RUIN After06
「作品ですらないな、これ」
朝食を食べながらメインのパソコンの画面を開き、開口一番に声を出す。
自称芸術の審美は持ち合わせないウミは怪訝な顔をしている。
「マミの写真には見えないんだよね。連絡も取れないし、誰かがここを撮影したのかな」
「見えない、というより感じない、が正解だな。場所がわかりやすく特定できて、なおかつシンプルすぎる。売りたい、という意欲がある住宅物件の紹介のほうが魅力的に撮影する。マミの写真の光のゆらぎとかパターン化しきれない人間の唯美主義的視点のものからこの写真は外れすぎている」
画面を開きながら、つまらなそうな顔をしている。
「だが、マミのアップした可能性は捨てきれない。どちらにしろアイツのアルバムにアップされているってことはマミの端末を使っているってことだからね」
放火された家の資料を警察と消防の情報から検索と内部情報までハッキングして公的な書類が違法な手段で複数あるモニターの一つずつにバラバラと開示されていく。
「相変わらず早いね」
「何が早いもんか。僕が事前に止めるべきことだったのに被害が出たんだぞ。今回はたまたま人的被害がないだけだ。この家族が無辜の民なら怒るべき事象だろう」
アタリマエのことをいわれて改めて酷い犯罪行為だと考える。
「被害者の地域は街から少し離れた中古物件をリホームした一般家庭。被害者家族宮地家の構成は夫ヨウジ、妻ハル、長女エリ、次女ジュンコ、長男カズヤ……おい、このエリってやつ、ウチのサンダの生徒じゃないか」
塾に登録されている履歴書と全てが合致する。ゴスロリ趣味が写っていないフツーのすました顔をした宮地エリの書類上の写真が出てくる。
ドロリとした嫌な汗が出る。データ上は無事だし入院もない。
だけど、サンダ程度でしか繋がりのない私は次に彼女にあったとき、どう声をかければよいのだろう。
「なあ、多分次のサンダの講習、多分来るだろう。無理に聞き出す必要もないが朱美が目撃談とか聞き出すとか……まあその様子だとしんどいか」
「ど、どうすればいいかな」
「……僕にそういうことを聞かないほうが良いよ。適切な回答は人類の最大公約数の中の適切なものを導き出せるけどそれは一般的概念だ。社会では正解でも個人では正解じゃない。朱美がどれだけしんどくても僕から自立した人間なんだからスタンドアロンで回答を導き出すべきだ」
「生きるって面倒くさいね」
「そうだね、だから楽しい」
コーヒーはすっかり冷めてしまった。
ごまかすように砂糖を足して飲み切る。
学校に出かけようとするとウミが声を上げる。
「流石に実地見聞はしたいから僕は出かけるぞ。内部のスケジュールを見るとこれから最初の見聞のようだし。家族は軽い事情聴取」
ひらひらと刑事課の橋本巡査の名刺を出す。
「刑事が身内にいるから出来る特権は利用しないとな」
ウミをみる。あまりにも体力がなくまともに歩けず、補助装具の人口義肢の腕を装備することもままある。現場まで歩いていけるだろうか、という不安。
「大丈夫なの」
きょとんとした顔で二秒ほどウミは停止して、
「チューしてくれたら元気出るし、頑張る。僕以外の他の女のために頑張るんだから僕が好きだって証明してみせろ」
許可が出たので有無を言わさず、私はウミの柔らかな顔を両手で壊れないように掴んで唇を重ねてキスの感触を味わった。
手から伝わる冷たい表面の薄皮の奥に感じる生命の暖かさが伝わる感触、柔らかな暖かさと脈打つ赤い血液のリズム、子どもみたいな匂いと薬品が混じったような体臭に、ウミの呼吸がかすかに漏れるとき、コーヒーの香りが伝わる。薄い唇の感触の先に形の良い歯並びの感触まで瞬間で味見をしてすぐ離れる。
一秒以下のキス、舌を入れるのは我慢した。
体にはそれ以上触れない。
「よし、私は元気が出た。エリにあったら私なりに励ますし、ウミは怪我をしない程度に気をつけるんだよ」
と、声をかけたがウミは普段血の気がまったくないような白い顔を真っ赤に染めて一時停止していた。
木材などが焼けたキナ臭さやプラスチックや食材が焼けた複雑な香りは、警察車両から降りたばかりの橋本巡査の端正な顔を歪めた。
橋本ケンジ巡査は刑事課に所属している。自分が生まれ育った街に愛着があり、その秩序を著しく乱すものを公的かつ自分の良心を信じて実地できる仕事は何かと考えた結果、自分の親と同じ仕事についてしまった。
明朗快活、社会規定のギリギリの揺れ幅を逸脱した人間を法的に肉体を駆使して処理をするも、彼らからは恨まれることはあるだろうし自分の落ち度を多少は気にするほどの善良な感性は持ち合わせている。
幼少期からの武術道場に通った必要以上に鍛え込まれた肉体はスーツを着た優男に見える体躯ではあっても、すらりとしたモデルのような印象を周囲に与える。
二十代中盤の彼は解決困難事件を外部協力者とともに、事件解決をしてしまい、社会性と客観的評価は彼個人の成績となった。
それは自分の身の丈にあわないものだと理解しているし、そこまで自分は有能ではないという自己評価で活動している。
外部協力者に対して常に複雑な心境でむっと口を噤み、余計なことを言わないように無口になる。
その態度が周囲の勘違いで真面目に困難な事件を解決し、有能であり余計なことに口は出さないが正義感のある遊びの少ない昭和の刑事のようだと揶揄られることになる。しかし、二十代の男らしく少年っぽさはありつつも夜に気楽に居酒屋に行って栄養のつくものを食べて中洲で発散したいという肉体的欲求はある。それを自分自身が許さず自己の能力不足に対しての不機嫌と欲求不満もあいまって侍のような印象がより強くなっていった。
鑑識などに現場を任せ、適当に写真を撮れば事件現場の報告なんてのは大学のレポートの簡易なものの延長だと思いながらメモを取る。
馴染みの鑑識がいくつかの証拠品を持って挨拶に来る。
「ご苦労さん、今回も同じか」
「ええ、ですが多分、今回も唾液も何も出ませんよ、これ。吸った形跡もないですから。それに燃えてもいないのでそのままですよ」
「火元は違うけどそいつを毎度置いていくのが他の火災や放火と違う点だな」
PEACEと書かれたタバコの吸い殻。それを端末で撮影する。
そして写真がメインのSNSを開く。
そこにはマミの撮ったアルバムの写真ーー今回の事件を「たまたま」同じように調査していた外部協力者が持ってきた資料と照らし合わせながら写真が取られたと思わしく場所に立って写真を撮ろうとする。
「40ミリ」
ぼそり、と機械の応答のような声が後ろからした。
「おはようございます、橋本巡査」
花が咲いたような一文字一文字の発音に、しっとりとした艶めいた演技のような少女の声が彼の耳をつく。その毎度の外部協力者の聞き慣れた声が。
気配もなく、幽霊のようにそこに立っていた。
華奢で筋肉が削げ落ちているような細い体は栄養失調のようにも見える。深い紺のジーンズに無地の黒い長袖のシャツは狭い肩幅もあって袖が余ったようにだらんとしている。指先は薄く黒い素材の手袋で覆われている。少女らしい香りより病院から出たばかりの薬品の香りが鼻につく、不健康というより病人そのものに見える。
首回りを隠すようにスカーフが巻かれ、不自然なほど白い肌は顔の部分だけのその不気味で病的な少女、ウミもまた橋本巡査と同じく撮影したと思われる地点に立っていた。
「ウミ君か。もう車椅子じゃなくていいのかい」
橋本は一瞬感じた幽霊みたいな不気味さは慣れたもので表面に出すことはなく挨拶をする。仕事柄も含めて改めて観察するとこれでも数ヶ月前より随分とウミに肉がついたものだと感心してみていた。
「いえ、まだリハビリ中です。なかなか筋肉が成長しなくて立って歩ける距離もわずかですよ」
橋本にとっては昔から聞き慣れたような調子で話しかけてくる。
つい、っと脇に抱えた日傘兼杖でウミは路上の車椅子を指した。
「おお、頑張れよ。復学すれば家族も喜ぶだろう」
「どうでしょうかね、外から見ると突然狐憑きにあって病気になったようにしか見えないと思いますけど」
綺羅びやかに見える黒い瞳は橋本が昔から慣れ親しんだ好奇心旺盛な少女らしかった瞳ではなく、自分と同業のような隅々まで観察して分析していく冷徹な視野を感じられるものだ。
「巡査、そちらの方は」
訝しんだ婦警が訪ねてくる。
「ああ、戸川巡査部長の妹さんだよ。俺の昔から知り合いなんだ。話はすぐ終わるから外してくれ」
「はい」
婦警が去るなり、
「僕が渡した資料は全部読んだんですよね」
お嬢さんのような演技はなくなり、昔とは違う機械のような声でウミは外向きの喋り方を捨てた。
「俄かには信じられなかったが今の惨状を見て完全に信じたレベルだよ」
「写真がアップロードされた瞬間に場所を特定して先回りして監視すれば犯罪は未然に防げんじゃないですか」
「その点は本当にあやまるしかない」
「それは僕じゃなくて本当はあの家の住人にいうべきじゃないのか」
いつになく感情的に聞こえたその声に反論できずウミの顔を見ると涙をにじませていた。
「そうだな、この写真のアップロード順に推定放火がされているから常にチェックする。次は未然に防ぐ」
「ありがとうございます、何もかも僕の分析が足りないことが原因だ。職務を全うしている橋本さんを攻めるべきではなかった」
「いや構わないよ、俺の職務怠慢と言われても仕方ない」
「ところで橋本さん、笠木マミっていう県立校の女生徒の足取りは掴めましたか」
「彼女の経歴は君に言われたとおり調べた。資料はもう送ってあるが現在、というかあまり良くないな。昨日は学校に来ていたそうだが、今日は来ていない。足取りは不明のままだ」
「彼女自身が放火している犯人と面識があるかどうか、僕はまだつかめていないよ」
「こっちも実行犯はまるで掴めていない。監視カメラに映らないよう、用心深いやつだが、表に出していない共通点はあるんだよ」
「例のマミと同じ銘柄のタバコのことですか」
そこまで知っているか、と橋本は端末で証拠の写真を表示する。
ウミは淡々と続ける。
「客観的に見るとマミが犯人に思われても仕方ない状況ですが、彼女を陥れようとしているのか違う思考で行動しているか最初は判別はつかなかった。だけど構造がわからないけど理屈が通っている奇妙な出来事があるんだ。それが犯人の行動原理だとは思っている。そこにたどり着くために今日はここに来た」
「その構造ってのはいまの俺に話せることなのかい」
「荒唐無稽なんだけど、多分犯人は僕の復活の構造を探している。それを再現したいように感じる。」
「なんだそりゃ。君の再現とかもう無理だろ」
「それはそうなんだけど、多分犯人は僕のプロセスを知らずにそういうことを自分が再現出来るという錯覚を一年前に得たんだと思う。だからこれは再現のための科学的な実験の繰り返しに感じたんだ。そのタバコもその再現のための儀式の一環だよ」
「……儀式」
「どこかでおかしくなったんだろう。推定犯人は一年前にあの火災と僕をどこかで見て、マミの写真に映る僕を比較して共通項を探している。そして僕が今日ここに入るのはもし犯人がいまの僕を見たら反応してくるんじゃないかっていう淡い期待もあったんだよ」
体をほぐすような動作で橋本は自然と周囲を軽く見回すが近所を事情調査する婦警と同僚と鑑識と少しの野次馬ーー通勤時間なので特に団体として固まることなく皆ちらりと見て駅に向かう程度で挙動不審な人物は見当たらない。
「一年前のことは普通じゃないが君は一応身分は普通の学生だ。長期療養中のね。だから危害を加えようとする不審者がいれば依頼されれば公僕かつ友人の妹として君は守るが自分から被害になりそうな人間を俺は守ろれないぞ」
「それは確かに。自分がきっかけでこんな馬鹿げた行為をするやつがいるかもしれないなんて思ったから今日は来たんですよ。反省します」
少年のような業務的口調から柔らかい今のウミの素の声で橋本に礼をいう。
「橋本さん、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい」
「僕にはよくわからないんだけど、青春のキラメキって後ろめたさがあると窒息するような苦しさになるのかな」
橋本はてっきり事件のことを聞かれると思ったが予想外すぎて拍子抜けするも、
「キラメキの定義次第だが刹那的快楽を多少は冒険して享受できるのは若い人間の特権だろう。俺みたいな仕事ばっかしているやつでも窒息しそうになっているよ、いつも。君の苦労なんて想像はできないが君は君の人生を楽しむことは必要だと思うぞ。一日は長いが、人生は思ったより短い」
自分に言い聞かせるように橋本は誠実に答えた。
「まるでオジサンみたいな物言いですね」
「オジサンになっている途中だからな。時間は戻らないよ。そろそろ戸川巡査部長が来るけど挨拶は良いのかい」
ウミは首を左右に振り、
「その兄さんが求めているのは、この僕じゃないから会わないでおくよ」
「ウミくんとは昔からの付き合いだし戸川とは幼馴染だからあえていうが、はやいところ解消したほうが良いと思うぞ。俺からも仲良くなるよう促しておくよ」
「ありがとうございます。兄さんは近々、朱美姉さんといっしょに顔を出すと伝えてください。失礼します」
ウミは車椅子までもどり現場を去っていった。




