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第24話 「守るべきもの」01

「クラウディオ」


 呼ばれて振り返ると月乃がいた。

 出かけたときのあの姿で彼女は微笑んでいる。


「つき……」


 クラウディオが手を伸ばした瞬間、そのからだには巨大な剣が食い込み、月乃を肩から裂いていた。

 その剣を握っていたのは他でもない自分だった。

 肉を裂き、骨を折った感触が伝わる。

 吹き出す血を浴びながら、自分を見る月乃の目に光が無くなって行く様に心臓がねじれるような痛みを覚えた。

 守るべき相手を手にかけた恐ろしさに、クラウディオは慟哭する。

 からだを痙攣させ、目を開けると病院の天井が飛び込んできた。


「ハ、ぁ……ッ! あ……ッ」


 荒くなる呼吸を落ち着けようと何度か深く息を吸ったタイミングで、視界の端に見知らぬ男がいることに気付く。


「あ、起きたぁ?」


 飄々とした声の男は少々顔つきが幼い垂れ目をしている。顔にたたえた笑みはどこか見覚えがあった。

 クラウディオほどではないが平均的な成人男性よりも身長も高ければ、筋肉もあるその男は黒ベストとシャツに身を包んでいた。前髪だけ染めてあるのかつんつんと立たせてある後ろ髪と色が違う。

 どこか見覚えのある顔のパーツをしている男に対し、クラウディオの口から自然と言葉が零れた。


「……誰だ?」

「俺様、定家ってーの。よろしくぅ」


 にんまりと笑う男は手を差し出す。おそらく握手のつもりなのだろう。少々軽薄な雰囲気のあるこの男に、クラウディオはかすかに眉を上げつつも、とりあえず手を差し出す。

 同時に自分の腕が手当てされていることに驚いた。からだの表面全体が痛い。

 手を離してから男は少し目を細めて振り返った。


「正人ぉー、助手の人目ェ覚ましたよー」


 仕切りのカーテンに顔をつっこみ、隣に声をかける。

 カーテンが開かれ、現れたのは「第八図書館」監査官の正人だった。様子から察するにふたりは同業の者らしい。


「起きたか、クラウディオ。からだは大丈夫か」


 正人に問いかけられて問題ない旨を伝えると、正人は眼鏡のブリッジを持ちあげ、ホッとした表情になった。

 正人の隣に立つ定家も「よかったよかった」と言いながら、首を傾けてクラウディオを見る。


「でさ、自分がなにしたか覚えてる?」


 細められた定家の目は、どこか挑発的だ。穏やかに笑っているはずなのに、酷くかきむしられるような感覚にさせられる。

 クラウディオは自分の手に視線を落とし、記憶をたぐる。そして自分の手に血の幻覚を見た。

 フラッシュバックのように月乃のからだを巨大な剣でふたつに裂いた映像を思い出す。


「月乃は……?!」


 慌ててベッドから降りて立ち上がろうとするクラウディオを、正人が制する。


「落ち着け! 今、隣のベッドで寝ている……」


 そう聞いてクラウディオは気が抜ける。そのままベッドに座り込み、肩から力が抜けた。


「右の鎖骨が折れただけだって。良かったねぇ?」

「……良かった?」


 自分の右鎖骨を指しながらにこにこと笑みを浮かべる定家をクラウディオは自然と睨みつけていた。

 ドスのきいた低い声は、一般人であれば漏らしそうなほど恐ろしい。

 しかし定家は飄々とした笑みを浮かべたままだった。


「良かったに決まってんだろ?」


 視界の外側から飛んできた蹴りが、クラウディオの顎を下から強襲する。意識の外にあったそれをまともに喰らったクラウディオは、その力任せな蹴りにベッドへと倒れ込んだ。


「月乃が鎖骨折っただけで良かったのはお前のほうだよ」


 振り上げられた脚がそのままクラウディオの胸に叩きつけられた。グリグリと革靴の踵で胸を踏んでくる定家の表情は相変わらず笑顔である。

 目は細められているが笑っていない。口元は笑顔の形であるのに、だ。


「荒事が日常茶飯事の『司書』だから骨折くらいよくあることだけどさぁ。もーちょい酷い怪我してたらお前のこと達磨にしてたわ」

「おい、定家!」


 正人がやや力ずくで定家の肩を引いて、クラウディオから定家を引き剥がす。

 それでも定家は正人を一瞥してクラウディオを指さした。


「とーめんなって。チャームで暴走、狂化……『白紙』だったらモロ影響うけるよなぁ? こんなの近くにおいてたら月乃も正人もあぶねーって」

「その言い方はないだろ!」


 病院であるため大声でこそないが、正人は定家を咎める。

 しかし逆にそれはクラウディオを苦しめた。無言ではあるが、その苦しげな顔は彼の内心を如実に語っている。


「すまない、今はゆっくり休んでくれ」


 ほら行くぞ、と正人は定家を引っぱっていく。定家はカーテンの向こうに消えるまで、クラウディオに視線を向けていた。

 クラウディオは自分の両手を見つめる。

 定家の言った「月乃を襲った」という言葉に手が震える。それでもクラウディオはベッドから降り、そっと隣の仕切りカーテンを開けた。

 ベッドには月乃が目をつぶって横たわっている。布団から出ていた首の左側辺りは大きなガーゼで覆われ、右の肩はバンドで固定されているようだった。

 そしてゆるく結わえてあったあのやわらかな髪は短くなっている。


「……」


 クラウディオは黙したまま、その短くなった髪を痛ましげな眼差しで見つめた。ぎゅうと眉間に皺を寄せ、苦しげに月乃の頬を撫でる。よく見れば頬にもひっかいたような細かい傷があった。


「……定家は相変わらずにぎやかですのね」


 少しかすれた声をもらし、月乃は薄く目を開く。クラウディオは思わず手を引っこめた。

 数度ゆっくりと瞬きをしてからクラウディオを見上げる。


「起きていたのか」

「あれだけ騒げば目も覚めますわ……」


 月乃は胸をふくらませて深く呼吸をする。からだが痛いのか、少し声を上げて顔をしかめた。


「……すまなかった」


 クラウディオはただそう言うしかなかった。「月乃を襲った」と言われたが、記憶がなかったのだ。あのショーンとかいう魔術師に呪文をかけられた後、先ほど目覚めるまでの記憶が一切。

 けれどあの悪夢と現実が、定家の言葉で繋がっていたことを察することは容易かった。


「定家もいっていたでしょう? 司書にとって荒事は日常茶飯事。気にしないでください」


 にこり、といつもの笑みを浮かべる月乃。しかしいつもの笑顔だというのに、傷だらけであるせいでクラウディオには自責を覚えさせるものでしかなかった。


「怖くなりましたか?」


 押し黙るクラウディオは月乃の問いかけの意図とは異なるものに恐ろしさを感じていた。


「辞めてもいいんですのよ」


 月乃は優しい声で言った。

 穏やかな擦弦楽器のような月乃の声はゆっくりと音をつむぐ。


「修理費の返済でしたら、別の方法でかまいませんよ。ただ記憶処理とか、そういったものを受けていただくことになりますけれど」


 「『魔道書』に関することをすべて忘れて一般人に戻るだけです」と月乃は言う。

 ただただ優しいその声音に、クラウディオは苦しくなった。

 月乃は責めない。

 そして怒りもしなかった。


「……考えさせてくれ」


 クラウディオがしばし考えてひり出した返答。

 その顔は月乃が今まで見たことがないくらい、辛そうで痛ましいものだった。

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