第二話「はい、砲弾そのものです」
「お姉さん、こんな時間に何してるの?」
よく考えなくても不審者なのだけど、僕はあまり実感がなかった。月夜町は犯罪がほとんどない。不審者情報などが流れたこともないのだ。
僕は何度も夜間観測に来ているけど、たまにカメラを抱えた観光客がいる。そういう人にはなるべく明るく挨拶するようにしている。
それに、このバニーのお姉さんの落ち着いた雰囲気。気だるげなのに背筋と足は伸びていて、操り人形のように重量を感じさせない立ち姿だ。背が高くて手足も長いのにふくよかな印象もある。つまり素晴らしい美人であり、芸能人ですら及ばないほどのスタイルなのだ。そんな姿の前で警戒心が持てないでいる。
お姉さんは僕の問いかけを受けて、口元に指をあてて言う。色素は薄いけど厚みのある唇だ。
「私はね、君たちに会いに来たんだよ」
「君たち?」
「そう、月夜町の少年少女たちにね」
「ふうん」
と、僕はそれどころじゃないことを思い出す。もうすぐ今日の射出時刻だ。
僕はリストバンド端末からリュックの中のタブレットにアクセス。時間と方位を確認。
「よいち」の姿は……まだ7キロほどあるのでよく見えない。でも今日はもやも出てないし、補正をかければ見えるだろう。
「「よいち」を見学に来たのかい」
「うん、ここが一番近くで見られるから」
タブレットケースには簡易的な三脚も入ってる。それを公園の柵に設置。カメラを起動し、電気的に感度を上げて闇の奥にある「よいち」をとらえる。
レールガンである「よいち」は150キロの砲弾を電磁誘導的に加速させる。月まで飛ばすためには最低でも第一宇宙速度、つまり秒速7.9キロメートルを超えないといけない。
でもレールの距離が短いと加速を得るのにたいへんな電力が必要。レールが長いほど加速に時間をかけられるので、ピーク電力が少なくて済む。
見えている砲身は長さ180メートル。それをトラス構造の支柱で支えているので、三角定規のようなシルエットになる。
「大きなものだね、「よいち」は」
バニーのお姉さんが横に来る。かなり暗いけど裸眼で見えてるのかな。
「だけど知っているかね。地下にある部分のほうがはるかに大きいのだよ」
「うん知ってる。たぶん超長砲身方式でしょ。15キロぐらいかな」
長さ180メートルの砲身でも、十分な加速を得るには短すぎる。世界にいくつかあるマルチキャスターはさまざまな方式で加速を得ている。もっとも、その多くは国家機密になってるけど。
遠心加速方式、炸薬を使ったカノン・ハイブリッド方式、砲弾自体に推進力があるカーゴロケット方式などがあると言われてるけど、日本は多分スーパーロングバレル方式だ。
「なぜそう思うのかね?」
「それが一番事故が少ないから。このあたりは火山帯もないし岩盤が強固だから安定が得られるし、それに音が綺麗だから」
「音というと?」
「こういうの」
僕は「よいち」に集中したかったけど、お姉さんはなぜか絡んでくる。しょうがないのでタブレットをいったん外して音声データを開く。
だけど実際に音が聞こえるわけじゃない。表示されるのは音の波形を記録したものだ。
「学校の鉄棒にピックアップマイクをあてて計測したの。地震波に近いけどこれ「よいち」の音だよ。ほら図形がすごくキレイ。炸薬は使ってないし遠心加速でもない。加速時間が5.7秒だからレールの長さは10キロ以上あると思う」
「おみごと」
お姉さんは感心してるけど、このぐらいマルチキャスターのマニアならみんなやってる。動画サイトに上げてる人のほうがずっと良い機材を使ってるし。
と、本当にそろそろ時間だ。僕はタブレットを三脚に戻す。
リストバンド端末を耳に当ててカウントダウン。あと3秒、2、1。
足元からの波動。
それはP波だ。秒速5から7キロで地中を伝わる音。「よいち」が目覚める音。
射出。真空環境の砲身から出てきて、白く広がる衝撃波の円錐。赤熱する軌跡を残して空へと抜けていく砲弾。
「「よいち」の発射時刻は極秘のはずだが、なぜ分かったのかね」
「計算でも出せるけど、ぶっちゃけ前の日に射たれた時間から月の出の時刻差を加えればいいし……」
そして20秒後。落雷のように大気を引き裂く音。「よいち」周辺の減音設備があってもかなりの音だ。月夜町は「よいち」のための町なので、この射出音は騒音ではないとはっきり条例に書いてある。その代わりにほとんどの建物は防音仕様になっている。
「うーん、やっぱり時間通りか」
「何か疑問なのかね」
目的の観測も終わったので、僕はバニーのお姉さんを振り返る。
あらためてすごい格好だ。というか網タイツって初めて見た気がする。ストッキングに網目の模様があるわけじゃなくて本当に網なやつだ。春とはいえちょっと肌寒そうに見える。
ボディ部分はラメ素材だけど安っぽさはない。ウサギの耳も芯材が入っているのかぴんと立っている。なんとなくだけどコスプレではない。本職という感じがした。
「お姉さん、今日の昼にも「よいち」が射たれたの気づいた?」
「ああ、そのようだね。今日は1日中ここにいたから、昼の射出も見ていたよ」
「1日中? お姉さんどういう人なの?」
「言っただろう。魔法使いさ」
べん、と月琴をかき鳴らす。強い音というのだろうか。鼓膜を直接震わせるような甲高い音だ。
「月を愛し、月に恋焦がれる魔法使いなんだよ」
「マジシャンってこと? 大道芸人の人?」
「魔法とは科学を超えた真理、それを探求し行使するものを魔法使いと呼ぶのだよ」
「はあ」
「ちなみに好きなアニメはセーラームーンで、好きなお菓子は萩の月だ」
「急に俗っぽいこと言われても」
うーむラチがあかない。なんとなく説明する気もないような気がする。放置して帰ったほうがいいのかも知れないが、もう一言ぐらいは質問するべきかと感じた。
「お姉さんは月夜町の人じゃないよね? 観光で来たの?」
「ウサギが泣いているからさ」
「ウサギ?」
そうだよ、と耳をふるふると揺らしてお姉さんは言う。
「この町でウサギが泣いている、そんな予感がした。そのひそやかな嗚咽が、雲母のきらめきのように幽かな涙が私を呼んだのさ」
「全然わかんないです……」
僕がそう言うと、バニーのお姉さんはまた月琴をぼろろんと鳴らす。
「少年、君は月面都市に興味があるかね」
「もちろん。大好きだよ」
お姉さんは月を見上げる。今日は綺麗な三日月だ。フランスの方では剣にたとえるらしい。
と、その白い指が月を指し示す。その動作に不思議な魔力がある。催眠術のように僕の目が指先に引き付けられて、周囲の空気がぴしりと締まるような。
「その月面都市は、まもなく滅びる」
「え……」
「すべての建物が朽ちて、多くの人は命を落とすか、すべてを捨てて地球へと帰ってくる。そして人間が二度と月を踏むことはない」
「まさか」
お姉さんは憂いの顔をしている。ぞっとするほど綺麗なのに、悲しくてたまらないような、海底に落ちた人形のような物悲しさがある。
「夜と遊び、月に守られし君よ。どうか探してくれ。この町で泣いているウサギを探し、その涙を止めてあげてくれ。でなければ、月の都は滅ぶだろう」
「……涙を、止める」
そこで。お姉さんがハッと右を見る。そして僕の頭をぽんと叩く。
「私のことは秘密にしていてくれ、では」
そしてすばやく駆け出す。足の動きは緩やかに見えるのに、あっという間に遠ざかっていく。走るというより連続で跳ぶような印象。あっという間に公園の生け垣を飛び越えてしまう。
その直後に反対側から音が聞こえた。そして懐中電灯の光。
「おや、そこにいるのは誰かね」
警察の人だ。月夜公園は不定期にパトロールされているけど、警察の人に遭遇するのは5回に1回くらいだろうか。
「ええっと僕は」
「リストバンドを」
言われて差し出す。警察の人は警察手帳を取り出してリストバンドにかるく触れる。僕は何度か会っている人だけど、形式的なものだ。
「うん。月夜中学の竹取くんだね。さっき「よいち」か射たれたけど、その見学かい」
「はい」
「そうか、じゃあもう終わりだね。自転車で来てるなら先導しよう」
月夜町では深夜に出歩いていてもあまり咎められない。東京ではこうはいかないらしい。平和な町だと警察の人も緊張感が無いのだ。
「きみ一人かね?」
「いえ、さっきまでバニーガール姿の不審者がいました」
だってそれはまあ、言わないと……。
※
翌日。
僕は授業を受けながら、タブレットの端のほうで町の公式ブログを見る。不審者情報などは流れてこない。警察のおじさんにはちゃんと説明したんだけどなあ。本気にしてもらえなかったかな?
「さて、「よいち」は合金製のカプセルに30キロほどの物資を詰めて射出されます」
今日の物理の授業は「よいち」についてだ。月面開発と宇宙工学についてはここ10年ぐらいで文科省の指導要領に取り入れられている。家庭科では宇宙食を作ったりもするし、英語の例文が月面都市での会話だったりする。
「ですが、実際に月が受け取る物資は30キロよりも大きくなります。それはなぜでしょうか。誰か分かりますか」
僕は手を挙げる。ここは応えておきたい。
「はい竹取さん」
「はい、砲弾そのものです」
よろしい、とお腹の大きな三輪先生はホワイトボードに板書する。
「月の土砂には鉄、アルミニウム、カルシウム、マグネシウムなどが含まれますが、調達の難しい金属もあります。マルチキャスターによる砲弾はさまざまな合金で作られていて、月面ではその砲弾の金属自体も貴重な資源になるんですね」
主に使用される金属は鉛、亜鉛、銅、そしてチタンだ。チタンは月の岩石にも含まれるけど、クロール法などの精錬が非常に面倒なので地上から送っている。「よいち」の場合は1回に30キロの物資と、120キロの金属を届けるわけだ。
タブレットには教科書プログラムにのっとって月面都市の様子が表示される。大きな箱形の居住区画。ドーム型の実験棟。敷き詰められたソーラーパネル。そして月面を走るビークル。複数の射出体を載せて運ぶ大型のトラック。
月の都が滅ぶ。
「……」
ありえない。都市の建設は何もかも順調だ。かの偉大なるバニー・バニーから20年。月にはもう数千人が居住している。
それが滅ぶなんてあり得ない。仮に隕石の衝突などの大惨事があったとしても、月面都市は10以上の国がそれぞれ自分たちの施設を建てているのだ。そのすべてが同時に壊れるはずがない。
でも何だか気になる。あのバニーガールのお姉さんは不審者でもあるし、部活で相談……。
(あれ?)
そこで気づいた。不来方さんがいない。
遅刻だろうか。今どき遅刻を咎められることもないから、三輪先生もいちいち出席など取らない。
入り口の近く、意識的にその席を見たことはあまりない。不来方さんがいたとしたらどう見えていたのだろう。彼女の毛量のためにくろぐろとした常緑樹のように見えたのだろうか。その想像に、なぜか後ろめたいものを覚えた。
結局、放課後になっても彼女は来なかった。バイオスフィア部はサンドボックスのマルチをやる部活なので、3人そろわないと部活動をしないルールだ。僕は先輩と一緒にしばらく待つ。
「不来方さん、最近様子が変じゃなかった?」
伊勢先輩がそう言う。
「変でしたか?」
「なんだかとても元気がなくて……かと思うと急にはきはき喋ったり、なんだか不安定な感じだったわ」
そうだろうか。小学校から一緒だけどぶっちゃけ常にそういう人だった気がする。いわゆるオタク気質で、好きなものばかり追いかけて、周りがついてこれないとしょんぼりして、また自分だけの世界に入ってしまう。
だから正直あまり親しくない。別に嫌ってるわけじゃないし、月夜町にイジメなんか無いんだけど、まあ、一人のほうが好きそうだから放っておかれてる、クラスではそんな立場のようだ。
「何か、悩みがあるみたいだったの。それとなく聞いてみたこともあるけど、教えてくれなかった」
僕と不来方さんがバイオスフィア部に入って二か月も経ってないのに、そんなに詳しく見ていたのだろうか。さすが先輩だ。
「竹取くん、不来方さんのこと、気にかけてあげてね」
「はい」
結局不来方さんは来ず、15分ほどで解散となった。
そして、夜。
僕はまた外に出ている。
今日の目的地は学校だ。僕は冷たいコンクリートの上を歩いて学校まで行き、校庭の鉄棒にピックアップマイクを張り付ける。
「えー音声記録。昨日、5月24日火曜日の「よいち」のスケジュール外の射出行動に関連して調査します。5月25日水曜日、あ、いえ、日付変わりまして5月26日木曜日、「よいち」の電磁加速の音を収集します」
「よいち」の電磁レールはかなり高い電荷がかかるため、射出ごとにわずかに変形している。もちろん定期的にメンテナンスされているが、もし短い間隔で射たれたりすると音が変化する可能性がある。その調査だ。こういうデータは取れるときに取っといた方がいいから。
「……月面都市かあ」
なぜだろう、あの変なバニーガールのお姉さん、その言葉がまだ気になっている。
気になっているから、こうして調査しているのだ。
僕は調査をすることで、泡のように浮き上がる不安を消そうとしている。
そうだ、月面都市が滅ぶなんてあるはずない。
「よいち」には何もおかしいところはない。データを集めるたびにそれが確信できる気がする。
それに、ウサギが泣いているなんて、そんな変な話……。
僕は視線を動かす。
無意識だった。瞳が何かに反応して動いたのだ。
そして僕は目を丸くする。校舎を囲むフェンスの向こう。歩くその姿。
静かな海のような青色の。
バニーガール、が。