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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第三章 緑バニーは投げ出したい
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第十八話「どこを歩いても不自然じゃない」



月夜町がおかしな町だと思ったことはない。


生まれ育った町だからじゃない。平和で静かで、住んでる人もみんないい人で。世界に誇るマルチキャスターだってある。誇れる町のはずだ。


だけど、砂場に落ちたガラス片のように、きらきらと輝く違和感が。


「……一つ目は、伊勢いせ華乃香かのか

「ほう」

「彼女はごく幼い頃にバイク事故で大怪我を負った。そして入院のために月夜町を出て、退院してからも違う土地に移り住むことになった」

「そうだね」

「それだけなら、そういうこともあるで済む話だ。だけどもう一つ。僕は自分が生まれた時のことを覚えている」

「まれにそういう子がいるようだね。通常、赤ん坊の脳は未発達なのでエピソード記憶を保持することができない。ほとんどの子は3歳児までのことを忘れてしまう。これを幼児健忘という」

「赤ん坊のころ、新生児室にはたくさんの子どもがいた。何組もの夫婦も」


おかしな話だ。月夜中は一学年にひとクラスしかない。同世代には30人前後しかいない町なのだ。


赤ん坊が新生児室にいるのはせいぜい数日。周りに赤ん坊がたくさんいるのは不自然だ。


「月夜町では、もっとたくさんの赤ん坊が生まれている」

「ふむ」

「でも、小学校に上がるまでにほとんどいなくなってしまう。別の町に行ってしまうんだ。おそらく、「脱落」してしまったから」


選別はいつ始まるのだろう。もしかして幼稚園に上る前かもしれない。僕たちは能力を調べられ、振り落とされ、一世代に30人程度が残るのか。


何のために? 月面都市関連企業の人材となるためだろうか。あるいは月に行くクルーを選んでいるとでも言うのか。


「その疑問は、君たちが調べるべきだね」


先生はすいと立ち上がる。


「私は月夜町に戻るよ。昨日の小テストの採点がまだだからね」

「無責任だぞ」

「そんなことはないよ。自分の手で掴まないと価値のない宝もあるものさ。緑バニーもそう言ってただろう」

「……」


緑バニー、おそらくあれが情報操作に関係している。月夜町のすべての端末に干渉しているのか。月夜町ナイトファイトが外部の人間に知られてなかったのもそのせいか。


だけど、それなら僕たちはなぜ東京に来れたんだろう? 月夜町を出たら露呈する情報操作に意味があるのか?


「大人はあまり疑問を持たないからね」


先生は睫毛が見える程度に振り返り、斜め上から見下ろすような角度で言う。


「月夜町は政府の肝いりの町だから、新聞も違うのだと思い込もうとする。新聞というのは配られる地域や時間帯でどんどん内容が変わる。今どき差し替えも簡単だ。そんな疑問を追及するより、月夜町の生活を、高給取りの身分を守るほうが大切だからね」

「……先生、その格好で外に出るの?」

「心配無用、こういう秘密兵器がある」


と、先生は椅子の影からプラカードを取り出す。


【バニー喫茶キャロット、営業中】


「どこを歩いても不自然じゃない」

「バニー服脱げばいいだろ」

「秋葉原駅で8人に店を聞かれた。お店は代々木ですと答えておいた」

「徳を捨てながら生きてる」


先生はヒールの靴をかつかつと鳴らしながら、人差し指と中指をびしりと立てて去っていく。


だんだん奇行の激しくなる人である。そのうちバニー姿で授業しそうで怖い。


と、先生が去ってしまうとまた少し眠気がやってきた。僕はさすがに不来方さんのブースに戻るのもどうかと思ったので、マットのある自分のブースへ。


マットは冷たくて硬くて、ブランケットは体を十分に包めなくて、空調の冷たい風が体を撫でていく。それでもしばらくすると眠りに落ちた。


夢の中では月夜町にいた。公園にいて「よいち」のある方角を見ていた。


だがいつまで待っても打ち上がることはない。沈黙の中で夏が訪れて、月夜山が秋の紅葉に染まり、やがて雪に覆われて、また春に。


「よいち」が打ち上がることはなく、僕は公園のフェンスに寄りかかったまま大人になり、中年になり、老人になって……。





「それで、二人で東京旅行に行ってきたの?」


バイオスフィア部にて、伊勢先輩があきれたように言う。


あきれてるのは不来方さんの顔がひどいからだ。目の下に濃いくまができて髪が荒れている。徹夜しましたと顔にはっきり描いてある。


月夜町に帰ってきたのは日曜の夕方である。僕はリュックにいくらかの文庫本を。不来方さんは二重にした紙袋を両手に抱えていた。大量の漫画のようだ。


「ごめんなさい先輩……ちょっと、買ってきた漫画が面白すぎて……」

「不来方さんは文学少女だと思ってたのだけれど、漫画も読むのね」

「なんでも行けます……グラビアからデスメタルまで、カルチャーなら何でも……」


秋葉原ではアイドルのライブを飛び跳ねて応援してたし、かと思うと湯島天神の宝物庫を真剣な目で眺めてた。僕の奥さんはパワフルである。


「今日の部活だいじょうぶ? 休んでもいいのよ」

「あいひょうふてふ」


あくびを噛み殺しながら言う形になって、さすがに赤面してた。


「じゃあ説明しますね。バイオスフィアのモジュールはすでにできてます」


三人のタブレットが同期して、ブロックで構成された世界が出現する。


視界の果てには巨大なホッチキスの針のようなもの。可動する砲台があり、弾のようにブロックを射出している。そしてホッチキス針それ自体もスライドしている。


「自動建設機を作りました。設計に基づいてブロックを置いてくれます。設置速度は1時間あたり4万ブロックです」


それが三機。おおまかな建設は日曜の夜に終えている。


「新しく設計し直す時間はないので、僕たちが最初に作っていたバイオスフィアをそのまま2倍の大きさにします。モジュールは12棟から倍の24棟に。同じ役割を持つモジュールを二つずつ配置します」


海エリアのドームは直径40メートルから80メートルへ。球の直径を2倍にすると体積は8倍になる。半球でも同じだ。


内部に移動。浜辺があり、海も用意されてる。まだ調整してないのでただの水だけど。


「海の水量は3800立方メートル。深さは最大で11メートル。2つのエリアは少し気温を変えてる。熱帯の海と温帯の海という感じにしようと思ってるけど……」


二つの海をパイプでつなげて水を行き来させるべきか。それとも片方は湖沼にして片方を海にするべきか、そこらへんはまだ決まってない。生物も配置されてない。


「竹取くん、ということは森エリアも二つから四つに増えたと思っていいのかしら」

「そうです。常緑樹の森と亜熱帯林でしたけど、他の設定もできるかも」

「じゃあ針葉樹の森とか、竹林とかもできるかも知れないわね。私の方で調整させてくれる?」

「はい、これまでと建設のやり方が変わってきますから、そこにあるオートマシンに指示してください」


これまでのバイオスフィア部の建設はあくまでサンドボックスゲームだった。ブロックの多くは人間の手で置いていた。


でもこれからは高速かつ大規模の建築になる。人間はパラメータをひたすら調整していくだけで、建設はマシンがやるのだ。


不来方さんが口に手を当てる。疲れのせいかいつもより髪が重そうだ。


「ねえ竹取くん。これまでは動物の配置とか慎重にやってたけど、それはどうなるの?」

「ひたすら置いていくしかないと思う。今日中には最初のテストに入ろう」


クルー10人以内で百年という課題。かなり計算量が多いので、ゲーム速度を最大にした状態でも12時間ほどかかる。


だから部活動ではおおまかな調整を行い、部活の終わりにシミュレーションを開始して、翌日に結果を確認する形になるだろう。


「百年というと、モジュール内での世代交代が必要になるわね」

「そうですね。新生児用の設備と医薬品を用意しないと……そういうのMODがカバーしてるか分かりませんが」

「うーん。医薬品が何十年も持つかなあ? おっきな冷蔵庫とか用意しよっか」

「薬草なんかも必要かしら。薬草を活用するための本も用意しないとね」


言いつつ、伊勢先輩は草原エリアに動物を配置していく。不来方さんは平原エリアに果物の木を植えていく。


僕は海を調整する。月面の水から人工的に作る海なので、まず岩塩を混ぜて塩分濃度を……。


「あ、そうか。これだけの海水を作るには塩が大量にいるんだ」


海エリアの水量が2つ合わせて7600立方メートル。海水の塩分濃度を3.5%とすると、塩だけで266立方メートルも必要なのか。岩塩の比重が2.2ぐらいなので塩だけで585トン……。


「……海エリア、片方は真水にします。沼地も作りますね」


585トンという量はなんとなく僕の中の一線を越えていた。地球から持ち込める塩はせいぜい30トンと考えよう。それに合わせて海の広さを調整。海洋のサイズは900立方メートル程度か。これでも最初に作ってた海の5倍の量だ。

不来方さんのキャラクターが海エリアに来る。


「竹取くん、海って大きい方が維持が簡単なんでしょう?」

「うーん。でも、地球から物資を持ち込んで作るって前提を意識しないと何の意味もない気がする。これは緑バニーからの課題だけど、あくまで僕たちの部活なんだし」


ばしゅ。


そんな効果音がして、緑バニーが現れる。


しかも僕と不来方さんのアバターの真ん中に現れたのだ。ゲーム内のこととはいえちょっと驚く。


「月面で用意できる塩化ナトリウムは450トンだ」


唐突にそんなことを言う。やはりタブレットから肉声が流れてる。


「……その数字の根拠は?」

「気にすんな。あと細かいルールは送っといたから確認しとけ」


ばしゅ、というSEとともに消える。なんか火花のエフェクトも出てたけど、このゲームのエフェクトよりもリアルな火花だ。自分で付けたのかな。


メールが届いてたので確認。なぜ差出人情報がないメールなのにスパムフォルダに送られないのだろう。地味に謎だ。


「ええっと、成体で120キロを超える動物は禁止。隕石の衝突によるモジュール破損確率は現実の月面に準じる。地球からの補給はないという前提だが出入り口は3カ所以上作ること。受精卵や人間をコールドスリープ状態で持ち込むことは禁止……」


なるほど、クルーが死んだら自動でコールドスリープから解放されるように設定する。そうすれば百年クリアできるわけか。そんな攻略法は想定してなかったけど。


他にもこまごまと書いてある。かなり特殊な状況までカバーしてるが、僕たちのプレイに関係するものはそんなに多くなさそうだ。


僕はふと考える。


成体で120キロを超える動物は禁止というルールについてだ。いま月面にいる動物は研究用に持ち込まれた魚や虫、モルモットなど。食用としてニワトリに、大きな魚では近畿大学のモジュールで養殖してるブリが最大だ。


成体で120キロを超える動物はまだ存在しない。ブタの養殖が検討されたこともあったけど、ニワトリほど効率が良くないので実現しなかった。


つまりこのルールは、月面都市の物資を利用することを考慮してのものか。なかなか興味深い。


「竹取くん。不来方さん。あと1時間作業してからシミュレーションに入りましょう」

「分かりました」

「はい」


僕たちはもくもくと植物を配置し、動物と虫を放ち、当座の食料なども複数箇所の倉庫に用意する。育てていたクルー候補生から10人を選び、男女5人ずつを解き放つ。


彼らは熱意に燃え、心身に優れ、月に関するあらゆる知識を持ち、医学や工学などを学んだスペシャリストたち。シミュレーションを高速モードにすると、彼らはわずかな時間で草原を切り開き、畑に麦と野菜を植え、周囲を柵で囲う。


予感がある。


おそらく月面の百年はとてつもなく過酷な旅。彼らはきっと全滅するだろう。


本来は、もっと十分に時間をかけたかった。これ以上ないほどの用意をしてあげたかった。


でも時間がない。あまりにも時間がないのだ。

たとえクルーたちが電子の存在でも、死んだとしてもセーブデータから再生できるとしても。


それでもやはり、彼らに申し訳なかった。



どうか許してほしい。未熟でちっぼけな、三人の神さまを……。



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