第23話 「魔術師」04
「あっ、あ……ッ」
クラウディオの牙が月乃の肌を食い破り、そこから血液があふれてゆく。喉を鳴らし、血が飲まれていく。
月乃のからだはそれでもその行為に酷くからだが熱くなる。脳髄が痺れ、胎に切なさを覚えた。
吸血の快楽に飲まれそうになったとき、地面に落ちたアンリの「魔道書」が月乃の視界に入る。手を伸ばして、なんとか呼びかけようとした。
「アン、リ……ッ」
「魔道書」が光り、その姿を変えた。
魔術師アンリが実体化し、ベルセルクとなったクラウディオの脇腹に強烈な蹴りを入れる。その衝撃と敵意にクラウディオの意識は一瞬月乃から離れた。
クラウディオの振り向きざまに顔にこぶしを叩きつけアンリは月乃を抱き上げる。目くらましにコウモリの群れにクラウディオを襲わせている間に距離をとった。
「一体何事だ!?」
「魔術師、が、クラウ、ディオに……ベルセルクを降ろ、して……」
月乃を抱きかかえたままのアンリが状況把握のために月乃を問い詰めた。月乃は血の流れる首筋を押さえなんとか答える。
破れたブラウスを汚す血液はまだ止まらない。アンリは手当てをしようと脚を止めようとするが、コウモリをすべて叩き潰したクラウディオが追ってきた。
大した足止めにもならなかったようだ。
月乃はもうろうとし始めた状態で考えを巡らせる。「魔道書」をアンリとして実体化させた状態では自分の身を守れない。何より今この状態ではアンリを実体化させておくことがすぐにできなくなるだろう。
月乃は覚悟を決め、アンリを見た。
「アン、リ……あなたをわたくしの、からだに……おろせ、ますか……?」
「受肉ではないから可能だ!」
「よかった……」
「唱えろ。そして呼べ」
アンリが月乃の手を握り、強い眼差しで見つめる。月乃の口から自然と二重の音の呪文が流れた。
『幻惑と祝福により完全を創りし者、昼でも夜でもない者、闇に住まうを従え、光の狩人を放つ者。我が身に宿れ、アンリ』
月乃とアンリが光に包まれる。
アンリのからだは光の中で月乃の中に融けてゆく。
クラウディオはその脚をコカトリスの鋭い爪を持つそれに変え、その光に向かって振り下ろした。
刹那、光が弾けその目を狂気に染めたクラウディオのからだが吹き飛ばされる。筋力にモノを言わせた動きで見事に着地したクラウディオはそれを睨みつけた。
姿を現したのは黒いドレスに白いレース、そして頭に荊の冠を飾った月乃。まとう空気はいつものやわらかなものとは異なる。
「長くは戦えません。動きを止めて封印します!」
コカトリスによる石化の魔眼が月乃に襲いかかる。しかし赤く発光する月乃の目はそれを正面から弾いた。月乃は鋭くなった犬歯で指先を切り裂く。血の滴る手をかざし、影にそれが落ちて現れる吸血鬼と人狼。
二体のダークストーカーが同時にクラウディオに襲いかかる。
魔術師アンリの力を魔女の力で顕現したのだ。古城で戦った半端な吸血鬼や人狼とは比べものにない力と速さでもって彼らはクラウディオに襲いかかる。
人狼が巨大な爪を振り回す速度と威力はすさまじく、石造りの壁や地面をバターのように削り取る。しかしクラウディオはそれらをすべて躱した。
狂人と化しているにもかかわらず、その身のこなしは一級品である。
人狼を躱し続けるクラウディオの進行方向の影から吸血鬼が現れた。翼を鋭い刃に変じさせてる。まるで踊るように回転し、その肉体を裂かんとした。
クラウディオは腕にその一撃を受ける。だがそれはわずかに肉を削り取ることしか叶わない。
攻撃は立て続けに行われる。
人狼が強靱な顎でもってクラウディオの腕に喰らいつく。狂化されたクラウディオは痛みを感じていない様子で、乱暴に引き剥がそうとする。その腕を吸血鬼が翼の形を変えて壁に縫い付けた。
月乃は馬に姿を変え、一気に距離を詰める。素早く姿を戻しクラウディオに向けて封印を使用と手を伸ばした。
『黒き鎖! 咎人の檻! 閉じられた鳥籠! ここに汝の力を封じ……』
「月乃! 離れろ!」
しかしそれはクラウディオの咆吼で遮られる。からだに降りたアンリの声でとっさに回避をすると天から落ちてきた巨大な剣が人狼と吸血鬼を真っ二つにした。
クラウディオの目の前に突き刺さった巨大な剣は彼の身丈ほどの巨大な物だった。恐ろしく重厚で、黄金の柄が鈍く光る。見た目の重量に相応しくない動きで持ってクラウディオは剣を構えた。
その肉厚な剣は型もなく振り回すだけで恐ろしい剣撃を繰り出してくる。
クラウディオがその巨大な剣を振り回すだけで一帯の建造物は瞬時に瓦礫と化す。
「くっ!」
月乃は砂塵に目をつぶってしまった。
次の瞬間、からだに強烈な衝撃を受ける。右の肩に巨大な剣がめり込んでいたのだ。
「いッ!」
「力を肩に集中させろ!」
「ああぁあぁッ!」
ベルセルクの剣が己の肩を割り裂けぬよう、月乃はアンリの言葉に従い魔女の力を集中させた。剣は肉を斬ることができなかった。だがそれでも月乃の鎖骨を折る。
痛みで膝を折る月乃の髪をクラウディオはつかみ上げた。浮いた脚は地面をかくこともできず、痛みでまともに呼吸もできない。
月乃がアンリを宿して戦うことができる時間も限界が近かった。
――一か、八か……!
月乃は犬歯で傷つけた指に爪を立て、もう一度血を滴らせる。
ぽたりとそれが影に落ちた。
その瞬間、影から荊が噴き出す。荊はふたりのからだを傷つけながら伸びていった。
クラウディオが掴んだままの月乃の髪は荊の棘で切り裂かれ、月乃は地面に落ちる。
「があぁあァアぁっ!」
大量の荊でそのからだを拘束しても、クラウディオは動きを止めなかった。棘が刺さり、肉を裂いても月乃を仕留めようとしていた。
月乃は痛む身体に鞭打ち、暴れるクラウディオに左手を伸ばした。
『黒き鎖……咎人の檻……閉じられた鳥籠……ここに汝の力を封じる』
月乃の呪文が光となってクラウディオを貫いた。そしてからだから力が抜け落ち気を失う。その様子を確認してから月乃は荊の拘束を解き、クラウディオを地面に寝かせた。
『返、却……』
「月乃!」
月乃はアンリをからだからはじき出し、その場に倒れ込む。ギリギリ気を失わずにすんだが、月乃のからだも服もボロボロで、自力で起きあがることは困難だった。
「馬鹿……! 私にダメージ押しつければいいだろうが!」
傷ひとつ負っていない状態のアンリは月乃を抱き起こし怒鳴りつけた。しかし月乃はへら、と笑いアンリを見る。
月乃は切り落とした自分の髪をアンリに差し出した。
荊で乱暴に切られた髪は痛ましさがある。それを見るアンリの目は酷く辛そうだった。
「まさひと、くんに、れんらくを……」
唇にふ、と音を乗せると編まれた髪に力が込められた。
切られた月乃のおさげが、バッテリーになったのだ。
「これをもっていけば、しばらくもちます……いって……」
アンリは月乃の様子から髪に込められた時間を無駄にしないため、唇を噛んで翼を生やし、その場から飛び去る。
月乃は冷たい石畳の上に気絶するクラウディオまでからだを引きずり近づいた。
クラウディオのからだには人狼の噛み傷や吸血鬼の刺し傷、そして荊による傷があったがどれも命に関わるものはない。
月乃はホッとして瓦礫にもたれた。
気が抜け、全身を倦怠感が襲う。折れた鎖骨のせいで断続的に痛みに襲われ、右腕も上げられない。
冷たい石畳にクラウディオを寝かせたままであることが、月乃は申し訳なかった。
月乃は静かに目をつぶり、正人が到着するまでには意識を手放していた。
感想、評価、ブックマークありがとうございます!




