第20話 「魔術師」01
クラウディオのチャーム暴走事件の翌日。月乃の「魔道書」の書庫に月乃、クラウディオそして正人はいた。『陰の書』と『陽の書』を合わせて「原本」化するためである。
『陰の書』と『陽の書』のように魔術師が「魔道書」化したものが二冊になっている例は珍しい。その珍しさも相まって「第八図書館」のマッケンジー魔術師は部下のボリスに命じて奪取を目論んだのだろう。
今回入手した『陰の書』にはすでに月乃の名が刻まれ、彼女の支配下にある。
月乃の今までの「魔道書」蒐集・管理の実績から考えれば何ら問題ないだろう。その実績の並んだ本棚を見れば明らかだ。
正人は「魔道書」を開き、日本刀を顕現する。万一のために村雨を装備した状態で控えた。
クラウディオも月乃のそばに控える。
「それでは、『原本』化しますわ」
表紙の白と黒の滴模様が合わさるように、二冊を重ねる。そして月乃がふ、と唇に音を乗せた。それと同時に光が二冊の本を包み、白黒合わさった表紙へと変化する。
開かれた「魔道書」はバラバラとページが勝手にめくられ、しばらくすると「魔道書」は形を変えていく。
そしてそこに現れたのは背の高い女だった。
正人とクラウディオは目を見張る。
クラウディオほどではないが、正人よりも背の高い女だ。
服の上からでもわかる大きな胸と鍛えられたたくましさのあるからだ、白と黒で真っ二つに別れた長めの前髪の隙間からちらりとしか目元は見えない。鮫を思わせる鋭い歯を剥き出しにして睨むその姿は威圧感がある。
「魔術師が受肉した……?!」
正人はまさに驚きで声を漏らしたという風だった。クラウディオも驚きで目を見張る。器もなく受肉したのかとふたりは目を見ひらくが、鋭い眼光が飛ばされてきたことからどうやら様子が違うようだと察する。
「実体化ができたみたいですね。初めまして、でよろしいですか?」
月乃は魔術師に対してやわらかな笑みを浮かべている。恐ろしく場違いなほどに。
魔術師は射殺さんばかりに月乃を見て、その鋭い歯をギシリと軋ませた。放たれる空気は殺意のようにとげとげしい。
「よくも器を壊してくれたな……受肉の邪魔をしおって……!」
じろりと三人を見渡してから改めて魔術師は月乃を見下ろす。緊張感を覚えさせない月乃の雰囲気に少々いらだっているようだった。
「……貴様が私に名を刻んだのか」
その問いかけは自分を支配する者を確認する問いかけだった。しかしそれは「わかっているが認めたくない」という意味合いを含んだ言い方に聞こえる。
「はい、わたくしですわ」
月乃の擦弦楽器が弾むような上機嫌な声は魔術師の神経を逆なでしているようだった。それでも月乃は態度を変えることなく笑みを浮かべている。
そんな月乃を見る魔術師は、しばらく上から睨めつけてから舌打ちをした。
「まさか『魔女』に支配されるとは……」
月乃が目をパチパチさせて驚きの表情を浮かべる。少し口を開いて、考えてから月乃は声を出した。
「よくおわかりになりましたね?」
魔術師はフン、と鼻を鳴らしふんぞり返える。
「それくらいわからいでか」
そのやりとりを見ていたクラウディオは小さく首をかしげ、呟いた。
「『魔女』?」
正人は口元を隠し、視線を魔術師と月乃にむけたまま、こそりとクラウディオに説明をする。
「月乃は立場は『司書』だが、持っている力は『魔女』なんだ」
正人の短い説明にクラウディオはまだ疑問符が浮いたままになる。正人はその様子に月乃が何も説明していないことを理解し、クラウディオが知りうる概念に照らし合わせながら話す。
「アプリを使えるのが『司書』、アプリを作り出すことができるのが『魔術師』、アプリがなくてもシステム……世界に干渉できるのが『魔女』だ」
アプリはなにかしらの機能を有している。それを異能というならば、アプリに当たるのが「魔道書」ということだろう。クラウディオはそう理解した。
正人の言葉に「魔女」というものを少し理解したが、逆に気になることが浮かぶ。
「何故わざわざ月乃は『魔道書』を使う?」
月乃が「魔道書」を介さずとも異能を発揮することができるなら、何故それを使うのか。
正人は少しばかり苦い物を噛んだように唇を結ぶ。
「……事情があるんだ。月乃は『魔女』の力の大半を封じている」
正人の口ぶりから月乃が「魔女」であることは秘密でもなんでもないようだ。しかし力を封じる「事情」とやらは彼の口からは聞けないらしい。
――雇い主だというのに、俺は知らないことが多すぎるな。
クラウディオは月乃を見ながら顎に手をやる。ほぼ強引に雇われた身ではあるが、月乃は借金の肩代わりをしてくれた人物である。そして何より自分の置かれた状況を理解するには彼女について知らなければならないと、クラウディオは考えた。
――月乃についてもっと知らなければ……
クラウディオの視線が後頭部に刺さっているなどと気付かず、月乃は魔術師と対峙を続ける。
一方的に朗らかな空気で、である。
「だが名を刻んだ程度で私を従えられると思うなよ、魔女」
「魔女ではなく月乃と呼んでください」
にこやかに、おだやかに。
しかしまっすぐ淀みなく月乃は魔術師に告げる。そのどこか異様さに魔術師は一瞬たじろぐ。
「従う気は……」
「それとお名前うかがってもよろしいですか?」
覆い被せるように月乃は続けた。答えない魔術師に月乃はもう一度問う。
「お名前は?」
「……」
魔術師は自分より小さな女の眼差しに深淵を見た。笑みを浮かべているのに笑っているように見えない。
その深く底の見えない眼差しに負け、口を開く。
「……アンリという」
月乃はぱぁ、といつもの笑顔を浮かべ「あらすてきな名前」と弾むような声を上げた。
その様子を見ていたクラウディオと正人は目を点にしている。
「……あれでいいのか?」
「支配自体は出来ているようだし、問題ないだろう……たぶん」
身構え警戒してた物がすべて無駄になったような……そんなどうにもしまらない、「原本」化作業は終わった。
アンリの様子から問題はないと判断できたらしく、月乃は控えていたふたりを紹介する。
「こちら友人の正人くんと、助手のクラウディオです」
「『第八図書館』監査官の正人だ。よろしくたのむ」
「クラウディオだ」
月乃の支配に正人は警戒を解き、クラウディオと共にアンリに名乗る。しかしアンリはふん、とツンケンとした態度のままだった。
「馴れ合う気は……」
そう言いかけたとき、アンリは正人と目をあわせ、眼鏡越しにその瞳をじぃ、と睨みつけるようにしてみる。
「チャーム持ち……なんだこれは、呪いか?」
正人は驚いたようにアンリを見る。彼の眼鏡はチャームを封じているのだ。
それを見破るどころが「呪い」だと即座に見抜く。月乃は感心したようで、目を瞬かせていた。
「呪いだってよくわかりましたね? もしかして耐性もありますか?」
「当然だ。魅了を得意とする吸血鬼と、それと対になる狩人を生み出したんだぞ? かなり強力なチャームだが、問題ない。瞳術系の中和はできる」
アンリはふんぞり返り胸を張る。偉そうな態度をとるアンリに、正人は縋るような表情を浮かべた。
「……解けるのか?」
縋るような表情は一瞬で、すぐにいつもの冷静な表情になる。しかしどこか期待と緊張を孕んでいるものであった。
しかしアンリはガリガリとうなじをかき、正人を見やる。
「解ける、と言いたいところだがなんともいえないな……一見しただけだとシンプルなようでかなり根深く複雑にも見える。かけた者以外が無理に解こうとすれば火傷どころで済まないだろうな」
「……そうか」
アンリの言葉に正人は肩を落とす。期待が外れて酷く残念がって――いや失望しているようだった。月乃はそんな正人を心配そうに見つめていた。トン、と軽く正人の背に手を当てる月乃に、彼はほんの少しだけ無理に笑う。
クラウディオは自分の知らないふたりの関係性を感じ取り、胃の辺りがぐる、とねじれたような感覚を覚えた。
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