9話:そうだ、思いついたわ!
アトラスはお酒の到着を待たず、寝室へ向かってしまう。
せっかく入浴したのに、汗がぶわっと噴き出てしまった。
だが結婚しているのだ、私達は。
それに跡継ぎを作るための営みは、これが初めてではない。そもそも二日後には、その予定を入れていた。よって今、こんなに緊張する必要はない。
それなのに緊張するのは……予定外だからだ。
まったく想定していなかったのに、突然お誘いが来たから……。
大丈夫。いつも通りにすればいい。
そう言い聞かせ、私も寝室へ向かう。
うっ、もうベッドに腰かけている。
おずおずとベッドへ向かい、少し距離を置き、腰を下ろす。
なぜ、こんなに緊張するのだろう……。
「父上や母上の前では、聞きづらいこともある。……セレナも話しにくいことだと思う。だから訪ねたというのもある」
「……?」
「誘拐犯は男だったと聞いている。しかも複数。……大丈夫だったか?」
これはもしかして誘拐犯から乱暴をされていないかを、確認しているのでは!?
そうだ、そうなのだわ。
「何も、何もありませんでした。常にそばにリサもいたので、指一本触れられていません」
「そうか。何事もなく、よかった」
それは本当に微妙な表情の変化だったが、安堵の色をアトラスに感じた。
「もしものことがあっても、君と僕は夫婦だ。そのことが理由で、僕の気持ちが変化することはない。むしろセレナ、君をそんな目に遭わせたことを申し訳なく思うだけだ。だから何も心配しないでいい」
「……!」
やはりアトラスは木漏れ日のように優しく、私のそばに、不動でいてくれる気がする。
何が、何がきっかけで、この大樹のように落ち着いているアトラスが、占い師が言うように豹変してしまうのだろう!?
「ではいいか?」
「えっ」と言いそうになり、それは呑み込む。
そのために寝室にいるのだ。
「は、はいっ」
思わず声が上ずってしまう。
だがそんなことを気にすることなく、アトラスは私をベッドに横たえた。
◇
「おはようございます、若奥様! 朝食のお時間ですよ!」
リサが寝室に来て、カーテンを開ける。
その眩しさに、私は目が開けられない。
「若奥様、寝間着を着ないで休まれたのですか!?」
「そうね……」
昨晩。
いつも一度で終わるのに。
アトラスは……三度も私を抱いたのだ。
それは初めてのことで、驚いた。
しかし。
三度抱かれたわけだが、その行為そのものは、いつも通り。
跡継ぎを作るため、淡々と役割をこなしている……そんな感じだ。
それでも一晩で三回も!
それは私から寝間着を着る体力を奪い、爆睡へと誘うには、十分だったと思う。
「若奥様。バスローブを用意したので、こちらを着てください。顔を洗い、身支度を整えましょう」
リサはメイドを呼び、準備を進めてくれる。
私は顔を自力で洗った後は、されるがままになっていた。
そこでふと考えてしまう。
アトラスが昨晩、三度も私を抱いたということは。
そちらの欲求が高まっている……?
うーん。
でも三回とも、いつもと同じで淡々としていた。
そうなると欲求のせいではないだろう。
ならば……。
跡継ぎが欲しい気持ちが高まっている。
これが正解に思えた。
スカイ伯爵夫妻は、私にプレッシャーをかけることはない。
だが自身の息子であるアトラスに対しては「ちゃんと励んでいるのか?」と尋ねた可能性はゼロではなかった。それにアトラス自身、こう考えているのかもしれない。後継者教育は、早い段階でできるならば、それに越したことはないと。
きっとこれが正解。
だから二日後だったのに、昨晩訪ねて来たのだろう。
つまり夫婦の営みを増やし、跡継ぎに一日でも早く恵まれたいと思っている。
ならば……。
跡継ぎを作るための営みに対し「NO」を突き付けたら、それこそ逆鱗に触れるのではないか。つまり拒否したら、「そんな悪妻いらない。これでは跡継ぎも期待できない。離婚しよう」となるのでは?
そうだ。二日後、NOを突き付けよう。
思いがけず、悪妻になるための作戦=悪妻化計画の完璧プランを思いつくことができた。
目の前の大きな課題の解決策が見つかり、気持ちが軽くなる。
朝食もウキウキでとることができた。
そんな私を見て、スカイ伯爵夫妻は、喜んでくれた。私が誘拐事件をもろともせず、元気でいることに。一方のアトラスは……相変わらずポーカーフェイスなので、分からない。だが、多分安堵はしてくれていると思う。何せ昨晩はいろいろ心配してくれたのだから。
そう。
アトラスは私をとても気遣ってくれた。
それなのに私は、離婚のための算段を立てている。
そう思うといろいろ湧き上るが、それは一旦忘れよう。
生存こそが最重要課題。
朝食を終えると自室に戻り、すべきことに取り組む。
昨晩のレーシング家の五人兄弟との約束がある。
まずは知り合いの不動産屋に手紙を書き、パン屋に相応しい物件を探すよう依頼を出す。次に五人兄弟と話す傍ら耳にした領民の悩み、橋の修繕や教会の鐘に住みつく鳩の駆除について書簡にまとめる。
リサにレーシング家の五人兄弟が滞在する宿へ、手紙とお金を届けるようお願いした。まとまったお金を持たせるので、リサの護衛には、ダビーについてもらえばいいだろう。そして書簡は、クルース補佐官に届けてもらう。
そんな感じでレーシング家の五人兄弟が、パン屋を開業できるようサポートを行っていると、あっという間にその日になる。
その日。
すなわち跡継ぎ作りの営みが予定されている日であり、私が悪妻化計画第五弾を決行する日でもあった。
夜になり、夕食を終えると入浴を行い、そしてアトラスが部屋にやって来る。
前回で同じで「では」で寝室へ向かい、お互いベッドで腰を下ろしたタイミングで私は告げることになる。
「それではいいか」
「お断りします」
「……そうか。気分が乗らない日もあるだろう。無理はするな」
さすが木漏れ日のようなアトラス!
そんなあっさり引き下がるなんて!
跡継ぎが欲しくて仕方ないはずなのに!
つい、彼を賛歌する気持ちになるが、私の人生がかかっている。
刺殺される未来を回避するのだ。
よって慌てて付け加える。
「そ、そうではなく! お断りは金輪際ずっと、です!」
「金輪際ずっと!?」