第十七話「ね、こっちに来ない?」
※
僕たちはそこから丸一日、東京を歩き回る。
まず訪れたのは古書店街だ。古い雑誌を中心に情報がないか探す。不来方さんは丸眼鏡を光らせながら物色。
「具体的には「よいち」そのものを調べるの。過去にハッキング被害に遭ってないかとか、テロ対策とか、他の国のマルチキャスターはどうか、とかね」
月夜町を離れて「よいち」を調べるというのも変な話だが、意外に収穫は多かった。
「これ、「よいち」関連施設の全景図だ、見たことないよ」
10年ほど前の科学雑誌に普通に載っていた。マルチキャスターを中心として高速増殖炉、スペースプレーン発着場、研修棟や宇宙実験関連施設などが詰め込まれている。想像図かも知れないけど具体的だ。
「竹取くん、そういうのここにもあったよ。レールガンの模式図だって」
「ほんと? それって国家機密で見れないはずじゃないの?」
見開きのページに描かれた詳細なイラスト。「よいち」から真っ直ぐに伸びる長大な真空トンネルだ。
「よいち」においてレールガンは長大な電磁レールで加速するが、空気抵抗を防ぐためにトンネル内は真空に保たれている。距離は11.4キロ。レールの長さと方向は音紋分析でだいたい計算できていたが、こんなにはっきり描かれた絵は初めて見た。
「10数年前に国家機密情報に指定されたみたい。欧州の方で起きたテロが原因だとか、開発競争の中で他国のスパイを警戒したとか言われてるけど」
「そうなのか……。マルチキャスターの情報って確かに一般には秘密だけど、他の国とは共有されてるかと思ってた」
「そんなはずないと思うよ。こういうの利権だもん」
「利権にだもんをつけないでほしい」
不来方さんは僕よりずっと調査が速い。山と積まれた科学雑誌、週刊誌、時事問題についてのコラム本などをぱらぱらと調べていく。
「マルチキャスターが大きなハッキング被害を受けたって情報は見当たらない。でも、日本では確かに警備が厳しくなってるみたい。過去にドローンを飛ばして「よいち」の投射体を妨害しようとした人がいたらしいの。だから今では月夜町での抗議活動は禁止なんだって」
秒速十数キロで射ち出される投射体を妨害する……。ドローンの質量にもよるけど電車をピーナッツで止めるような話だ。
でもまあ警戒する気持ちは分かる。何度も言ってることだけど、わずかでも軌道が狂えば月面のどこに落ちるか分からないんだ。
「こっちは潜入取材をした人の記録ね。取材班は「よいち」のある月夜町を訪れようとした。しかし月夜町の駅にて保安職員を名乗る人々に止められ、上陸はかなわなかった、だって」
「それって伊勢先輩の会社の人かな」
「そうみたい、ほらこの人」
制服を着て、警棒を腰に刺したガードマンが取材班のカメラを下げさせようとしている。目には黒線が入っているが、ずいぶん大柄な人だ。
「竹取くんは見覚えない? 月夜町ナイトファイトに出てた人だよ。ほらプロレスラーの格好してた」
「あ、そういえば」
胴部には防刃防弾のプレート型ベスト。くるぶしまでの安全ブーツ。分厚く大きな人工皮革のグローブにも威圧感がある。どこか和やかだった月夜町ナイトファイトとは雰囲気が違う。
図書館にも行く。不来方さんは新聞のバックナンバーを調べて、僕はバイオスフィアのための資料を集める。なにごとも両面作戦である。
バイオスフィアは閉鎖環境での生命循環を目指す研究であり、同じような目的を持つ学問はたくさんある。ビオトープについて、環境保護について、農薬を使わない農業について。アクアリウムについて。
その中で「よいち」の本も見つける。
おもに「よいち」が環境に与える影響について考察した本だ。ちょっと見てみると、単純な間違いと、データ不足な推論と、確信犯的に嘘を述べている部分がたくさんある。
いわく、「よいち」の生み出す振動が大地震を誘発する。
いわく、投射体の放つ重低音が健康を害する。
いわく、「よいち」のある町は月面関連企業の利権の巣になっている。
いわく、「よいち」の真の目的は他の国を攻撃するための。
本を閉じる。
もう動揺はしない。怒りもわいてるけど同時に悲しみもある。なぜこの人たちは「よいち」が憎いんだろう。「よいち」がなくなれば幸せになれると言うんだろうか。
月面都市は人間がいつかはやらねばならないミッションだ。アポロの頃に比べて科学も格段に進歩した。バニー・バニーの出現から始まった第二次宇宙開発競争。たしかに天文学的なコストがかかっているが、打ち上げコストはどんどん下がってきている。
それに、今を逃したら、次はいつになるんだ。
今やらなくては、いつやれると言うんだ。
「竹取くん」
不来方さんが僕の袖をつまんでいた。僕は沸き上がりかけてた暗鬱たる感情を奥に引っ込める。
「不来方さん、そっちはどう?」
「ううん、もういいの」
もう? 2時間も経ってないけど。
「……「よいち」に批判的な記事があった?」
「うん……全体的には必要だって論調なんだけど、心配の声とかも多いの。やっぱり月夜町の新聞とぜんぜん違うんだね……」
オブラートに包んだ言い方だ。具体的に何を見たのかは聞かずにおこう。
「竹取くんは行きたいところある?」
「上野の」
言いかけて口を押さえる。
「じゃなかった。秋葉原だね。行こうか」
「ううん。上野の科学博物館でしょう? 一緒に行こうよ」
まあ上野と秋葉原はさほど遠くないし、昼食を済ましてから両方行こうという話になった。
上野の科学博物館にはレールガンの展示もあった。僕が解説して、不来方さんは何度も頷きながら聞いてくれる。
生物展示の方も見る。特に食物連鎖や、池や湖における微生物の役割についてはメモを取る。紙に手書きでメモするっていつ以来だろう。いや、初めてかもしれない。
「竹取くん、猛禽類って入れたほうがいいのかなあ」
「うーん。大きな鳥が飛ぶにはドームの広さが……。あ、でも広くするんだった、検討しとこう」
「どのぐらいの広さがいるのか考えないとねえ」
「猛禽類が営巣するのはどんな樹なのか、上方向の高さってどのぐらい必要なのか、帰ったら調べとくよ」
上野の科学博物館は初めて来たけど本当にすさまじい広さだ。しかも楽しい。
僕と不来方さんは散々歩き回って、気がつくと夕方の5時になっていた。
「しまったなあ。ごめん。秋葉原を回る時間が」
「大丈夫だよ。明日は日曜だしこっちに泊まれば」
「そう? でも今からホテル取れるかな」
「そうじゃなくて、行ってみたいところあるの」
行ってみたいところ。宿泊施設。まさか。
「ほらここ、ネットカフェ」
ですよね。
うん僕もそうだと思ってた。それ以外の可能性なんてまったく。
秋葉原の雑居ビル内にあるネットカフェだ。不来方さんは僕の手を引いて入店し、あっという間に会員登録を済ませてしまう。
店員さんはものすごい早口で入店端末の使い方を説明すると奥に引っ込んでしまった。あとは入店も退店もセルフでやれるらしい。
「竹取くん、パソコンの電源は入れちゃダメだからね」
「う、やっぱり?」
「そうだよ、誰が見てるか分からないんだから」
店内にはほとんど人の気配がない。こういうものなんだろうか。静かな音楽と木が多く使われた内装。落ち着いた雰囲気だ。
「あ、これ電子書籍化されてないやつ、あ、こっちも」
竹取さんはカゴを持ち、漫画を大量に入れている。
僕のブースは黒いマットが敷かれた一畳半ほどのスペース。手狭だけど寝るには困らない。
パソコンは電源を入れられないし、スマホも持ってない。でもやることがないわけではなく、神田で買って来た文庫本を読む。「よいち」建設に関するルポルタージュだ。他にサンドボックスゲームの技術書。海洋生態系について、大気循環について、どれもけっこう面白く、夢中になって情報を拾う。
時間は降り積もる雪のように流れる。
「これは都市伝説の本……か」
レールガンはホットな話題なので怪談のネタにされてるらしい。もくもくと読む。
「……いま何時だろ」
何しろ時間を示すものが何もない。コミックス検索用の端末で時間を確認できるだろうか。それとも受付に行って店員さんに聞こうか。いやそもそも時間を気にする必要があるのかな。外は暗いようだし夜なことは間違いないんだから、いつ寝たって。
こんこん、とブースの入り口がノックされる。
「竹取くん」
外に不来方さんが立っていた。
だが着替えている。さっきまでグレーのワンピースだったのに、青のバニーガール姿に。
「どうしたの」
「夜はこの格好じゃないと落ち着かなくて……ね、こっちに来ない?」
不来方さんのブースは僕の所より広かった。扉に鍵がかかる個室タイプで三畳はある。座椅子が二つあるから最初からペア用のブースなんだろう。
「なんだか疲れちゃったね」
不来方さんは黒タイツの足を伸ばして、マッサージしながら言う。
「朝からずっと歩いてたからね……明日は秋葉原に行くとして、ゆっくり過ごせる場所を回ろうか」
「うん、そうだね」
不来方さんはこてんと横になって、店内で貸し出してるブランケットを足だけに乗せる。
「不来方さん、何か不安なことがあるの」
「ううん」
僕も横になって、不来方さんと手を握る。不来方さんの手はひやりとしていて、さらさらと絹のような質感だ。
「今はとても落ち着いてるの。このままでいいって気がする。竹取くんのおかけだよ」
「そう、よかった」
「なぜ落ち着くんだろう。わからないの。竹取くんが特別好きだった自覚はないけど、結婚したことは正しかったって気がするの。前にも後ろにも進まなくていいと思える。そんな気持ちなの」
不来方さんと指を絡めても、そこに親愛以外のものは湧いてこない。バニースーツの肢体はふくよかで、足は黒タイツで締まって見えて女性らしいのに、不来方さんの落ち着きが僕にも伝わってくる。
「どうしてなんだろう……。私、竹取くんと重なってもいいと思ってた。でもそんな気分にならない。いつかするのは分かっているから、焦らなくてもいいって思えてくる」
「みんなそうさ」
僕は安堵していた。不来方さんの心の不安が、形容しがたく名状しがたい心の揺らぎが、落ち着いていたことに心からほっとする。
「不来方さんは少しだけ早熟だったけど、時期が違うだけで誰にでも訪れることだよ。思春期ってやつさ。結婚したいとか子供を持ちたいとか、そういうものを人生のノルマとして考えると不安になるけど、落ち着いて俯瞰して眺めれば、中学生には中学生のころにしか出来ない貴重なことがあるんだよ。勉強とか運動とか、こういう小旅行とかもかな。今はそれを楽しもうよ」
「うん……そうだね。きっとそういうことだと思う」
人はどうやって結婚相手を探すんだろう。
何百人もの相手から選ぶんだろうか。それとも青天の霹靂、落雷のような恋が訪れて結婚するんだろうか。
僕たちには最初に結婚があった。相手を知ることも、親愛を持つことも、そこから始まった。
すべてを受け入れる。それがバニー・バニーの精神だ。僕たちがうまくやれても、やれなくても、今はこうして手を繋ぐだけで……。
※
ふと目が覚める。
どうやら眠っていたみたいだ。寝る時は部屋を真っ暗にするタイプなので、明るいというのは奇妙な感覚。
眠っていたのは1時間ぐらいな気がする。バニーガール姿の不来方さんは静かに寝息を立てていた。どうでもいいけど固い芯材の入ってるバニースーツって寝にくいと思うんだけどな。
喉が渇いていたので、そっとブースを抜け出す。ブースの壁にスリッパがあるのがありがたい。
やっぱり誰もいない。他のブースでも誰かが寝てるのかな。いびきの音がするけど、これは店内BGMとしていびきを流してるらしい。なるほど、お客さんのいびきでトラブルにならないようにか。
「あれ、先生」
銀バニー姿の神咲先生がいる。テーブル席で漫画雑誌を山積みにしてる。
「やあ少年。奇遇だね」
「偶然のわけないだろ……」
何らかの手段で僕たちを尾行していたのか。タブレットを手放してるとはいえ、この店内にも、都内のいたるところにもカメラの目がある。先生なら見つけるだろう。
「というか店内でそんなの着て、怒られるよ」
「何を言うんだね。ちゃんとこの格好で会員カードを作ったんだよ」
「ふーん」
もうバニーガール関連のことには突っ込まない。キリがないし不来方さんのこともあるし。
「僕たちを見張って何の意味があるんだよ。カギを探せって話なら別に強制じゃないんだろ」
「ちょっと待ってくれ。今この漫画が面白いところなんだ」
テーブルには20冊ほど雑誌が積まれている。どれも辞書のように分厚い。
「私は月刊誌しか読まないから」
「聞いてないけど」
「駐車場も月極しか借りないしお酒も月桂冠しか飲まない」
「覚えとくからね? ワインとか飲んでるの見たらツッコむからね?」
先生はぽんとソファの横を叩く。
「まあ隣にどうかね少年。まだ文庫本からの情報収集が終わってないんだろう?」
「……」
何もかもお見通しと言いたいんだろうか。ぞっとするほどの美人ではあるけど、不敵な笑みは腹立たしいな。
「ドリンクバーに行くところだから」
「じゃあ私はホットコーヒーで」
僕はため息をついて、その通りにしてやる。
僕は先生の近くの席に座る。横はさすがにダメだと思う。
僕は文庫本から情報を抜き出してノートにまとめる。思った以上の量になった。文庫本は明日も買おう。
ぱたり、と先生が雑誌を閉じる。
「少年、何かを見て何かを理解したかね」
「……」
「月夜町は何らかの情報操作がなされている。新聞や書籍にはある程度の検閲がなされ、ネットワーク全体にも干渉されている。しかしまるで不完全だ。住民は自由に出ていけるし戻ってこれる。ではその情報操作とは何のために行っているのだろうね」
先生はすでに冷めているコーヒーを飲む。
僕は不来方さんのいる方をちらりと見る。だが遅かれ早かれ彼女も知るだろう。いや、すでに気づいているかもしれない。
……僕たちはバニー・バニーの申し子。あらゆることを受け入れる。
だが、この事象の果て。
四人のバニーガールが踊る物語の中で。僕たちに何が起こるというんだろうか……。
「……ヒントは、二つあった」




