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第61話 「寄り添うために」01

 月乃はいつもと寝心地の異なるベッドで目を覚ました。目を開ければいつもの天井ではない。


――以前住んでいた家の天井だ。


 のろのろとからだを起こした月乃は、以前使っていた枕に手をつき、ゆっくりとからだを起こす。

 のろのろとベッドから降りると、ちょうど部屋の扉をノックされる。「はぁい」と気の抜けた声で返事をすると、二色頭の弟がひょっこり顔を出した。

 定家は牛のシルエットの刺繍がされたエプロンでどっしりとした筋肉のからだを包んでいる。気のせいか、胸の辺りがパツパツだ。


「起きた? 飯食える?」

 定家が入ってくると魚の焼けた匂いがする。


――ああ、そういえば定家と正人くんの家に泊まったのだっけ。


 寝ぼけ眼の月乃はこっくり肯き、定家の横をすり抜けて洗面台に向かう。以前正人と定家とともに住んでいた家なのでわからないことはないが、所々些細な部分が以前と異なっている。

 洗濯洗剤の種類が変わったのか、置いていったパジャマの匂いもシーツも以前とは変わっていた。細々したものやインテリアが増えたり減ったり。

 顔を洗って食卓につくと、麦茶が出される。月乃は反射的にコップを受け取り、差し出した人物を見やる。


「ありがとうクラウ……」

「ちがいまーす。キュートな弟様でーす」


 にま、と意地悪そうな笑みを浮かべる定家と目が合い、気恥ずかしさをごまかすように麦茶を飲み下す。


「う……」

「あーあ、冷たいの勢いよく飲むから」


 冷蔵庫でよく冷やされた麦茶は月乃の胃を驚かせたらしい。「ちょっと待ってな」と温かいお湯を沸かし、置いていった月乃のカップに湯を注いでくれた。

 ほこほこと湯気の上がるそれを差し出してくる弟は、おそらく正人にはより世話を焼くのだろう。

 ふたりの朝が目に浮かぶようだ。


「ほら、どーぞ」

「ありがとう……」


 くぴくぴと少しずつ白湯を飲む月乃を見る定家は相変わらずチェシャ猫か笑いピエロのようだ。

 クラウディオであればそもそもいつも通り温かい紅茶をいれてくれる。短期間ではあるが彼は自分の好みの紅茶を出すようになったのだなぁ、と考えにふけってしまった。


「最近暑くなって来たからって冷たいのにしたけど、相変わらず朝は温かい紅茶?」


 考えを読まれたような気がしてなんとなく気恥ずかしい。

 それをわかっていてやるからこの弟はたちが悪いのである。


「ええ、まあ」

「ふーん?」


 ごまかすように返事を返す月乃と、姉である月乃をいちいち面白そうに観察する定家。月乃はプスン、とむくれて両手を合わせた。


「……早く食べましょう」

「へーい。いっただっきまーす」

「いただきます……」


 定家の料理はわざわざ日本から取り寄せたのかジャポニカ米だ。あっさりとした食味から察するにおそらくササニシキ系だろう。味噌汁は久しぶりだ。皮付きのサーモンに塩を振って焼き鮭にしている上にぬか漬けにきゅうりと茄子まで。

 海苔も醤油も。

 こうやって故郷の食べ物を口にしては、異国での生活中に襲い来る郷愁の念を和らげていったのを覚えている。

 クラウディオが来てからとんと和食から離れていた。フリーズドライの味噌汁も飲んでいなかった月乃には懐かしさを感じる。

 そもそも定家との食事も久しい。

 ただ定家との食事に懐かしさを楽しめないのは、定家の唐突な行動のためだった。

 いや、シンシン収集部門長の話しぶりからするに突発的な行動ではないだろう。ある程度根回しをした上で、クラウディオと正人を新しい訓練システムのテスターにねじ込んだと思われる。


 一体全体、なんのために……


 定家が身内を大事にする人間だと、月乃はよく知っている。けれどあんなに恋人であり魔女の楔でもある正人を怒らせ、クラウディオを挑発する意味はなんなのか。

 そもそも自分に相談なく行われる修行とやらがちょっぴり気にくわなかった。

 不服であるのが定家に伝わったのか、定家はまたにんまりと笑ってサプリメントを飲んでいた。


「大丈夫だって。正人のためになるし、月乃のためになるから」

「クラウディオのためには?」


 定家が首を傾けてカワイコぶりながら月乃を見つめてくる。クラウディオはまだ定家にとって「身内」の判定の外らしい。

 月乃はため息を吐く。

 空になった器を片付けて、月乃は着替えに部屋へ戻ることにする。


「定家、着替えたら一度家に連れて行ってください。その後そのまま現場に行きますわよ」

「あいよ~。今回持ってく奴選んでくるわ~」


 スカスカと音のしない口笛を吹きながら、定家も触媒と「魔道書」置き場へ向かう。






「そういえばふたりだけで組むのっていつ以来だっけ?」


 定家が装備をそろえ、手を繋ぐ。 

 月乃が少し視線を上部に持って行き考える。うーん、と唸ったかと思うと顔を上げた。


「確かリンゴの木に取り憑いた蛇を倒した時じゃありませんでしたか?」

「あの頭いっぱいある奴はもう少し前じゃなかったっけ?」


 月乃も定家も記憶をたどり、よく似た表情で考え唸る。

 故郷にいた頃はずっとふたりで組んでいた。正人が戦えるようになり「第八図書館」に所属してからは「よほど」の案件以外、ふたりだけでというものはほぼなかった。

 月乃が「あ」と顔を上げ指をピッと立てて定家を見る。


「あれです。夜鬼の群れの掃討」

「あー、それだそれだ。あのやたら数が多い上に夢の中にまででてきたやつ」


 定家はすっきりした、と言うが表情は嫌そうで、面倒くさそうな顔をしている。

 まるで一年分のヘドロのたまったプール清掃を言い渡されたときのような、そんな表情だ。月乃も同様に、誰も片付けたことのない喫煙所の灰皿を片付けろと言われたような顔をしている。


「『図書館』はわたくしたちを『掃除屋』だと思っている気がしてなりませんわ」

「同感。俺様たちふたりでやらされる時って焼き肉屋の鉄板延々と洗うみたいな感じだよな」


 姉弟は揃って深くため息を吐き、それから定家は「魔道書」を構えて二重の呪文を口ずさんだ。


『青白き高貴と栄光に跨がりし者、叡知と誘惑者の尾を持つ者、我らを描かれた扉の前に運び給え、バティン』


 定家と月乃のからだが消え、瞬時に月乃の家の、絵画の扉の前へ降り立つ。

 いわゆる瞬間移動という奴だった。

 とん、と降り立った次の瞬間、ふたりはへなへなと崩れ落ちる。ふたりは真っ青な顔をして口元を抑えた。


「うぇ……これ使うとやっぱり酔うわ……きもちわり」

「わたくしもあまり好きじゃないです……」


 ふたりは瞬間移動酔いが収まるまでしばし床に這いつくばっていた。

今回は一話のみです。

暑いのでご自愛ください。

私は暑さで消化器官を酷使してしまったようなので、来週はお休みする可能性があります。

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