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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第三章 緑バニーは投げ出したい
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第十九話「そう、不来方病院」



夜。僕は月夜公園まで来ていた。


ここに来るといつも奇妙な気分になる。僕たちの町と地続きなようで、それでいてまったく異なる世界に迷い込む感覚。「よいち」という超科学の産物を、僕がまだ受け止めきれていないんだろうか。


ほとんど遊具もなく、丸太とロープの柵だけがある簡素な公園。それなのに雑草は丁寧に刈り込まれてこざっぱりしている。月夜町の整然とした気配の縮図だ。


緋線が打ち上がる。一瞬で大気圏を抜ける赤い砲弾。上空25000メートル程度から重力の影響を受けて曲がり、放物線を描いて月までの軌道に乗る。そして十数時間後、絶妙な角度で月の引力圏に突入。土砂レゴリスを巻き上げて落ちるんだ。


地震波と衝撃波が来る。大きな壁が通り過ぎる感覚。その巨大なエネルギーに圧倒される。


やはり「よいち」は動いてる。秋葉原で見た奇妙な夢は空想に過ぎないと思える。


帰り道、自転車をこぎながら考える。僕たちは何を調べるべきか。


核となるのは緑バニー。Tと名乗ったあの少女が、本当に月夜町の情報操作に関わっているのか。


ネットワークからそれを証明するのは不可能だ。銀バニーも緑バニーも、僕より遥かに格上の存在、悔しいが太刀打ちできない。


銀バニーと緑バニーは仲間ではない、というのが不来方さんの推測だ。ウィザード級ハッカーは仲間を持たない。なんとなく神咲ささか先生の言葉の端々からもそれを感じる。


銀バニーの目的が「よいち」のハッキングであり、緑バニーがその敵対者であるとするなら、緑バニーは月夜町を、「よいち」を守る存在だろうか。


そもそも緑バニーとは生身の人間なんだろうか? 


僕たちの脳に働きかけて幻を見せているとか、網膜に立体映像を投影しているとか、そんな可能性もあるのかな。


「……出生に関して」


調べる必要がある。

役所はダメだろう。もう戸籍管理に台帳なんか使ってない。すべてクラウドストレージにあるはずだ。


では、月夜町で生まれた子供について調べられる場所は。


月夜町は燃え尽きた薪のように静かだ。

この町を支配する何者かが、人の眠りすら支配するかのように。



「……不来方病院」





「ダメみたいね。15年目で人は滅んでしまった」


翌日の部室にて。僕たちは荒廃しきったバイオスフィアを点検する。


中はひどい有様だった。茶色の丈高い雑草が生い茂り、ほとんどは枯れている。カミキリムシやシロアリのような一部の虫が征服的に繁殖し、動物は鳥を含めて5種も残っていない。


海水の海はアオコに覆われ、淡水エリアは緑の沼になっている。


酸素もかなり薄くなっている。建材に二酸化炭素が溶け込み、植物の生育が阻害されたためだ。

二酸化炭素が溶け込まないようにシーリングしているけど、百年という時間の中では保護層も劣化していくのか。


「酸素の問題は深刻ね……。シーリングをもっと分厚くするべきかしら? それとも純酸素のタンクを大量に用意しておく?」

「うーん……」


対策はなくもない。水を電気分解すれば酸素と水素が取り出せる。月面の土砂レゴリスには酸化鉄や酸化チタンなどが含まれるため、そこから酸素を取り出す方法もある。


しかし、バイオスフィアをあまりにも広くしたために、酸素濃度の変化を是正するのも大変になっている。それだけの酸素を生み出したとして、同時に発生する水素の爆発リスクを無視できない。


酸素を生成するプラントが必要だろうか?


そのプラントはバイオスフィアから離れた場所に作られ、水を電気分解して酸素を得る。水素は月面に放出する。同時に酸化物を含む鉱石からも酸素と金属を得る。


しかしモジュールをバイオスフィアから離した場合、作業をするクルーは宇宙服で行き来することになる。宇宙服が百年ももつだろうか……。


「竹取くん、こっちに来て」


不来方さんが言う。僕はミニマップから移動。


「ここ熱帯エリアだよね。ログを見てたけど、1年もたたずに全部の植物が枯れたみたい……」

「……ああ、それは現実でもあったことだよ。亜熱帯エリアを用意したのは、その検証のためでもあるんだ」


バイオスフィア2においても、熱帯性植物はすぐに枯れてしまった。


その原因は、風がないためだ。

熱帯の植物は幹が柔らかい傾向がある。風が吹くとしなる・・・ことで風圧を受け流し、同時に幹のしなりを利用して水を上まで運ぶ。また、何度もしなることは樹木にとって筋トレのような効果をもたらす。


激しい直射日光、毎日のスコール、そして強風。この3つが熱帯雨林の豊かさを支えているんだ。


僕がそう説明すると、不来方さんは鼻を軽くおさえて考える。


「扇風機とかで風を起こせないかなあ」

「とても無理だよ……この広さに十分な風を吹かせるには大型の扇風機が100台は必要だし、それだけのエネルギーを確保するには膨大な面積の太陽光パネルが必要だ」


ただ、この部分には楽観視もしていた。このバイオスフィアは月面にあるんだから、重力は地球の6分の1である。水を樹木の上まで運ぶのも楽なはずだし、風に反応して作られる組織(あて材)がなくても自重を支えられるはずだ、と。


だが結果は同じ。どうも風がなければ熱帯植物は生命を維持できないらしい。木の葉は黄色く変色し、根は腐って立ち枯れていく。


バイオスフィア2の実験は確かに失敗だったが、それは実験前の検討や準備が不十分だったというよりも、地球の持つ恒常性機能と、生態系のメカニズムの精妙さを再確認するという意味の失敗だった。


母なる地球はあまりに複雑で、深遠で、絶妙なバランスと、圧倒的な規模によって実現しているんだと……。


「どうしたらいいのかなあ。竹取くん、とりあえず次は熱帯雨林はやめとく?」

「そうだね……森エリアは4棟あるから、次は熱帯林を破棄して、針葉樹の森と広葉樹の森を作ろう。マングローブや雑木林なんかでもいいかも」


二人には言っていないが、昆虫相も本来はもっと悪くなっていた可能性がある。このバイオスフィアの初期生命はすべて僕たちが置いたものであり、自然の土を運び込んだわけではない。だから毒虫や不快害虫は最初から存在していないんだ。

僕はプロパティを表示して、生物の個体数を確認。


「昆虫相はやはりアリが圧倒的になるのか……。アリを捕食する上位昆虫はなぜ滅びるんだろう」


それは生命の必然だろうか。


このバイオスフィアが広いと言っても、現実世界の広さとは比べ物にならない。生命の多様さや進化の多彩さが場の広さで決まるならば、いくらバランスを取ろうとしても最終的に数種の個体で完結してしまうのか。


……そういう方向に、舵を切る選択肢もある。


動物は食料としてのニワトリだけ。昆虫やミミズなどもせいぜい20種程度。最初からその程度の規模でバランスを取る考え方。僕はそれを説明する。


「うん、生物を絞る方向ね。私も賛成するわ」

「私も竹取くんにまかせる。あ、でも猫さんはいたほうがいいかも。クルーのストレスを和らげてくれるし」


考えてみれば僕たちのバイオスフィアに天変地異なんか起こらないんだし、生存戦略としての多様性は必要ないんだ。


僕たちは全体をそのように調整し、部活の終わりにまたシミュレーションを走らせる。


次こそは、百年を終えられますように。





帰り道、僕は不来方さんを送りながら話をする。


「うちの病院?」

「そう、不来方病院。僕たちの出生記録が残ってるんじゃないかと思って」


病院なら紙のデータが残ってる可能性もあるだろう。


「うーん、私は病院の方に入ったことあんまり無いの。住まいは裏にある母屋だからね。だから中の構造とか分かんないよ」

「出生記録を見るのは無理かな」

「カルテの保管庫がどこなのかも分かんない。カギがどこにあるのかも……」


不来方さんは僕の顔を覗き込む。彼女の黒い髪が僕たちを包み込むような一瞬。


「でも、月夜町で生まれた子供たち……その記録が大事なんだよね」

「たぶん……僕たちが「選別」の産物とすればだけど」


それを暴いて、何がどうなると言うんだろう。

むしろ嫌な予感しかしない。僕たちのアイデンティティを揺るがす何かが起きそうな気がする。


でも、それも受け入れる。

気になることがあるから確かめる、僕たちの行動原理はそれだけで十分だ。


「……あのね竹取くん、小学校のころとか、何か変じゃなかった?」

「変、というと?」

「小学校の大きさ……講堂の倉庫にあったパイプ椅子の数、図書館は広かったけど椅子とテーブルは少なかった。そう、ちょうど一学年30人、6学年で180人ぐらいの用意しかなかった。それって小説の中の世界と違うの。スケール感と言うのかな。月夜町ってすごく小さく閉じてる感じがするの」

「それはまあ、小学校も1クラス30人だったし」

「でも、月夜町って新しく造成されてる町だよね。昔は工場がまばらにあるだけだった土地に、家を建てて、商店街も作って……」


……そういえばそうだ。月夜町は「よいち」の建設のため、あるいは月面関連企業で働く人たちのために作られたんだ。


「それがまったく大きくなる気配がないの。こういう町って、どんどん人が入ってくるか、逆に「よいち」の建設が終わってからは人が離れていくか、どっちかじゃない?」


つまり、長期にわたって人口が管理されている。そういう話か。


「時々、怖い夢を見るの」


不来方さんは言う。


「私は道の真ん中にいて、突然、何もかも作り物みたいに思えてくるの。そうすると怖くなって、私は地面にうずくまるの。怖くて不安な気持ちにじっと耐えて、そうしてふと立ち上がると、私は巨人になってるの。周りは月夜町のミニチュアで、私は一歩も動けなくて、そして怖くてたまらなくなって目が覚めるの」

「……」


前々から、思っていることがある。

不来方さんはとても感受性の強い人だ。人生の果てしなさを恐怖したり、赤バニーになっていた伊勢先輩に気付いたり、あらゆることに興味を持ったり。


伊勢先輩もまた非凡だ。常人離れした身体能力を持っている。


僕だって、自分のことを少しだけ早熟だと思ったりもする。


そう、早熟なんだ。僕たちはとても生き急いでいる。中学生で世界の謎を暴こうとしている。


これは、僕たちが特別な存在だからだろうか? 選ばれた人間だから?


だから知らねばならない。僕たちが生まれた理由を。


僕たちが何をするべきなのかを。


「不来方さん。今夜、深夜2時に不来方病院に行く。どこでもいいから鍵を開けてくれる?」

「うん……でもタブレットは使えないんだよね。緑バニーさんが覗いてるかもしれないし」

「何とかなるよ。とにかくやってみよう」


あまりにも無謀、無策、無計画、そして無軌道。


それでも行く。

思いつくままに走り、トラブルは臨機応変に何とかする。


バニー・バニーに作戦はいらない。





「ひい」


不来方病院の裏手にて、パジャマ姿の不来方さんは小さな悲鳴を上げる。


「た、竹取くんだよね? どうしたのそれ」

「ただの単暗視ゴーグルだよ。「よいち」の観測に使えないかと思って買ってたんだ」


バンドで頭部に固定し、MCPマイクロチャンネルプレートによって荷電粒子を増幅させる、いわゆる第二世代の暗視ゴーグルだ。中学生が買えるのはこのぐらいが限界だった。でもこれでも光増幅効果は18000倍。230グラムと軽量なのも良い。ちなみに「よいち」の観測には何の役にも立たなかった。


不来方さんは裏手のドアを開けておいてくれた。これもいろいろ苦労があったらしい。


「というわけで忍び込むけど、カルテ保管庫とかの場所分かる?」

「ごめんなさい、わからなかった。でもあるとすれば地下かなあ。一階奥の階段から行けるよ」

「詰めてるナースさんは何人?」

「6人いて、見回りは1時間に一回だけど、入院患者さんのいる上の階だけだよ」


あ、でも、と僕の袖をつかむ。


「保安ロボットがいるの。エレベーターで各階を移動してて、冷蔵庫みたいに大きいの。見つかると大変だから気をつけてね」

「保安ロボか、まあ見つかっても何とかするよ」

「うん、ほんとに……ほんとに気をつけてね。無理そうならすぐに戻ってきてね」


僕たちは本当に忙しい。


バイオスフィアを創造し、出生の秘密を追い、不来方さんの言い知れない不安について考え、銀バニーと緑バニーという得体の知れない存在とも付き合わねばならない。


昼に夜にと、休むことなく繰り広げられる冒険活劇ジュブナイル


まあいいさ、疲れ果てるまで冒険しよう。



明日をも知れぬ僕たちだから。



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