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第22話 「魔術師」03

「これでお願いします」

「はいよ。請求はいつも通りでいいかい?」

「ええ、『図書館』のほうにお願いいたします」

「了解。今包むから茶でも飲んで待ってておくれ」


 店長がカウンターで購入品を包む間、月乃は「ご自由にどうぞ」と書かれた茶を、紙コップに注ぐ。クラウディオと頭にたんこぶを作ったアンリに差し出し、のんびりと寛いでいた。


「しかしずいぶんいろんなものを扱っているんだな」


 不思議な匂いの茶で唇を湿らせながら、クラウディオはぽつりと店内を眺めてぼやく。

 月乃は「ああ」とうなずいた。


「魔術師も利用するお店ですから。そういった方向けの素材も多く取り扱っているのですよ」

「魔術師も?」

「ええ、本来魔術師は真理探究が本分ですし、純粋に技術開発をなさっている方々も多いのです。すべての魔術師が『図書館』に所属しておらずとも『魔道書』を作ってばらまいたり……人が迷惑被るようなことはしない方のほうが多いですから」


 その言葉にアンリはハン、と鼻を鳴らす。


「高位の魔術師は世界の創造を目指す。生前それが完成させられなかったら受肉してそれを目指すのが当然だろう」

「それが迷惑なのでわたくしたちが回収しているんですのよ。人殺しと何ら変わりませんし、世界が壊れたらどうなさるんですか」


 もう、と茶をすする月乃をクラウディオは観察する。

 月乃は魔術師ではなく魔女だと聞かされた。彼女の口から聞かされたわけではない。

 監査官だと言った正人との関係は友人だとしか言っていなかった。

 そしてクラウディオは自分が月乃を気にしている事実にはたと気付き、首をかしげる。

 苦みと渋みと混ざった茶を一気にあおり飲み下して紙コップを捨てた。


「おまたせ」

「ありがとうございます」


 月乃が店長から袋を受け取り、アンリを「魔道書」に戻すと出入り口まで見送られる。


「次の来店を待ってるよ」


 店を出て振り向けば、不思議なことに店の看板が消えていた。目を擦るクラウディオに月乃は笑う。


「認識をずらされているだけですよ」


 ほら、と月乃がクラウディオの手を取った途端、あの特徴的な看板が見えた。

「『魔女』の力なのか?」

「そんなところですね」


 月乃の小さな手が離れる。自分と比べものにならないくらいやわらかく細い指の感触に、クラウディオは自分の手をじっと見つめた。

 なんともいえない感覚が、クラウディオの中に芽生えているのを、クラウディオ自身は見ない振りをしていた。


「どこかで何か食べていきますか? せっかく中心部の方まで来たわけですし」


 都市の中心部は観光向け料金であるところが多い。それなら中心部から少し道に入ったところのほうが手頃な店が並んでいる。


「ならカフェにでも……」


 クラウディオは言いかけ言葉を飲み込み、月乃の肩を抱き寄せた。月乃は目を瞬かせてクラウディオを見上げる。


「クラウ……」

「振り向くな。つけられている」


 あまり人通りのない場所である。物取りなどいる可能性はある。月乃にクラウディオがついているというのに狙うなら無謀である。つまりクラウディオの存在を問題としないほどの自信があるのだろう。


「どうする?」

「人気のないところへ誘導してください。どこか適当なところで曲がって」

「了解」


 月乃の指示で角を曲がり、物陰に入った瞬間月乃は「魔道書」を取り出す。


『生命を喰らう者、真の姿を写さぬ者、永久の寝床にて誕生と祝福を避ける者。降りよ、ヴァンパイア』


 月乃がすばやく二重の音の呪文を唱え、クラウディオに「魔道書」の力を貸し与える。クラウディオは人の形を保ったまま、からだに宿った力を確認した。

 月乃のからだを抱き上げ、地面を蹴る。

 そのまま建物の屋根に飛び移り、後をつける者から一気に距離をとった。

 屋根をいくつか飛び越え、人気のない路地に降り立つ。クラウディオがあたりを見わたすと人影はなかった。


「おいおいおい、逃げなくてもいいだろ? ちぃっとばかしおしゃべりしようと思っただけじゃねぇか」


 緊張感のない、けだるそうな声。

 それを発した男は空中で逆さまに立っていた。


「ッ?!」

「おっと」


 その異様な様にクラウディオは反射でこぶしを振り抜いた。しかし男はくるりと身をひるがえし、石畳に着地する。


「なぁに、怪しいモンじゃねえよ。珍しいモン持ってるお嬢さん。すこぉしばかりおしゃべりしようや?」


 クセのある緑がかった黒髪、にんまりといやらしい笑みをたたえた口元。そして闇をのぞき込んだような眼差し。

 無精髭の背の高い男だった。


「……魔術師ですね?」


 月乃はアンリの「魔道書」を抱きしめたまま、冷静に男を見る。

 クラウディオは月乃を庇うように進み出るが、男はクラウディオに一切視線をやらない。


「その通り。俺ァ、ショーンって言うんだ。よろしく、お嬢さん」

「魔術師さんが何のようですか?」

「アンタが持ってる『魔道書』……魔術師がなった方の『魔道書』だろう? 金なら言い値で払う。売ってくれはしねぇか?」


 ショーンと名乗った男は指を擦りあわせて月乃の胸元の「魔道書」を指さした。月乃は唇をへの字に曲げてショーンを睨んだ。


「お断りします」


 ショーンは大げさに肩を竦め、額に手を当てて溜息をつく。演技臭い仕草でもってその場を行ったり来たりと歩いて見せた。


「アンタ『魔女』だろう? 『魔道書』なんて道具に頼らなくったって魔女様なら世界に干渉するのは簡単だ。『魔道書』なんざ無用の長物じゃねぇか」


 ショーンは月乃を魔女と言い、少しずつ距離を詰めてくる。それでも月乃は眉を吊り上げて同じ言葉を繰り返した。


「お断りします」

「はー、やれやれとりつく島もなしか……」


 参ったな、と後頭部をがりがりかくショーンはようやくクラウディオの姿を見た。そしてその目をまん丸に見ひらく。

 口をパカ、と開け、口元を押さえてバラエティーショーの司会のような反応をするショーンに、クラウディオは訝しげに眉を寄せ、身構えた。


「こいつぁ驚いた。お前、もしかして『白紙』か……?」

「……一体何のことだ?」


 クラウディオはしっかりとショーンの姿を捕らえ、睨みつける。しかしショーンはその眼光に怯えることなく、むしろ楽しげに肉薄してきた。


「ッ?!」

「いやぁ、まさかこんなところでまたお目にかかれるとは……! いやはや人生ってのは何が起こるかわからんモンだな!」


 突然視界に生えるように飛び込んできたショーンに、クラウディオはたたらを踏む。バシバシと馴れ馴れしくクラウディオのからだを叩き、十数年ぶりに再会した友人と顔を合わせたときのような喜び方をしている。

 まるで毒気も敵意もなく、実に嬉しげに笑っているのだ。

 どういうことだと理解が追いつかない状態でいると、ショーンの手に「魔道書」が握られていることに気付く。赤黒い表紙のそれを手に、クラウディオに向かって手を突き出した。

 ぞわ、と嫌な予感にクラウディオはその腕をつかみ、乱暴に放り投げる。しかしそれでもショーンは空中に放られながらも動揺することなく、二重の音の呪文を唱えながら着地した。


『戦士もしくは英雄になりし者、その目を忘我にて濁らせる者、冥府の皮をまといし者。降りよ、ベルセルク』


 ショーンの「魔道書」から放たれた光がクラウディオを貫く。

 突然行われた力の二重がけ。

 クラウディオはのからだはミシミシときしみを上げ、筋肉が膨れ上がる。その顔は理性の宿らぬ鬼神のもので、狼のように巨大化した歯を剥き出しにする。

 そして地が震えるほどの咆吼を上げたかと思うとショーンを殴り飛ばしていた。


「クラウディオ!」


 顔面をまともに殴られたショーンはそのまま地面をボールのようにはねさせる。クラウディオはその手についた血を舐めとると喉を鳴らしてその背中にコウモリの翼を生やしてショーンをつかみ、空中へそのからだを踊らせた。

 だがすぐに脚を振り上げてその腕から逃げ出したショーンは屋根に着地すると興奮と熱狂を顔に貼り付けたまま笑い出したのだ。


「アッハハハハ! 最ッ高じゃねえか! ベルセルクの凶暴さにヴァンパイアの身のこなし! やるじゃねぇか『白紙』!」


 笑いが止まらない、という様子で顔が血まみれであるにもかかわらずショーンは身をよじりながら悦んだ。

 クラウディオはその場にあったベンチの脚を引きちぎるとそれをねじり上げて野蛮な槍に変える。ショーンはその満足げな顔をしてクラウディオと月乃に向かって叫ぶ。


「今日はここまでにしとくぜ! 生き延びたらまた会おうや!」


 原始的な槍がショーンに向かって投げつけられる。しかしショーンはかき消されるようにその場から消えた。


『白きに包まれ生まれし者! 白き高貴と情熱に変ずる者! 黒き厄災を滅する者! 降りたまえ、クルースニク!』


 月乃の叫びと共に白い猪が現れ、クラウディオのからだ目がけて突進する。しかしクラウディオはその衝撃に耐え、数メートル押されるも猪のからだを掴んで止めた。


『返却!』


 月乃の呪文でクラウディオのからだからヴァンパイアの力が剥がされる。しかしクラウディオの狂化は治らない。

 猪を掴み上げそれを月乃に向かって投げつけてきたとき、月乃は自分が次のターゲットになっていることを理解した。


「走って!」


 クルースニクを馬に変じさせ、それに跨がる。一旦距離を置かねばと月乃は白馬の背にしがみついた。


「があぁあぁっ!!」

「きゃぁっ!」


 しかしクラウディオの咆吼が聞こえたかと思うと白馬が突然転倒したのだ。「魔道書」を抱えたまま月乃は地面に叩きつけられる。月乃が見たのは石化してゆくクルースニクの姿だった。


「コカトリスの石化?!」


 月乃がクラウディオにコカトリスの力を降ろしたのは「ジャック・ポット」での夜だけである。にもかかわらずクラウディオはクルースニクを石化させた。

 完全にクルースニクが石化するとクラウディオはそれを踏みつけ砕く。

 月乃が見上げると、そこには目を赤く爛々と輝かせるクラウディオが己を見下ろしていた。

 月乃の首を掴み上げ、そのからだを壁に叩きつける。


「あうっ!」


 その衝撃で月乃は「魔道書」を落としてしまう。

 痛みと締め付けられる苦しさに喘ぐが、クラウディオはその手を弛めはしない。酸素を求めて口を開く月乃の視界は揺らいでいた。


「クラウ、ディオ……ッ」


 クラウディオは月乃のブラウスを力任せに破り捨て、その日焼けしていない肌に顔を寄せた。

 ぞっとするほど熱い吐息が、月乃の首に掛かる。理性のないその瞳が何を求めているか、月乃は理解してしまった。

 そして次の瞬間、そのやわい肌の首筋に鋭い牙を突き立た。

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