幕間 「魔女の楔」03
その後、企画展以外も回ったものの、ふたりはそれらしいものを発見することはできずに日中の調査を終える。
定家はわざわざ隣町までバンを走らせ、食事を買いに行く。曰く「うまい店があるから」だそうだ。
成果のなさに眉間にしわを寄せて考え込む正人はバンの助手席で腕時計型の探知魔道具を見ていた。隠蔽能力の高い相手らしく美術館の方向を指すものの決定的な反応を見せなかった。
また犠牲者が出たら……そう思うと正人は気分が悪くなる。自分もまた魔術師の犠牲者であるが故に影も踏ませない奴らに対して焦燥感を覚えるのだ。
眼鏡を外し目頭を押さえて顔を伏せる正人の後頭部に、定家が大きな手を置く。そのままわしわしと犬でも撫でるように毛を逆立ててかき回してやれば正人はキッと眉をつり上げて手を払った。
定家は正人の胸中を知ってか、ニ、と笑ってみせる。そんな風に笑う定家に正人は首をかしげた。
「大丈夫だって。夜になれば見つかるから」
そう、自信満々に言う定家に正人は片方眉を上げた。
定家も月乃同様、経験豊富だ。
「第八図書館」に所属してからも「魔道書」の収集も魔術師の捕縛も魔道具の回収も軽々とやってのけている。
魔女姉弟は「図書館」内外で一目置かれているのだ。善くも悪くも。
そんな定家は焦りもしなければ動じもしていない。運転席の座席を倒し、眠る姿勢に入る。
成果も出ていないのにかなり呑気な様子の態度は昼行灯のそれだ。
「夜になれば動きがあるから。焦らなくっていいよ」
「……根拠は?」
正人は定家の顔をのぞき込み、その不貞不貞しい表情を見下ろした。
定家は正人の眼鏡を外し、朝焼けの瞳をまっすぐ見つめる。
「悪いヤツは闇に紛れるモンだよ」
昼間は明るかった美術館に隣接する公園も、今は明かりがほとんどない。閉館した美術館からは防犯のライトがあるが、その程度である。
広い公園にあるのは風にそよぐ木々のさざめきだけで、月明かりに照らされる機械仕掛けの巨大蜘蛛は不気味に佇んでいた。
そこへふらふらと足取りのおぼつかない人影がひとつ、ふたつ、みっつ……
その人々の目に意識はなく、夢遊病か催眠術にでもかかったかのように呆けている。
女性ふたりと男性ひとり。彼らの胸には人の目には見えない糸が出ている。それは巨大蜘蛛に向かってのびていた。
不可視の糸は彼らをゆっくりと巨大蜘蛛に導く。それを止めるものは誰もいなかった。
――ひゅるる……
少々間抜けな、打ち上げ花火のような音が近づいて来る。
赤いティアラのマークの描かれたそれはいわゆる――ロケット弾というものだった。
ロケット弾が巨大蜘蛛に着弾し、それを一気に炎で包んだ。するとどうだろう、ギイィィ……と蜘蛛が鳴き声を上げる。
高温の炎をから逃れるために、巨大なそれは機械仕掛けの節足を動かし暴れた。
木の多く生えたところからパチンッ、と指をはじく音がする。音の主は定家だった。
「おっしゃ、命中ッ」
「馬鹿かお前は!!」
チェロケースを担ぎアクション映画のマリアッチを連想させるポーズを定家はキメている。その頭を力一杯ひっぱたき、正人は叫んだ。
「一般人ごと焼くつもりか!?」
「え~、『ガードよろしく!』って言ったじゃん……」
心臓をバクバクさせて冷や汗をかく正人は、「魔道書」から降ろした刀を振り抜いた後だ。不可視の糸を断ち、地面を抉る斬撃を飛ばしたのは着弾直前。相当肝が冷えたらしく、正人は青ざめた顔で胸元を押さえていた。
定家から刀身を伸ばせるものを装備するよう言われたときは疑問符が浮かんでいた。まさかこんなことをすると、正人は思いもよらなかった。
「正人だったら大丈夫だって思ったし」
「……ッ! そういう問題じゃない!」
唇をとがらせて殴られた場所をさする定家に、今度は顔を赤くして正人は怒る。
しょんぼりした顔を切り替え、定家はチェロケースを構え直して燃える巨大蜘蛛の下へ歩み寄る。
機械の外殻が焼け落ち、闇に融ける蜘蛛が姿を現した。本体部分は焼けてはいない様子であるが、己を焼かんとした元凶を認識すると怒りの叫びを上げる。
巨大さだけではない。蜘蛛という存在は人によってはその出で立ちだけで恐怖するだろうそれ。牙を動かし威嚇するその姿は猛獣のそれよりも生命の危機を覚えさせる。
しかし定家は舞台役者のように堂々と蜘蛛の前に歩み出た。
そのあまりにも無防備、いや大胆な様子に正人は思わず目を奪われる。
「こんなにあっさり見つかるなんて、僥倖だわ。でも残念。この調子じゃ研究部門の新作の活躍、ここまでじゃん」
突然人影が空を舞う。音を置き去りにする速さで蜘蛛の頭に縦回転でかかとをぶち込んだ。その影は蜘蛛の頭を地面にめり込ませ、くるりと身を空中で翻し、定家の隣に降り立つ。
それはパズズの脛当てを装備した定家だった。
「は?」
正人は目を疑った。
定家がふたり、全く何もかも同じ姿の彼が並んで立っている。正人は自分の目がおかしくなったかと目を擦った。
それでも定家がふたりいることは変わらなかった。驚いている正人に気づいた定家は彼を振り返り、ふたり揃って手を振る。
「新作のデコイ人形だよ~。そっくりでしょ? 俺様も糸つけられてたから途中で入れ替わったんだぁ。欺瞞魔術使えるのもできるとかすごいよねぇ」
不自然な力の垂れ流し。
展示物に偽装して隠れる臆病な「魔道書」。
定家につけられた糸。
欺瞞魔術を使えるデコイ人形。
デコイ人形に命令し、一般人をまとめて担いで避難させる定家は緊張感がない。デコイの定家がウィンクを投げてきたところで正人はようやく状況が飲み込めた。
「お前、いつの間に入れ替わったんだ?!」
巨大蜘蛛にあえて警戒されることで意識を向けさせ、デコイと入れ替わった。その後は自由に探っていたに違いない。そしてデコイがあの糸を使い、「誤った」情報を蜘蛛に流していたのだと察しがついた。
「え、トイレ行ったとき。体温も匂いもそっくりだったデショ?」
「う……」
定家はニコニコと笑いながら正人をからかう。苦虫を噛み潰したような顔をしたり、赤らめたり忙しい正人の頭をくしゃくしゃと撫でて定家はチェロケース相手にダンスをするようにくるりと回す。
月乃と同じ色の瞳が見据えるのは、目を真っ赤にして怒り狂う蜘蛛だ。
「さて、それじゃあ一緒に踊ってもらおうか?」




