうが防犯的には良いらしい。
僕はそっと廊下の奥へ。保安ロボは階段を上れないので、階段室の方へ逃げれば問題ない。
同時に観察する。保安ロボが扉の前で立ち止まると、ドアが自動で開く。ロボットは体を半分だけ部屋に入れて、ピン、と甲高い音を鳴らす。
反響定位型対物検索だ。ロボットが放つ高周波音は室内を縦横無尽に跳ね回る。ロボットはその音を記録しており、前回の巡回時と音紋が異なる場合、室内映像を管理者のタブレットに送信するんだ。
そして頭部のカメラで周囲の小動物や不審者を見つけ出す。ロボットが室内に入らないのは死角を作らないための動きだ。
「……よし」
僕は階段を降りて地下2階へ。やはり真っ暗である。ロボットが地下2階に来るまでに急いで捜索。
あった。文書保管室、たぶんここだ。僕は腰のポーチから小さなハンマーを取り出すと、地下2階のトイレに駆け込む。
やがてロボットが降りてくる。大げさにがががと音を立てながら進む。
ロボットが扉の前で赤外線ビームを照射。僕の目の前で文書保管室の扉が開き、僕は素早く滑り込む。
ロボットが開けようとしていた扉の前に鏡を貼り付けておいた。反射光がカルテ保管庫の赤外線受光部に届く角度でだ。
ロボットは何度か目的の扉を開けようとしたが、開かないだろう。その異常はログとして残しておき、次の扉へ移動。
カルテ保管室の扉はやはり開かない。入るときに赤外線受光部にシールを貼ったからだ。ロボットはしばらく扉の前にいたが、やがて立ち去ってしまう。
よし何とか入れた。さてカルテを調べよう。
僕はとりあえず耳にひっかけていたマグライトを点灯。
赤バニーが。
「竹取くん?」
心臓が破裂するかと思った。
でもなんとか叫び声だけは押さえた。尻もちをつく。なるほどこれが腰が抜けるというやつか。
「い、伊勢先輩、なんで」
真紅のバニーガール姿。闇の中にぼんやりと浮かび上がると普通に怖い。
「不来方さんに頼まれてたのよ。竹取くんが病院の地下に忍び込むから手伝ってほしいって」
「ど、どうやってここに入ったんですか?」
「え? 女子トイレの天井から排気ダクトを通って」
なるほど天井の一角が外れてる。地下だから排気ダクトが必須なのは分かるけど、ダクトを通るなんてホントにできるんだ。
「あの……こういうダクトって途中に鉄格子とかあるんじゃ」
「外したけど……」
「……」
「それよりカルテを調べるんでしょう? 急ぎましょう」
「は、はい」
先輩はすでにカルテの入った箱を見つけていた。長テーブルがあったのでそこに広げる。
「ところでどうしてバニーガールなんです?」
「いちおう私だって、犯罪に抵抗がないわけじゃないのよ。だからバニーなの。私にとっては自由の象徴だから」
なんかのアニメで見るような、怪盗が山高帽とマントを装備するアレかな? 世の中も広いんだし、レオタードの怪盗とか黒タイツの怪盗とかもいるかもしれない。
「この年代……これだ」
僕たちの生まれた歳。カルテの保存期間は法律上では5年だが、10年20年と保存している病院は珍しくない。
だけど何か変だ。1人ずつクリアファイルに綴じられてるけど、出生記録のほかにいくつか書類がある。
「幼少期能力開発と全人価評価に対する報告書……?」
僕はマグライトを近づけて読む。月夜町で生まれた子供は出生日から48カ月の間、その才能を評価される。ベビーウォーカーに預けられる場合もある……。
「竹取くん、ベビーウォーカーというのは?」
「……盲導犬を、訓練に入る前の幼少期に、一般の家庭に預けることがあるんです。おもにボランティアとして世話をするんですけど、その家庭のことを、パピーウォーカーと言うことも……」
……あった。僕のファイル。
【竹取 テル】
総合評価:D
寸評:早熟であり、機械全般に高い能力を示すも一般的な域を出ない。要求水準には到底及ぶものではない。一般児童として月夜小学校へ入学されたし。
「……」
いろいろな感情が僕の中にある。
でもそれは、取り立てて僕の鼓動を速めるようなものじゃない。雑駁たる感覚だ。
怒りも困惑もあるけど、感情の水面に上がってこない。やはりそうだったのか、という納得のようなものがある。
他にもある、これは……。
【不来方 まお】
総合評価:D
寸評:文章読解や情景把握など感受性が強い。アトランダムな対象について、遠未来の姿を予知しているとも取れる言動が見られるが、感受性と観察力による予測に過ぎない。異能とは言えず、予知はおもに当人の感情の振れ幅となって現れるため制御は難しい。いずれの要素も当計画に寄与しない。一般児童として扱う。
「私のものもあったわ」
【伊勢 穂香】
総合評価:B
寸評:身体能力に優れ、ゲノム検査においてオリンピアンを凌駕しうる数値を示す。キャスターガードとして理想的だが、キャスターガードは将来的にBWコンセンサスによる遠隔操作型宇宙服による置き換えが予想されている。一般児童として扱う。
「……竹取くん、これは何なの」
「この病院は、月夜町という町は、生まれた子どもたちに天才教育を施して、選別する場でもあった、ということです」
他のカルテも調べてみる。クラスメートの名前があるが、同年代なのに知らない名前もある。その子たちの評価はいずれもDである。というよりほとんどすべてDであり、Bですら伊勢先輩以外には見つからない。
「……! 華乃香お姉ちゃんのも……」
先輩はそれに目を走らせ、わななくように震える。どんなことが書いてあるのか知りたくはないが、伊勢先輩に憤怒を走らせる内容のようだ。
「信じられないわ、誰がこんなことを……」
「月面都市関連企業か、政府関係でしょうか」
おそらくは、月面都市に送り込むための人材を探すためのプロジェクト。
「ここにあるのはBからDのファイルばかりよ。それじゃあどこかにAもあるのかしら? 私達よりも遥かに優れた人材だと認められた子どもたちが……?」
「いえ、それは……」
おおよそ分かってきた。この月夜町で起きていたこと。その顛末。緑バニーが僕たちにやらせていることの意味と、僕たちが知るべきことと言っていたもの。
僕は非ネットワーク型のデジタルカメラでファイルを撮影。
「もう用はないです。帰りましょう」
「……そうね」
※
地上に出ると不来方さんがいた。植栽に隠れるように待っている。
「どうだった? 何か見つかった?」
「うん、明日の部活で詳しく話す。でもまだ全体像が分からない。なぜ緑バニーは僕たちにバイオスフィアを作らせるのか」
「作らせる理由かあ。百年クリアしたら教えてくれるのかな? 何か、私たちが「知らなきゃいけないこと」があるって言ってたし」
「たぶん、それって」
ががが。
おっと、さすがに気づいたか。
「明日話すよ。不来方さんは家に戻って。伊勢先輩は僕と一緒に」
「わかったわ」
病院の裏手から外へ。不来方病院は住宅街の中にある。僕たちはなるべく人の少ない方向に逃げる。
ががが。
「竹取くん。ロボットが追ってきてるわ」
「こっちにファミレスがあります。そこまで逃げましょう」
あのロボットの最大移動速度は時速10キロ前後。走ってはとても逃げきれない。そんなことないと言う人もいるだろうけどこれは僕の体感だから。
至るのは月夜町に一軒だけあるファミレスのチェーン店。もちろん深夜営業は条例で禁止されてるので、大きなガラス窓の中は真っ暗である。思えば深夜営業禁止というのも何かの意図があるんだろうか。必要に応じて夜に行動しやすいように?
「おい! この泥棒ども!」
タックルダミーのような円筒形の保安ロボ。そこから緑バニーの声が流れる。
「お前らファイル見やがったな! それはヤベえんだよ返せよ! 撮影とかしただろ!」
「嫌だ。僕たちは自分に起きていたことを知る権利がある」
「私もそう思うわ」
赤バニーが、伊勢先輩が僕の前に出る。バニースーツを着てるので肩と肩甲骨が露出しているが、あらためてえぐい筋肉してる。しかしそれが女性らしいラインの中に収まってるから不思議なもんだ。
「うぐぐ、こっちだって撮影してるからな。深夜徘徊でブタ箱に放り込んでやるぞ」
「好きにしろ」
僕は言う。
「お前ほどの力があるなら、僕たちを犯罪者に仕立てるぐらい簡単だろ。でもやらない。なぜかは分からないが、お前にはそれができないんだ。それはなぜだ? 僕たちが必要だからか? 何をさせようと言うんだ」
「うるせえ!」
ばち、と保安ロボから2本のアームが飛び出し、その先端で電気がスパークする。
「カメラかなんか持ってんだろ! 力付くで奪ってやらあ!」
「やめたほうがいいわ」
伊勢先輩は腰を落とし、足先を自然に開く。
「保安ロボぐらいで勝てると思ってるの。その鈍重さならどうとでも料理できる。しかもスタンガンを見せつけるなんて下の下よ。使う瞬間まで見せるべきじゃなかった」
「う、ぐぐ」
「あなた、わりと子供っぽいのね」
伊勢先輩はそう言ったが、果たして勝てるんだろうか。
保安ロボの重量は120キロ以上。防刃ベストを着たボディはアメフト選手のタックルでも倒れない。仮に倒してもあのアームで起き上がってくる。
「もういい! 行けー!」
わりと雑な掛け声とともに、保安ロボが向かってくる。底面のマルチローラーがアスファルトを噛み、重量級のボディが駆け足の速度で。
「遅い」
伊勢先輩の体が、沈み込む。
その姿が溶けるかに思える。すさまじい速度の踏み込み。意識から消える感覚はフェイントのためか。
緋色の影がロボットの背後に回り、胴部に白い腕が回されて。
「え」
宙を舞う。
一瞬後、ごかあんという物凄い音がして、ロボの頭部がアスファルトに突き立っていた。
「ばっ……バックドロップ!?」
「ふう」
と、伊勢先輩は手首をぷらぷらさせながら離れる。
逆立ち状態になった保安ロボはアームを動かしたり、底面のローラーを可動させるが、もはや身動きできない。
「じゃ、帰りましょう竹取くん、家まで送るわ」
「ありがとうございます」
「お、おいちょっと待て、これどうすんだよ!」
逆立ちになってる保安ロボは、ういいんと虚しくローラーを回すのみだ。
「横倒しになれば起きられるんだから、生身の方で倒してあげればいいだろ。横着してないでここまで来い」
「お、おい帰んじゃねえよ! ファイル返せよ!」
「心配しなくてもファイルを公開する気はないよ。今のところな。だからそっちも大人しくしとけ。バイオスフィアの課題ならやってやるから」
「ちくしょ、覚えとけよコノヤロ!」
僕たちはファミレスの駐車場をあとにして。
ロボットは、エンドレスでずっと叫んでいた。




