第63話 「寄り添うために」03
ウサギの刻まれた扉を前に、正人は柄と鍔を取り出し組み合わせる。
そして腰に帯びた「魔道書」を構え、二重の呪文を紡いだ。村雨が顕現し、慣れた手つきで構えた。
クラウディオは少し考えてから鬼の角を生やす。純粋な肉体強化と鬼火でまず様子を見ることにする。
「開けるぞ」
クラウディオの呼びかけで正人はこくりと肯く。慎重に扉を開けると甘ったるい匂いがふたりの鼻についた。
扉の中に進むと、辺りは薄暗い。空間にはそれなりの広さがあるのかもしれないが、視界を遮るように天井から下がる薄布が煩わしい。そして不快感はないが、その思考を融かしてくるような甘い匂い――ふたりは眉をしかめた。むやみに吸い込まないうちに息を止める。
正人が空を斬るように振るうと切っ先から湧いた水が狭霧となり、匂いを閉じ込めて床に落ちる。
それが空間を清めた。
「毒性は多分ないだろうが、念のためにな」
「助かる。どうにもあの匂いはざわついた」
正人の雨によって清められた空気を吸い込み、クラウディオは礼を言う。
ふたりは歩を進めようと、慎重に脚を踏み出そうとした。
――ぱちゃ……
水たまりに何か落ちる音がした。
ふたりはその音の方向に臨戦態勢のまま向く。一体どんな試練とやらが待っているのか、クラウディオはもちろん、正人は特に緊張をしていた。
気配はふたつ。
男女の笑い声が薄布の向こうからだ。
シルエットが見える距離に近づくと、それらはクッションの上で何やら戯れているらしかった。
正人とクラウディオは顔を見合わせ、奇襲をかけることをにする。声を出さずカウントを始める正人の唇を読みつつ、クラウディオは拳に力を込める。
――いち、に、さん!
気配目がけて飛び込む。
そしてふたりは目に飛び込んできた「それ」に硬直した。
「さだ、いえ……?」
「……月乃?」
敷き詰められたクッションの海で戯れていたのは月乃と定家だった。ふたりに気付いた姉弟はからだを起こすが、その姿にクラウディオは顎が外れるほど口をぽかんと開け、正人は吹き出してしまった。
「やぁ、まってたよぉ?」
「な、なななななんてかっこうしてるんだお前は!!」
定家はジョックスストラップに何の意味があるかわからないボディハーネスベルト、そして腕にも腿にも謎ベルトを着けている。どこのストリッパーだとツッコミを入れたくなるような肌面積が大きすぎる格好に、正人は顔を真っ赤にした。
「なんでー? こー言うのがお望みでしょぉ?」
腰を左右に振りポージングして厚い胸板や丸く大きな尻を見せつけてくる。茶目っ気たっぷりにウィンクする定家に対し、その隣でクスクスと笑う月乃は可愛いものだ。
たっぷりのフリルとレース。クラシカルで上品さもあるブラウスとスカートと花とレースが頭を飾っている。いつもよりやわらかく清らかな百合を思わせる姿があまりにも可憐だ。
「クラウディオ」
微笑む表情は乙女のそれで、クラウディオは思わず目を見張る。
姉弟はふたりにゆったりと距離を詰め、そのからだに手を伸ばす。緩慢なその動きは色香を伴い、甘い香りを放っている。
ごく自然に。
月乃の、定家の唇が近づく。
思考に靄がかかり、甘く痺れるように力が抜けていった。
そこではっとした正人はクラウディオに向かって叫んだ。
「クラウディオ! 月乃はそんなことをしない!!」
正人の言葉にクラウディオは月乃から距離を取り、正人の首根っこを掴んで退避する。相変わらず姉弟は笑みを浮かべ、緩慢な動きで近づいてくる。
流石にここまで来れば正人もクラウディオも違和感を覚えた。
試練と称して自分たちを拉致させた定家が現れた――しかも月乃を伴って現れるとは思えない。定家は一見無駄に人の神経を逆なでするタイプに見える。しかし余計な挑発は――印象では大いにしそうなのだが――しないのだ。
そうなれば今目の前にいる姉弟は、姉弟の姿をした別の「何か」だ。で、あるはずなのに抗いがたい感覚が、ふたりの尾骨から頸椎をなで上げた。
「インキュバスか、サキュバスだ」
非日常的な単語にクラウディオは正人を見る。クラウディオはじりじりと後退しながら、視線だけ正人に向けた。
「なんだ、それは」
「獲物の願望を反映させた姿で現れるという魔物だ……!」
その言葉にクラウディオはピタ、と停止する。そして正人を見ると、クラウディオに見られていることに気付いた正人が硬直した。
本人の口から語られた「獲物の願望を反映させた姿」という言葉に、クラウディオは察してしまう。
――正人の願望投影かこれか……
クラウディオは察してしまった。一見真面目そうな彼がまさかあの定家に対してこんな願望を持っているとは……
ワンテンポ置いてから正人はブルブルと震えだし、村雨の柄を力一杯握り真っ赤な顔で叫んだ。
「さっ、定家めええええええええ!!!」
正人は諸手上段の構えから刀を振り下ろす。巨大な水の刃が現れ、インキュバスとサキュバスに向かって飛んでいく。その威力と速さは地面を削りとった。
フーフーと肩で息をする正人を尻目に、空中でクスクスと魔物たちは笑う。その笑い声に正人は顔を赤くしたまま、青筋を浮かべていた。
「覚悟しておけよぉ……」
クラウディオは怒りの表情を浮かべる正人をチラリと横目で見てから小さく独りごちる。
「……俺はこんな趣味はないぞ」
レースとフリルと愛らしい刺繍の服に身を包まれた月乃の姿をしたサキュバスに、眉間にしわを寄せたのだった。
体調がようやく本調子に戻りつつあります。まだまだ暑いのでお気をつけください。
次回も週末20時ごろの更新を予定しています。
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