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第4話 「カニバル・ハンニバル」04

 プレッシャーを放つその場所から現れたのは、先ほどまで話題に上がっていたローレンだった。格好は昨日と同じで、ふらふらと酔っ払いのような足取りをしている。その目は焦点が合わず、唾液で口元を汚れている。ジャンキーか、もしくはB級のホラー映画の怪物のようなお粗末な動きで店内にふらふらと入ってきた。状況的にはローレンが扉を吹き飛ばしたらしい。

 ローレンはクラウディオやマスターのように逞しくもないし、格闘技をやっているわけでもない。あまりにも不自然な状況に毛が逆立つ。

 「ジャック・ポット」の店内にいた人間すべてが身構えたままローレンを注視する。視線を注がれていたローレンは、突然高圧電流を流されたかと思うくらい身体を痙攣させ、屠殺される家畜のような声を上げる。その異様さに、後ずさりする者もいた。


 セヴァンがホルスターから銃をとりだし構えた瞬間、メキメキとローレンの頭蓋が内側から盛り上がり、何かが生えてきた。その光景にセヴァンも、いつの間にかショットガンを取りだしていたマスターも目を見開き唖然とする。

 ローレンの頭部から生えてきたのは本だった。革装丁の古書といっていい部類の見た目をしたそれが現れる。

 ローレンの頭部はどう見ても空っぽで、今まさに「カニバル・ハンニバル」の犠牲になった死体が目の前でできあがる様子を見せつけられたのだ。

 ごとん、と重量のある音を立てて落ちた本は妖しく光を放ち、形が変わる。その姿は二足の狐とも犬ともいえない奇妙な獣となる。鋭い歯を剥き出しにし、舌を出す姿は飢えた肉食獣で、クラウディオよりも大きい。不気味で、造形こそ悪くはない様子が金をかけて作られたホラー映画のようである。


 頭蓋が割られたローレンのからだは倒れ、哀れなことに怪物に踏み潰された。

 有り得ない光景に店内はめちゃくちゃになり、客は次々に窓や裏口に殺到した。店内の誰もがその光景に正気を疑う。

 目の前に現れたこのクリーチャーに神経をかきむしられる不快感を覚え、胃の中からせり上がるものがあったはずだ。

 セヴァンは恐怖を振り払うように二発、発砲する。発砲音が辺りに響いた。射撃の腕がいいらしい彼の弾は二発とも胸部に当たる。しかしケダモノは意に介さない。マスターもカウンターから身を乗り出し発砲する――が、しっかりと当たったはずなのにケダモノは痛みさえ感じていないようだった。ブルリとやつが身震いするとバラバラと銃弾が床に落ちる。犬に、いや狐に銃が効かないという冗談のような有様に男たち喉は引きつった。

 そんな屈強な男たちが息を呑む状況で、そのケダモノの前に猫のように歩を進める女がひとり。


――月乃だ。


 やわらかな髪を揺らしながら、歩む姿は緊張感とも恐怖とも無縁のようだった。月乃はまったく表情を変えず、ポケットに清潔そうなレース縁のハンカチを戻し、優雅に歩く。

 腰に下げた本を手に取り、構えると勝手にページがめくられてゆく。そのファンタジーじみた仕草で、彼女は口上と共にケダモノの前に立った。


「こんなに早く見つかるなんて、僥倖ですわ。でも残念。あなた『写本』ですね」


 この期に及んで理解できない単語が彼女の口から零れた。しかしそれを理解しているらしいセヴァンは声を上げる。


「『司書』! これはあんたに任せていいんだな?!」


 銃を構えたままのセヴァンは確認する。このたちの悪いホラーのような状況は刑事の領分でも、ましてやただの人間の領分でもないのかと。

 微笑む月乃はオーケストラの指揮者のように堂々としている。巨大なクリーチャーを目の前にして尚、彼女の顔に恐怖はうつっていない。


「ええ勿論。この『魔道書』なかなかに強いです。早めの離脱をおすすめしますわ」

「おい! 店を出ろ! 逃げるぞ!!」

「クラウディオ! 離脱しろ!」


 セヴァンが叫び、マスターも退避行動をとる。カウンターの内側の脚元には、緊急用の地下通路があるのだ。マスターはそこに飛び込んだらしい。

 マスターに呼ばれたものの、クラウディオは動けなかった。月乃とケダモノに注視していたからだ。生身の人間が、どうしようもないというのは理解できる。

 なのになぜあのような血なまぐささとは縁遠そうな女ひとりに押しつけるのか?! クラウディオの心臓は握りつぶされる感覚に陥る。

 弾丸を受けたときは微動だにしなかったケダモノが月乃の姿を捕らえた途端、咆哮を上げた。そしてケダモノは唾液をこぼし、その鋭い牙を立てようと月乃に顎を繰り出す。


 クラウディオが走り出したのはほぼ無意識だった。


「おいやめろ! バウンサー!」


 セヴァンがクラウディオに叫ぶ。クラウディオにとって大半の人間は小さく弱い。あんな動物とも化け物ともつかないものに襲われる様を黙ってみていられる神経は持ち合わせていなかった。


「……ッ!!」


 月乃を抱きしめるようにして庇いながら床を転がる。牙をかわされたケダモノは、今度はぶ厚いナイフのような爪でクラウディオのからだを斬りつけた。骨まで達する四本の轍がクラウディオを襲う。その強烈さにクラウディオは呼吸が止まりそうになるが、それでもクラウディオは月乃を抱きしめ庇っていた。


「ちょっと! 一体何をしているんですか!?」


 クラウディオの腕の中で月乃は叫んだ。血の臭いが広がり、クラウディオのからだをに触れた月乃の手も血に汚れる。

 まさか庇われると思わなかったらしく、信じられないものを見る目をしてくる。


「はなしてください! 殺されますよ?!」

「お前が殺されるだろうが!!」


 クラウディオの叫びに、月乃は目を見ひらく。再びケダモノが咆吼し、爪を振りかざす。回避が間にあわない。そう思ったとき、クラウディオは月乃を覆い隠すように抱きしめた。


 一瞬、走馬灯が走る。


 血まみれの手、怯える女、地に伏す男たち。昔守ろうとしたものがこぼれ落ちる瞬間が、頭の中を駆け巡った。

 背後で硝子が割れる音がした。

 しかし痛みは一向に訪れない。肩越しに振り返ってみれば、狂ったように爪を、牙を剥き出しにして飛びかかってくる化け物がいた。しかしやつは玉虫色に輝く、幾重にも重なる障壁に遮られていた。

 石けん水の膜のようにも見えるそれが、怪物から自分たちを守っている不思議な光景に目を丸くするクラウディオ。

 障壁に飛びかかる度、薄い硝子が割れる音がするが、怪物はまったく近づけないでいた。

 目を大きく開き、今の状況に驚くクラウディオの首筋にやわらかな指先が触れた。思わずからだをのけぞらせる。


「すてき」


 そう、胸を高鳴らせる乙女のような声を月乃はこぼしていた。場違い過ぎるこの状況で、きらきらと目を輝かせていたのだ。


「まるで物語の主人公ではありませんか……! 身を挺して、よく知りもしないわたくしを庇って死にそうになるなんて……!」


 その賛美する声にクラウディオはたじろぐ。

 どう考えてもおかしい。こんな状況で、まるでヒーローが現れたときのような、そんなわくわくした興奮をしているような目で月乃はクラウディオを見ていたのだ。


「何を言っているんだ、お前は」


 思わずそう呟いた。

 一言で言うと困惑。

 クラウディオが過ごしてきた人生で五指に入るくらいの変人だと、そう思った。どう考えても今この場は修羅場である。で、あるにもかかわらず目の前の女はコミックスかアニメ、またはヒーロー映画でも見ているかのような有様なのだ。

 クラウディオは理解できない生物が目の前にいる、そう感じた。月乃はというと興奮からか、強めにクラウディオを捕まえるように両手で顔を捕らえてくる。


「お前じゃありません、月乃です!! クラウディオさん、あなたとてもすてきですわ!!」


 翡翠の瞳は、強くクラウディオを見つめた。


 あまりにもおかしなことを言い出す目の前の変人にあっけにとられていたが、痛みで呼吸が上手くできなくなっていたことに気付く。肉を深々と抉られたのだ。当然であろう。

 月乃はクラウディオの様子に、きゅっと唇を引き締めた。


「障壁は後五枚です。今あなたを手当てしている時間はありません」

「なら、さっさと逃げろ……」


 また硝子が割れる音がする。

 ケダモノが障壁に攻撃しているのだろう。時間は余り残されていないらしい。しかし月乃はクラウディオの提案を蹴った。満面の笑みで。


「いえ、アレを倒します。同時にあなたを助けます」



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