RUIN After02
「ーー観測しないと存在しないのは、居ないとの同じだ。私は見つけてしまったから、もう「ないことと一緒」なんて、できない。そうだろう■■■■ーー」
しばらく前に聞いた、怪物の言葉を思い出した。
珈琲の匂いとともに、目が覚める。
推しに会いに行くので身だしなみはきっちりしないといけない。
リビングにいくと、今日は私の推しが先に起きていた。
体にピッタリとまとわりつく、黒いスキニージーンズに黒い靴下、上半身の輪郭だけはボヤけるサイズの大きな黒い長袖のTシャツが萌え袖と化している。
真っ黒な髪の毛に、真っ黒な服で浮かび上がる白い顔は普段のままの不機嫌。ウミが蚊の鳴いたような小さい声で「おはよう」と声をかけてくれる。
病人のように青い顔とギョロリとした目で、
「顔を洗ってください」
と声をかけてきた。
昨日と打って変わってダウナー。テンションが低い。
「はいはい、ごめんなさいね、ありがとう」
失敗した。私はそそくさと顔を洗いに行く。
ウミの体調は色々あって浮き沈みが激しい。昨日は感情が暴走してオーバーヒート気味でダウンした反動か、今日は調子がいいようだ。元気がないのがウミの元気なときだ。
私の顔を見て、ウミの元気が出るなら何よりだ。
性格は不一致でも、私自身がウミの好みの顔の造詣をしている自覚はある。あいつは私の顔は好きなのだ。お互い様だけど。
私の整えた顔を見るなり仏頂面が柔らかくなっていっているが本人に言うと怒るので黙っていよう。
「今日、警察の事情聴取あるみたいだけど、VRだけで応対するの」
「それしか出来ない。僕専用のアバターの実存性を証明するのってキツイ。リアルの僕の設定は神奈川の三浦のど田舎に設定したけど、まさかアナログで確認には来ないでしょ」
淡々と無感情にソプラノボイスで違法行為の発言をウミは続ける。サンダーボルト塾の経営者兼違法不良教員は美人な顔を歪ませながらジャムたっぷりのトーストと砂糖とミルクがたっぷりのコーヒーを飲ながらいった。ひらひらとしたTシャツは差し込んでくる陽光で細く靭やかな輪郭を浮かび上がらせている。
私は蜂蜜をパンにブラックコーヒー。
「面倒だろうけど、よろしくね」
「社会システムの穴って便利だよ。どれだけ窮屈に見えても隙間だらけだ。ほどほどに潜って調べるよ」
パンを食べ終えた、まるで筋肉のない細い指先を交差させながら得意げにウミは答えた。かつての、あのときのウミとの違いがこれだ。それを察したウミは少しだけ優しい言葉で、
「大丈夫、もうあっちに溶けないようにするから。あんな深度に直接接続で潜らないよ」
私にイチゴジャムの香りの口づけをした。
仕草はイケメンなのに、可愛いの塊がするキザな動作のギャップはたまらないので私は骨抜きだ。
BGM代わりにつけていた装飾が省エネ化されたテレビのライブ放送のニュースで新たなボヤ騒ぎが流れてくる。
「あとで調べるけど、コピーキャットか本人かわかんない」
「損害賠償でも訴えるの」
「面倒くさい。時間をかけて処理して年月を消費するより、明日の利益と人生経験をラーニングするほうが重要だ。そういう処理は朱美に任せる」
「素人に何を任せるのさ」
「昨日の夜、無許可で僕の匂い吸っただろ。その分くらい働いてくれ」
「りょーかい、じゃ学校行ってくるね」
「おい、戸川、他校の生徒と夜分遅くまで飲食店で話していたって他の先生から連絡があったぞ」
放課後、帰宅しようとしたら教室のドアを開けて細面の若い担任の森村先生は面倒くさそうに声をかけてきた。
「モリソン、私の予備校火災で燃えちゃって、今後のことを同じ予備校の人と話していただけですよ。ついでに課題も済ませちゃいましたよ」
モリソン、というのは皆で適当につけたあだ名だ。本人は気に入っているようだ。
「お前は顔が目立つからな、気をつけろよ」
何かしらのハラスメントではないだろうか。
私の訝しんだ顔を察したのか、
「I’ts a beautiful dayだよ、青春を楽しめよ」
「サンキューモリソン、バイバイ」
小洒落た英語を混ぜて私にそんな事をいった。
授業が終わったのでさっさと駅周辺をブラブラとする。
「何人いるんだか」
駅を利用する客、家族連れに、観光客、サラリーマンとごった返している。
地下街も表も人は一杯。アナログな肉眼という手段でタバコを持っているような同世代なんて見当たらないし、いたとしても何人もいる。
咎めようにも教師の数も警察の数も足りないし、人波にすぐに消えていく。
モリソンも回っているらしいけど見たことはない。
駅裏の広場の警固公園のベンチに座る。
公園のハズレには近代建築から取り残さたような神社がある。
すぐ横の敷地にも神社があるのに2つも近くにある理屈はいまいちわからない。神様が違うのだろう。
商業ビルの隙間に夕日が消えていく途中、携帯端末にウミからの通知。
ボヤの捜査は警察のサーバーと街中の監視カメラをハックしても個人特定は出来なかった「らしい」。
「じゃあカメラのない場所があるってことか」
首を左右に振り回して、新天町商店街の方に向かうと閉鎖と書かれた目立たない古い物件。
足を少し踏み入れると「侵入禁止」の文字、営業はしていない
携帯端末で調べるとかつてライブハウスだったようだ。
次の塾の物件の候補としてブックマークをつけようとすると階段の下から人の声。
こっそりと足音を立てないようにして覗くと、男子学生が二人、布を蹴り飛ばしている。
その布から血が出たのを見て、私はその場で同じ学校の学生二人の顎と鼻を蹴り飛ばした。
「おい、きさんら、なんしよんわかっとーとや。動画は撮ってるけんな」
私は端末で動画を再生しながら声を張りあげる。
推定ホームレスを暴行する奴を無視できるほど私は人間ができていない。
男子学生は悪態をつくこともなく早々にさっていく。
自分たちが同じ学校の生徒にチクられることに戦々恐々としているのだろう。進学校なのにこういう間抜けなストレス発散行為をした二人は私が学校に報告することでの大学への調査書への記入に震える日を過ごすだろう。報告はするけど。
解けた布から外国人がカタコトの日本語で礼を言った。
「ア、ありがトウゴザィます」
「いいってことよ」
やや異臭のする彼を見る。
思ったより小さい……たった今歯が欠けた子供だった。
手に残る柔らかい肉を二回殴った奥にある骨に当たった痛みが、いまさら浸透してきてズキズキと痛んできた。
手の痛みが治るまで休もう、と警個公園のベンチに座る。
すると、心地よい芳ばしい香り。
既視感。
横を見ると顔にアザのある同い年くらいの茶髪のボブカット。ニナやエリと同じ県立のブレザーの女子高生。
二人とはまるで違う、何処かやる気のない気だるげな小柄な女子高生。
首からぶら下げた古いシールだらけのミラーレスカメラを手で持っていた。
「あ、気づかれた」
そういって彼女は呼吸するような腰のラインまでカメラを下ろして私を勝手に撮影した、らしい。シャッター音は聞こえなかった。
「誰だか知らないけど、私の肖像権ってどうなっているんですかね」
さっきの自分は忘れてつい言っちゃう。
「街中のスナップショットなんだけど、許可OKならSNSに載せるし、キラキラにエモく撮れたし」
ブレザーの彼女は悪びれることなく答える。
「勘弁してちょうだい。私はそういう対象になりたくないんだ」
そっかー、残念といいながら私の前で写真を消そうとして、
「おねーさん、これプライベートコレクションでとっておいてもいいですかね。美人だし」
まるで感情はこもっていない作業的な声で、もの寂しく唇を尖らせながら、私の疲れ切った表情が映った姿をカメラのモニターでプレビューしながら聞いてきた。個人的にこのやりきれない表情を美人と評されて気分は良くない。
「ダメです、ここで消しなさい」
ちぇーっと口で露骨な不満を出しながら私の顔は液晶から消える。
「でもさあ、死んだらもうどうでもいいんじゃないのー、どうせ、いつか私もおねーさんも消えるんだしさー」
カメラを手放して首を回しながら手をひらひらと余ったブレザーの袖で別れを告げようとされて、
「ちょっと待った。聞きたいことあるんだけど」
面倒くさそうな顔をしたあと、にっと笑って私をまた撮影する。
「いいですよ、私のコレクションになってくれるなら」
少しだけ甘く感じるような、心地よい煙の後の残る香りを口から吐き出した彼女は冷たい手で私の手を弱々しく握ってきた。
暴力で熱を持った手が、一気に冷えた。
ベンチで彼女にホットの缶コーヒーをおごり、私は冷たいスポーツドリンクを口にする。
「おねーさん、セーギの味方で格好いいから撮っちゃった」
マミと名乗った県立校の彼女はこの前の二人と同じ学校の学生。ひとつ下の高校一年といったが名前も含めてこの場だけの嘘かもね、と思いながら話をする。
「なんのことだか」
「さっき、移民の子ども助けていたじゃん」
カメラの画面で鮮明な動画が再生される。
「まさか、それも撮影しているから脅すとか」
他人の調査書での恐喝より自分の前科がつくそうでヒヤッとする。
「それができなかったから記念に撮ったんだよ、漫画の主役みたいだった」
「別に正義の味方じゃないよ、私」
正義とは遠い場所にいる気がする、という言葉は飲み込む。
「ふーん」
マミは痛むのか、顔のあざをゴシゴシと撫でながらポケットから自家製と思われる派手なペイントで装飾されシガレットケースからタバコを出した。ライターは逆にシンプルで細身な洒落たデザインだ。大袈裟な火がぼっと付く。
黄昏時に熱を持った赤い残光が目に残る。
煌くシガレットケースには赤い筆でNo One Lives Foreverと書かれている。
「健康問題とか個人の主義に別に文句を言える立場じゃないけどさ、駅前だから何処の学校の先生も巡回しているかもだから見つからないほうがいいよ」
「……別に見つかってもいいよ。誰も私を見ていないから平気。怒る人もいないし」
退屈そうな顔で、淡々と答えて、普通のタバコとは違う甘い香りがする茶色いシガレットを彼女は吸っていた。
口元に輝く紺色と金色の装飾。
「ねえ、正義の味方さん、もし、私が困っていたらさっきの子みたいに助けてくれる。タバコ吸うような悪い子だけど」
会ったばかりではあるけど、マミの顔は淡々と答え難いことを訊いてくる。
「正義の味方じゃないけど、出来る範囲なら」
そう、出来る範囲しかできない。
「そっか、いい子じゃなくても助けてくれるなら正義の味方よりいいかもね」
音声通話の出来るアプリで連絡先を交換する。
マミのプロフィールも表示されるが適当なプロフだ。
「じゃあさ、透明人間が助けを呼んでも来てちょうだいね」
咥えタバコのまま、マミは立ち去ろうとして、
「あ、こっち私の写真集。もしこのコレクションに入りたいなら連絡よろしくね」
写真専用SNSのアドレスを出してきたのでアカウントの連絡先を交換した。
「そしてお前は僕の事務所を燃やした可能性のある放火犯かもしれない女と別れたのかよ」
監視カメラに写っていた写真と同じ茶色いタバコだと改めて印刷された写真を見て既視感の正体がわかり、また私は正座をしていた。
「はい、私はお馬鹿さんです」
「その自己紹介には飽きたよ」
風呂上がりの重力に負けたストレートの黒髪を艶やかに流しながら光のない黒いジト目でウミは私の端末をいじくり回しながらマミのアカウントの写真の位置情報などを片っ端からハックしていった。
「わお、ストーカーもびっくりだね」
「位置情報を写真とセットで乗せるバカが悪い。あとほら、ここに集中的にいるからこれが自宅なんだろ」
特定された地図をアプリでサクッと出てきた場所は学生が中心で住んでいるアパートだ。
透明感の高い独特な写真をマミはネット上に上げていた。
アルバムのタイトルは「Have A Cigar」
雨の中、反射するビルの光、喫茶店と思わしき窓から見えるコントラストの強い光指す雑踏、顔のない首から下しか写っていない水たまりに反射する人々の足、同世代と思われる女子の笑顔の口から下。砕けたガラスのきらめきがダイアモンドのように輝いている写真、壊れた古いパソコンの割れた液晶に映る人々……そして削除されたはずの私の首からのショット。背景は夜に変わる前の黄昏時に、華やかなライトアップで丸いボケが覆い、光の中に立つ私。
「削除していないじゃん」
映える写真というより映画のワンシーンを思わせるショットが多い。
それらに混じって先程のシガーケースの(No One Lives Forever)といっしょにタバコが映る。
「よく撮れているじゃないか、顔がないのが残念だけど」
私と瞬時に判断してウミは画像を保存していた。
「へえ、平和を燃やすってなかなかの冗談だな」
なんのことかと思えばタバコの銘柄が平和、という意味だ。
ニヒリズムに満ちた皮肉屋の姿勢でほろ苦い笑顔でウミは言葉を紡いだが私はその平和を燃やすという表現は自分の過去を振り返るとうなづくことも否定することも出来なかった。
「でもマミがやったって確定していないじゃん」
「まあね」
寝る前に端末の通知がついたのでチェックする。
警固公園の近くの、私があの男子学生を倒したところでボヤ騒ぎとの地方ニュースが入ってきた。