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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第二章 赤バニーおおいに怒る
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第十三話「それとも勝ちたくないのかしら」





夜色の雲が空を覆っている。


真夜中にあってそれは闇の暗幕。シューベルトではないけど魔王の外套にも思える眺めだ。


「竹取くん、大丈夫なの?」

「分からない。正直思い付きの作戦だし」


月夜町ナイトファイトの会場である。今日は妙に賑わっている。もう10試合近く行われているし、観客もいつもよりずっと多い。筋肉質でがっちりした体格の人ばかりだ。

ギャラリーも感じているんだろうか、今日は何かが起こると。


鉄柱と針金で作られたリングでは、赤バニーが電光石火の蹴りを放つ。相手の太極拳使いはガードしたものの、すさまじい蹴り脚の重さによろめき、体勢が崩れたところにもう一撃。ハイキックを蹴り抜く勢いのままに一回転したんだ。太極拳使いは針金のロープからまろび出てKOされる。


「さあ今日も赤バニーの快進撃は続いているぞ! ダメージどころか息切れひとつ見せない余裕ぶりだ! 果たして止められるやつはいるのかあ!」


ギャラリーの中には腕に覚えがある人も多い。次は自分がと、針金を乗り越えようとする人物がいて。


その肩にぽんと手が置かれる。


その人物を見て、周囲がどよめく。

それもそのはずだ、次なるチャレンジャーは宇宙服を着ていたから。


しかも明らかにダミーではない。テフロン加工された表面の質感。腰部のジョイントの真新しい金属光沢。ファンの回転音とポンプの動作音。生命維持装置が息づく音。


「おおっとお! これは珍しい、着具武道スーツタクティクスの戦士が入場だあ! しかもこの宇宙服、どうやらダミーではないぞ、何者だあ!?」


「あなた、華乃香かのかお姉ちゃんなの」


宇宙服が声を発する。電子合成音ではあるが、伊勢先輩の声だ。


「なぜこんなところで戦っているの。生きてたなら、どうして会いに来てくれないの」

「寝言はやめなさい、穂香ほのか


赤バニーは小ジャンプを交えたスクワットを繰り返す。繰り返すうちに赤バニーの頬は紅潮し、汗が蒸発して全身から湯気が上がるかに思える。屈伸によってポンプのように血を巡らせているのか。足の筋肉はパンパンに張りつめて破壊の気配をまとう。


「あなたも分かってるでしょう。私は貴方が生み出した仮の人格。現実の人間じゃないのよ」

「そんな、なぜ私が華乃香お姉ちゃんを」

「リングに上がりなさい、穂香」


くい、と手招きする。ギャラリーは実物の宇宙服に面食らっていたものの、戦いの予感に湧きつつある。


「勝った方が本来の人格になる。簡単な話でしょう」

「……」


伊勢先輩は針金のロープに手をかけ。助走もなしに飛び超えてリングに入る。ギャラリーから歓声が上がる。


「ほんとに始まった……」


僕と不来方さんはリングから少し離れている。オペラグラスを構え、人垣の隙間から試合を見る。


「竹取くん、あれほんとに伊勢先輩なの?」

「正確に言うと、中には誰もいないんだけど」


あれこそがBWバウコンセンシブ。簡単に言うと脳波を読み取って宇宙服を動かすパワードアシスト機能だ。


脳波で機械を操作する試みは何十年も前から存在したが、あの最新型のトリエックス宇宙服によってついに完全なものになった。遅延はほとんどなく、イメージするだけで動きを宇宙服に伝えることができる。宇宙服内部には両腕と両足だけで140本もの人工筋肉が内蔵されており、少なくとも手足の動きだけは完全にトレースできるとされている。


僕はそれにいくつかのアプリを加えた。電子合成で会話するためのアプリだ。言葉を思い浮かべるとそれをテキスト化し、読み上げソフトが声として発声する。これは言語障害者のためのシステム。


では、それを操作しているのは誰か? 


むろん伊勢穂香。つまり赤バニーさん自身だ。


「ちょっと信じられないんだけど……そんなこと可能なの?」

「こんなの世界で誰もやったことない。宇宙服の性能もあるけど、どちらかというと伊勢先輩が凄いんだ」


多重人格において、二つの人格が同時に思考することは可能か。


ある人格が活動している間も、別の人格がその経験を観察していたり、思考したりしているという。だから赤バニーさんに遠隔操作装置をつければ、赤バニーを演じつつ宇宙服を操作することもできる。そういう理屈だ。

ここにおいて2つの人格はそれぞれの肉体を得たことになる。なので便宜上、宇宙服のほうを伊勢先輩と呼ぶ。


伊勢先輩は宇宙服でステップを刻む。そのヘルメットにはブラックフィルムを貼ってあるので、中ががらんどうと分かりにくくなっている。中が見えては赤バニーの精神が乱れかねないための措置だ。


「ふっ!」


先に仕掛けるのは伊勢先輩。腕をクロスさせ踏み込む。重量を感じさせない速さ。


赤バニーが回避しようとし、一瞬の判断で大きく跳ぶ。伊勢先輩は両腕を広げての新地旋回。巨大な手袋がぶおんと空を切る。


赤が逃げ白が追う。踏み込みつつ片足を持ち上げ、丸太で打つようなハイキック。赤バニーの鼻先をかすめる。


さすがに生身よりは遅い。赤バニーが蹴り脚を捕まえようとする。

だがそれは誘い。蹴り脚が急に加速して赤バニーの視線が流れ、軸足のほうが縦方向に跳ね上がって全身が回転する。赤バニーのアゴを捉えて蹴り飛ばす。伊勢先輩は腕立ての体勢で着地して前回り前転。体を反転させつつ立ち上がる。アゴを打たれた赤バニーはよろめくが、かろうじてダウンは回避。


「こ、これは! すさまじい蹴り脚の冴えだあ! とても着具武道スーツタクティクスの動きと思えなーーい!」


「すっご……」


僕もあっけにとられる。

人工筋肉で動いているとはいえ、ここは月面ではないので120キロ近い重量があるんだ。とてもそんな体重でやる動きじゃない。


中に人がいないんだから生命維持装置は外しておきたかったが、一日かそこらでそんな部分的な改造ができるシロモノじゃない。ちなみに言うと内部は特に与圧していない。


「ハッ、その図体でよく動くね!」


赤バニーが動く。体重を前にかけたと思った瞬間に宇宙服がくの字に曲がる。拳銃のような前蹴り。

沈み込むように右側面へ移動。腕を絡ませつつ引き倒す。赤バニーの腿が膨れ上がってその姿が僕の視界から消える。


上だ。飛び上がりつつひねりを加えて両足で着地。全体重が宇宙服の腹部にかかる。


「おおっとお! すさまじいストンピングだあ! 宇宙服を着ててもこれはたまらなあい!」


なんという重量感。落雷のような衝撃。

だが伊勢先輩は11層の布地に守られて致命傷にならない。素早く転がって立ち上がるも、腹部を押さえて苦しそうだ。


もちろん中に誰もいないんだけど、これは伊勢先輩と赤バニーさんの想念の戦い。勝てるイメージを持てるかどうかの戦いだ。


「ねえ竹取くん……。赤バニーさんはどうやって一人二役を……つまり宇宙服を操ってるの?」

「脳波コントローラーをウサ耳に仕込んでる。カチューシャサイズの大きさだから仕込めるんだ」

「え、でもそんなのいつの間に……」


「坊主、うまく行ってるか」


やってくるのは受付のおじさん。会場は大入り満員だというのに、今日は出入り口に誰もいない。その代わりに複数のクーラーボックスと金属のバケツが置かれてる。バケツの中は現金で一杯だ。


「うん、ちゃんと動いてる」


と、不来方さんに水を向ける。


「おじさんに頼んだんだよ。伊勢先輩がバニースーツを持ってるはずだから、中にコントローラーを仕込んでって」

「え……?」

「この人、伊勢先輩のお父さんだよ」

「ええっ!?」


バトルの方は互いに間合いを測っている。赤バニーが本気でフットワークを使えば伊勢先輩には捕まえられない。それでいてアウトレンジからとんでもないリーチの蹴りが飛んでくる。


宇宙服の内部に効かせるには関節部を狙うしかない。伊勢先輩は軸足を定めないステップで膝へのローキックを警戒しつつ、タックルを仕掛ける隙を狙う。


「この月夜町ナイトファイト、伊勢先輩の実家の……「よいち」関連の警備会社がやってる興行なんだ」


まあ普通に考えればそれしかあり得ない。この興行は、最初は民間警備会社の訓練の一環だったんだろう。それがいつしか格闘好きの集まりになり、イベントのような性格を帯びたんだ。

まさか、受付のおじさんが伊勢先輩のお父さん、つまり警備会社の社長だとは思わなかったけど。


宇宙服が届くまで時間があったので、僕はこの会場でおじさんに相談した。おじさんは僕の説明をすべて聞いて、しばらく考え込んでいた。そしてコントローラーを仕込むことに同意してくれたんだ。


「おじさん、伊勢先輩は何かストレスを抱えてたのかな。別人になりたいと思うぐらいに」

「わからん。あの子は昔から何でもできたし、特に体力はオリンピック候補なみだった。何かに反抗したこともないし、悩んでた様子もないんだ」


赤バニーの動きが加速する。回転からの裏拳。ガードした腕が交通事故のような音を出す。


「ある夜、ふらっとここに現れて……俺たちは穂香の格好に驚いたが、それよりも強さに驚いた。肉体の完成度もとても中学2年とは思えない。あまりの強さに何も言えなかった。ここはやはり無手格闘ステゴロの聖域だからな。しばらくは付き合うしかないと思った」

「娘さんが、伊勢華乃香という人になっていることには、気づいてたんですか?」


不来方さんが言う。おじさんは首を振る。


「それは知らなかった。だが戦ってるときのあいつは穂香には見えなかった。その違和感はあったんだが、まさか多重人格とはな……」

「たぶん……バニーガールです」


不来方さんが言う。


「私にとってバニーガールは大人の記号でした。伊勢先輩にとっても、何か意味があると思うんです」


確かに。伊勢華乃香という人物について、バニーガールという要素はまったく出てこない。あれもまた何かの記号。伊勢先輩が求めているもののヒントが、あのバニースーツにあるんだ。


「穂香、もう分かったでしょう。私には勝てない」


赤バニーのステップは軽い、体重をどこかに置き忘れたかのようだ。一歩の跳躍でリングの端から端へ跳ぶ。


「それとも勝ちたくないのかしら」

「何が言いたいの!」


合成音声は悲痛の色、かなりの疲労も帯びている。パワードアシストがあるとはいえここは月面ではない。スーツの重量……というか質量はすべての動きにのしかかってくる。


伊勢先輩は精神でそれを感じている。幻想の疲労とダメージが蓄積されている。そこに1ミリのごまかしもない。


「穂香、あなたはキャスターガードになるべくして育った。すべてを完璧にこなした。脇目もふらずに努力してきた。中学に上がる日まではね」

「……っ!」


伊勢先輩のハイキック。だが明らかに無理な攻撃だ。伸び上がった蹴り足をあっさりかわされ、逆に軸足を蹴られて転倒する。


赤バニーは追撃をかけない。リングサイドまで後退して針金によりかかる。


「だけどあなたは不自由さを感じた。このままでは自分はキャスターガードになるしかない・・・・・・。自分はそれに向いてるし、名誉ある仕事。それがたまらなく窮屈に思えた」

「それは……」


起き上がる。宇宙服が泥で汚れるという眺めは史上初めてかも知れない。さすがに肉弾戦で傷がつくほどヤワではないが、中身の消耗は手に取るようにわかる。


「だから投げ出したくなった。私を生み出したのはそれが理由」

「違う!」


伊勢先輩は強く否定する。

これは、赤バニーの指摘が真実だからだろうか。図星だったから打ち消したかった? それとも何か別の理由が……。


「穂香!」


おじさんが叫ぶ。両腕をメガホンにして腹の底からの叫び、ギャラリーの何割かがこちらを向く。


「お前を縛り付けてたなら謝る! お前は自由に生きていいんだ! キャスターガードになんかならなくたって、いくらでも人生の選択肢はあるんだ!」

「社長……」


何人かがそうつぶやく。


それは。


それは感動的で、真っ当で、素晴らしい眺めだったに違いない。


だけど。


「そうじゃない」


僕のつぶやきに、不来方さんが応じる。


「どういうこと?」

「進路が固定されてることに悩む。それは確かに青春の悩みだけど、伊勢先輩ほどの人をここまで追い詰める悩みとは思えない。何か他にあるんだ」

「他に……」

「鍵はきっと、バニーガールだ」


第二の鍵とは、役割。


バニーガールの役割とは何だろう。カジノの盛り上げ役。接待のためのコンパニオン。女性らしさを際立たせる妖艶さ。


そうじゃない。強さを極めた伊勢先輩にはそぐわない。


きっと、バニーガールには何の役割・・・・もない・・・


あらゆることから自由である象徴。役割を持たない、持つべきではないという象徴。


ではこの場合、役割とは何か・・・・・・


僕はふらつくようにリングに近づく。脳が熱を持っている感覚。


「伊勢先輩、言葉に出すんだ」


僕は言う。がらんどうのヘルメットが僕を見る。


「どんな突拍子もない願いでも、不可能に思える願望でも、言葉に出せばそれは解決に近づくんだ。僕たちはすべてを受け入れる。すべてを乗り越えてみせる。僕たちはバニー・バニーの申し子だから!」


バニー・バニーの名に目を見開く大人も多い。その名前を禁忌に感じている人は少なくないんだ。特に「よいち」の警備をしている人たちなら尚更か。


関係ない。僕たちはすべてを受け入れる。そしてすべての願いを叶える。


バニー・バニーの後を追って、人間に行けない場所はないと証明するんだ。


「わ、私は」


伊勢先輩は、すうと息を吸い込んだかに見えた。


歩いてきた人生のすべてを、その中で育ててきた感情のすべてを、一言の願いに乗せて――。




「生身で、月に立ちたい」


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