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第36話 「迷いの森」01

 月乃の骨折も治り、査問会から帰った二日後――クラウディオは朝からパイを焼いていた。

 漂う香ばしいパイの焼ける匂いが漂う。ミートローフを包んだパイは朝から食欲を刺激される。

 よくよく炒めたタマネギをたっぷりいれてあり、味は勿論最高である。そしてパプリカも入れてあるのでカットすれば色味も良い。

 なんのためのミートローフパイか、というと月乃の骨折中、正人と定家が差し入れやら何やらしてくれたことへの礼である。

 ミートローフのパイによくあう赤ワインと一緒に、本日届けに行くというわけだ。ちなみにワインは月乃のチョイスである。

 月乃は手頃だと言っていたが、百グラムのインゴットを懐に入れている人物の言う手頃は信用できなかった。

 クラウディオはパイの焼き色を確認し、完璧と言っていい仕上がりになったのを満足そうに見る。飾りも上出来だ。

 昨日から準備した甲斐が有るというものである。キッチンを占拠して作り上げたパイとスコーンなどなど……それらを大きめのバスケットに詰めて準備はできた。

 月乃はというと査問会から帰った翌日、研究部門長のタイラーから届いたやたらと重い荷物にかかりきりである。

 なので今日はひとりで正人と定家の住む家に礼の品を届けに行くことになっている。

 道具を片づけ、エプロンを脱いで着替えて鍵を持つ。


「月乃、行ってくる。昼食は冷蔵庫に入れておくぞ」

「わかりましたわ~ふたりによろしく伝えてくださいな~」


 廊下の絵画の扉を開け、書庫の月乃に向かって声をかければ、一応の返事が来る。

 「気をつけて行ってらっしゃいまし~」と間延びした月乃の声。彼女と「魔道書」の蜜月を邪魔するまいと踵を返した。クラウディオは戸締まりを確認して家を出る。

 玄関付近に停めてある、大きなそれにかけられた雨よけのシートを外した。それは数日前に納車されたばかりのサイドカー付のバイクである。サイドカーにバスケットとワインを置き、クラウディオの巨体に見合った大きなバイクに跨がった。

 月乃が不便であろうとクラウディオに与えたそれはピカピカの新車である。


――また借金が増えたな……


 頭の中でそのような言葉が浮かぶものの、良いバイクではあるので悪い気はしない。

 ドルン、とバイクのエンジンが唸る。気持ちの良い風を浴びながらクラウディオはバイクを走らせた。

 今日この日、クラウディオは久方ぶりに月乃と離れることとなった。




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 バイクを走らせて三十分ほど。

 昼食の時間にはまだ少し早いが休憩もかねて食事をとろうと、クラウディオは目的の街のふたつ手前で寄り道をすることにした。

 目に留まったベーカリーで焼きたてらしいクロワッサンを買う。

 薄くスライスしたアーモンドが乗せられ、パウダーシュガーのかけられたそれは香りの良いバターが使われている。ほどよい甘さとアーモンドの香ばしさが相まって良い味である。

 帰りに月乃の分を購入しよう、と考え、包み紙を畳んでポケットにしまう。カフェオレを飲み、さて出るか、と言うところで前方に妙なものを見た。


――鉢植えに足が生えている……


 コニファーのもっさりとした大きな鉢植えがよちよちと動いている……ようにクラウディオは見えた。

 よくよく見ればエプロンを着け、茶髪を後ろでくるりとまとめた少女がえっちらおっちら運んでいたのだ。

 クラウディオがバイクを停めていたベーカリーの隣が花屋である。視線をベーカリーと反対側のとなりにやれば、大量の鉢植えを乗せたピックアップトラックが停車していた。

 コニファーの行き先は花屋らしい。

 数秒様子を見ていたがその足取りの危なさに、クラウディオは思わず手を出してしまった。


「大丈夫か?」

「ひょえ」


 急に重さがなくなり、コニファーの鉢植えが浮かんだことに驚いたらしい少女が妙な声を上げる。鉢植えを軽々持ちあげるクラウディオと三テンポほどしてから目があった。

 思いのほか巨大な、しかも顔には大きな傷のある男である。驚いたらしい彼女はぽかん、と口を開いていた。

 しばしクラウディオを見つめていた彼女がはっとなり、からだを半分に折る勢いで頭を下げてきた。


「ありがとうございます! 見ず知らずの方に申し訳ないです!」

「いや、いい。どこに運ぶんだ?」


 何度も何度も頭を下げてくる彼女の姿に逆に悪いことをしたような気分になりかける。が、あのままだとどこかでひっくり返っていたかも知れない。それを目撃してしまった方が後味が悪いだろう。

 クラウディオは彼女に指示され、鉢植えを運ぶ。

 入り口には花だけでなくいくつかの木の鉢植えがすでに置かれている。オリーブやレモンなど大きめのものから、コーヒーやゴムの木など小さいものも取りそろえられていた。

 勿論、色とりどりの季節の花、そしてその花で作ったのだろう、ドライフラワーなども飾られている。

 クラウディオはエプロンの彼女に確認をし、店先に鉢植えを置いた。


「ありがとうございます。助かりました」


 またからだを半分に折る勢いで少女は頭を下げる。ピックアップトラックにはまだ大きな鉢植えがあり、彼女の体格には文字通り荷が重いように思えた。


「かまわない。良ければ残りのヤツもここに運ぼう」

「え、あ、それはさすがに申し訳ないですよ!」


 手を大げさに振りつつも、ちらちらとピックアップの荷台を見ている辺り葛藤しているらしい。少々親切の押しつけのように思えたが、クラウディオは軽く袖をまくる。


「見ていて危なっかしいからな。すぐ終わる」


 ずんずんと鉢植えを掴んで運び、店の前に降ろす、を繰り返すクラウディオに少女は始めついて回っていた。しかし三回目になれば「こっちにお願いします」「これはそっとおろしてください」と指示を出すようになった。

 少女であれば三十分以上かかっていたであろう荷下ろし作業を、クラウディオはものの五分で終わらせる。

 また深々と何度も頭を下げる少女は少々恐縮していた。


「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「いや、気にするな。こういうときは無理せず、大人を頼ると良い」


 クラウディオは親切心で少女に向かってそういう。しかし彼女はその言葉を聞いた途端、硬直した。まるで薄いガラスが割れたような雰囲気を、クラウディオは感じ取る。

 彼女は引きつった笑みを浮かべ、すっと胸元のネームプレートを指さした。

 英数字で二十、そして上向きの矢印。


「……?」


 クラウディオはそこに書かれた文字の意味をしばし理解できず黙して、頭の中で反芻する。そして次の瞬間脳天に落雷を受けた。


「……成人済み、なのか?」


 こっくり肯定した彼女。

 クラウディオはらしくなく少し動揺してから「すまない」と小さく呟いた。

 彼女もまた「いえ……」となんとも言い難い申し訳なさそうな顔をする。

 気まずい空気が流れる中、クラウディオは停めていたバイクのもとに戻る。


「あ、ちょっと待ってください!」


 彼女がパパパ、とエプロンのポケットを探り、キョロキョロと花や鉢植えを見渡してから、花屋の店内へかけていく。

 駆け足で戻ってくると、両手で何かを握りしめ、クラウディオの手にそれを握らせた。

 それはクラウディオの手には小さ過ぎる、刺繍を施された香り袋だった。ほんのり甘い香りのするそれは手作りのように見える。


「あの、これお礼に……」


 と、そこまで言いかけて彼女は慌て出す。クラウディオのような男はこういう物をあまり好かないのでは、ということに思い当たったらしい。

 彼女が恐縮してまた何か言い出す前にクラウディオはそれを胸ポケットにしまった。


「ありがとう。いい匂いだ」


 ポケットを軽く叩くと鼻腔に香りが届く。クラウディオのその言葉に彼女はホッとした様子で、表情筋を緩ませていた。


「それ、わたしが作ったポプリなんです」

「この刺繍も?」

「そうです。かわいいでしょ?」


 照れくさそうに笑う彼女にもう一度礼を言う。そしてクラウディオがサイドカーに乗せていたヘルメットを手にしようとした瞬間、ことは起こった。


「その子から離れろーっ!」


 ケピ帽とブルゾンジャケットの、体格の良い青年がクラウディオに飛びかかってきたのだ。

 奇襲というにはお粗末なそれではあったが、あの定家よりも背が高い相手であった。クラウディオは彼をいなし、後ろ手に押さえつけようと手首を掴む。


「くっ!」


 だが青年の力は強く、彼は目の前のサイドカーに手をついた。

 それが不幸のピタゴラスだった。

 圧倒的に筋肉量のあるあるふたりの体重がサイドカーにかけられたことで、そこに乗っていた荷物がぽん、と飛び上がる。

 幸いなことにバスケットはその場でジャンプしただけで済んだが、ワインのビンが空中に飛び出してしまった。

 そしてそのワインは放物線を描き――


「う゛っ!」


 エプロンの彼女の額に直撃する。

 その直後ガチャン、というガラスの割れる音とその場に広がった赤ワインの匂い――何が起こったかは言うまでもなかった。

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