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第50話 「眠り姫と満月」01

ありがたいことに第50話まで続きました。

協力して下さったたろいもさん、読んでくださりブックマークや評価をくださった皆様のおかげです。

ありがとうございます。

 遙か昔から、荒ぶる存在がいた。

 それは厄災と呼ばれ、悪魔と呼ばれ、あるいは神と呼ばれた。

 人々は肉の檻にそれらを封じ込めることで厄災を封じ、力を得る術を手に入れた。からだに荒ぶる存在――神を封じ込めた人間を「魔女」と呼んだ。

 魔女は神の力を使い、恵みをもたらし、あるいは敵をなぎ払った。

 だが強大な力は孤独を生む。

 強すぎる力に溺れた者。

 災いと迫害された者。

 奴隷のように扱われた者。

 いかに強くとも魔女の心は人と何ら変わりない。孤独に狂った魔女は人々に呪いと災い撒き散らすようになった。呪いと災いを恐れた人々は数にものを言わせて魔女狩りを行う。

 どの魔女も、呪いの言葉を吐きながら人々を責め、死んでいった。


――我を孤独に追いやりし者どもに呪いあれ!

――天は幕を下ろし、大地を灰とし、川は蛇となれ!

――草原に出る者は獅子にその身を食われるがいい!

――砂漠に出る者は蠍に貫かれろ!

――海に出る者は鯨に飲まれるだろう!

――呪いあれ! 呪いあれ!


 魔女達の呪いを受け、解放された神の荒ぶりは酷く、世界を暗黒の時代へと染め上げた。

 人々は己が過ちを認めざるを得なかった。

そして悩んだ末、魔女に生け贄を捧げることとした。

 贄に奉仕しさせることで魔女の孤独を癒やし、寄り添うことで情を育ませた。

 するとどうだろう。

 魔女は贄の献身により温かな心を取り戻し、善き魔女となったのだ。

 こうして暗く長い時代を経て、魔女は迫害の時代を終える。魔女に寄り添う存在は魔女を人の世に留める者として「楔」と呼ばれるようになった。





 「ダゴン事件」を終え、帰宅した翌日。

 クラウディオが聞かされたのは御伽噺めいた内容だった。

 魔女と楔について、語り終えた月乃はなぜか恥ずかしそうにうつむきながら組んだ指をくるくる回し、落ち着きがない。

 ほんのり赤らめた頬と、ちらちらとクラウディオを伺う目は今まで見たことのない様子だった。


「え、と……地域によって多少の差異はあるものの、今日まで伝わっている『魔女と楔』については以上ですの……」


 そわそわ、もじもじ。

 落ち着きなく脚を動かし、クラウディオの言葉を待つような様子をする月乃。クラウディオはなぜ月乃が昔話を語っただけでこんなにも落ち着きがないのか、よくわからなかった。


「それからですね、楔は魔女に一生寄り添う唯一無二の存在で……楔は魔女から離れられなくなりますの。そういうわけで、魔女にとって楔とはとても、その……特別な存在でして……」


 ああでもないこうでもないと悩みながら月乃は言葉を紡いでいるようだった。月乃は自ら不用意に他人を縛ることはしないタイプだとクラウディオは認識している。今現在クラウディオの首につけられている縛りさえ、彼女はクラウディオが頼めば外すだろう。

 クラウディオは自分の首に刻まれているであろう月乃の名前をなぞる。

 「魔女の楔」は主従の縛りとは比べものにならないくらい重いものなのだろう。そのため月乃は説明する言葉さえ酷く慎重になっているようだった。


「ああ、それはわかった」


 端的に答えると、月乃は驚いた顔をした後、疑わしい表情を作り、顔を両手で隠してうつむいてしまった。しかもブツブツと何かを言っている。

 顔を上げて指の隙間から拗ねたような眼差しを月乃が向けてきた。


「……多分わかっていらっしゃいませんね」

「楔は特別なんだろう? 一般的に言うなら恋人とか、夫婦とかそう……」

「その比じゃありませんの!」


 ぷぴー! とケトルが沸騰するように珍しく顔を赤くして怒る月乃にクラウディオは目を丸くする。

 握った拳をぶんぶんと上下に振り、感情的だ。


「恋人や夫婦は解消できますが、楔は解消できませんの! それに……」

「それに?」


 首をかしげながら月乃にクラウディオが聞き返す。しかししばらくの沈黙の後、ふい、と顔をそらしてしまった。


「クラウディオは知らなくてかまいませんわ……」


 じっと見つめても月乃はそれ以上楔について話さなかった。

 猫が尻尾をパシパシと大きく振っているような幻覚をクラウディオは見た気がする。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 クラウディオは後頭部をかいて、席を立つ。ちょうど冷えた頃合いの桃ゼリーと紅茶が冷蔵庫にある。これで機嫌がとれるだろうかと美しい切り子のグラスと涼しげな器で一緒に準備をすることにした。

 なにも言わず、月乃の前に透き通った氷の入ったアイスティーと、ほんのり色のついたガラスの器に盛り付けた桃ゼリーを置く。

 ちら、と見上げてくる月乃に、クラウディオは無言でうなずく。

 月乃も黙ったままガラスの器を手に取り、ゼリーを数度つついてからひと掬い、口に運んだ。


「そもそも……楔は人に限りませんし……魔女と楔の関係は見方によって……」


 月乃はゼリーを口に運ぶたびに、少々ふてくされながら楔についてぼやいた。

 彼女が拗ねた理由もよくわからないが「恋人や夫婦と比にならない関係」と言うのもクラウディオにはいまいちピンとこなかった。

 なにせ突然教えられた新たな概念である。

 第一に「月乃の楔が務まる奴なんているのか?」という疑問。

 定家や正人の話から推測するに過ぎないが、月乃の魔女としての力は他でもそうないくらい強力なのだろう。そして何より自由奔放な猫のごとき月乃である。

 その自由な性格を押し通すことのできる力を持つ相手の文字通り「楔」になれるものはいるのだろうか?

 クラウディオは切り子のグラスのよく冷えた紅茶を口にしながら、定家が言った言葉を思い出す。


――その調子で月乃の「魔女の楔」になってくれれば、弟としては嬉しいんだけどねぇ。


 定家はクラウディオを小さじ一杯程度見所があると認めた上でそう発言したのだろう。だが第二の疑問として浮かんだのは「月乃の意思は?」である。

 只人の恋人や夫婦選びでも重いのだ。それと比にならないくらい「重い」らしいそれに、自分を選ぶのかと考える。そもそも彼女が自分をつなぎ止める「楔」を欲しがっているのだろうか?

 そんな疑問がそのままぽろりと口からこぼれた。


「月乃は楔が欲しいのか?」

「んぐふっ!」


 月乃はゼリーを吹き出しそうになるのを手で押さえ、その拍子に気管に入ったらしい。背中を丸めながら咳き込む月乃の背中を、クラウディオは軽く叩いた。

 むせた咳が治まった頃、涙目を浮かべながら月乃はクラウディオを睨む。


「……」


 やはり黙したままなにも言葉を返さない。まだ機嫌は損ねたままらしい。

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