第10話 「吸血鬼」01
遠くで雄鶏の鳴く声が聞こえる頃、クラウディオは広々としたキッチンで朝食を作っていた。
その巨躯にちょうど良い市販のエプロンは無かったのだろう。黒のソムリエエプロンを巻き付け、棚から皿を取り出す。
相変わらず愛想も言葉も無いが、調理する手つきは上機嫌かつ雄弁だ。クラウディオは慣れた手つきで調理を効率的に行う。キッチンから家の中に朝食の幸せな匂いが満ちていった。
ふたつのフライパンの内、ひとつでカリカリのベーコンと良い焼き目のついたソーセージがじゅうじゅうと音をさせる。朝の空っぽな胃を刺激する良い音と匂いをさせていた。
もうひとつの小さめのフライパンに、溶いた卵と牛乳を流し込む。とろりとした半熟状態で一度火を止め、チーズと前もって炒めておいたトマトを乗せる。折りたためばトマトとチーズのたっぷり入ったオムレツができあがり、皿に盛り付けられた。皿の空いたところにベーコンとソーセージ、そして茹でたブロッコリーを添えてやれば彩りも良い。
ちょうどそのときチン、とトースターが音を立てる。こんがりとよく焼けたトーストができあがったのだ。焼ける枚数は少ないが、トーストは焼きたてが良い。
トーストをとりだし、次のパンをいれてタイマーをまわす。
「おはようございます……」
「起きたか」
よく沸かした湯でコーヒーと紅茶をいれた時、ワンピース型のやわらかな寝間着姿の月乃が現れた。
月乃は朝が弱いらしい。朝一番で顔を見れば大概夢に片足をツッコんだ状態だ。
席に着席した月乃の前に、温かな紅茶を出してやれば、うつらうつらしながらも礼を言って口を付ける。
クラウディオは月乃が紅茶をすする間に朝食の皿を並べる。オムレツひとつ、ベーコン二枚、ソーセージ一本、ブロッコリー三つの乗った皿を月乃の前へ。そしてそのおおよそ三倍の量が乗った皿を自分の前に。
「いただきます……」
クラウディオが着席したタイミングで、月乃は手を合わせてからオムレツを口に運ぶ。ゆっくりトマトの酸味とチーズのまろやかな塩気を味わい、嚥下する。小さな花がほころぶようにほわ、とゆるい笑みを浮かべた。
色鮮やかな緑のブロッコリーを口に運ぶ月乃はまたゆっくりと咀嚼をする。やわらかく煮たブロッコリーにはオリーブオイルと塩胡椒で味付けしてある。質の良いオイルなので鼻に抜ける香りも良い。
クラウディオはソーセージを半分かじりとり、その甘い脂と肉汁を味わった。
――うまい。今日もいい出来だ。
満足そうにサクサクのトーストを口に運び、口内の脂と合わさると何も付けずとも一枚食べられてしまう。
半分ほど皿の上の物がなくなった頃、ようやく月乃が意識をはっきりさせてトーストをかじり始める。
クラウディオは住み込み初日に月乃から「好きに使ってかまわない」と言われ、食事をふたり分作るようになった。その流れで食費も任されるようになってしまったのだが、クラウディオは料理すること自体は好ましいと思っている。まだ慣れはしないが、クラウディオは快適にこの広いキッチンを使っていた。
皿に残ったオムレツの欠片と油分をトーストでぬぐい、口に放り込む。
月乃と自分のカップにそれぞれ紅茶とコーヒーをつぎ足し、そこにミルクを注ぐ。
トーストをちぎって浸すと、また違った味わいである。
「ごちそうさまでした」
手を合わせた月乃の皿を見ればきれいに空になっている。ついでに表情も確認すれば、適量だったことがわかった。
クラウディオはここ数日、月乃が自分と比べあまりにも食べないことを知った。いくら自分と比べ小柄だとはいえ、食事量が少ない。食事を残すことは心情に反するらしい彼女の適量を見定めるのは難しかった。
何せ自分は彼女のおおよそ三倍食べるのだから。
カフェオレを空にしてから食器を片づけていると、ちりり、と鈴の鳴る音がした。電話などでは無い。この家にも電子機器が一応はある。だが、それよりもファンタジーなものが多い。
これは水晶通信とかいう物の着信だそうだ。月乃が席を立ち、一見アンティークな電話の受話器を取った。
「はい、こちら月乃です。はい、はい……」
水晶通信で来る連絡はすべて「司書」の関係だそうだ。認証されているのは月乃だけなので、クラウディオが受話器を取り耳をあてても何も聞こえない。なんとも不思議な代物である。
何の話をしているかはあまり興味ないので、クラウディオは食器を洗い、清潔な布巾で水気を拭き取る作業をしていた。それが終わったら洗濯をしなければ。自分のものはともかく、月乃の服や下着は日陰干しにしなければいけないものもある。
「ジャック・ポット」の事件以来、「魔道書」の捕獲に関する仕事は無く、助手としての仕事も少々あっけないものばかりだった。驚くほど平穏な数日に、クラウディオは時間を持て余し、菓子まで作っていた。ちなみにチョコとナッツたっぷりのマフィンである。昼休憩の頃に出してやろうと考えていると、月乃が通信を終えたらしい。
ぱたぱたとクラウディオの元に寄ってくると、満面の笑みを浮かべて見せた。
「吸血鬼退治に行きますので、準備をしてくださいな」
「……お前は何を言っているんだ」
まだ慣れない現実感のない単語に、クラウディオはまた反射的に言葉を返してしまった。
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列車のコンパートメントはそこそこ広いはずであるのに、クラウディオの巨躯にはみっちりという擬音が相応しい状態になっていた。
「吸血鬼退治、と言いましたが十中八九『魔道書』の仕業ですから、今回もその回収になると思いますの」
月乃は腰のホルスターに白い「魔道書」を帯び、またいくつかの触媒を入れたウェストポーチのツールバッグを身につけている。クラウディオは月乃の「一泊するかもしれない」との言葉に自分の着替えと月乃の着替えを詰めた物をひとつ、それから大きめの紙袋を持ち込んだ。
「列車で四時間かかるところなので、ゆっくりしましょう」
列車の外の流れる景色を眺めているだけで緊張感という物がどこかに行ってしまいそうなのどかさだった。「ジャック・ポット」で経験したあの戦いが再び起こるのだろうという想像はクラウディオの身を引き締める。
クラウディオはふと疑問が浮かび、ちょっとした列車の旅の時間つぶしを尋ねた。
「月乃、『魔道書』でいろんなことができるのだろう? なら四時間もかけて向かわずとも一瞬で目的地に着くことができる『魔道書』があるんじゃないのか?」
月乃がそうですねぇ、と少し考えてから説明の姿勢に入る。クラウディオもそれにあわせて聞く姿勢に入った。
「まず瞬時に移動できる『魔道書』はあります。けれどそれは使えません」
「何故?」
「わたくし自身の『魔道書』使用は一度に一冊までなんです。要するに装備枠がひとつしかないということなのですよ」
月乃が白い「魔道書」を手に取り掲げながら、それを指さす。読めない黒い文字の書かれた表紙のそれは滴のような模様が描かれていた。
「なので移動に適した力を有する『魔道書』で、今回の仕事に適した力を持つ『魔道書』を装備出来ない状態にしたくないのです。触媒だって持って行ける数に限りが有りますから」
そう言われればクラウディオは納得できた。ライフルとサブマシンガンは同時に使用できない。重たすぎる装備はパフォーマンスを落とし、命を危うくする。ましてや月乃は肉体的には弱い部類の人間だ。「体力が無い」と自己申告していたわけであるし。
月乃の一泊分の荷物を詰めたリュックの膨れ具合に、クラウディオが思わず自身の荷物と一緒にまとめたのは家を出る直前のことだ。一応自分の立場は彼女の助手である。彼女が行動しやすいように身軽にしてやるのは自分の役割だと、クラウディオは考えていた。
準備の時にまた水晶通信をしていたり、「魔道書」の書庫に出入りして時間をくったことについては何も言うまい。
「それに瞬時に移動できる魔道具もありますが、基本的に大がかりで固定されているものなんです。今回の場所からは離れているので、こうして列車で移動しているわけです」
説明を終え、白い「魔道書」を戻した月乃はクラウディオに笑みを向ける。ぽん、と手をたたいてコンパートメントの外を指さした。
「まだまだ時間はありますし、おなかが減ったら何か買いに行きましょう?」
販売車両があったはずだという月乃にクラウディオは持ってきていた紙袋を差し出す。クラウディオは無言かつ無表情である。疑問符を浮かべつつ、紙袋を開くと、そこには大きなハムとチーズとキュウリのサンドイッチ、そして果物数種とチョコとナッツのマフィンが入っていた。
「時間が無かったからこれしか出来なかったぞ」
目を点にしている月乃を余所に、クラウディオは立ち上がりコンパートメントから出る。紙袋の中身とクラウディオを見比べる月乃に向かい、「飲み物だけ買ってくる」と販売車両の方向へ行ってしまった。
ひとりコンパートメントに残された月乃は、クラウディオが出て行った方向を見つめる。
「……お弁当箱、買おうかしら」
紙袋の匂いに混じって、果物の甘い匂いがした。
本日は12時から3話、18時から3話投稿予定です。




