残念なあなたは重要な夜会で私を「あばずれ」呼ばわりして婚約破棄を宣言したけれど、あなたの婚約者になった覚えはありません。私はその話を三歳の時に断ってから隣国の立派な皇太子と婚約を結び今に至ってますが?
「エマ・アンドリュース公爵令嬢。おれにたいする不敬、それから不貞の罪により、今宵この場にて王太子妃候補から除外する。つまり、婚約破棄だ」
王太子ロバート・レニントンの宣言で、大広間内がざわめいた。
この大広間は、わがオルコット王国が誇れるもののひとつ。
とはいえ、わが国の誇れるものはそう多くはないけれど。
この夜、国境を接する大国ホールデン帝国の皇太子ランドルフ・アッシュベリーの歓迎の夜会が開かれていた。
ランドルフは、わがオルコット王国との条約締結の調印にやって来ていた。というのは表向きの理由で、じつは彼には調印よりもよほど大切な私事があった。
「エマ、どうした? ショックのあまりなにも言えないのか? 顔色が悪いぞ。倒れるなよ。倒れたら、美しいドレスが汚れるぞ」
ロバートは、わざわざわたしの側によって来た。それから、わたしの顔をのぞきこみつつ嫌味を叩きつけてきた。
『いま着用しているこのドレスは、おまえには似合っていない』
そう言っているのだ。
というわけで、ロバートはすでに飲みすぎているらしい。
その証拠に彼が顔を近づけてきた瞬間、酒精のきついにおいが鼻にまとわりついた。
その強烈な臭気に、鼻をつまみたい衝動をおさえなければならなかった。
「それとも、ズバリすぎて何も言えないのか? そうだろうな。おまえは、王太子であるおれにたいして不義理で不愛想で無礼だった。とにかく、ありとあらゆる嫌なことをする嫌なレディだった。が、心が広く、懐の深いおれは、これまでずっと耐えてきた。こんなおまえでも、いつかは改心するだろうとな。おまえも改心し、おれに尽くすようになるだろうとな。それはもう、どれだけ耐え忍んできたことか。どれだけチャンスをやったことか。が、おまえはことごとくおれの期待を踏みにじった。いや、おれ自身を裏切り続けた。王太子として、いや、男として、あるいは婚約者として、おまえをこれ以上許すわけにはいかない。おれだけの問題ではないからな。おれは、そう遠くない日に国王になる。王妃は、国王であるおれを支え尽くさねばならない。そんな重要な役目を、不埒の見本ともいうべきおまえが担えるはずがない。つまり、おまえは王妃にふさわしくない。おまえを王太子妃候補から除外することは、おれの苦渋の決断だった。しかし、だれもが思うだろう。おれの判断は正しいと。だれもが言うだろう。おまえが王太子妃候補から除外されたのは、自業自得だと」
ロバートは、腕をブンブン振りつつわけのわからないことをのたまい続けている。
というか、酔っぱらっているのだ。
そう。彼は、酔っぱらっているに違いない。
そうでないと、愚行、というよりか奇抜ともいうべきこの一連の行動の説明がつかない。
「どうした? 無駄口叩きのおまえも、さすがに良心が咎めているのか?」
彼の愚行、というよりか無駄口叩きは、まだ終わりそうにない。
正直なところ、呆れ返りすぎていてどうでもよくなっている。
しかし、彼は一応このオルコット王国の王太子。その王太子がいくらバカ、もといイマイチでも公の場では立てなければならない。
とはいえ、ここまでおバカだと、表向きでも敬い従うフリをするのも難しい。
わが国の現国王は、正妃以外に八人もの側妃を抱えている。側に置くレディの数が多ければ多いほど、子どもの数は多くなる。
が、現国王は気の毒だった。王女ばかりが十三人いて、王子はたったひとりだけなのだ。そのたったひとりは、残念ながら残念な王子だった。
訂正。残念すぎた。
もちろん、公爵家などから養子を迎えるとか、王女のだれかが女王になるとか、王女の結婚相手に玉座を譲るとか、後継者を得るにはその方法はいくらでもある。
が、現国王はかたくなに「残念王太子」に国王の座を譲るといっているという。
もっとも、現国王を支える宰相や大臣たちは優秀である。というよりか、正直なところ現国王や「残念王太子」は、お飾りや象徴にすぎない。
あくまでもこの国を支えているのは、優秀だけれど野心のない宰相たちなのだ。
というわけで、たとえ国王の座を継ぐのが赤ん坊だとしても、なんら問題はない。
それはともかく、「残念王太子」はこの場においてもやはり残念だった。
「殿下っ、王太子殿下っ」
宰相や大臣たちが飛んできた。
彼らは、まずわたしの横にいるランドルフにペコペコと頭を下げ始めた。
それはそうだ。いま行われているのは、ランドルフ歓迎の夜会。いわば彼が主役。その主役をさしおいて、ロバートがわけのわからないことを言いだしたのだから。
「わたしならかまいません。どうか頭を上げてください」
ランドルフは苦笑している。
「王太子殿下。皇太子殿下の歓迎の夜会でアンドリュース公爵令嬢に無礼を働くとは、いったいどういう了見なのです」
頭上のキャンドルシャンデリアの光を受け、宰相の頭は神々しく輝いている。
おもわず、彼の「残念な頭」に祈りを捧げてしまいそうになる。
「ランドルフは気にしない。おれたちは学友だからな」
宰相や大臣たちの焦りをよそにロバートは余裕である。
わが国は、自慢ではないけれどたいしたことはない。国の規模や人口はもちろんのこと、政治経済軍事文化宗教、はては王族の質まで、すべてにおいてイマイチである。しかしながら、王都にある王立学園だけは違う。最高の学校なのである。とはいえ、国民の教育水準が高すぎるというわけではない。まぁたしかに、識字率は他国と比較して高いようだけれど。とにかく、王立学園のすごいところは教鞭をとる教授や先生たちなのである。
神の奇蹟か、あるいは単なる偶然か、王立学園にはこの大陸でも有名な人たちが集まって彼らの持てる知識や経験を惜しみなく生徒たちに分け与え、教えている。
最近では、近隣諸国だけでなく遠い大陸からも留学生がやって来ている。
ランドルフもそう。大国の皇子でありながら、彼はまだ八歳の頃からずっと王立学園の寮に入って学んだのだ。
当然、ロバートも通っていた。しかし、彼は王族だから入学を特別に許可されたにすぎない。彼は、学校内で勉強や研究よりもレディを射止める算段に忙しくしていた。
というわけで、ランドルフとロバートは、一応学友なのである。ちなみに、わたしもだけれど。
「彼のことはよくわかっていますからね。わたしは気にしていません。こうしてみなさんに歓迎してもらっているだけで満足です。ですが、公の場でいたずらに個人を攻撃するのはいかがなものでしょうか? しかも、友人ともいうべきレディにたいして、です」
ランドルフは、今夜もバッチリきまっている。
それでなくても「バラの貴公子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主。文武ともに学園トップだった彼は、体格も筋肉質で立派である。
彼の正装は、この世の全レディを魅了する。実際、いまも多くのレディたちの瞳を釘づけにしている。
宰相は、ランドルフの言葉におおきく頷いた。
一方、ロバートはどこ吹く風でわたしを睨んでいる。
「おいおい、ランドルフ。なんならきみのこともいまここで非難したいんだがな」
ロバートは、まだ残念っぷりを発揮し足りないらしい。
「そうだろう? このオルコット王国の王太子であるおれを裏切ったのだからな」
「なんだって?」
ランドルフと顔を見合せてしまった。
「おれの妻になるかもしれない彼女に手をだしたんだからな。どうせアンドリュース公爵家の金鉱を狙ってのことだろう? おれにはわかっている。アンドリュース公爵家の金鉱をモノにすれば、贅沢できる」
(ランドルフがうちのささやかな金鉱を狙っているですって? ホールデン帝国の領土の三分の一が鉱山だということを、ロバートは知らないの?)
ロバートは、バカすぎる。というか、あまりにも無知すぎる。
「ランドルフ。誤解だ、などとは言わせないぞ。おれにはお見通しだからな。寝台で彼女をイカせ、モノにした。だろう?」
大広間内が凍り付いた。
心もだけれど、体感的にも急激に温度が下がった気がする。
「いえ、大丈夫です」
宰相たちは、大理石の床に土下座する勢いで謝罪しかけた。
ランドルフは、それを手で制した。
「ロバート、愚かなきみに多くを言っても時間のムダだ。わたしのことを誤解しているのなら、それはそれでいい。今後、きみとは付き合うつもりはないからな。しかし、エマのことについては許さん。きみは、彼女をそんなふうに見ていたのか? そんなレディだと思っていたのか?」
「面白いことを言うじゃないか。おれこそ、おれのレディを奪うような見下げ果てた野郎とは付き合いたくないね。なんなら、国交を断絶するか? おれは、それほどおまえに腹を立てている。それに、エマはそういうレディじゃないか。彼女は、権力者に媚びるのが得意だ。とくに頭より体を使った方法でな……」
「ガツッ!」
「ギャッ!」
大広間内に鈍い音と悲鳴が響いた。
そのすぐあとには、大理石の床に肉塊が倒れる音が続く。
ロバートは、最後まで言うことが出来なかった。
なぜなら、殴られたからである。
「おいっ、なにをする? おれを殴ったな? おれは、王太子だぞ?」
ロバートは、大理石の床上でもがいていたけれどようやく上半身を起こした。
だれも彼を助けようとしない。
宰相や大臣たちや貴族たち。それから、警護している近衛兵も。
「あなたといっしょにしないで」
ロバートを見おろし、言い放つ。
つい先程、彼を全力でグーパンチした拳を握りしめつつ。
彼の鼻と口から血が出ているのを見ると、わたしの拳も傷ついたかもしれない。
「王子であることを利用し、レディと寝まくっていたあなたといっしょにしないで」
「おれがレディと寝るのは当たり前だ。支配者には必要なことなんだ。しかし、おまえは違う。おまえは、おれだけに尽くし、おれだけを愛さなければならない。それなのに、わずかに顔がよく、大国の皇子に寝取られるなどと……」
「やめてちょうだい。わたしのことはともかく、ランドルフのことはいっさい口に出さないで」
ロバートにキッパリくっきりハッキリ言ってやった。
残念すぎる彼になにを言っても理解出来ないだろう。
彼は、残念というよりか幼児なみの知能と精神なのだ。
「ロバート。あなたは王太子だから我慢してあげていたけれど、ランドルフのことをそこまで言うのなら、わたしも言わせてもらうわ」
彼を見おろした。というか、見くだしてやる。
「まず、わたしは王太子妃候補、あるいは王子妃候補ではない。過去にそうだったこともいっさいない。王家から打診があったけれど、両親がはっきり断った。まだわたしが三歳のときの話よ。だから、あなたはわたしを王太子妃候補から除外しようがない」
ロバートは、ポカンと口を開けてわたしを見上げている。
「それから、わたしには三歳の頃から婚約者がいるの。たしかに、そのときには自分の意思で決まった婚約者ではなかったけど。でも、付き合っていくうちにその婚約者にすっかり魅了されたわ。それから、心から愛するようになった。そして、婚約者はこんなわたしでも愛し、大切にしてくれている。当然、これからさきもずっとよ。わたしは、その愛する人の為にだったらなんだってするつもり。たとえば、その愛する人を理不尽に愚弄する『残念王太子』を殴り飛ばすとか、ね」
そう言いながら、自然とその愛する人を見ていた。彼もこちらを見た。
同時に照れ笑いを浮かべる。
「わたしには、それほどの男性がいるの。ロバート、あなたのはすべて妄想よ。わたしは、あなたに気があるどころか、友達関係だって正直勘弁してほしかった。王子だから仕方なく、ときどきいっしょにいてあげたのよ」
ロバートは、ただただ口を開けたままわたしを見上げている。
(理解出来ないのね)
「このことは、当時の学友たちだけでなく、多くの人たちが知っているわ。隠していたわけじゃないから。ということは、知らなかったのはあなただけよ、ロバート。というか、あなたがわたしたちのことを知らなかったばかりか、気がついていなかったということが驚きだわ」
肩をすくめてしまった。
「だ、だれなんだ? おまえのその愛する人、というのは?」
ロバートは、ようやく反応した。
「まだわからないの?」
もう一度肩をすくめる。
「ランドルフよ。彼しかいないでしょう? 彼とは、三歳の頃から婚約しているのよ」
「その通りだ。今回、わたしがオルコット王国に来たのは、条約のこともあるが、エマとの婚儀の打合せの為だ」
わたしの愛する人であり、もうすぐ夫になるランドルフがかわって言ってくれた。
「やはり、おまえたちはできていたんだなっ!」
ロバートは、言うなり立ち上がった。が、立ち眩みをおこしてランドルフの方に倒れそうになった。
「おっと」
ランドルフは、ここぞとばかりにロバートをよけた。
そして、ロバートはまた倒れた。
「近衛兵、王太子殿下をお連れしろ。王太子殿下は、心かどこかの病のようだ」
宰相が叫んだ。
彼は、もうこれ以上ロバートのバカさ加減に付き合うつもりはないらしい。
「皇太子殿下、それからアンドリュース公爵令嬢……」
「宰相閣下、ご心配なく。ロバートが心かどこかの病にかかっているということは承知しています。そんな個人的なことを理由にし、国交がどうのこうのと言うつもりはありませんので。しかし、あなたは一刻もはやく国王に助言した方がいいですね。王太子をかえるように、と」
「皇太子殿下、すべてのご配慮に感謝いたします」
宰相は頭を下げ、あらためてこの茶番劇について謝罪した。
それから、彼はわたしたちのことを発表してくれた。
夜会は、すっかり祝賀モードになった。
ロバートは、ランドルフとわたしの婚儀が行われる頃には廃位されていた。
王宮の奥深くに閉じ込められているとか、病院の病室に束縛されているとか、そんな噂をきいた。
「ロバート、気の毒に」
ロバートの噂が耳に入った後、ランドルフはちっともそう思っていないのにそう言った。
「そうね。ほんとうに気の毒だわ」
そして、わたしも気の毒になどちっとも思っていないのにそう言った。
それから、どちらからともなく唇を重ねた。
もうすぐ神の前で誓いの口づけをするというのに……。
(了)




