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第18話 「監査官の男」03

 クラウディオとしては特に隠すことはない。聞かれれば答えると言うだけである。事細かに答える必要はない。

 しかしクラウディオは何故か正人の視線に言い知れない感覚を覚える。尾骨から腰の辺りがざわつくような、くすぐられるような……そんなざわつき落ち着かない感覚だ。


「俺の質問に答えてくれればいい。まあ、肩の力を抜いてくれ」


 そう言うと正人は眼鏡をずらし、クラウディオを上目づかいでのぞき込むように視線を合わせた。

 気のせいか正人の目の色が変化したように見える――途端、背筋を羽箒で撫で上げられるかのようなゾワリとした感覚にクラウディオは襲われる。

 心臓がバクバクと大きく脈打ち、シャツの胸元を思わず握りしめる。顔が上気し、目の前の男があまりにも魅力的で蠱惑的で……すべてを捧げたくなるような感覚に陥った。

 目を離そうにもその不思議な色合いの眼差しから外れることは出来ず、酷く喉の乾きを感じてしまう。

 クラウディオの横で、月乃は何事もなさそうな様子でふたりを観察していた。


「なんとなくそんな気はしてましたけど、クラウディオって魔術的なものがとても掛かりやすいみたいですね」

「かかり、やすいって……」

「正人くんの目を見ると魅了されてしまうんです。わたくしは効かないんですけど」

「そういうことだ。正直に質問に答えてくれ」

「……ああ、何でも聞いてくれ」


 心の底からの言葉だった。

 クラウディオは己の意志に反しているなどではなく、ごく自然に正人の言うことを聞いてしまった。月乃の説明があったにもかかわらずだ。


「まず以前はバウンサーをしていたと言うことだが間違いないか?」

「ああ、繁華街の『ジャック・ポット』という酒場で用心棒をしていた」

「それ以前は何をしていた?」

「軍にいた。陸軍に所属。階級は軍曹だった」

「いつから?」

「ハイスクール卒業後だ」

「軍人さんだったんですか」


 知らなかったわ、と言う月乃に正人は呆れた顔をする。


「そんなことも知らなかったのか?」

「別に以前何をしていたかなんて特に興味ないもの。わたくしに害があるわけじゃなし」

「月乃に害を与えられるやつなんてそういないが……しかし『魔道書』に関わらないことには本当に興味がないんだな、君」

「自分から話すのを待ってただけ。暴く気はないの」

「それは普通の人間関係の時だけだ」


 クラウディオは自分の意志で話しているつもりだった。口から滑り出す言葉はどれもこれも目の前の男に「もっと自分を知って欲しい」という好意からだ。


 そして同時に「もっと知りたい」「触れたい」とどんどん欲求があふれてきた。


「それで、軍を辞めた理由は……」


 正人は次の質問の途中で言葉を止める。なぜなら目の前に熱っぽい目をしたクラウディオが身を乗り出していたからだ。


「……不思議な目の色をしているんだな」


 うっとりとした、低い声。

 甘い蜜を煮詰めたような、そんなとろりとした声。

 正人はからだをのけぞらせた。しかしそれを追うようにクラウディオはさらに身を乗り出し、頬に手を伸ばす。


「月乃! まずい、チャームにかかりすぎてる!」


 正人が月乃に向かって叫ぶ。しかしそれはクラウディオの胸に嫉妬を芽生えさせる行動だった。


「俺の名前を呼んでくれ。頼む……」


 懇願。

 切なげに寄せられた眉と吐息混じりの声はクラウディオの情欲を表していた。

 正人の耳に触れる無骨な指先は、酷く優しい。


「はいはい、わかってますわよぉ」


 月乃はクラウディオのチャームをとくために立ち上がろうとする。が、立とうとした瞬間、床に崩れおちた。


「月乃ッ?!」

「た、たて、ない……」


 月乃の脚はがくがくと震え、とてもではないがからだを支えられる状態ではなかった。そう、鬼軍曹クラウディオによるブートキャンプによるからだの酷使で月乃は立ち上がることもままならなくなっているのだ!


「くっ!」


 正人は身を翻し、クラウディオから距離をとる。客間から飛び出し、屋外を目指した。クラウディオも正人を追う。クラウディオの心は正人に捕らわれ、ただただ彼を抱きしめ、愛したい気持ちであふれていた。


「待ってくれ!」


 クラウディオは正人の背中を追う。

 正人は恐怖していた。当然である。

 何せクラウディオは二メートルを超える上に百キロオーバーの巨漢である。しかもその顔の左半分が傷で覆われ、左耳の上部がかけている。加えて愛想もないので威圧感がほとばしる。

 グリズリーに追われているようなものだ。

 身長はそこそこあるものの、細身の自分より圧倒的な質量の持ち主に物理的恐怖を覚えるなというのが無理な話である。

 正人は家の裏側まで走り、遠目にも人目がないことを確かめた。スーツの上着を脱ぎ去る。上着の下にはホルスターがあり、「魔道書」があった。

 正人は手を後ろに回して腰のベルトに携えた刀の柄を取り出す。そしてホルスターから刀の鍔を素早く装着すると「魔道書」を手に取る。

 音が二重に聞こえる、あの呪文を唱えた。


『はかなきを帯びるもの! 恵みと浄化のごときもの! 欠如と憎しみの刃を持つもの! 顕現せよ、村雨ッ!』


 光が正人の持つ柄と鍔のみの刀に集まり弾けた。そこに現れたのは一振りの刃だった。

 正人は刀を正眼に構え、向かってくるクラウディオに刃を向ける。

 クラウディオは愛する正人に刀を向けられているというのに動じるでもなくまっすぐ走り寄る。クラウディオの胸にあったのは喜びだった。自分だけを見ている正人に歓喜でからだが震えているのがわかった。

 クラウディオはその巨体に似合わないほど素早く、瞬発力を持って距離を詰めた。肉薄するその筋肉の怪物を正人は見据える。


「斬り捨てはしないが多少の怪我は覚悟しておけ!」


 正人は刀を振り上げ真直ぐに降ろす。そこから水の刃が飛沫を上げてクラウディオを襲う。通常であれば肉を切り裂く鋭さがあるのだろうそれは代わりに強烈な衝撃を持って殴りつけてた。

 インパルス消火銃は近距離で受ければ肋骨を折る。それと同等と言っていい強烈な水の塊がクラウディオを吹き飛ばした。

 地面に一度からだがバウンドするがそんな物は物ともせずクラウディオは立ち上がる。クラウディオの昂ぶる感情はその程度でおさまるものではなかった。


「正人ォッ!」

「目を覚ませ!」


 掴みかかろうとしてくるクラウディオの腕をかいくぐり正人はすれ違いざまに脇腹に斬撃を叩き込む。しかしぶ厚い筋肉に覆われたからだに加減した力は一瞬動きを止めることさえ出来なかった。

 仕切り直そうと素早く距離をとる正人にクラウディオはますます悦ぶ。彼の刀は斬り裂こうと思えば己のからだなど簡単に輪切りに出来ただろう。しかしそれをしなかった。

 その優しさに打ち震えるのだ。


「あぁあぁあ……! 正人! お前を抱きしめさせてくれッ!!」

「断るッ!」


 正人は斬撃を水にして放つ。

 鉄球で殴られるような衝撃だというのにクラウディオはそれを喰らっても倒れはしなかった。


「本当に生身の人間かッ!」


 地面を蹴り水の斬撃を躱しながら迫るクラウディオ。正人は地面に刃を突き立てる。


「凍り付けッ!」


 濡れた地面がクラウディオに向かって凍り付く。その凍結の素早さからクラウディオは逃れられない。散々水の斬撃を浴びたからだは瞬時に凍り付き、クラウディオの動きを止めさせた。


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