第15話 「吸血鬼」06
白い巨躯を戦慄かせ、クラウディオはからだを変化させる。
その姿が巨大な猪に変化するとすさまじい突進力を持って『陰の書』に突撃した。
通常の猪も成人男性をはね飛ばす力を持つ。ましてや「魔道書」による超常の力を持つものだ。衝突すれば挽肉にされるのが目に見えている。
「このっ!」
『陰の書』はかろうじて身を翻し、突進をかわす。しかしクラウディオはその顎をすれ違いざまに振り回し、ぶ厚い幅広の剃刀のような牙で脚を切り裂いた。
「ぎゃああぁあぁあぁっ!」
クラウディオはそのまま鋭い歯で足首に噛みつき骨を砕いた。『陰の書』はその華奢な見た目に相応しい悲鳴を上げ、一方的に蹂躙されてゆく。
「クソクソクソッ!」
焦った『陰の書』がコウモリの翼を生やし、距離をとろうと飛び上がると銃声が上がった。痛みと熱が頭蓋を通り抜ける。後頭部から眉間に向かって撃ち抜かれたのだ。
「ガ……ッ!」
人の姿に戻ったクラウディオがマスケット銃を構える姿が落下する『陰の書』の目に入った。
その裸体に多くの傷を刻んだその姿は人食いの鬼を思わせる恐ろしい迫力があった。クラウディオは落下地点めがけて走り抜ける。クラウディオはスピードを殺さずその華奢な頭を掴んだ。
くぐもった音が厚い皮の手に伝わる。頭部を掴んだまま石造りの壁めがけて叩きつける。そして尚その頭部を離さず擦りつけて勢いよく走った。
まるで果実をすりおろすように『陰の書』の頭部は削られてゆく。血なまぐさい一筆書きが古城の壁に描かれた。悲鳴ごとおろされ頭髪と肉片、そして骨片がその赤に混ざっている。
そして頭部の半分以上を削ったのち、ようやくその手が振り抜かれ動きを止める。床にたたきつけられた『陰の書』のからだは嫌な音を立ててめちゃくちゃな方向に四肢を伸ばしていた。
痙攣する『陰の書』の手足。
再生しようとする頭部。
この程度で吸血鬼を模したこの怪物は終わらないらしい。
「クラウディオ!」
月乃が叫び何かが投げられた。
直後月乃は『陽の書』を手に呪文を唱える。
『希望の言葉を冠するもの! 神の息子の命と雨によって清められしもの! 眠りをもたらす聖なるもの! 祓いたまえ! 破邪の杭!』
光りを帯びた木の杭がクラウディオの手に飛び込む。
「心臓に!」
クラウディオが杭を力いっぱい振り下ろす。『陰の書』の胸に突き立てられた杭は内側から茨を噴出させ、全身を貫いた。
古城に絶叫が響き渡る。
断末魔の叫びはミナの肉体が霧散するまで消えなかった。そしてミナの肉体が消え、そこに黒い表紙の「魔道書」だけが残る。
ミナが何を望んで「魔道書」に手を出したかはわからない。ただ『脳食いの書』に頭の中身を喰われたローレンと同じように欲望にその身を食われたのだ。
クラウディオはほんの少しの後味の悪さを感じながら、黒い「魔道書」を見下ろした。
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封鎖地区の外側で、ボリスは右往左往していた。司書とその助手が「魔道書」回収に向かってから大分時間が経つ。次第に明るくなる空に、ボリスは使い魔を放った。
彼の使い魔であるイヌワシを上空で旋回させる。彼の目を使い様子を探るのだ。
何度かの旋回を繰り返した後、古城からこちらに向かって歩く、白い馬とその背に乗った人影を捕らえた。
「ボリスさーん」
月乃だ。
真っ白で大きな馬に跨がる月乃が、大きく手を振り向かってきた。あの赤い髪の男の姿はない。
「月乃司書!」
駆けよるボリスの前で白い馬が脚を折りたたみ、月乃が少々バランスを崩しながら降りようとする。ボリスは月乃に手を貸した。
「ご無事でしたか」
「ええ、『魔道書』の回収もバッチリです」
「それはよかった」
黒い「魔道書」を掲げ見せる月乃に、人のよさそうな笑顔を向けてボリスは胸をなで下ろす。
「行方不明者の内四人は無事です。保護と記憶処理作業をお願いします。それと、預けた荷物をいただけますか?」
月乃は周囲を見渡す。しかしボリス以外の「第八図書館」の職員の姿は見えない。記憶処理班どころか救護班の姿も見えない。
するとひたり……と月乃に短剣が向けられた。
「『魔道書』を渡してください」
ボリスの声に月乃は動きを止め、少し待った後溜息をついた。その顔には「こんなことだろうと思った」と書いてある。
刃の部分に呪文が彫られているあたり、ただの短剣とは思えない。ひと突きされて毒が回ることもあるし、石化させられる場合もある。
月乃は努めて冷静にボリスに声をかけた。
「……ボリスさん、誰の指示か知りませんが、今なら見逃せますよ?」
「渡してください、早くッ!」
急いているのか、ボリスは言葉を荒げる。ボリスの切羽詰まった様子に交渉や説得は無理そうだと判断した月乃は『陰の書』を差し出そうとした。
「『陽の書』もですッ!」
「やっぱりですか……」
しぶしぶと腰のホルスターから『陽の書』をとりだし、二冊を重ねてボリスに差し出す。しかし二冊は片手で持つには大きすぎた。うかつにもボリスは短剣を一瞬下げてしまい……
「がふっ!」
次の瞬間、ボリスのからだは宙に舞った。真っ白な牛の歪曲した大きな角で突き上げられたのだ。
べしゃ、と地面に落下したボリスのからだを、白い牛――クラウディオが軽く踏みつける。月乃は手早く短剣を拾い、取り上げた。
ウシガエルが潰れるような悲鳴を上げるボリスを無視して、月乃はクラウディオの頭を撫でる。
「はぁ、こんな気がしてたんですよ……行方不明者がたった五人程度でわたくしが呼ばれるなんておかしいと思いましたもの」
「やっぱり嫌がらせでしたわ」とぼやく月乃の足元で許しを乞うボリスの声が聞こえるが、もはや耳障りなBGMにすぎない。
月乃はしょぼくれながら二冊の『魔道書』を胸と腿で挟みしゃがみ込む。頬杖をついて夜明けの街を眺めていた。
月乃が遠い目をしながら市街地を眺めていると、巨大なバンが数台、こちらに向かって走ってくる。
剣と秤を模したシンボルが描かれたそれは「第八図書館」の所属のものだ。
そのうちの一台が横付けで月乃たちの前に停車する。
スライドドアが開くと、そこから黒髪に眼鏡とスーツ姿というビジネスマン風の細身の男が現れた。
「正人くん、やーっと来てくださいましたのね」
正人と呼ばれた男が月乃と牛に潰されるボリスを確認すると、眼鏡のブリッジをツイと持ちあげため息を吐く。
「君から連絡があって、大急ぎで監査部門を動かした上で来たんだぞ?」
「やっぱりそうなりますよねぇ」
「ボリス魔術師の上司が締め上げられてる頃だ。それで勘弁してくれ」
何やら喚いているボリスをクラウディオがさらに強く踏みつけて耳障りなBGMが大きくなった。それでもこの場の者たちはほとんど気に留めていない。
「古城内に四人、一般市民がいますわ。保護と治療、それから記憶処理をお願いしますわね」
「ああ、わかった」
正人が指示を出し、職員がバンから古城へ向けて駆けてゆく。さほどせず救助もすぐ済むだろう。月乃はのんびりと立ち上がり、正人を見る。
「それと月乃、この後君からも話を聞かなければならない。話にあった助手はどこだ?」
月乃はあー、と言って白い牛と正人の間に立つ。
「その前に正人くん。シーツか大きめタオルいただけません?」
「ああ、あるが……何に使うんだ?」
正人がバンから大判のバスタオルをとりだし首をかしげる。
月乃が『返却』と唱えると、白い牛はクラウディオの姿に戻った。
つまり月乃の背後にボリスを踏みつける全裸の巨漢が現れることになる。
正人は硬直した。
「こちらが助手のクラウディオです」
クラウディオは無言で正人からタオルを受け取り、腰に巻き付ける。突然現れた筋肉隆々の全裸男に思考停止していた正人は我に返り月乃をじとりとした目で月乃を見た。
月乃は笑みを浮かべたままだ。
クラウディオもまた、月乃を少々強めに睨みつけるのだった。
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