第一話「偉大なるバニー・バニーのために」
にうよすまけいにきつ
僕は声に出して唱える。流れ星が打ち上がるとき、願い事を逆から言うと叶う。月夜町に伝わるおまじない。
打ち上がる流れ星というのは電磁レールガンの光。月夜山から斜め上に打ち上がる光は月に送られている物資だ。膨大な電力を消費する電磁レールガンで、物資を詰めた砲弾を打ち出している。
流れ星が打ち上がるとき、地球と宇宙の逆転が起こる。僕たちは宇宙から星を受け取るばかりでなく、与えることもできると思える。月は文通相手のように親しく、宇宙飛行士が隣人のように近く思える。
撃ち出す時間は極秘とされてるけど、マニアは計算で時間を出せる。レールガンの出力は大きく変わらないし、射出角度もまったく変わらない。砲弾の重量もグラム単位で均一なので、撃ち出す時間だけが変わる。
今夜も計算通り、午前1時16分53秒82に射出。そしてしばらくしてからごおお……という衝撃波の音が届く。地球の引力を振り切る速度で飛ぶ砲弾はやがて月へ至り、月面基地やプラントのまったくない空白地帯に落ちるのだ。
中身は金属のインゴットだろうか。それとも氷だろうか。プラスチックの素材になる樹脂かも知れない。僕は記録用のノートを閉じる。
「はあ、何度見てもいいなあ」
軌道投入用マルチキャスター「よいち」
名前は弓の名人と伝わる那須与一から来てるのだろう。月面都市の要となる施設だ。世界中の科学者はなぜかマスドライバーという言葉を使わず、かたくなにマルチキャスターと呼んでいる。何かのこだわりだろうか。
僕はまだ「よいち」の方角を見つめている。あのあたりの空気はまだ衝撃波の震えを残しているだろうか。断熱圧縮で赤熱する投射体の熱が残っているだろうか。雲には穴が空いているのか、それとも投射体をきっかけとして空気が凝結し、薄い飛行機雲を作るのだろうか。
どれほど見ても見飽きることがない。天に向かって構えられた弓。月をも射抜く伝説の武人。
ここは月夜町。この僕、竹取テルの住む町。
そして、月に一番近い町だ。
※
「はい、では今日はここまで」
三輪先生はふうと息をついて言う。先生は妊娠中でお腹がとても大きい。もうすぐ産休に入るらしいが、授業はつらくないのか少し心配になる。
僕はタブレットの電源を落として机に入れる。なぜかスリープではなくシャットダウンすること、と校則に明記してある。大昔からある校則らしい。
特別なことがない限りカバンも持たない。僕は手ぶらで一階まで降りて、昇降口から外へ。この学校にはまだ靴箱が残っている。昔はここで上履き、つまり室内用の靴に履き替えてたらしい。
そして正門へ向かう学生たちを横目に、校舎に沿ってぐるりと回り込む。
校舎裏にその建物はあった。いくつかのプリント建築が並んだ第二部室棟、メジャーではない部が集まっている。プリント建築とは3Dプリント工法で作られた建物だ。
その一つ、バイオスフィア部、ここが僕の部室。
中にはすでに人がいた。2年の伊勢穂香先輩。ショートボブの明るめの髪が特徴の美人だ。
先輩はいわゆる万能の人である。成績もトップクラスでありながら、驚異的な身体能力の持ち主なのだ。一年の運動会では100メートルの県内記録を出したとか。
そんな人がなぜバイオスフィア部にいるのか疑問に思わなくもないけど、まあこの部が一番面白いからじゃないかな。
先輩はタブレットの上でタッチペンを動かしてる。何やら数式が見えるから勉強だろうか。高校受験に備えて勉強に余念がないのだろう。僕は棚から適当なタブレットを出して座る。こうして粘土板を引き抜く様子はアレキサンドリアの図書館でも見られただろうか?
「おはようございます」
「おはよう。不来方書記は遅いわね。どうかしたのかしら」
「あれ、今日はまだですか、不来方さんの方が近いはずなんですけどね」
不来方まおは僕と同じ1年でクラスも同じ、というか一学年にはひとクラスしかない。
見ていたわけではないけど彼女のほうが教室の入り口に近いので、部にも先に来ることが多い。
ちなみに言えば伊勢先輩の教室は2階なのだが、いつも先輩のほうが早い。月夜中学はフリーカリキュラムなので二年になると自由度が高まる。伊勢先輩はすでに卒業までの大半の単位を取っているのだ。
三人そろわないと部活が初められないので、僕はとりあえず宿題を片付ける。僕のIDで宿題のファイルを開いて、かりかりと漢字の書き取り。
しばらくして、がらがらと戸が開いた。
「お、お、遅れました、すみません」
現れるのは黒髪の森。
たっぷりとウェーブのかかった艶のある黒髪。長さは腰まであって、その毛量はすさまじい。不来方さんのことを「まお」と呼ぶ人もいるけど、中国語で毛をマオと読むので、「毛」と呼びかける塩梅になってしまう。本人は気にしてないらしいが、部活では僕も伊勢先輩も彼女を苗字で呼ぶ。
度の強い丸眼鏡をかけているのと、いつも薄手のカバンを持っているのが特徴だ。カバンは体の前に抱えている。
がたがたと、机と壁の間の狭いスペースをすばやく移動し、カバンを抱えたまま自分の席に着く。
その彼女の前に伊勢先輩がタブレットを差し出す。
「不来方さん、こないだ教えてもらった本、面白かったわ。夢中になって読んじゃった」
「あ、そ、そうですか。読んでくれてありがとうございます。や、やっぱりシェルトハウンド公爵の包容力と言いますかふところの深さがたまらなくて国家と恋愛を天秤にかけるのは不道徳だと言いつつもオルネットのことを一番に思ってるのが垣間見えてその苦悩に揺れ動く描写が何度でも読んじゃう魅力あって庭園の知識とかさらっと語るのもかっこいいし義手なのに腕も立つとかそれでいて喧嘩は最後の最後までやらないのが」
すごい喋り出した。
不来方さんの趣味は恋愛小説らしく、ときどき伊勢先輩に本を貸してその感想を語り合っている。いつも不来方さんの話す時間のほうが長い。
「じゃあ朝礼しましょうか」
絶妙のタイミングで伊勢先輩が手を打つ。僕たちはがたがたと立ち上がり、片方の手のひらを前に向け、頭の上にちょこんと差し出す。
「偉大なるバニー・バニーのために」
僕たち三人の声が揃う。さほど大声でもない。全員の中央にあるものを確認し合うような言葉。
「偉大なる跳躍者のために」
「偉大なる先導者のために」
「偉大なる放蕩者のために」
「我々はその持てる力のすべてをかけて」
「人生を楽しみ」
「新しきことに取り組み」
「意義あるものを残すことを誓います」
「偉大なるバニー・バニーのために」
言葉は霊であるという。
その言葉は僕たち三人の声によって世界に現れ、互いに確認され、確固たる価値観となってこの部室を満たす。
伊勢先輩だけが両手を上げてウサギの耳に見立てている。片手でも両手でもいいのだが、僕はやはり少し恥ずかしい。
そして着席。僕たちはそれぞれタブレットを操作する。
「じゃあ昨日の続きからね。竹取くん、第二牧場の準備できた?」
「まだ牧草が育ってないんで先に内装やります」
「じゃ、じゃあ、そっちは先輩と竹取くんに任せて、わ、私は居住棟やります」
バイオスフィア2、という実験があった。
それは偉大なる実験。大いなる失敗。挑戦者たちの汗と涙の歴史。
アメリカで行われた実験であり、ある大富豪による150億円もの出資によって、広さ12700平方メートルもの閉鎖実験施設が作られた。そこには熱帯雨林から砂漠までさまざまな環境が再現され、多数の動植物が持ち込まれたのだ。完全な密閉空間において、人は完全な自給自足で生きられるのか、という実験であった。
参加者には使命があった。人類が宇宙で生活していけることを実証するという使命だ。多数の熱意ある若者と、科学者たちがこのプロジェクトに挑んだ。
だがうまくいかなかった。さまざまな経緯により、バイオスフィア2の実験は失敗という評価が下されている。
大学や研究機関によって、似たような小規模な実験はその後も行われたが、人類が月面に基地を作るまでになっても、バイオスフィア2を超える実験は行われていない。
僕たちはそれに挑んでいる。
画面の中では僕のアバターが歩き回り、内装に断熱タイルを貼り、木材を加工して牛さん用の水飲み場を作り、ときどきコンソールを操作して温度や空気組成をチェックする。そのすべては両手に抱えるほどのブロックで表現されている。
いわゆるサンドボックスゲームである。2011年に颯爽と現れた、世界で最も売れたゲームの一つ。そこから長い年月が経ち、もはや元のゲームの基礎プログラムが存在しないほど変わり続けても、この電子の砂場は人々に愛され続けている。僕たちの扱うそれは大量の拡張プログラム、いわゆるMODを入れており、可能な限り自然環境を再現できるようにしている。
この150にも及ぶMODのパッケージは市販されていて、自然環境を再現できるツールとして大学での研究対象にもなっているのだ。
そんなわけで僕たちはもくもくと建物を作り、環境を整備している。この閉鎖空間で、人類が永続的に生きていくための準備を。
「……?」
今、何か。
気配を感じたような。大地を伝わる大きなエネルギーの気配。
そしてごおおという音が。窓ガラスがぴしぴしと震える音が。
「よいち」が発射されたのだ。昼間なので投射体は見えないが、何百回も聞いたこの音は間違えようがない。飛行機や落雷の音ではない。
「ど、ど、どうしたの竹取くん」
「いま、「よいち」が射たれた……みたい」
「あら、珍しいものじゃないでしょう?」
伊勢先輩はそう言うが、僕はこれが異常事態だと分かる。
何しろ昨夜……いや、深夜1時過ぎだったからほんの14時間ほど前のことだ。僕は「よいち」が投射体を射ったのを見たのだ。
僕がそう言うと、二人は顔を見合わせる。
「確かに変ね。「よいち」は24時間50分の間隔で射たれるはず」
「そ、そ、そうですね。さ、最近はずっと夜中に射たれてましたよね」
月の南中時刻は毎日50分ぐらい遅れていく。「よいち」の射出時刻もそれに合わせてズレるが、いきなり10時間近くズレるのは考えにくい。
あるとすれば月投入軌道を再計算して、射出速度をわずかに変えて射ったのだ。
しかしそれは、ゴルフで言うなら曲がりくねった50メートル先のカップに入れるような絶妙な、平たく言うとめんどくさい計算。少しでも間違えれば月の衛星軌道に捕らわれるし、最悪の場合は月面にある施設を直撃する。
「何かあったのかな……? 月で何かトラブルがあって、緊急に物資を送った……とか」
「急病人とかかしら?」
「ああ、そうですね。医薬品とかならあり得るかも……ううん、でも月の診療所はもう創薬もできるし、大抵のものはあるはずだよなあ……というか製薬会社の研究モジュールなんかもあるし……」
僕はまだぶつぶつ言ってたが、二人はもう興味をなくしたらしい、タブレットで建設作業に戻っている。
音がまだ聞こえる。
錯覚じゃない。「よいち」のもたらす衝撃波は、人間に聞こえないレベルの重低音まで入れれば一分以上は残り続けるのだ。
その音は月夜町の全体を覆う、大きな大きな鳥の影のようにも思えた。
※
その夜。
僕は夜の町で自転車を走らせていた。リュックに双眼鏡とクッキーと、タブレットだけ入れて。
本当は「よいち」の施設まで行きたいけどそれは無理だ。月夜山を含めて半径5キロは完全に立ち入り禁止区画である。
夜の町には人の気配がない。もともと月夜町は「よいち」建設のために造られたニュータウンだけど、同じような一軒家が積み木のように並び、街路樹や街灯は規則性を乱すことがない。起伏はあるけど整然とした街並み、それは人間がデザインしていないからだという。道路の走行は数学的な最適化によってデザインされ、人による遊び心や余裕は排除されてるそうだ。
目指すは月夜公園。小高い丘の上にある公園で、「よいち」までの距離は約7キロ。「よいち」へ物資を運ぶトラックがゲートを通るところも見られるし、投射体が射たれた時は全身でその衝撃波を感じられる場所だ。
丈の高い森を通る。これは高さ20メートル近い無花粉スギの森。月夜町を「よいち」の音から守る防音林である。街灯はあるけれど、森の奥は何も見通せない。パトカーも巡回してるはずなので、自転車のライトは切ってゆっくりと進む。やがて森を抜けると、丘の上に公園が見えて。
そこに、先客が。
「よいち」の射出を見に来た観光客だろうか。確かに昔は多かったそうだけど。僕は自転車を置いて、ゆっくり近づく。
何かおかしい。
その人物はかなり背が高かった。担任の三輪先生よりも高くて170以上ある。すらりと背の高い女性だ。
髪はウェーブのかかった明るい色。銀色に近いほど脱色している。僕をゆっくりと眺めるその目は目尻が下がっており、薄く開いた口元には脱力があった。ダウナーな印象である。
街灯の光を受けてつやつやと光る服。くすんだ銀のラメ素材。足は魚網のような目の大きい網タイツ。
そして夜の空気を受け、ふらふらと揺れるウサギの耳。
バニーガール。
そんなものを見たのは生まれて初めてかも知れない。月夜町にカジノはないし、そもそもラスベガスや大阪のカジノにはいるのだろうか? 空に満月が出ているので、その銀ラメのスーツはぼんやりと浮き上がって見える。
「やあ……少年」
と、そのバニーガールは……ガールと言っていいのかな。成人女性に見えるけど。
バニーガールは長い耳を揺らして、腰に力の入ってない塩梅で立っている。
そこで気づいた。その手には楽器が握られている。丸い胴体に短いネック。ペグに相当すると思わしき木片が左右に飛び出している。なんとなく漢字の「古」を連想する、コンパクトな弦楽器だ。
「お姉さん、誰なの? この町の人?」
「魔法使いだよ」
びいん、と楽器を鳴らす。音は一度だけ僕の体を通り過ぎ、そのまま夜の奥に吸い込まれる。強制的に落ち着きが得られるような、芯の通った音だった。
「魔法……使い?」
「そう、月に憧れ、月を愛しむ。月琴の魔法使いと呼んでくれ」
そこはバニーガールの魔法使いじゃないんだ。
というわけで新しく連載を始めてみました。
そんなに長い話にはならないと思います。どうかしばらくお付き合いいただければ幸いです。