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幕間  「魔女の楔」04

 定家がチェロケースを地面に突き刺すように立てる。そしてその口から二重の呪文がこぼれ出した。


『鉄の歯車、解析機関、融合の狂気。我が神よ、その姿をここに!』


 紡ぐ呪文は「魔道書」を降ろす時のそれではないし、その手に「魔道書」はない。つまりこれは定家の魔女の力だ。

 チェロケースが展開し、機械仕掛けの鎧が現れた。物理法則を完全に無視しているとしか思えないそれに正人はあっけにとられる。


――パワードスーツ……研究部門は何をやっているんだ?


 眼鏡がずれ落ちそうになるのを正人は抑える。この場に定家がいなければ早々にあの蜘蛛を仕留めるために動くというのに、定家がいるだけでこのざまである。


「ねー、見てみてかっこいいでしょー?」


 本来超常とは相容れなさそうな重機じみた鎧は内側から青白い光を漏れさせていた。

 スタイリッシュなアクションゲームかハリウッドの大作映画を思わせるような見た目のかっこよさを重視しているデザインのそれ――目がけて蜘蛛が腹から糸を吐き出す。


「ばか! ちゃんと構えろ!!」


 正人が刀を振るい、その糸を切り捨てた。緊張感のない定家の様子に正人は額に青筋を浮かべて叫ぶ。しかしその程度コントロールできるならば、正人はこの男からとおの昔に離れている。感情だって乱されることもない。


「まあまあ見てなって。俺様のカッコいいとこ!」

「見物してられるわけあるか!」


 拳をぶつけ合い一息に距離を詰める。

 その重そうな見た目とは裏腹に軽々と宙を舞う。定家が腕を振ると、そこに生じたのは赤いティアラのマークが刻まれたロケット弾。ずらりと並んだそれ。


「発射ァ!!」


 定家が楽しげに叫んだ途端、ロケット弾はその巨大なからだに容赦なく打ち込まれる。巨大であるが故に小回りがきかないのか、ほぼ全弾をまともに食らってしまう。衝撃で体勢を崩すも蜘蛛のからだはわずかに体毛を焦がすだけだったらしい。

 そこに正人が駆け出す。

 蜘蛛の節部分目がけて刀を振るい、自立させないために斬りつける。蜘蛛の節足の届かぬところから振るわれたそれは関節を狙う。

 高い技術でもって素早く、樹齢八十年の木よりも太い片側の三本を切り倒した。

 怒り狂った蜘蛛はその巨体でもって押しつぶそうと身をよじり暴れるがふたりとも軽々と躱す。

 正人は攻撃範囲外、定家に至っては飛行の術も持っている。鬼蜻蛉よりも早く飛ぶのだから捕らえるなど蜘蛛にはできない――はずだった。


「正人! 下がれ!」

「なッ!?」


 高く上げられた腹から発射された糸の群れが正人目がけて飛ばされる。本来であればただ縄を投げられるのと変わらない――そう思っていた正人の側で投網のように広がる。

 当然のように粘着力を持ったそれは正人のからだを絡め取る。そのまま一本釣りの魚のように糸を引く蜘蛛の牙に向かってからだが宙を舞った。


 ――死ぬ……!


 走馬灯のように思い出されたのは、目を輝かせ、向日葵を思わせる笑顔の妹が元気だった頃の姿。

 身動きも獲れず正人は思わず目をつぶる。妹の呪いを解く手がかりも見つからないまま終わるのか、と体を硬くした。



「俺の楔が蜘蛛なんかに食われていいワケないだろ」



 耳元で定家の声が聞こえた。

 目を開けば定家が正人を抱き留めていた。重機を思わせる鎧から生えた四対の機械の脚が蜘蛛の目を貫き、蜘蛛の絶叫を背景に定家は糸に縛られた正人の顔をのぞき込む。


「さだ、いえ……助かっ……」

「だめだろ、正人。俺以外に食われちゃさ」


 鼻がくっつきそうな距離で言う定家に、正人は耳まで赤くして動揺する。いつもよりもずっと真剣なその翡翠の目が、あまりにも強く正人を揺さぶったからだ。


「さっ、さだいえ! こんな時になに言って……!」

「ま、いいや。話はこれが済んでっからね」


 ぐん、と反動をつけて重機の脚を残して定家は飛び上がる。そして風を操り高く高く飛翔した。


――ドン


 腹の底に響くような爆発が起こる。蜘蛛を貫いた機械の脚がそのまま爆発をしたのだ。その威力はすさまじく、貫いた頭だけでなく胸部まで跡形もなく消し飛んだ。

 しかしそれを認識できる余裕など、正人にはなかった。

 何せ恋人が映画のように自分を助け、胸に抱いているのだから。

 これで冷静でいられるほど、正人は精神が成熟してはいなかった。







 事後処理部隊の派遣要請を出した後、定家は正人の待つバンへ向かう。

 助手席では仮支配のカバーをつけた「魔道書」を、正人が齧りつくように読んでいた。ちょうど最後のページを読み終えたらしく、沈鬱な表情になって「魔道書」を閉じる。


「また関係ない『魔道書』だった?」

「ああ……かすりもしなかった」


 沈黙した「魔道書」の表紙を撫でる正人の頭を、定家はくしゃくしゃとかき混ぜた。自分と、何より妹である凜音の呪いを解くために奔走している正人の落胆は何度目か。

 こういうとき、定家は言葉を多く語らない。この手の話で言葉を尽くすよりも、温かさと休息が必要だ。

 そう理解している定家はカティ事後処理部門長に連絡をとることにした。カティへ連絡した定家が、通信越しに彼女の悲鳴と語彙力のない半泣きの罵倒を受けた後、指を鳴らして簡易結界を張る。そのまま事後処理部隊の到着を待たずに、帰路へ着くことにした。

 車内は静かで、正人はぼんやりとライトに照らされた夜道を眺める。定家もなにも言わずに車を走らせる。

 家に着いた時、正人はもう風呂に入る気力もないのかソファに座り込んでしまった。定家はふたりの武器入れであるチェロケースとジュラルミンケースを部屋の隅に置き、正人の顔をのぞき込む。


「風呂入らない?」

「……シャワーだけにしておく」


 ふらりと下着もタオルも持たずに風呂に向かった正人のために定家は脱衣場に準備をしておく。

 そして五分シャワーを浴びたかも怪しい烏の行水で出てきた正人に、今回の「はずれ」が心にキていたことを改めて理解する。定家も入れ違いで汚れだけ落としてすぐに出る。

 案の定、正人はウィスキーをひとりであおっていた。


「こぉら。空きっ腹に飲むんじゃないの」

「別にいいだろ……」


 落胆した正人の様子に定家は「仕方ないな」という表情をする。決してあきれているわけではない、世話焼きな微笑を浮かべた。正人は放置するとすぐ不健康になる。定家がこうして気をつけていないと食事さえも適当になる。

 定家はグラスを取り上げ、正人を毛布でぐるりと巻いてしまう。


「あっ、おい。なにするんだ」

「はいはい、今日はもう寝ましょうねー」

「……」


 幼児にでもするように抱えられてあやされながら、正人は寝室に運ばれる。そのまま眼鏡も外されベッドに寝かされてしまった。そしてもう寝ろと言わんばかりに定家は正人を抱きしめて一緒に横になる。


「また明日から頑張ろうよ。ね?」


 まだ少し濡れている髪を撫でながら、定家はやわらかく笑う。

 正人は無言のまま、目を閉じ定家のからだに額をこすりつける。スン、と音が聞こえ、定家は赤子を寝かしつけるように正人の背中を優しく叩く。


「大丈夫。俺がついてるよ」


 優しく甘い声は正人の耳朶をくすぐる。心地よい体温とリズムは、正人をゆっくりと眠りへ誘った。


「おやすみ、俺の楔」


 正人のまだ少し湿ったつむじに、定家は口づけて目をつぶった。

次回は『第八図書館の秘密の本』(ムーンライト)を先に更新する予定なので、次の週末更新はお休みする可能性があります。


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