第60話 「魔女の劇場」05
「第八図書館」には浴場がある。
もっぱら「第八図書館」に常駐、もしくは泊まり込む職員たちのためのものだ。浴場もいくつかあり、多くの職員は大浴場を、希望を出せば個室のものも貸し切りで利用できる。
そして今、浴場のひとつが貸し切られていた。
温かい空気で満たされた浴場は静かである。
人の気配は少なく、湿度は心地よい薬湯の匂いを帯びていた。
収集部門や調査部門など、前線に立ち「魔道書」や無登録の魔術師たちと戦う彼らのための薬湯はよく効くと評判だ。
小さなタイルとタイルの破片を組み合わせて模様が描かれたこの浴場は、上級の職員が主に利用するところである。
ちゃぷ、と湯船につかる音がする。音の正体は月乃と定家の魔女姉弟だった。
ふたりは十二分な休息を取り、目覚めてまもなくここへ呼び出された。
ふたりともホルダーネックの上着とパンツの湯浴み着で湯船に身を委ねている。一晩中戦った疲労を薬湯に溶かすのは、最高に心地よい。
定家の腹部は塞がっているが少しばかりしみるらしい。ときおり唸りながらじっとしていた。張り付く湯浴み着がなければなお善いだろうが、残念なことにここは彼らの自宅ではない。
からだが温まり、血行がよくなって顔に赤身が帯びた頃、無言で湯につかるふたりにふたつの気配が近づいた。ちゃぷちゃぷと湯をかき分けて現れたのは、ふたりの男女――調査部門長イェルカと収集部門長シンシンだった。
イェルカも柳のように細いからだを湯浴み着で隠している。
寸分の隙なく切りそろえられた白髪と、上質な和紙のような肌は水気を帯びて香るような艶を帯びていた。年の頃六十だというのに、洗練された品のよい仕草からも色気を漂わせる。
シンシンも彼らと同じ湯浴み着をまとっている。いつもであれば髪を編んで垂らしているシンシンも、長い髪を巻き上げたタオルで頭を縛っていた。そして眼鏡を外しているせいかいつも以上に目を細めている。
ふたりは潜めた声が聞こえる程度に姉弟の近くで腰を下ろす。
「月乃司書、定家司書。昨日は『眠り姫』の相手、ご苦労様でした」
「誰も欠けることなく生還できたのは幸いだ。特に君たちふたりはウチに必要不可欠だからな」
イェルカとシンシンからの労いの言葉に、ふたりは頭を下げる。
しばらく全員が沈黙し、聞こえるのは息づかいと、ときおり天井から滴るしずくが湯船に落ちる音だけだ。
貸し切られた浴場は、今四人しかいない。
部門長と魔女が同時に、しかも男女ともに入浴している時点でただの入浴な訳がない。魔女姉弟を呼び出したのがイェルカと言う時点で何もないわけがないのだ。
「それで、どういったご用件です? イェルカ部門長」
「定家司書はせっかちね」
いつものつかみ所のない話し方とは異なる真面目な口調に、イェルカは唇で弧を描き微笑んでみせる。髪をかき上げて耳にかける仕草だけで、普通の男なら魅了されそうだ。
定家は肩をすくめ、それをかわす。
「長くつかるとのぼせますからね。イェルカ部門長だけじゃなくシンシン部門長までいらっしゃるわけですから」
「たまにはゆっくり語らいたいところだけど、まあ、いいわ。今日はね、ふたつ目の『お願い』をしに来たの」
「ね、シンシン収集部門長?」と狐顔の彼にイェルカは笑いかけた。
風呂場というのは基本、無防備な状態での対面になる。湯で温まった状態での会話は闘争心を削ぐ。そしてこの浴場は貸し切られていた。ある意味、どこかの密室や料亭と言った場所よりも密談には向いている。
そんな場所で「お願い」とは、と月乃も定家もかすかに警戒した。
「ペソルの木蔦屋敷で収集部隊が五人犠牲になった。一般人の犠牲も含めれば三十を超えている」
眼鏡のツルをいつもの癖で持ち上げようとしたらしいが、定位置にないそれにスカ、と空を切る。そのことに少し眉をしかめるが、気を取り直してシンシンは顔を上げた。
「そういうわけで『魔女』である君たちにこの案件を頼みたい。現在、悟られぬように封鎖をしてはいるが二、三日の間に向かってもらいたいと思っている」
なかなかに切羽詰まって着る様子がうかがえた。月乃と定家はどちらともなく目を合わせ、こくりとうなずく。
「では現在調査で判明しているデータをいただけますか? 装備を調え次第、向かわせていただきます」
「話が早くて助かるわ」
「端末に情報を送っておこう」
月乃の言葉にイェルカとシンシンが湯から上がる。しなやかな細身のからだによくもんだ上質な和紙のような四肢のイェルカと、実践的な格闘家の肉体のシンシン。
ふたりはたっぷりと湯を吸った湯浴み着を張り付かせてふたりは浴場から去ろうとした。そのときシンシンが何か思い出したように足を止めた。
「新作訓練システムテスト参加の協力、感謝する」
シンシンがそう言って去り、浴場の戸が閉められた。
月乃は定家の顔に向かって思い切り湯をかける。まさかシンシン収集部門長までクラウディオと正人の拉致監禁――もとい修行にかかわっているとは思わなかったからだ。
次回の更新は週末を予定しています。
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