第25話 「守るべきもの」02
クラウディオと月乃の検査が終わり、手当が済んだ後。月乃も手術の必要ははないということで帰されることとなった。
月乃は鎖骨をバンドで押さえ、三角布で右腕をぶら下げている。鎖骨が折れていると腕が上がらないらしい。
病院に横付けされたバンの運転席から定家が降りてくる。サイドドアをスライドさせ、月乃を運転席の後ろに座らせた。
「ほら、月乃はこっちな。折ったところに当たらねぇようにな」
テキパキとシートベルトを装着する定家を目の前に、クラウディオは立ち尽くしていた。
「ほら、さっさと乗れよ」
当然のように閉じられたドアを目の前に、クラウディオは反対側へ回り込む。荷物を持って乗り込んだ。
「そんじゃ、出発しまぁす」
バンが走り出してしばらく。
車内は誰も言葉を発していなかった。月乃がうつらうつらしていたのもあるが、定家が柄悪くガムをくっちゃくっちゃと噛んでいたからだ。
「……定家」
明らかに普段やらない行為なのだろう。
察するところ、クラウディオへの威嚇行為らしい。正人はそれをたしなめる。
クラウディオは特段そういった威嚇を恐ろしく思うことはなかった。それよりも隣で船をこいでは痛みでハッと起きる月乃を見ているほうが辛かった。
特に彼女の乱暴に切断された髪はクラウディオに胸を痛めさせる。
月乃は「自分で切った」と言っていた。それしか言わなかった。
理由は必要に迫られたのだと想像できる。あのやわらかな髪をあんなに短く切る理由は自分にあったのだ、と。
クラウディオは鏡越しに定家に見られていることに気付いていたが、ただ黙って彼女の痛み止めの袋を抱えているしかできなかった。
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小高い丘の月乃宅に到着し、主に正人が居心地の悪い空気が解放された。
正人は家の鍵を開け、月乃に尋ねた。
「月乃。右腕が上げられないなら生活に支障が出るだろう。手伝おうか?」
「でも正人くん、『図書館』の仕事は大丈夫なの?」
正人は肩を竦めて笑って見せた。
「なんとでもするさ。しばらく『魔道書』は使えないだろ」
そうね、と月乃が少し考えているところで、クラウディオは月乃を後ろから抱き寄せた。軽く月乃のからだがクラウディオの腹部に寄りかかる。
「……俺が見る」
クラウディオの言葉に、正人は目をパチパチと瞬かせた。クラウディオのその行動自体は反射のようなものだった。
だがそれを嚥下し、それでも月乃の面倒を見るのは自分でありたいと思い、月乃を抱く腕をもう少しだけ自分に引き寄せる。
クラウディオの目がかすかに睨みつけるようなものだったため、定家が反応した。
「あン? 暴走野郎が何言ってんだよ」
定家の厳しい言葉に正人が脇を小突く。それでも定家はクラウディオを暗い深淵の目で見つめる。
「俺は月乃の助手としてここにいる。月乃に助けが必要ならば、その役目は助手が担うべきだろう」
「お前が月乃を傷つけたんだ。そんなの信用できると思うのか?」
「……だからこそ、今は責任をとらせて欲しい。頼む」
クラウディオが口に出した言葉があまりにもしおらしく、下手に出られてしまったため定家は勢いが削がれてしまったらしい。
定家は月乃に視線を投げかけた。「どうする?」とでも問いかけるような様子だ。月乃は正人に視線を投げ、正人が助け船を出す。
「月乃が雇った男だ、問題はないだろう」
「何かあったら連絡するから」
正人と月乃の言葉で定家はジト、とした目になる。少々ふてくされながらも了承したようだった。
「わーったよ」
後頭部をがりがりとかいてから、月乃の小指に自分の小指を絡める。その唇に二重の音を乗せ、小さく囁く。
『結わえたリボン、紐の結び目、鉄の輪。汝の身に災い降りかるとき、我に報せを』
定家が呪文を唱え終わると月乃と定家の絡めた小指に光の輪が回ったかと思うと弾けて消えた。
「はい、これでよし」
満足げな顔をして定家は月乃の頬に手を伸ばした。
定家がざんばらな月乃の髪の毛ごく自然にさらりと撫でて月乃に顔を寄せる。
「ほれ、さよならのキスは?」
頬を指さす定家に、月乃は少し呆れた顔をする。しかしそれを阻止するようにクラウディオの手が月乃の口元を覆った。
「定家、帰るぞ」
また空気が悪くなりそうな予感に、正人は素早く割って入る。定家の背を押しやると、言い忘れたと言わんばかりに振り返った。
「脱ぎ着のしやすいパジャマと服をかばんに二着ずつ入れておいた。それとアンリだが、しばらく『図書館』で預かることになる」
「……ですよねぇ」
「すまない」
クラウディオの腕の中で肩を竦める月乃。謝罪する正人は月乃とクラウディオ、両方に頭を下げる。
「それじゃあ、また何かあったら連絡をくれ。こちらからも連絡する」
「なァ正人、俺様まだ」
「帰るぞ」
まだなにか言いたげな定家をなんとか家から押し出して、正人は去っていく。
ふたりを見送った後、月乃はリビングのソファにかける。そのかすかな衝撃で痛みが生じたのか、ぐっと眉を寄せた。
「お水いただけます? 痛み止め飲まないと」
「待ってろ。すぐ持ってくる」
薬袋から痛み止めをとりだし、コップに水を溜めて月乃に差し出す。それを受け取り、嚥下してから月乃はクラウディオを見た。
「クラウディオ、わたくししばらく『魔道書』が使えませんの」
「ああ……」
正人が先ほど言っていた。
「魔道書」が使えれば、腕が使えなくとも不便はないだろうし、逆にすぐに治癒することができるのかもしれない。クラウディオはそう想像した。
「わたくし力を封印している状態なんです。アンリをからだに降ろして、いくつかある内の封印をひとつ、壊しかけていますの」
「それは、大丈夫なのか……?」
クラウディオの心配そうな表情に、月乃は申し訳なさそうに笑う。
「修復するのでしばらく『魔道書』が一切使えません。力が使えないので今あなたの封印を解くことができませんの」
「ごめんなさい」と言う月乃の表情はとても申し訳なさそうだった。クラウディオとしては依然と何ら変わりない状態になっただけに過ぎない。
しかし月乃は違う。
「魔道書」の力に頼り、超常の力を用いてあるときは戦い、またあるときは身を守っていたのだ。
しかも彼女の腕は今、不自由である。
身を守る術のない彼女は不安であるはずだ。それでも決して笑みを絶やさない月乃を守護するのが、助手としての自分の役割だとクラウディオは考える。
「かまわない、気にするな」
クラウディオはほんの少し、口元に笑みを浮かべて見せた。




