第58話 「魔女の劇場」03
「オッケーオッケー! それなら俺は……」
「何をしているんですか!!」
カツカツと軽い足音とともに、語調を強めた月乃の声が廊下に響いた。
振り返れば彼女に後ろには医療班だろう、白衣の人物が縮み上がって身を寄せている。
「定家、早く治療を受けなさい」
「あっ、ちょっ、月乃」
「お願いします」
月乃は定家のネクタイを掴み、引きずるように医療班に引き渡した。そして次にぐりん、と向きを変えてクラウディオを見る。
珍しく据わった目で見てくる月乃に、クラウディオは目を見開いた。
「そこの赤毛の巨漢もお願いしますわ」
月乃は名前も呼ばず医療班にクラウディオを連れて行くように言う。さっさと治療を受けろと言わんばかりに仁王立ちをし、カツン! と踵を鳴らした。
医療班の面々はホバリングする担架に定家とクラウディオをほぼ無理矢理寝かせ、医務室へ連行する。
クラウディオはただなすがまま天井を見ながら運ばれて行く。そのとき、鼻の先に黒い小さな物体が飛び乗ってきた。
それは小蜘蛛だったらしく、クラウディオの鼻の頭で向きを変えたかと思うと、ピンッと跳ねてどこかへ消えてしまった。
月乃の制止と今の状態のせいで定家に感じていた怒りの行き先が宙に漂った。なんとも不完全燃焼な状態で、クラウディオはむずむずする鼻を擦って、脱力したのだった。
時間は少し遡る。
月乃は音を立てて研究棟の廊下を小走りで進んでいた。
いつもなら緩やかなカーブを描く眉をつり上げ、眉間にしわを寄せている。きゅっと下唇に力を入れた口はへの字に曲がり、その表情は拗ねているようにも……
――なんでなんでなんで! クラウディオってばなんでわたくしじゃなくて定家の呼びかけで避けましたの?!
いや間違いなく拗ねていた。
戦いの興奮から徐々に熱が冷め、今回のことを整理している内に、月乃は空腹よりもムカムカが優位になっていた。
力の大部分を封印しているとはいえ自分は魔女で、何も持たずとも己の身を守ることはできる。
障壁もそのひとつだ。
武器がほんの少しの間なくたってどうにでもなる――なのに自分の「避けろ」という言葉を聞かずクラウディオが凜音を掴んだまま。直後の定家の「槍を受け取れ」という呼びかけで離れた。
わたくしの言葉より定家の言葉の方が重かったと言うことですの? と少なくとも月乃はそう考えて更に唇を歪ませた。
医務室につくとすでに準備が出来ていたらしく、医療班の面々は担架を構えていてくれた。
「怪我人二名。定家司書が脇腹を抉られ、クラウディオ補佐は裂傷多数。どちらも命にかかわる怪我ではないと思いますが、クラウディオ補佐は額に傷があるため出血が多いです」
月乃がぷすんぷすんと拗ねた表情のままで言うものだから、医療班の人々は何があったのかと顔を見合わせていた。
そして医療班を引き連れ、三人の下に戻れば、姿が見えるより先に怒声やら罵声やら耳に届く。
地雷原でタップダンスを踊っている様子を見させられているような、そんな不穏な雰囲気が漂っていた。
おかげで医療班の皆さんは腰が引けてしまい、涙を浮かべてベビーペンギンのように身を寄せて震え上がっていた。
呆れた。
月乃はすぅと空気を吸い込み、
「何をしているんですか!!」
思わず声を荒げて、月乃は怪我人を医療班にしょっ引いてもらったわけだ。
そして今、全員揃って医務室にいる。
クラウディオと定家は傷の手当てを、正人は一見怪我はないもの精神攻撃系を疑われ検査中だ。
月乃も空腹と眠気のピークが近づいているが、それでもムスッとした顔で三人の治療を見守っていた。教師が「この後説教があるからな」と待ち構えているような居心地の悪さがあり、さすがの定家も月乃の視線から顔を背けていた。
クラウディオも視線が彷徨っている。
「……それで? 何を騒いでいましたの?」
消毒や止血、縫合などの治療が終わり、正人も「はよ寝ろ」という診断結果を得てから月乃は沈黙を解いた。じとりと眠気を我慢しているらしい眼差しは鋭い。
定家はつとめて明るく、そして端的に説明をした。
「正人とクラウディオに修行してもらおうと思って」
「修行?」
月乃が眉を片方上げて疑問符を浮かべていると、定家は子ども番組のインストラクターがするように口に手を当てた。
そして明るくハキハキと声を上げ――
「研究部門のみなさーん!!!」
「はーいーッ!!!!!」
医務室の扉が開き現れたのは蛍光色グリーンの頭に七色サングラス、鋲のついたチョーカーの白衣ミドル男性。そして動物の耳のようなお団子頭の白衣娘。研究部門長であるタイラーとヘルガ研究員だった。
「やあ、月乃さん! 定家くんから話は聞いているよ!」
「え? え?」
ハイテンションなタイラーが月乃の手を握りぶんぶんと振ってくるものだから、月乃は硬直している。
そんな状態で月乃を置いてけぼり……いや、レーシングカーでふっちぎっていく勢いだ。タイラーはヘルガに命令する。
「ヘルガくん! やっておくれ!」
「あい・さー!」
ヘルガが腰に下げられる程度の大きさの、パンクなカラーリングのひょうたんをクラウディオと正人に向ける。すると恐ろしい吸引力を持ってふたりを吸い込んでしまったのだ。
月乃がぽかんとしているとタイラーとヘルガはハイタッチしている。
「捕獲かんりょー!」
「いえーい!」
楽しげに踊るタイラーとヘルガの様子に、部屋の隅にいた医療班の人間は引いていた。
定家がヘルガの持つひょうたんの口に顔を近づけ笑みを浮かべて中に向かって声をかける。
「さっきの賭けだけどさ、俺は何でも言うこと聞いてあげるよ。だから頑張ってね~」
そう言うとタイラーとヘルガに「あとは任せた」と言わんばかりに敬礼をする。ふたりも実に楽しそうな表情で敬礼をし、嵐のように医務室から去って行ったのだった。
「……定家」
月乃の意識が戻ってきて、油の切れたブリキ人形の動きで定家を見る。定家はお菓子に描かれたキャラクターのような笑みを浮かべている。
月乃は無言で定家の額に腰の「魔道書」を叩きつけた。
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