幕間 「魔女の楔」02
Q、デートですか?
目的地の美術館は観光地や都市の中心部から離れているところではあったが、人の入りはなかなかのものだった。
広々とした公園と隣接しているため、そちらには今回の企画展の目玉である巨大展示物が置かれている。
機械仕掛けの巨大な蜘蛛のそれは、不気味さよりもスチームパンクを思わせるクラシックさが際立つ。大迫力なそれは機械好きな幼子やスチームパンクにロマンスを感じる大人を魅了した。
「おおー、これがポスターになってたやつか」
「らしいな。かなり大きい」
定家はチェロケースを担ぎ、正人は小型のジュラルミンケースを手っている。一般客に混ざり美術館の中を調査するのだ。
器になる人間を物色している「魔道書」がいる可能性や、魔術師が自分の研究のために魔道具を紛れさせる可能性――様々な想定がされる。今回の場合、この企画展を拠点に人々に害をなす「ナニカ」があるのだ。
「さて、チケット買って屋内展示の方に……」
定家が隣を見ると、正人の姿がない。人より頭ひとつ以上飛び抜けている定家を見失うことはなかろう。
定家はきょろ、と周りを見渡すときゃあきゃあと高い女性の声が聞こえてきた。その中心に困った表情の正人がいた。
「お兄さんかっこいー。よければ一緒に乗馬しません?」
「いや、俺は馬には乗れないから……」
「大丈夫! 初心者向けのレッスンですから! お兄さんが乗ったら絶対かっこいいですよ!」
三名のアクティブ、いや、アグレッシブなお嬢さん方の勢いに、正人は飲まれそうになっていた。直接目を合わせておらずとも、正人はチャームの持つ力がにじみ出ているのか、こういう風に声をかけられることが多い。
電車に乗った日には五駅移動する間に四、五回ナンパか痴漢痴女に遭う。
キャストドールに一流のメイクアップを施したような見た目の正人だ。見た目のみに限らないが、人を惹き付けてしまう。
「あーあ、またか……」
正人も「図書館」に所属する監査官兼司書である。無手であっても強いため、逆に素人相手には慎重になってしまうのだ。
定家は頭をかき、慣れた様子で正人を囲むお嬢さんたちに近づいていった。
そしてぐい、と正人の肩を抱いてみせる。それはもう、見せつけるように。
「ごめんね、用事があって今ちょっと急いでるんだ」
爽やかな笑みを浮かべ、正人の顔に自分の顔を寄せながら彼女らを見る。ルネサンス彫刻を彷彿させる体格の定家の登場に、お嬢さんたちはぽかん、としている。
その隙に正人を引っ張って行ってしまえば、背後で「キャー!」と聞こえた。
いつものことである。
十分な距離をとるまで定家は正人の肩を抱いたまま、移動する。正人のつむじをのぞき込めば赤くなっている耳が見えた。
「……悪い」
「いーの。恋人のピンチには駆けつけるもんでしょ?」
肩を軽く二度叩いて定家は正人を解放する。何かを思い出したようにふっと笑う正人はとても絵になっている。これでは惑わされる者や血迷う者がいても仕方のない。
「月乃とおんなじことを言うんだな」
海を渡る以前、正人がまだ今よりもチャームの呪いに翻弄されていた頃。月乃は正人の形ばかりの恋人になっていた。それにより襲い来るチャーム被害者を片っ端から解除するという荒技をやってのけていた。
申し訳なさでいっぱいだった正人に月乃が「恋人のピンチには駆けつけるものでしょう?」と言った言葉は忘れられない。
それを聞き、定家は頬を膨らませて唇をとがらせた。
「あっちはフリだろー?」
正人と月乃が同級であったこと、異性であったことという理由から、都合がいいので恋人役だった。三つ年が違うとなにかと行動範囲が異なる。当時定家にはその役が難しかったのだ。
「まあな。それはそうと定家」
「なーに?」
定家から離れた正人は冷静に定家を見る。じ、としばらく定家を見つめたかと思うと深くため息をついた。
「……お前、着いてからずっと魔女の力垂れ流してるだろ?」
正人の指摘に定家は舌をぺろ、と出してよそ見をしながら肩をすくめた。
定家は月乃と異なり、魔女の力を制限していない。その上相性がいいのか、何かとその力を活用という名の乱用をする。
「あのな、なんでお前は威圧して炙り出そうとするんだ」
正人はつま先で舗装された道を叩く。
相手が魔術師である場合や臆病な「魔道書」である場合逃げられることがあるのであまり使うべきではないのだ。
「だーって、その方が見付け易いじゃーん」
悪びれもせず言う定家に正人は眼鏡を持ち上げながらまた深くため息をついた。
企画展の内容は前衛芸術家たちの作品を集めたもので、レトロフューチャーな機械と歯車がテーマらしい。スチームパンクやらマジックパンクやら、そういったものが混ざり合っているようだ。
宝石のイミテーションと歯車を組み合わせたアクセサリーを見ている定家はだらだらと鑑賞をしている。正人はミニロボットの箱庭を見る振りをしながら腕時計に偽造した魔道探知をチラチラと確認した。気配を察知しようとチェックしているが針はピクリとも動かない。
ようやく全部見て回ったが、収穫はなかった。屋内の展示品にも美術館内にもおかしなところはなかった。
休憩スペースで定家はおもむろに背中を伸ばしてぼやく。
「封鎖どころか調査もさせないってどーいうことよ」
本来、調査部門による日頃の調査から異変の精査をする。その後職員が派遣され「魔道書」もしくは魔術師や魔道具による被害と思われた場合、封鎖などを行い収集部門の職員が派遣されるのだ。そして事件が解決した後事後処理部門によってすべてが完了する。秘密裏に行われることもあるが、大まかな流れとしてはこうである。
そのため調査・事後処理部門は各方面への調整と影響力が大きい。
月乃のようになんとなく嗅ぎつけて「魔道書」事件を解決してしまう方が稀なのだ。
「ここの市長が強情らしくてな。説得ができなかったらしい」
「えー、うそ。イェルカ部門長が本気でやればそれはないって」
イェルカの有能さを知っている定家は「嘘だぁ」という顔をする。正人も同意するように紙コップのコーヒーを口にする。
あの品のいい笑みを浮かべるイェルカが「図書館」内で幅をきかせているのは正人も知っている。
「まあな。だからその辺り駆け引きがあるんだろう」
おそらく市長に恩を売り、体のいい駒にする――そんなところだろう。
月乃を始め、正人たちが「第八図書館」に所属するにあたり、便宜を払ってくれたのはイェルカだ。そのため、月乃はイェルカからの「お願い」を無下にしない。そういう風に恩を売ってうまくやるのが彼女だ。
「うわー、めーんど」
長年月乃とともに「魔道書」集めを独自に行っていた定家はその辺り上手くやっていたのか、心底煩わしそうに炭酸をあおった。
「はー、後半分回って、そしたら一回引き上げよう」
「ああ、わかった」
正人が飲みきった紙コップをひょいと取り上げ、自分のものとまとめてゴミ箱に捨てる。背負い直したチェロケースからガコン、と重い音がした。
「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくるわ。漏れちゃう」
「さっさと行ってこい。それ、預かろうか?」
正人は定家が背負うチェロケースを指さす。明らかにあの巨体とチェロケースがトイレにはいればスペースを圧迫するのが目に見えている。しかし定家はにこりと笑いそれを断った。
「入れるのか、それで」
「うん、ダイジョーブ。先行っててもいいよ~」
それだけ言って定家は小走りでトイレへ向かった。
A、仕事にかこつけたデートです。




