幕間 「魔女の好むもの」
「クラウディオ、『魔道書』をからだに降ろしましょう」
満面の笑みを浮かべる月乃。
今まで見たことがないくらい目に星を輝かせ、朝食を並べるクラウディオに向ける。
「……朝食と洗濯が終わったらな」
「やったー!」
両手を挙げてぴょいぴょいと跳ね回る月乃。朝は弱いはずの彼女がすでに着替えを終えているあたり、気合いの入り方が違うらしい。
「やっと! やーっとですわ! ああ一か月ぶりの『魔道書』!」
バレリーナのように回ってスカートをふわりとさせる月乃の上機嫌さ。クラウディオが『白紙の魔道書』だとわかってから、月乃はずっとうずうずしていたらしい。
鎖骨の骨折と魔女の封印修復で一か月「魔道書」を弄れなかったことが、よほど欲求不満だったようだ。
「まず食事を済ませてからにしてくれ」
「わかりましたわー!」
月乃は自分とクラウディオの分の飲み物をカップに注ぎ、トースターからパンを取り出す。
今までの朝には見せたことのない機敏さの月乃に、クラウディオはあっけにとられていた。
そしていつもならのろのろとしている朝食をサクサクと終え、洗濯物をクラウディオと共に干す。
――鼻歌を歌っている……
シーツを干しながら楽しげにステップを踏む月乃の無邪気さに、クラウディオは思わず小さく吹きだした。
すっかり元気になったらしい月乃に、クラウディオはホッとする。以前とは少し異なるものの、平穏が戻ってきたような気がしたからだ。
「魔道書」の書庫に連れて行かれ、月乃は書棚の前をウロウロする。まずどれをクラウディオに降ろすか、ああでもない、こうでもないと悩んでいるようだった。
「クラウディオは何か希望とかあります?」
本棚から「魔道書」を数冊取り出して、月乃が振り返る。急に言われても、とクラウディオは首をかしげるがふと思い浮かぶ。
「……理性がなくなるものは遠慮したい」
「わかりましたわぁ」
月乃はとりあえず五冊ほど見繕ったらしく、作業机に「魔道書」を置く。
見覚えのある――深海を切り取ったような「魔道書」が混ざっていた。
クラウディオはクラーケンを思い出し、つい眉間に皺を寄せてしまう。
「……これもか?」
クラーケンの「魔道書」を指さし、眉間に皺を寄せたまま月乃を見やる。月乃はきょとん、としてからそれを手に取った。
「嫌でしたか? 使い勝手が良くていい『魔道書』なのですけれど」
「いや、月乃の意見を優先するが……」
なんとも歯切れの悪い返事をしてしまう。なにせクラーケンには二度、からだを這いずり回られている。あのヌメヌメとした感触は、正直気持の良いモノではない。
クラウディオの様子に、月乃は少し考えてからクラーケンの「魔道書」を置く。クラウディオは内心ホッとしてしまった。
月乃はクラウディオを見上げ、ぽん、と手をたたく。
「それでは、まず服を脱ぎましょうか」
「……は?」
クラウディオが己の聴力を疑って宇宙に旅立っていると、月乃はクラウディオのシャツに手を伸ばした。
「服が破けては困りますからね~」
ぷちぷちとボタンを外していく月乃にはっとなり、クラウディオは月乃の肩を掴んで引き離す。
「待て、月乃、そういうことは」
クラウディオは慌てながら月乃を制止させる。しかし残念なことに月乃はすでにヒートアップしていた。
「待てませんわ待ちませんわ! だって一か月ですよ一か月! クラウディオに色々『魔道書』を降ろして強くしたくてたまらなかったんです!」
月乃はクラウディオの服をむしり取るために掴みかかる。
思いのほか強い力にボタンが悲鳴を上げていた。
「やめろ、月乃、落ち着け」
「早く脱いでください! 全部です全部!」
小柄な女性に服を剥ぎ取られるという人生初の経験にクラウディオは酷く動揺し、らしくない声を上げてしまう。
「やめろと言っているだろう!」
そしてクラウディオは反射的に月乃の頭部に手刀を落としてしまった。
「あぐぅっ」
「ぐっ!」
存外痛かったらしく、月乃が声を上げる。そして同時にクラウディオの頭部に強烈な痛みが走った。
クラウディオの首に刻まれた所有印が、月乃への手刀を反抗と見なして罰を与えたのだ。
ふたりはしばし、床に頭を押さえてしゃがみ込んで悶絶する。
クラウディオはこのとき、自分にかけられた絶対服従の縛りを理解した。
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「少し休憩しましょうか?」
「……ああ」
「飲み物いれますわね」
月乃は一旦「魔道書」を置く。鼻歌を歌いながら書庫から出て、キッチンへ向かった。
クラウディオは腰に巻いた大きなバスタオルを外し、月乃がいないうちにパンツとズボンを履く。戦いの最中でもないのに下半身が露出しているのは落ち着かないのだ。
いくつかの「魔道書」を降ろしては返却を繰り返しただけではあるが、クラウディオは少しばかり疲れを感じていた。主に精神的に。
月乃がいないうちに書棚に並んだ「魔道書」を一冊、手に取り、パラパラと目を通す。どう見ても非現実的な生き物や、もはや一種の芸術といって良いほど細かい魔方陣が描かれている。
「『魔道書』、面白いですか?」
背中に声をかけられる。
振り返るとトレーにコーヒーと紅茶、それから個包装のクッキーを乗せた月乃が立っていた。
クラウディオは「魔道書」を書棚に戻し、椅子を出す。作業机にトレーを置き、月乃はコーヒーをクラウディオに差し出した。
「興味深くはある。だが普通の本とは違うから、読みかたもわからないな」
「『魔道書』というのはほとんど制作者の性癖、パーソナリティの塊といって良い物ですから。技術書や研究論文と見せかけて、自分の願望を書き連ねた日記だと、わたくしは思えます」
椅子にかけて紅茶を口にする月乃は目を細める。クラウディオもコーヒーを口に運び、ぼやいた。
「あれが日記か?」
「日記、というのは正確ではありませんね。願望ノート? とでも言えば良いのでしょうか……」
月乃が少し唸り、考えるように上から下に視線を移動させる。
「『写本』だと特に顕著なのですが、『見せたい自分』という感じできれいにまとまっていますの。強かったり、賢かったり、おどろおどろしかったり……そういった自分の見せたい面を切り取った傾向があるのが『写本』です。一方『原本』は魔術師そのものであるので、もっと自分の弱さや見せたくない部分、妄執の根源みたいなものを見られます。剥き出しの魔術師がそこにありますのよ」
つらつらとしゃべり続ける月乃は実に生き生きとしている。本当に「魔道書」には強い関心を持っているとよくわかる。
クラウディオはその勢いに目を瞬かせて月乃を見つめた。
月乃の「魔道書」に対する好奇心の一端を見たような気がした。
「つまり魔術師の人生を読むのが好きなのか」
クラウディオがコーヒーの間にぽん、と呟いた一言に、月乃が目を丸くした。その反応が意外で、クラウディオは月乃を見つめる。
月乃は考え込むようにカップの中身の紅茶を見つめ、しばし黙り込んだ。
「……そうですね。わたくしが魔女だからか、普通の方が書いた本はなかなか共感ができませんし……『魔道書』に詰め込まれた魔術師の願いや人生は壮絶な物も少なくありません。それこそ、命をかけたものです」
月乃はカップを置いて「魔道書」の表紙を撫でる。
慈しみを持った不思議な眼差しだ。
「『魔道書』を読むのは、そういった方々と語り合うようなものですから。それが好きなのですね、わたくし」
ふふ、と笑う月乃。
まるで指摘されて初めて気付いた、という風な様子でまゆ毛を下げて笑う。
クラウディオは月乃の一面を見た気がしたのだった。
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