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第37話 「迷いの森」02

「ルリちゃん! ルリちゃん大丈夫?!」


 異変に気付いた花屋の店主らしき女性が店から飛び出してきた。茶髪の彼女――ルリはワインのビンが額にぶつかったものの血などは出ていない。尻餅をついただけだけらしい。しかしルリの足元でワインが割れたため、彼女の下半身はワインまみれである。


「ちょっと! 大の男が取っ組み合いして女の子に怪我させるなんて何やってるんだい!」


 恰幅の良い店主がクラウディオと青年にくってかかる。ふたりは店主の勢いに押され、たじろいだ。

 店主が青年のジャケットや帽子のⅧマークを見ると、目を吊り上げた。


「しかも特自の人じゃないか!」


――特別自警団だったか。


 彼は特別自警団、通称・特自の人間だったらしい。警察とはまた異なる、民間と公の中間のような存在だ。

 繁華街にもたまに見回りに来ることがあったが、基本的に関わり合いもなかったのでクラウディオには馴染みがなかった。

 まだ新人らしい若さの彼は頬を赤くして声を上げる。


「そ、そうです! 彼がこの子に手を出そうと……!」

「この人はわたしが鉢植え降ろすのを手伝ってくれただけです。いきなり飛びかかってきたのはそっちの特自の人です」


 ルリがワインのぶつかった額を押さえながら青年を指さす。青年はぎょっとしてルリを見た。


「あ、あのね、君、本当に危なかったんだよ?!」


 わたわたと身振り手振りをするが、青年は上手く説明できないでいる。ルリが彼に向ける視線はジトリとしていた。

 助けたつもりのルリから向けられた視線に、青年はあからさまに落ち込んだ表情をする。その様子はまるで塩をかけられたレタスのようだった。

 しおしおと萎れた青年が肩を落としていると、店主が掃除道具を彼に突き出してきた。


「破片で怪我する人が出る前に片付けとくれ。ほら」

「ハイ……」


 青年は大人しく道具を受け取り、散らばったガラスを片付け始めた。

 鼻を鳴らす店主と唇を尖らせていたルリがクラウディオを見て頭を下げる。


「お兄さん、大丈夫だったかい? 怪我は無い?」

「いや、大丈夫だ」

「良かった……でもワイン……」


 クラウディオは参ったな、と頭をかく。月乃からのワインであるので、安ワインでないことは想像に難くない。香りの時点で「ジャック・ポット」のメニュー表のワインと違うのだ。

 事故であるので仕方はないが、代わりのものを用意したいところである。


「特自のお兄さん、あんたこの人のワイン弁償しな」

「ぅえっ?! ハイ……あ、でもオレ、まだこの辺りの店のこと詳しくなくて……」


 しどろもどろな青年に対し、店主は盛大に溜息をついてみせる。店主はワインの匂いを染みつかせたルリにタオルを渡し、店内を指さした。


「ルリちゃん、着替えて酒屋に連れて行ってやって。今日はもう上がってくれて良いから」

「わかりました」


 ぽてぽてと湿った足音を立てながらルリは店内に入っていった。目の前で繰り広げられる会話に、クラウディオは口を挟めずに突っ立っていると、店主は快活な笑顔を向けてくる。


「お兄さん、あの子が酒屋に案内するから、そこの特自のお兄さん連れて行って換えのワインを買っておくれ」

「ああ、助かる。礼の品だったんだ」


 あれまぁ、と店主がこぼすと、特自の青年はますます居心地悪そうに肩を落とした。


「おまたせしました。瑞紀さん、行ってきますね」


 牧歌的なワンピースに着替えたルリが、店内から出てくる。服装のおかげでようやく少し成人済みの女性に見えた。

 クラウディオはバイクを見、店主の方をちらと見る。


「すまないがバイクはここに停めておいてもかまわないか?」

「ああ、かまわないよ。店の横につけておいておくれ」

「助かる。ありがとう」

「お気になさらず」


 快活と笑う店主にこそこそと「掃除終わりました……」と告げた青年も、ルリについてきた。


「それじゃ行きましょう。えーっと……」


 呼び方に迷ったのか、ルリはクラウディオを見た。

 そういえば自己紹介もしていなかった、とクラウディオは気付く。


「クラウディオだ。よろしく」

「わたし、ルリです」


 ふにゃ、と笑みを浮かべるルリは幼子のようだ。ついで、のようにクラウディオは身体を小さくする特自の青年の方を見やる。

 青年は帽子を外し、ふわふわとした色素の薄い髪と肌、そして夏の青空の目を見せておずおずと名乗った。


「パベーダ、って言います……」





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 街には公園があり、そこはちょっとした森のようになっていた。舗装された散歩道で時々人とすれ違う。

 気温もちょうど良く、日差しが気持のいい。ルリの歩測に合わせてクラウディオとパベーダはついて行く。

 よくよく見れば月乃よりも高いかもしれない身長の彼女ではあるが、それでもクラウディオの胸の辺りの高さだ。そんな女性が大柄で筋肉質な男を引き連れている姿は少しばかり視線を集める。


「ここを通り抜けていくと近いんです。地元の人向けの良い酒屋さんですよ」


 にこにこと微笑みながらクラウディオに話しかけるルリ。その隣でじぃ、とクラウディオに視線を向けているパベーダ。


――一体何なんだ……


 クラウディオはパベーダの視線に居心地が悪くなる。ちくちくと刺さるそれはただ自分を批難しているというものとは異なる気がした。

 まるで監視されているような視線の刺さり方に、クラウディオは痛くない腹を探られているような気分だった。

 そしてそんな視線を浴びながら歩くこと数分、ルリが不安げに周囲をきょろきょろと見回し出した。


「あれ? あれ?」

「どうした?」


 ルリが眉をハの字にしてクラウディオを見上げる。少々動揺している様子にクラウディオは首をかしげた。


「道が、おかしいんです……公園を抜けるの、こんなに時間がかかるはずないし……それにこんなに鬱蒼としてないのに」


 クラウディオははっとする。

 自分たち以外の人の気配はなく、木々の隙間からこぼれる光の心地よさは失われている。いつの間にか陰気な空気を漂わせる森に変貌していた。


「これは……ッ」


 パベーダが周囲を見渡す。まるで獣でも警戒するように視線を辺りに走らせた。

 クラウディオはこの異様な状況にひとつ思い至る。


――「魔道書」、ではない……?


 今まで対峙した「魔道書」という超常は、怪物のように実体を持っていた。それが今は空間を歪ませ、自分たちを迷わせているようである。

 空間を歪ませるというのは移動の魔道具が該当する。あれは距離を歪めているのだ。そういったタイプの魔道具がいつの間にか展開されそこに迷い込まされたのでは、とクラウディオは推測する。

 つまり今この状況は「魔道書」ではなく魔術師の仕業である可能性があった。

 クラウディオの頭によぎるのはショーンと名乗ったあの迷惑千万な魔術師のにやけた顔だった。

 クラウディオは周囲を警戒しつつ、ルリを守るように背後に隠す。

 ガサガサと風もないのに木々が揺れて騒ぎ出し、どこからか視線を感じる。

 クラウディオは悩んだ。

 一般人を目の前にして、白紙の力を使うことはためらわれる。記憶処理といったことの手配など、当然ながら今のクラウディオはできるはずもない。

 「ジャック・ポット」に現れたときの月乃は突拍子もなく「魔道書」の力を使ったかと思った。だがよくよく考えてみれば、あの騒ぎがどこにも流出していないところを見ると月乃はあれで完璧に手配を済ませていたのだろう。

 寝起きは隙だらけの彼女は抜かりなかったことに気付き、思わず頭を抱えた。


――どうする?


 クラウディオは今この状況をどう打開するかを考えていた。




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