2話:もう一つの顔
どうやったら妊娠しやすいのか。
その手の情報は公にはされていない。
秘め事であり、貴族が口の端に乗せるような話題ではないからだ。
代わりにそう言った情報が集まるのは、娼婦街。
ということで一時はその情報を集めるため、お忍びで娼婦街近くの居酒屋に足を運んでいたが、今は違う。
領民たちの抱える不満や困りごとを知る。
そのために定期的にお忍びで、私は侍女のリサと護衛騎士のダビーと共に、町の居酒屋に足を運んでいた。
町の女として馴染むために、私はスモークブルーのワンピースを着ている。侍女のリサはくすんだオレンジ色のワンピース。護衛騎士のダビーは商人に見えるような白シャツにオリーブ色のチュニックとズボンを重ね着している。
そしていつものように居酒屋へやって来た。
「よう、ダビーの旦那、今日もビールとフライドポテト、マッシュルームのアヒージョでいいか?」
「ああ、それで頼むよ」
もはや定位置になっているテーブルに案内され、腰をおろすと、即ビールが出された。木製のマグにたっぷりビールが注がれている。
「では乾杯!」
「「乾杯!」」
ダビーの掛け声に合わせ、リサと私はマグを掲げた。
舐める程度で口をつけた後、私は周囲の客の会話に耳を傾ける。
「今年は降水量が少なくて、気温が高かっただろう? バッタが大量に発生して困っているんだよ。だが領主様でも、さすがにバッタの退治なんて、してくれないよな?」
「そうだよな。また火でも放つか」
王都にスカイ伯爵邸はあったが、王城や宮殿がある中心部からは離れている。そしてその屋敷の周囲一帯はスカイ伯爵の領地でもあり、そこにはいくつかの村や町があった。村や町があるということで、そこで農業や畜産業も行われている。
今回耳にした情報は、小麦農家の困りごとだった。
バッタの大量発生。人海戦術で駆除するには限界がある。ゆえに野焼きは、害虫の駆除に有効であると言われていた。さらに燃えた草木が炭となり、肥料になるとも言われている。
しかし一歩間違えれば、山火事などにもつながり兼ねない。とくに今年は秋になっても気温が高いので、危険だ。
ということでこういった情報を仕入れ、城へ戻るとまず、バッタの天敵となる鳥や虫の情報を調べる。それを書簡にまとめ、夫であり領主であるアトラスをサポートしている補佐官に、匿名でそっと届けていた。
補佐官もこの匿名の書簡には慣れており、中身を確認すると、すぐにアトラスに報告してくれる。おかげでむやみな野焼きが行われることなく、天敵を活用した害虫駆除が行われた。
この結果、領民は喜び、かつアトラスの評価も高まる。まさに一石二鳥だった。
お忍びでこんなことをしているのは、アトラスが保守的な人間だと思うからだ。基本的に妻は、領地経営には関わらない。夫人に通常任されるのは、社交や屋敷の使用人の管理だ。
だが今は、伯爵夫人として義母が健在なのだ。私はそのサポートくらいなので、時間に余裕もある。だからこそ、このお忍びで町へ行くことを、週に一度は実行しているのだけど……。アトラスからすると、大人しく屋敷にいて欲しい――だと思うのだ。
ゆえにお忍びでの行動になっていた。
そしてバッタの情報を居酒屋で仕入れてから、一週間経った。
つまり今日は、町の居酒屋にこっそり行く日だ。
夕食後、アトラスは書斎にこもり、眠るまで読書を楽しむ。
そして夫婦はそれぞれ寝室があり、入浴後は各自の寝室で休むのが普通のことだった。
つまり跡継ぎのための特定日しか、共に寝室で過ごすことはない。具体的にはアトラスが私の寝室を訪れ、そこで跡継ぎ作りに励み、終われば自身の寝室へ戻る――ことになっていた。
そして今日は、跡継ぎを作るための特定日ではない。
ということでいつも通り、目立たないグレーのワンピースに着替える。
晩秋となり、冷え込むので、黒のフード付きのローブを着せてもらっていると、リサが私にこんなことを言う。
「そう言えば若奥様、知っていますか? とても良く当たることで有名な占い師が、町に現れたそうですよ」
「へえ、そうなの? そんなに有名な方なの?」
リサによると、その年配の占い師は、王家からも相談されるくらい、よく当たると言われている。だが定住を好まなかった。本人曰く、「一箇所にとどまると、運気が下がる星の下に生まれた」のだという。
よって各地を旅して、一定の期間滞在し、また次の場所へふらりと移動してしまうというのだ。
「せっかくなので占ってもらってはどうでしょうか、若奥様」
「でもそんなに人気なら、満員御礼では?」
「こんな時間ですから、逆に空いていると思います!」
リサに押し切られる形で、占い師に会ってから、いつもの居酒屋に向かうことになった。
「若奥様、こちらです!」
占い師は町宿に滞在していた。
その町宿の一階が、居酒屋でもなくパブでもなく、バーだった。
間接照明でカウンター席のみの、狭いバー。
この時間だと皆、わいわいがやがやとした居酒屋やパブを利用する。
よってバーには客がいない。
店内に入ると、年配のマスターと、見るからに占い師と分かる老婆しかない。
「おや、これは数奇な運命を持つお客さんが来たよ」
ワイン色のフード付きローブを着て、カウンターテーブルに置いた水晶玉に手をかざしていた老婆が私を見る。銀髪に銀色の瞳の老婆の占い師が、私を手招いた。