幕間 「魔女と楔」01
正人と定家メイン回です。
同性愛表現あり。
牛のシルエットがワンポイントで刺繍されたエプロンを身につけ、定家は鼻歌を歌いながら朝食を作っていた。
両面焼きの目玉焼きをカリカリに焼いたベーコンと一緒にパンに乗せ、野菜たっぷりのミネストローネを白いスープカップに注ぐ。満足そうな顔をするとエプロンを外して足取り軽く寝室へ向かった。
大きなベッドの壁際はこんもりと膨らんでおりときおりもぞもぞと動いている。
抜き足差し足忍び足。
そろりと近づいた定家は布団を剥がし、ベッドサイドに座ってその中身の人物――まだ夢の住人である正人の前髪をよけて顔を寄せる。
「ん……」
その気配にまぶたをぴくぴくと動かし、正人は目を覚ます様子を見せた。どうやらまだ意識がはっきりしないらしい。何せ昨晩も夜更かししそうになったのだ。
定家はその耳に吐息がかかる距離で低くささやく。
「おはよ、正人」
ついでに耳に息をフゥとかけてやる。
「ぅわぁあぁっ!?」
裏返った叫び声を上げて正人は飛び起きた。しかしあまりにも驚いたのか、掛け布団を巻き込んでベッドから転がり落ちた。しばしの沈黙と硬直ののち、定家が歯を見せながら大声で笑い出す。
バシバシと自分の膝を叩き目の端に涙を浮かべている辺り悪びれる様子は一切ない。
「あっはっはっは! お、おはよう……! すっげー叫び声……」
ベッドサイドに手を伸ばし、眼鏡を掴んでから正人は顔を出した。不服そうな表情で定家を睨むが、まるで効果はない。
何せパンツしか身につけていない上にいつもならきっちりした髪に寝癖をつけているのだから。
「……おはよう」
「おはよ。飯できてるから顔洗ってきなよ」
「ああ……」
ひらひらと手を振り定家が出て行った部屋で、正人は深くため息をついた。
軽い朝食を終え、ふたり揃ってサプリメントを飲んでから今日の準備をする。任務にあたっての装備の準備はすでにできているので着替えるだけだ。
今回は少々込み入った理由から「第八図書館」の制服ではなく、私服である。
正人はVネックの白いシャツに黒のジャケットにデニムといういつもより少しラフな格好だ。定家も白いパンツをふくらはぎまで捲り、紺のシャツを袖まくりしている。
「定家、ボタンがずれているぞ」
「え、マジ?」
「たまにやるよな、お前」
指摘だけして素っ気なく、小型のジュラルミンケースをもって玄関へ向かおうとする正人の肩を引き、定家は胸に彼を引き込む。
後ろから硬直した正人の顎を持ち上げてやればふたりの視線が合う。いたずらっぽい色をした眼差しは正人のものをのぞき込む。
「いってきますのちゅーは?」
ニ、と笑う定家に正人は瞬間湯沸かし器のように顔の血を沸騰させて赤くなる。ぱくぱくと動揺する正人の表情に、定家は喉の奥で笑った。
「馬鹿言うな」
「あいた」
みぞおち辺りに肘鉄を喰らい、定家は「ちぇ」と唇をとがらせる。仕方なしにボタンの掛け違いを直し、用意しておいたチェロケースを背負ってバンへ向かった。
「さてさて、お仕事に向かいますか」
バンを軽快に走らせる定家は口笛を吹きながらハンドルを握る。少々日差しが強くなってきた最近、定家はサングラスをかけている。ボストン型のそれをかける定家は少々柄が悪く見えた。
「ロロフォン美術館付近で行方不明者。調査職員からの報告だとすでに十五名、か……」
正人は助手席でコーヒーを飲みつつ、任務内容をもう一度チェックしていた。
行方不明者の共通点は行方不明当日、ロロフォン美術館の企画展を訪れたという点のみらしい。ぶつぶつと資料データをいれた端末を読む正人。それを「酔うからやめな」と定家は端末を取り上げた。
「おい定家、返してくれ」
「本来だったら正人は監査なんだし、もっと職員相手にしてんのにねぇ」
そう。正人は本来監査部門の所属である。どちらかといえば「第八図書館」の本部で書類のチェックか、各地の職員の元を行き来するのが仕事の中心だ。
こうやって調査や収集に行くポジションではない。
正人はため息をつき、眼鏡のブリッジを上げる。正人の目にかけられた「チャームの呪い」は人を魅了する力を持つ。
「魔道書」を相手にするより人の相手をする方が、力を発揮するのだ。しかしそれは不用意に発動すれば相手の人生を曲げることになるし、加えて正人自身によくないことが降りかかる。
呪いをかけられたばかりの頃は特に苦労をしていた。
「俺がいると仕事がはかどらない場合が多いからな。『これ』が必要な時以外は外で仕事をしている方が気が楽だ」
正人はこめかみを軽く叩いて見せる。
チャーム封じの眼鏡の向こうの瞳は少しばかり愁いを帯びている。
「眼鏡があればチャームは問題ないし、何かあってもお前がいるからな」
定家は月乃同様、正人のチャームが効かない数少ない人物であった。ふたりとも魔女であるためか、魔術師のかけた呪いには抵抗がある。そのため正人にとってふたりは特別な存在なのだ。
「ま、俺様としては正人といられる時間が増えるからありがたいよ」
「わかったわかった」
適当に流しながら正人は窓の外を見る。
このところ晴れていたため街路樹の緑が濃くなっている気がする。
日差しが以前より強くなった。からりとした空気は心地よい。
「調査か収集に来ればいいのに。俺様だって収集と事後処理兼任してんだからさぁ」
そうぼやくと正人は難しい顔をする。眉間のしわを深くさせて唸って額を抑えた。
「イーダ部門長が異動を拒否しているから難しいな……」
「あー、うん……イーダさんね……」
定家の頭に浮かんだのはあのチョコレート色の肌に豊かな黒髪の彼女が目をつり上げて食って掛かってくる姿。正人の頭に浮かんだのは熱っぽく蕩けた眼差しで猫なで声のイーダの姿……
ふたりは同時にため息をつく。
「それに俺もあまり外でチャームを振りまく仕事はしたくない」
「第八図書館」の職員に対してのみそのチャームを特定条件下でのみ使う……それに止めている。
「だよねぇ」
正人の言葉に苦笑いしつつ、定家はアクセルを踏み込んだ。
道沿いのどこかで芝に手を入れたのだろう。ふたりの鼻腔に青臭い風が届いた。




