第53話 「眠り姫と満月」04
満月を迎えるその日。
十分な食事と睡眠を取り、四人は「第八図書館」へ向かう準備を終えた。
クラウディオと正人には茨でできたらしい細かい傷をあちこちに作り、正人に至っては緊張気味だった。魔女姉弟もいつもの余裕のある笑みや軽薄そうな笑みはなく、きりと真剣な表情だ。
もうすぐ日も暮れる。
赤銅色の満月が出るまであと一時間程度だ。査問会の時のように、月乃は「図書館」と扉を繋ぐ。再び訪れた「図書館」は、薄暗くなりつつある景色のせいか、どことなく不気味さが漂っていた。
「それでは、このまままっすぐ凜音ちゃんのところに行きますわよ」
受付を通り過ぎ、研究棟へ向かう。
タイラー研究部門長に挨拶を済ませて四人は進む。緊張感を帯びた空気が漂っていることが肌で感じられるためか、研究部門の皆が声をかけてくることはなかった。
目的である部屋の扉の前に定家と同じくらいの背丈の、丸眼鏡の青年が立っていた。
以前はいなかった青年だ。
彼は月乃を始め、正人――定家を飛ばし――、クラウディオを順番に見てから頭を下げる。
「お待ちしてました、月乃司書、正人監査官、クラウディオ補佐」
「え、俺様無視?」
青年が深々と頭を下げたせいで長めの前髪が目元を隠した。体格の割に堂々としたところはなく、少し隈がある。気が弱いのか、それとも陰気なのか。
だが定家の発言と彼の態度から察するに、定家の存在を目の前から抹消する程度の図太さと精神の強さはあるらしい。
「お疲れ様です、ジノヴィーさん。今回はよくよくおやすみください」
「お気遣いありがとうございます、月乃司書」
「え? 無視? また無視?」
よほど嫌われているようなことをやったのか、ジノヴィーは定家を完全にいないものとして話を進める。
凜音の眠る部屋へ足を踏み入れると、シン、としていて、屋内でありながら夜空が映されている。おそらく魔術的なものだろう。
月乃はクラウディオのための湾曲剣を出すと、自分用の武器をクラウディオの触媒と似たものに降ろす。一本の槍をくるくると己のからだの一部のように操った。バーピージャンプ三十回で悲鳴を上げる人物と同じとは思えないほどの凜々しい立ち姿だった。
次いで定家は黒く輝く、鋭い割れ方をした石に力を降ろし巨大な斧を出す。通常であれば人が操るにはあまりにも大きすぎるそれを軽々と持つ。
正人はふた振りの刀を降ろし、携える。いつも以上に真剣な眼差しをしている。妹と戦うのであるから、当然であろう。
ジノヴィーは部屋の中央で眠る凜音の元に歩み寄り、彼女の手枷に触れた。その仕草は優しく、まぶたを閉じた凜音を見つめるその眼差しは憂いを帯びた切なげなものだった。
ジノヴィーの口から二重の音が、静かにこぼれだす。
『束縛と制限をするもの、かつて在ったもので縒り上げられたもの、飲む貪り食う獣を縛るもの。針がひとつの宮を越えたとき、枷を解放せよ。貪り食うもの、グレイプニル』
どこか祈るような言葉の紡ぎ方に、クラウディオは少しばかり気になった。
枷から離れ、ジノヴィーは頭を下げて退出する。
「五分後に枷が外れます。どうか、お気をつけて」
ジノヴィーが部屋を出た瞬間に扉は閉まり、鍵がかかる音がした。
映し出された空はまだ月を映さない。
部屋の中には張り詰めた沈黙が流れていた――はずだった。
「ねーぇ、ジノちゃんなんで俺様のこと無視すんのぉ?」
黒い巨大斧をくるくると回す定家が唇をとがらせながら言う。緊張感のない言葉に、正人がジト目で定家を見てため息をつく。
「お前が彼にちょっかいかけたんだろう?」
「えー、濡れ衣ぅ」
ぶりぶりとからだをくねらせて文句を言う定家。月乃が頬に手をやり、ふうとため息をつきながら口を開く。
「初めて『図書館』に突撃訪問したとき、ジノヴィーさんのこと足蹴にしてたじゃありませんか」
クラウディオは定家と初対面の時、顎を蹴り上げられ胸を踏みつけられたことを思い出す。あんなことをされたなら、よほど心の広い相手か戦闘マニアでもなければよい印象は受けないだろう。
「それは無視されてもしかたがない」
「ですわよねぇ」
「三対一。お前が悪い」
「正人まで俺様の味方してくんないの?!」
定家のおかげでか張り詰めた空気がほぐれた気がした。意図してなのか、たまたまなのか、無駄な緊張がからだから抜けたらしい。
クラウディオが視線をやると一瞬目を細めチェシャ猫を思わせる笑い方をする。
クラウディオは思わず瞬きをして定家を見るが、また先ほどまでの表情になっていた。
――本当になにを考えているかわからない……
巨大斧を支えに定家はだらん、とした姿勢をとる。まるで戦闘前とは思えない。
「まーあ? ジノちゃんどー見ても凜音に惚れてるし? 俺様が幼なじみで面白くないんだろーさぁ」
突然の他人の恋愛事情の暴露にクラウディオは思わず目を見開き定家を見る。
月乃は頬に手を当てため息をつき、正人が眼鏡を持ち上げた。
「ジノヴィーさんは凜音ちゃんのお世話をずーっとしてくださっていますからね。情が移ったとしても仕方がないでしょう」
「まあ、以前の凜音を知っているのは俺と定家だけだからな。兄の俺はともかくお前じゃ面白くもないだろ」
「ひっどーい!」
「定家がかかわらなければ真面目で誠実だからな。片想いくらい大目に見るさ」
クラウディオは目の前で繰り広げられる光景にひたすら気まずかった。
まさか今日初めて顔を合わせた人物の色恋を聞かされるとは……しかも本人不在である内に。
――忘れよう。次に会ったときが気まずくて仕方ない。
クラウディオはあの物静かそうな青年の恋路を、黙って忘れることにした。
次の更新は来週末の予定です。
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