「楔との語らい」05
連載再開でございます。
「でぇいっ!」
三つの頭を持つ巨大な犬の怪物、ケルベロスを倒したクラウディオと正人。昨日のインキュバスとサキュバスに比べれば、精神的攻撃をしてこない分、純粋な暴力で対抗できることは幸いだった。
「ふぅ……それぞれの頭の攻撃が異なっているのは結構厄介だったな」
「ああ、だが首が減れば攻撃の手段も減っていた」
「首を殴り潰してくれたからだ。助かったよ」
コキコキと肩を回して疲れた様子の正人を、クラウディオはじっと見ていた。
――そういえば正人の攻撃が昨日より火力が落ちているような気がしたな。
クラウディオは少しばかり引っかかりを覚えるものの、そろって安置へ向かう。
怪物との戦闘を危なげなく攻略したが、体力は消耗している。何よりエネルギーを使って空腹だ。
旨いとは言えないが、栄養バランスの完璧な「パーフェクトミール」を体が欲していた。
「クラウディオ、俺の分はふたつ頼む」
パーフェクトミールの容器を、昨日同様正人と自分分を合わせて四つ取ろうとするすると、意外なことに正人はもうひとつ食事を求めた。体格的には食が細いように見えたが、先程の戦闘で消費したカロリーが多かったらしい。
「なんだかいつもより腹が減ってしまってな」
パーフェクトミールの容器を開け、ミールブロックを正人はかじる。カラフルなシートも筒状に丸め、謎の肉塊も平らげた。あっという間に容器をひとつ空にした正人は、もうひとつの容器を開ける。
「……もうひとつ」
クラウディオがひとつ容器を開ける間に、正人は立ち上がり、三つ目の容器をとりに行く。よほど空腹だったらしい。
ミネラルウォーターをがぶがぶと飲み、正人は少し疲れたような表情をした。
「……悪い、今日は少し早めに休んでいいか?」
「ああ、かまわない。期限まで日にちはある。無理をして倒れたら元も子もないからな」
「助かる」
申し訳なさそうに笑う正人は、軽くシャワーを浴びてベッドへ転がってしまった。その様子を見ながらクラウディオは考える、自分と体力の差はあるだろうが、それでも正人の様子は引っかかる。戦闘が激しかった、というのもあるがそこまで消耗するかと言えばそうでもない。
「(考えすぎか……?)」
クラウディオは黄色のシートを食い千切り、ミネラルウォーターで胃に流し込んだ。
◇◇◇
クラウディオと正人が「神曲」に挑んでいる頃、庵田の魔女姉弟はペソルと呼ばれる地の木蔦屋敷に赴いていた。
イェルカとシンシンに渡された資料によれば、収集部門の司書がすでに五人犠牲になっているという。一般人もすでに両手で足りない程度犠牲になっているとのことで、魔女であるふたりは屋敷の調査と制圧――要するに原因と思われる魔道書の収集が求められていた。
古びた外観に、壁や屋根に這い回る蔦の葉。扉や窓は外れたり壊れている。「いかにも」というお化け屋敷じみた様子に、月乃は顔をしかめていた。
「月乃ぉ~、嫌そうな顔しすぎ」
「だって……あからさますぎるんですもの」
「まぁ、そうだけどさ」
あからさま、と言う月乃の言葉に定家も眉を上げる。
ここまで「あからさま」に怪しさを醸し出している相手に、第八図書館の司書が五人も犠牲になっている。素人が五人ではない。資料によれば魔道書を作れる程度の技術を持つ魔術師もひとり含まれているのだ。
「中に入らず屋敷ごと消しては駄目?」
「一応『収集』だから駄目だって」
月乃は面倒そうに顔をしかめている。ここまで「わかりやすい」「いかにも」な魔道書相手では、月乃の求める「面白い」魔道書である可能性は低い。それ故、大層面倒そうな――例えるなら穴あき靴下を六足繕えと言われているような顔をしている。
それでも以前はここまで感情を出していなかった。
――最近の月乃は「人らしい」表情をするようになった気がするなぁ。
定家はいい傾向だ、とこっそり口元に笑みを浮かべながら、月乃の肩を叩く。
「さ、お仕事しましょうか。オネーサマ」
「ええ、わかりましたわ」
わざとらしい、盛大な溜息を吐きながら月乃は腰に帯びた魔道書を取り出す。定家はバアルのガントレッドを装備し、屋敷に踏み入った。
「はぁ~……ベタですわー……有名すぎますわー……あからさまで見え見えすぎですわー……」
「はいはい。足下気をつけろよ~」
ごく普通の廃墟と同じ歩き方をするふたりは、転んで怪我をを内容に足下に注意しながら進む。
物置部屋のような部屋に入れば、壊れた戸棚があった。見るも無惨なその棚にはまだものが残っており、カラカラに乾いたインク壺や錆びた万年筆、ボロボロの革表紙の手帳があった。
月乃が無造作に手帳を取り出し、パラパラとめくると筆圧が強く、ハネが鋭い文字が並んでいた。どうやら日記らしく、日を追うごとに筆致は乱れていく。「悪魔」「儀式」「召喚」「従属」などオカルトな内容が書き連ねられており、最後には「見られている」「そこにいる」などとかかれていた。
月乃は顔をしかめ、戸棚ではなく部屋にあった机に日記を放った。
「なになに? なんて書いてあった?」
部屋の中を物色していたらしい定家は、興味津々で月乃によって行く。しかし月乃は不満そうな顔をした。
「ベッタベタなホラーアイテムでしてよ」
いつものミステリアスに見える笑みを浮かべている月乃はおらず、端的かつ単調に答える。定家はその様子に月乃の不機嫌具合を感じ取った。
「(不機嫌度中の上、ってとこ?)」
ベタベタホラーアイテムのあった部屋を後にして、ふたりは別の部屋に向かった。
次の部屋は壊れた家具、またその次は灰の積もった暖炉のある部屋。
リビングと思われるところにはいわゆる悪霊払いに使われそうな道具があった。十字架やら聖水入りの瓶、干からびた大蒜とハーブ、すっかり黒くくすんだ銀の杭とハンマー……
定家はうわぁ、と半笑い。
途端、ガタガタッ! と大きなものが揺れる音がした。しかしこのリビングではない。月乃は口をへの字に曲げ、盛大に溜息をついた。
「……次、行きますわよ」
「へぇい、オネーサマ」
相変わらずふたりは無遠慮に屋敷の中を探索する。
ポルターガイストを思わせる物音や風に混じって聞こえる笑い声。突然開閉する窓や扉――月乃はお決まりの見え透いたいわゆるジャンプスケアに不機嫌指数を更に上昇させた。
「ん、開けるからちょっと待って」
定家は少々抵抗を感じる扉に月乃を下がらせる。月乃はツールポーチに手を入れ、魔道書をパラパラとめくった。
『――――……』
月乃の口がまるで早送りのように動き、内容の聞き取れない二重の音が唇からもれた。月乃が肉食動物の大きな牙と少し細い彎曲した角をツールポーチから取り出したタイミングで定家が扉に力を入れた。
「よいしょーっ!」
バキ、と音を立てて扉が開かれた瞬間、部屋の中でバンッ! と音がしたかと思うと家具が浮かび上がり、月乃と定家目がけて飛んできた。
重そうなダブルベッドに黒檀のチェスト、コートかけが殺意高くふたりに向かう。
「うぉっ?」
ドッキリ箱に驚いた様な反応をした定家の横を真っ黒な山羊と白い狼が飛び出し、飛んできた家具に体当たりをして部屋に押し戻した。
二匹は角や蹄、顎でもって家具を粉々に破壊していく。定家は目を見開いてその有様を見ていた。
「燃やしなさい」
月乃が命じると狼は口から炎を噴き出し、部屋の中にあった物だけを瞬時に焼いた。残った灰さえ、大烏のような翼を生やした山羊にきれいさっぱり吹き飛ばされる。
「(高速詠唱したな)」
高速詠唱は一拍の間に詠唱を完結させる特殊な方法である。月乃は虫の居所の悪く、早々に事を切り上げたいときにのみ高速詠唱を使う。
定家は横目で見た月乃の目が据わっている事に気付き、口元を抑える。
「あーらら。オネーサマ不機嫌ちゃん?」
ジロリ、と定家を見る月乃を「おーこわっ」と茶化せる定家の肝の据わりっぷりは見ていてヒヤヒヤする。
すっかり何もなくなった部屋の中を軽く見渡せば、ツンとした錆のような、腐敗した肉のような……異質な臭いが鼻についた。臭いの元は割れた窓の方からだった。
月乃と定家はバッと窓を見る。すると窓を横切るように、不自然な赤い一対の光が飛んでいった。
月乃は山羊に命じて光を追わせる。
「アレ」がこの屋敷の元凶だと、魔女姉弟は理解した。他と違い、明らかに魔力が多かったのだ。それでホラー映画のようにわかりやすい、際だった存在の悪趣味さにこの屋敷の「ラスボス」であると見せつけているようだった。
「定家、五分以内に終わらせますわよ」
「りょうかーい」
月乃は平坦な声で告げる。
狼が黒山羊の匂いをたどり、屋敷の地下へ進んでいった。
月乃はカツカツと音を立て、定家はのんびりと両手を後頭部に置いた状態で狼を追った。
◇◇◇
狼が導く先には黒山羊がいた。山羊はベエェ、と蹄で地下扉をかく。狼も「この先だ」と言うようにボフッ、と吠えた。
目的の「ラスボス」はこの先らしい。
月乃が狼と山羊を撫でる手つきは優しいが、その目は完全に座っている。
凜音との戦いの後から、月乃はずっと機嫌が悪かった。
まるで焦げる寸前まで火にかけたカラメルが、時折ボコリと泡立つような――怒りと苛立ちと不愉快を煮詰めているようだった。
ギシギシときしむ階段は、月乃はともかく定家の巨体を乗せるには不安な音を鳴らす。
一段降りるたびに老朽化した階段は悲痛な叫びを上げていた。
「ねえねえオネーサマ。いくらつまんなそうな魔道書相手の仕事だからってイライラしすぎじゃね? 番犬引き離したのがそんなに嫌だった?」
虫の居所が悪いどころの話ではない月乃に対して、定家は無遠慮に問いかける。端から見れば地雷原でブレイクダンスをし、合間にシャトルランをしている無謀さだ。
だが意外なことに月乃は一度目を見開いてから考え込むように黙ってしまったのだ。しばらくの沈黙の後、月乃はゆっくりと口を開いた。
「……わたくし、そんなにクラウディオに執着してました?」
定家は目を見開き、逆に問いかける。
「え、自覚なかった?」
見た目にそぐわず、月乃にはこの世の大半を弱者としてみられる程度の力を持っている。そのためいつもはのんびりと穏やかで笑みを絶やさない。
多少他人に煩わしさを感じても基本、子犬がキャンキャンと騒いでいる程度にしか感じない。そう思う程度に彼女にとって大多数の人間は対等な「人間」ではなく「庇護対象」という分類である。月乃にとって対等な「人間」というのは、大抵自分と同じく神を身に宿した「魔女」のことであった。
そんな中、最初は「庇護対象」であったクラウディオ。
彼がなかなかに優秀な「触媒」になることが分かったので月乃基準で危険でない程度に囲うことにした。
そしてクラウディオが「白紙の魔道書」であることを知り、暴走したクラウディオに骨を折られ――それでもそばに置いた。
月乃は「庇護対象」でありながら時には「道具」として使い、けれど「お気に入り」としてクラウディオを大切にしていた。
そして第八図書館に対してクラウディオを「自分のものだ」と宣言した。
魔女が――いや、月乃がここまでするなんて、今までなかった。
クラウディオを強制的に取り上げられた月乃は完全に拗ねた子供である。
そしてそれに今気づくとは……
「……月乃って存外天然さんなのな」
「はい? なにを言って……」
まるで月乃の言葉を遮るように、二人の間を巨大な爪がすり抜けていく。
定家の指摘で月乃が「自覚」する感動的なタイミングで、それは現れた。
人の形をかろうじてしているが、たるんだ皮とそれに不釣り合いな凶悪で巨大な五指の爪。ぽっかりと空いた口には獣でも人でもない、生物進化のどれにも当てははまらない牙が生えている。
そして一対の眼球はギラギラと不気味な光を放ち、動くたび光の線が残る。
端的に言えば怪物であった。
怪物は月乃と定家に向けて悪意と敵意を混ぜた咆吼を上げる。
しかしそれは月乃の神経を完全に逆なでしていた。
「あー……」
定家は「始末書どうしようかな」と既に事が終わった後のことを考えることとなる。
目に見えて不機嫌をまき散らす姉に「穏便に解決」という選択肢は絶対にとらないことを、同じ魔女である彼が一番よく知っていた。




