第十二話「はじめまして、ご主人ども」
「さて、世間一般ではよく誤解されていますが、キャスターガードとはマルチキャスターを守る人ではありません」
今の授業は軌道投入用レールガン、つまり「よいち」について。
正直なところ中学生で学ぶ範囲は全部知ってるし、神咲先生の授業に真剣になってていいのかなという気もしてる。でも手は抜けない。「よいち」のことだから。
「キャスターガードとはマルチキャスターと月面開発全般の中でも、特に困難な守備活動を行う人たちのことを指します。それは何か分かりますか、えーでは、渡会さん」
「はい、月面での活動です」
「よろしい」
世界各国にあるマルチキャスターが月面に射ち込むのは、重量150キロの砲弾。砲弾が他の施設に当たらないよう。落とすべき範囲は国家間の合意で決められている。地球から見た月面の中心から半径1200キロの範囲だ。
月の直径は3474.8キロなので、直径2400キロの円となると見かけ上の大部分だ。月面は常に同じ面を向いていると言われてるけど、実際にはわずかに揺れ動いている(これを光学秤動という)ので、実際にはもう少し余裕をもたせたエリアが投射範囲と定められてる。人類が作る月面都市は、おもに月の裏側にあるんだ。
各国がこの砲弾を求めて月面移動車を走らせてるので、トラブルも起きやすい。砲弾が壊れて中身が散乱しているケースだとか、GPS発信機が壊れている場合などは所有権をめぐって小競り合いにもなるため、安全に作業ができるよう、選りすぐられたキャスターガードが警護にあたっている。
「先生、じゃあムーンガードとかルナガードとかでいいんじゃないですか? なんでキャスターガードって言うんですか?」
「さあ? 気になるなら検索してください」
なんだそのやる気のない授業は!
……まあ実際、キャスターガードをそのように呼んでるのは日本だけだし、なぜそのように呼ぶのかは実に日本的な理由と言われる。他国では投下範囲を射撃の「的」に見立ててターゲットガードと呼んだり、フランスでは「ガルディアン・ドゥ・べべ」と呼ぶ。赤ん坊の守護者という意味だ。砲弾をおくるみを着た赤ん坊に見立てているんだ。
日本の場合、なんか見上げるほどに偉い人たちが決めたらしい。大仏とかだろうか。
「キャッチャーガード」はどうか。いや野球のポジジョンみたいだ。
「投射物守備部隊」はどうだ。吐瀉物みたいだし軍人っぽいイメージはちょっと。
アメリカが「ターゲットガード」だからそれでいいじゃないか。いや要人警護みたいで物騒だ。
「ルナガード」でいいんじゃないか。おいおい、SFじゃないんだぞ。
SFっぽかったらなんでダメなんだよ!
まあそんなわけで、紆余曲折あって全国の小学生から名称募集なんかもやった末にキャスターガードに決まったらしい。
名前なんかどうでもいいんだ。
名前にこだわったり、名前に意図とか意思を込めたり、名前にネガティブな意味がないか気を使う。それは偉大なるバニー・バニーの精神に反してる。
次の授業は理科。僕は授業を録画モードにしてタブレットを操作する。
要するに、伊勢先輩の中には二人の人格がある。
伊勢穂香と、年上の従姉妹であるという伊勢華乃香。
本来の人格は伊勢穂香であるはずだが、何かのきっかけで伊勢華乃香という人格が生まれ、今はそれが優勢になりつつある。
多重人格、現在では乖離性同一性障害と呼ばれるこの病気にはそういう傾向があるらしい。抱えている大きなストレスから逃れるため、仮の人格を生み出すんだ。この症例が大きく話題になったのは1977年にアメリカで逮捕された人物。逮捕された人物は自分は仮の人格であるといい、本来の人格は意識の奥底に眠っていて、長いカウンセリングの果てにようやく現れたという。
本来、必要なのは医師によるカウンセリングな気もする。僕が何かやるより、それこそ不来方病院に連れていく方がいいのかもしれない。たしか精神科もあったはずだ。不来方さんにメッセージを送ってみるか。
――不来方さん。不来方さんのところの病院に相談できないかな。伊勢先輩の。
メッセージが。
――お医者、だめ
「!?」
急にメッセージが現れた。僕のメッセージはまだ書きかけで、送信してない。
これは、誰からのメッセージだ? 送信者のIDがない。このメッセージには何の情報も添付されてない。そんなことは不自然だ。
神咲先生か?
「えー、ニュートンがまとめた運動の三法則というのは第一に慣性の法則、第二に運動の法則、第三に作用・反作用の法則です。第一と第三は直感的に分かると思いますが第二はちょっとだけ説明が要りますね。物体に力を加えると加速を得ることができますが、このときに物体が得る速度は力の大きさに比例し、物体の質量に反比例します。まあ言葉にしてみれば当たり前ですね。教科書だといろいろな場合について運動方程式を教えてますが、どうせ高校で特殊相対性理論をやる時に修正が入るので今はざっくり読むだけでいいでしょう。各自で確認してください。では次に燃焼についてやりますが……」
先生は紙の教科書を持って淡々と授業している。僕たちはノートを取ったり、録画モードにして自習したり、授業の内容の関連情報を自分で検索したり、めいめいのやり方で授業を受ける。
……タブレットを操作している気配はない。今は脳波コントロールなんかもあるけど、ウィザード級である先生なら授業をやりながらでもメッセージが送れるのか?
僕は謎のメッセージに反応してみる。
――なぜお医者さんはダメなの。
――病院にかかっていることが知られると、伊勢穂香にとってよくないことが起こる。
返答が一瞬で書き込まれる。チャットAIよりも速いと思えるほどだ。
――良くないことって何。
――今は説明できない。病院以外でなんか考えろ。
口調がぶっきらぼうになってきた。なんだこいつ。
少なくとも神咲先生ではなさそうだけど、じゃあ誰なんだ? というか僕のタブレットを平気で盗み見てるけど、これだってかなりの離れ業のはず。
病院は駄目……というのは、ひとまず受け入れてもいいけど、じゃあどうしろって言うんだ。
――竹取くん。
またメッセージが来た。今度はちゃんとIDが出てる。不来方さんだ。
――いま変なメッセージが……。竹取くんが送ったの?
――僕のところにも来た。誰だか分からないけど、少なくとも神咲先生じゃなさそう。
――伊勢先輩のことを何とかしろ、って言われたの。
僕と不来方さんのことを知ってる……。
そして伊勢先輩に起きてることも知ってるなら、必然的に神咲先生のことも知ってるはずだけど、こいつは何者なんだろう。
僕たちに何とかしろと言われても、どうすれば……。
――ねえ竹取くん。あの現象ってつまり、伊勢先輩が自覚してないから事態が悪化してる気がするの。
――まあ、そうかも。
――伊勢先輩は何かにストレスを感じてる。だから伊勢華乃香という人格を生み出して逃れようとしてる。幼い頃に生き別れて、生死不明になってる伊勢華乃香って人は妄想の依代にちょうど良かった。
そういう事になるんだろうな。これは子供の行方不明とかバイク事故とかは関係なく、あくまで伊勢先輩の頭の中で起きている事象なんだ。
――だから、伊勢先輩が何に悩んでるか分かれば解決なのよね。
――そうか……じゃあ部活のときに聞いてみようかな。
――もう無理。私たちが聞く人が伊勢穂香かどうか分からない。
あ、そっか……。
というより、この段階から人格を一つに束ねるってどうすればいいんだろう? それこそ長期間のカウンセリング……。
……。
それもまた、バニー・バニーの魂に反するのか。
バニー・バニーはすべてを思うがままに取り組む。人類が営々と続けてきた知識の蓄積とか、多彩に細分化された専門家の意見とか、科学的な妥当性すら求めない。思うがままに動いて、そして成功と失敗を繰り返す。
これを反知性主義だと批判する声は今も続いている。
しかし、もし真っ当な道では駄目というなら……。
――二人の人格を、直接戦わせる。
――え? どういうこと竹取くん。
――いや、いま思いついただけなんだ。でも思いつきを形にしてしまうのが人間の力でもあるんだ。何かないかな……2人が戦う方法。
――うーん。そういえば赤バニーさんと伊勢先輩って、武道でも対照的だよね。赤バニーさんは素手の格闘術だけど、伊勢先輩は着具武道だし。
――そうだね、ほんとにすごい人だ。一人なのにいろいろな格闘技を修めてて……。
……。
ん?
一人の中に、二人の人格?
――もしかして、戦う手段があるかもしれない。
――ほんと?
――いや、でも駄目だ。それを実現するには用意すべきものがあるけど、とても。
――何か思いついたか。
あ、またID不明のメッセージが割り込んできた。
――思いついたことはあるけど、到底無理だ。用意できるわけが無い。
――不可能はない。戦車でも飛行機でも用意できる。
なんだって?
ほんとにこいつは何者なんだ? そしてなぜ僕たちに協力してるんだろう。
――放課後、三階の科学室に来やがれ。部活は中止だと連絡しとけ。
メッセージが流れて、それきりこいつは沈黙する。
なんだか粗野な印象だけど、やっぱり月夜中の生徒なのかな? それとも先生の一人だろうか?
ともかく放課後である。
窓の下では生徒たちが帰りつつある。まだ日は高いはずなのに妙に薄暗く感じるのは不思議だ。放課後の物悲しさというものか。
「ゆ、幽霊とかじゃないよね」
「まさか」
不来方さんは僕の背中にしがみついてる。
「た、竹取くん幽霊とか怖くないの?」
「あれでしょ。白い服の女の人が立ってるだけとかでしょ。怖くないよ」
「チェーンソーを持った大男の幽霊だったら」
「幽霊関係なくない?」
三階には三年生の教室と、科学室に理科室、音楽室に視聴覚室などが並んでる。僕と不来方さんは廊下の突き当たりにある科学室へ。足跡が妙に甲高く聞こえる。
「あれ、鍵がかかってる」
扉にガラスがはまっていたので覗き込む。誰もいない。
「ここで待ってろってことかな」
「な、なんか怖いよ、いったん戻って……」
「こっちだ」
はっと振り向く。足音などまったく聞こえ……。
「え」
そこにいたのは、緑色のバニーガール。
しかし身長が……。120センチあるかどうか。身体は細くて手足も短く、小学生にしか見えない。体重は30キロもなさそうに見える。
髪をひっつめにして後ろで縛り、西日を受けてデコが光っている。てかてかと光る緑色のバニースーツは小さい体をタイトに包み、胸元は虹を二つ並べたようななだらかな曲線のデザイン。靴にヒールはなく、ウサ耳はへの字に折れ曲がって左右に広がっている。
「はじめまして、ご主人ども」
なんか独特の挨拶された。
「は、はじめまして……君は誰なの」
「名前か。とりあえずTだ」
「ティー?」
「アルファベットのTだ、まああんま気にすんな。伊勢穂香のことだけ考えろ」
……。
どうもこのところ謎ばかり増えていく。しかも僕の周囲だけ。
僕は理不尽に翻弄されているんだろうか?
そうじゃない。謎があるということは、解き明かすチャンスがあるということ。
不来方さんの問題は、僕と不来方さんが結婚するきっかけをくれた。謎は変化のきっかけでもある。
あまり一つ一つにこだわっても進展しないのかも知れない。謎は謎のままに受け入れる。それもまたバニー・バニーの精神。自由なる放蕩者だ。
「ご、ご主人ってことは、私たちを手伝ってくれるの?」
不来方さんが言う。
「そうだ。なんかアイデアあるんだろ。必要なもんは用意してやるから言ってみろ」
なんだか堂々としてるけど、どう見ても小学生にしか見えない、不思議な緑バニーだ。
僕はその目を見て、言った。
「最新式の宇宙服。テアドリック社製EB-TXX、いわゆるトリエックス宇宙服。パワードアシストは規格B2K、BWコンセンシブ。グレードはS2」
「!」
不来方さんが目を見張る。僕が言ったのは本当に最新式のもの。月面基地でも10着も存在しない高規格の宇宙服だ。
「わかった。いま用意したから届くまで1日待て」
「……ほんとに用意できるの?」
着る宇宙船とも言われる宇宙服。ISS時代では一着15億円。最近はだいぶ安くなって一着5億円。しかし、いま僕が言ったやつは一着80億円はするんだ。
「ケープカナベラルに在庫があった。場所を移すって名目で別のもんとすり替えて、本物を月夜町に運ぶ」
「……ありがとう」
僕はそうつぶやく。緑バニーははっと顔を上げて。目を三角につり上げて赤くなる。
「なっ、き、急に何言ってんだ、なんも出ねえぞこのやろ」
「ううん。私からもありがとう。とっても高価なものだよね。あなたが何者か分からないけど、とても頼りになる人なんだね」
「やっ、やめろ。あたしはかしづいてる方が好きなんだよ。感謝とかすんなひっぱたくぞコラァ!」
なんかめちゃくちゃな子だけど、ともかく強い味方ができた気がする。
さて、最新式の宇宙服を使って事態は解決するんだろうか。
あとは、伊勢先輩次第、なのかな……。




