第八章
第八章
恋とは未曽有の体験ではないか?
死に瀕して初めて、それを知った。
この閉ざされた病室の片隅で、生まれて初めて誰かに触れられたいと、心から願った。それは、必ずしも肉体的な意味ではなかった。精神の触れ合いでも、かまわなかった。触れ合うことで、「生」への実感が湧くのではないかと、そう思った。
にしても、なぜ人間は異性を求めるのだろう。
なぜ恋をするのか。
動物の牡が牝を求めるのと、どこが違うというのだろう。
……そんなことは、どうでもよかった。
恋の海に、どっぷりと浸かって、溺れてみたい。酸素を求めて必死にもがく、この苦しむ姿があるだけだった。これが生への執着ではなかったか。
ただ、それだけのことだった。
月曜日の朝、講師の来るのが待ち遠しかった。
高校の復習を終えて、学習は新しい領域に入っていった。時間の制約から、主に数学と英語を学んでいた。
講師は、「百週しろ」と言って、英単語帳を渡してくれた。
「英単語は覚えるのではなく、出会いだ。どれだけその単語と出会うか、だ」
真新しい英単語帳を横に置いて、数学の学習に取り掛かった。その学習が終って、教科書を片づけようとしたとき、質問をした。
「男子高校生が自殺したのは、受験の苦しみと言われてましたよね。この事についてどう思います? ある噂から恋愛による自殺だと思ったんですけど」
「分からないね。本人でもないし、関係者でもないからね。でも、自殺についてはある説がある」
講師は真剣な眼差しになった。
「君はもう大人と言ってもいい年齢になったから、その説を教えてあげよう。自殺には三つのパターンがあるんだ」
深くため息をついた講師の姿には、まだ迷いのようなものが見られた。人生の深淵を覗き込めるような衝動に胸が躍った。それは他人の秘密に触れるようなひそかな快楽だった。
「一つ目は、首つり自殺だ。これで死ぬ人は実生活での苦しみから逃れようとする人が多い。借金苦とかがそうだ。会社が倒産すると首つり自殺が多いんだ。二つ目は焼身自殺だ。これは社会に何かを訴えようとしている人が多い。一九六九年にフランスの女性フランシーヌ・ルコントが、ベトナム戦争などで抗議してパリで焼身自殺した」
なぜそんな事件まで、この講師が知っているのか、それが不思議で驚きだった。博識という言葉では片付けられないものを感じさせられた。
「最後に君の知りたい自殺だけど、入水自殺は、自分を美化するところがあるんだ。特徴は失恋による自殺が多いんだ。入水自殺とは、一種の儀式だ。水は浄化と再生の象徴であり、その死に方は美学でもあるんだ」
「美しい死に方を求めているという事ですか?」
「藤村操という人は旧制一校が開校以来、最も優秀と言われた人だった。一九〇三年、その人はミズナラの樹肌を削って『巌頭之感』という遺書を書いて華厳の滝から飛び降りた。真相は唯だ一言にして悉す、曰く『不可解』という言葉が有名だ。『人生とは不可解』という事だ」
「その人も美しい死に方を求めたのですか?」
「長いあいだ、その真相はなぞだった。でも失恋した手紙が見つかった。考えてみろよ。滝の上の樹木を削って遺書を書くなんて、美学以外の何物でもない」
「僕は、男子高校生が自殺したのは、死ぬためではなく、海と一体化するためで、結果、誤って死んだような気がするんです」
冬の冷たい海に入れば死は免れないと熟知していても、なぜか飛び込んでみたいという衝動に駆られたのではないかと想像した。まるで海の中に溶けてみたい、という衝動だった。
「その考えは不謹慎だけど面白いね。でも他人には言わない事だ。でも美学を求めて死んだようなところがあるね。さっきの自殺の三パターンはそういう説もあったという事だ。本気にするな。ところで恋をしてるな」
人を洞察することに長けている講師に見破られたと後悔した。
「詮索しないよ。恋も生きる原動力になる」
講師は勘違いをしていると思った。恋は「生きる原動力」ではなかった。
奈緒が帰って、独りになると、ときどき勉強が手につかなくなった。それは淋しさとは少し違った。奈緒がそばにいて、本のページを静かにめくっている音が聞こえると、会話はなくとも、部屋に「時間」が満ちているようで安心できた。鉛筆を持つ手に力が入り、頭も冴えてくる。
七時を過ぎ、彼女が「また明日ね」と手を振って扉を閉じると、病室の空気は途端に弛み、微かな残り香のように彼女の存在だけが空間に滞った。
そして、その余韻が静かに薄れていくにつれ、心臓の奥深く、まるで生きる意志の根が張る場所に、ひやりとした風がすうっと吹き込むような感覚があった。
それは寒さというより、魂の温度がひと目盛り、落ちたかのような錯覚だった。寒くはないのに、なぜか背筋に氷でも入れられたのではないか、という冷え込みを感じて、さらに服も着込んでみるという感覚に似ていた。そういう時は、ノートを閉じて、ベッドに横たわった。
天井を見つめている、いや、仰向けになっているだけで、視界の先に天井があるだけだった。白くぼんやりと、病室の光が照り返しているのがわかる。
奈緒の読んでいた文庫の、ページの音がまだ耳に残っていた。
無菌室の天井は、清潔というより、過剰なまでの純白だった。まるで毎朝、執拗にアルコールで磨き上げられたかのようで、蛍光灯の光さえ、そこでは怯えたように薄黄色に変色していた。
天井を見ていたのではなかった。
天井のその白さを、彼女を映し出す祭壇にして、そこに遙香の面影を幻灯のように投影した。その笑み、肩の動き、視線の揺れまで、寸分違わずなぞっていく。それは、神に憑かれた彫刻師が、まだ石の中に眠る聖母マリアを一心に掘り出していく作業だった。白天井に遙香はすでに存在しており、彫刻師はそれを掘り出すだけの作業だった。
決して楽しんでいたのではない。苦しんでいたのだ。
天井に浮かんだ遙香の像は、やがて白無垢に包まれ、見知らぬ男の腕に抱かれた。指先が触れるたびに、彼女の内奥にあるはずのものが、ひとつひとつ汚されていく。そんな情景が、まるで呪いのように、脳裏から離れなかった。
この呪縛から解き放たれたいと、幾度となく念じた。雑誌の活字を追ってみたり、単語帳を眺めてみたり、あるいは病室の窓にかかるカーテンの縫い目を意味もなく、目でなぞってみたりもした。
だが、そうした行為はすべて、心という海に投げ入れられた小石のようなもので、表層にかすかな波紋を残すのみで、深奥に潜む幻像までは届かなかった。
気がつけば、またあの白天井に視線が吸い寄せられ、ふとした拍子に、遙香の頬の線や、指の動きが、煙のように浮かび上がっていた。
それは意志の力ではどうにもならぬ「回帰」だった。まるで魂が、彼女の公転に組み込まれているかのようだった。
忘れようとするほどに、記憶は鮮明になり、遠ざけようとするほど、輪郭はくっきりと浮かび上がった。かといって、思い出そうとして注視すると、聖母マリアはその輪郭を見せようとしなかった。姿そのものが模糊として捉えどころがなくなった。
そしてまた、あの冷たい風が、心臓の奥に吹き込むのだった。生きているということが、たまらなく侘びしく、そして同時に、奇跡のようにも思えた。