12話:手紙
それは偶然だった。
明け方近い時間に目が覚め、再び眠ろうしたが、眠ることができない。
置時計を見ると朝の五時。
冬のこの季節、朝は六時から皆、動き始める。
まだこの時間は、厨房にも使用人はいない。
ふと外から物音が聞こえ、何だろうかと思い、窓から外の様子を伺うと……。
アトラス!
二週間ぶりに見るその姿は、なんだか疲れ切っているように思える。
いつもシルバーブロンドの髪はサラサラで、その瞳はエメラルドグリーンで宝石のようだった。肌も私より透明感があり、スラリとした長身の美青年のアトラス。
落ち着きがあり、木漏れ日のような穏やかな彼を見ると、いつも気持ちが和んでいた。
でも今のアトラスは……。
接待が朝まで続いたのだろうか。
髪も少し乱れていた。
だが、朝食の席に久しぶりに現れたアトラスは、普段通りだった。
シルバーブロンドの髪はサラサラ。着ている濃紺のセットアップもパリッとしている。スカイ伯爵としきりに商会の話をしており、そこに「跡継ぎを作る気はありません!宣言」の余波など一切感じられない。
それもそうなのか。
今は商会のことで頭がいっぱいで、私との問題は後回し?
後回し、それは困る!
子供ができない&悪妻であることを踏まえた離婚は、裁判をして成立するのだ。
よって時間がかかる。
そして私はアトラスに刺殺される未来が待っているが、それがいつなのかは不明。ただ、早く離婚し、隣国へ逃げた方がいいと思うのだ。
こうなったらこちらから離婚について、話した方がいいのかと思っていたら。
朝食後、ひとまず自室へ戻った私に手紙が届けられる。
それは私の兄からだ!
領地でホリデーシーズンを過ごした。だが年が明け、国王陛下への挨拶を兼ね、王都へ来ると言うのだ。父親は既に爵位を兄に継いでおり、国王陛下への挨拶は、新たなる当主の兄の役目だった。そしてせっかく王都に来る。私に会いたい――となったわけだ。
王都にはムーンライト子爵家のタウンハウスがある。よって兄はそこに滞在するだろう。ゆえに私がそのタウンハウスに足を運ぶか、兄がスカイ伯爵家の屋敷に来るかになると思うが……。
私が独断ですべて決めていいわけではない。
ということでまずは兄からの手紙の件を、夫であるアトラスに報告。次いでスカイ伯爵夫妻に話す。そこで「ではぜひこの屋敷に兄君を招くといい」となれば、この屋敷へ兄が来ることができる。
アトラスと顔を合わせるのが~と思っていたのは、二週間前のことだ。
既に腹を括ったというか、顔を合わせてうんぬんは、収まっている。
それに既に今朝、朝食の席で顔を合わせていた。
よってアトラスに兄のことを話すのに、構える気持ちはない。
むしろ離婚をちゃんと考えてくれているのか、それを問いたい気持ちの方が強くなっていた。
そこで兄からの手紙を手に、執務室を訪ねることにしたのだ。
昼食まで待つことも考えたが、その席に顔を出さない可能性もある。
ならばと執務室へ向かうことを決めた。
「兄上様……いえ、ムーンライト子爵様が王都へいらっしゃるのですね! バカンスシーズン以来ではないですか、会うのは」
「そうね。バカンスシーズンでは両親もタウンハウスに来ていたけれど、冬は汽車の運行も減るし、寒さが厳しいから……。両親は領地でのんびりしたいのでしょうね。ともかくお兄様だけでも会えるのは嬉しいわ」
リサとそんな会話をして、執務室に到着した。
ここから先、中に入るのは私一人になる。
「大丈夫ですよ、若奥様。絶対に離婚したいと思っていますから!」
絶対に離婚したいと思っている……。
それが正解なのに、なんだか寂しい気持ちにもなっている。
いや。生きたいのだから、私は。
余計な気持ちを振り払い、ノックして名乗る。
すぐに補佐官のクルースが扉を開けてくれて、中に入ることができた。
執務机に向かっていたアトラスは、見ていた書類から顔をあげ、私を見ると……。
スッと視線を逸らす。そして頬がほんのり赤くなる。
この反応は何……?
喜怒哀楽を表情に出さないのがアトラスなのに。
でも……。
赤くなっているだけで、感情は……やはり読み取れない。
しかしなぜ、顔を赤くするのかしら?
ひとまず執務机に近づき、兄から届いた手紙の件を話した。
そしてその手紙を渡すと、アトラスは椅子に座ったまま目を通し、すぐに私に返す。
「国王陛下への挨拶。そうだな。地方領の貴族は順番にこの時期、王都へやって来る。ぜひ会うといい。父上にこの屋敷で会えるよう、伝えおこう。なんならこの離れに滞在いただいてもいいのだが」
「ありがとうございます。……離れに滞在する件は、希望するかどうか、兄に尋ねてみます」
「……話をするいい機会だ」
それは私に聞かせるため、というより、独り言だった。
だがアトラスは頬を先程のようにぽっと赤らめ、「……話をするいい機会だ」と小声で呟いたのだ。
私はこの言葉について考える。
もしや離婚の件を、兄に相談するのでは……!?
確証が欲しい!
「旦那様」
「何か」
「二週間前の夜の」
「セレナ、待って欲しい。その件はきちんと考えている。ちゃんとするから、もう少し時間をくれ。真剣に考えている」
驚いた。
顔を赤くし、アトラスが椅子から立ち上がった。
そして両手を執務机につき、声を荒げたのだ。
こんな慌てた姿は珍しい。
これは……間違いなかった。
離婚を真剣に考えているのだろう!
「分かりました。それでは用件は以上ですので、スカイ伯爵夫妻によろしくお伝えください」
「分かった」
アトラスがまだ動揺した様子で返事をして、視線を伏せている。
いよいよ離婚が現実味を帯びる。これで私は死なずに済む。
そう私は考えたのだけど……。