幕間 「同居生活」
「荷物はそれだけですの?」
「ああ、そうだ」
雇い主であり家主である月乃から雇われかつ居候となったクラウディオへの問いかけ。
ずいぶんと少ない荷物に、月乃はしばしクラウディオを見つめたまま玄関に立っていた。
「とりあえず入ってくださいな」
月乃は掃除中だったようで、玄関に飾られた花瓶の横に置かれた羽はたきを手に取り、クラウディオを迎えた。
「クラウディオの部屋を軽く掃除していましたの。軽く案内をしますが、その前にこのうちで守って欲しいことを説明いたします」
ぴ、と指を立てながら、羽はたきをクラウディオ振る月乃は笑顔だ。
「手洗いうがいは絶対。二階は土足禁止。わたくしに許可無く人を連れ込まない。守ってくださいね?」
クラウディオは思わずグゥッ、となる。共同生活をすると、衛生概念についての擦り合わせが必要であることはわかる。昔、嫌でも衛生に気を使えなくない時期があった。後に「普通の」生活に戻ったときは感覚が抜けずに困ったことを思い出す。
「……承知した」
「二階はプライベートな空間ですの。慣れてくださいな」
階段を上っていくと二階となる部分に小さな靴箱、そしてマットレスがスリッパに置かれていた。ここで下足は脱げ、と言うことだと分かり履き替える。クラウディオが履いたスリッパは新しく、大きい。
「……」
「トイレはここで、お風呂はあっち。それからクラウディオの部屋はこっち」
クラウディオがスリッパに落ち着きが無い状態でいると、月乃は部屋の扉を開ける。
「この部屋は自由に使ってかまいませんわ」
案内された部屋は趣味の良い落ち着きのある内装だった。椅子やテーブルは勿論、ベッドサイドのライトも、床に敷かれた絨毯もモノがよさそうだ。
クラウディオのサイズに合わないことをのぞけば。
「ああー、やっぱり……」
困った表情をする月乃はベッドと、荷物を置いたクラウディオを見比べる。どう考えても脚ははみ出るし、斜めに寝ても足りない。
セミダブルのベッドではあるのに、だ。
クラウディオとしてはいつものことであるし、気にするところではないのだが家主である月乃は下唇を持ちあげて頭を捻らせる。
「んー……クラウディオ、ちょっと手伝ってくださいな」
月乃は手招きをし、空き部屋へ連れて行く。クラウディオの部屋にあったベッドと同じ大きさのものがそこにあった。マットレスを引きずり下ろし、月乃はベッドの脚のほうを指さす。
「ふたつ並べますので、そちらを持ってください」
「これか?」
こくん、とうなづく月乃はベッドの頭側に手をかける。月乃はふたりがかりで運ぶつもりで構えている。姿勢は腰を痛めかねない格好をしていた。
「セミダブルふたつならクラウディオもはみ出さずに寝られると思いますか……」
ら、という月乃の言葉が繋がるより先に、クラウディオはベッドを持ちあげる。大きめのクッションで抱えるように、易々と起こしてしまった。
「……え、と」
「扉を開けてくれ」
「あ、はい」
ガチリとサイドを掴み移動してゆく。足取りに不安定さは無い。ごく普通に歩いていることに、月乃は驚いていた。
月乃はクラウディオのあまりにもあっさりとした行動に目が点にした状態で部屋へと先導する。マットレスを外しているとはいえ、セミダブルのベッドである。百キロを越えているのだ。
月乃の反応も当然であろう。
どこかにぶつけることなく、マットレスもあっさり運び込み、ベッドに設置する。ふたつもセミダブルが並べば部屋は少々狭くなるが、それでも充分な広さだ。
シーツを二枚ひく。セミダブル用の掛け布団は中央にぽつん、と乗っている。
「とりあえずはこれで良しとして……他の物は追々ということで」
「別にかまわん」
――クラウディオは快適で大の字になれるベッドに落ち着かず、しばらく床で寝たりすることとなるのは完全なる余談である。ベッドに横たわっても手足を縮め、再び床に戻るを繰り返し、月乃が呆れることになるのだった。
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月乃の私室、掃除道具の場所、タオルや洗濯道具の場所。細かい説明をしていくが、それは追々覚えて欲しいということだった。
クラウディオは一通り生活に必要なこの家でのルールを叩き込んでいく。
月乃が説明を終えたころ、正午の鐘が遠くで聞こえた。鐘の音が聞こえたことで空腹具合に気付いたのか、月乃は腹部を押さえる。ちら、とクラウディオに視線を投げた。
荷物と道具を片づけて、ふたりはキッチンへ降りてくる。
「クラウディオ、食事のことなのだけれど」
月乃がクラウディオをのぞき込むように見つめてきた。
「やっぱりたくさん食べるほうですの?」
体格や昨日の食べっぷりから推測したのだろう。事実、クラウディオはなかなかの大食らいである。二メートルを超える身長と、隆々とした筋肉をしているのだ。当然だろう。この筋肉を保持しようとするとなるとそれなりの食事が必要である。
クラウディオが肯定の返事を返すと、月乃は少し考えるように頬に指をやった。
「作るのは好きですか?」
「……まあ、それなりに」
「じゃあ、食事とかも任せてもかまいませんか? キッチンと食費は自由に使って良いので」
クラウディオはパチパチと目を瞬かせる。
――あの広いキッチンを自由に?
試しに一週間やってみてくださいな、と月乃はぽん、と財布をひとつクラウディオに渡す。中身を確認すれば高額紙幣が数枚。そのあまりにも無防備であっけらかんとした様子に顔をしかめて、月乃を見てしまった。
月乃はクス、と笑みを向ける。
「助手最初の仕事はそれということで」
クラウディオが財布と月乃を見比べていると月乃はエプロンを取り出していた。
猫の肉球のマークがひとつ描かれたそれをさっと着て、冷蔵庫へ向かった。
「お昼はわたくしが作ります。軽くお昼を食べたら買い物に行きましょう。荷ほどきと準備をしておいてください」
クラウディオは渡された財布をしばし見つめた後、与えられた部屋に戻る。
財布を置き、荷ほどき、というほどではないが衣類をクローゼットへ。そして製菓道具の段ボールとバスケットをキッチンに持っていく。
「冷蔵庫、入れさせてもらうぞ」
「ついでにベーコンを出していただけます?」
月乃は二色のパプリカとズッキーニをカットし、鍋に放り込んでいた。野菜とベーコンのスープらしい。トースターからはバゲットが焼ける匂いがした。
クラウディオからベーコンを受け取った月乃は彼女の指くらいの幅にカットしていく。野菜と一緒に鍋に入れてから塩胡椒を振り、軽く焼き目を付けていく。
「冷蔵庫の中身も調味料も道具も、自由に使ってかまいませんわ。食費をお財布の内に納めてくれるなら」
月乃は鍋に水を入れ、コトコトと煮ている間に大きめのオレンジを切り分ける。彼女を横目で見ながら、クラウディオはキッチンの隅に製菓道具を入れた段ボールを置いた。
「……」
月乃の醸し出す今の空気と、「魔道書」を携えて超常の力をふるう姿はあまりにも違う。同じ表情であっても、朗らかな春の野の花のある丘と、暗い底の見えない深淵のような落差だ。
クラウディオがそんなことを考えている内に、チン、とトースターが音を立てた。
「クラウディオ、テーブルを拭いてください。手を洗ったら食べましょう」
深めのスープ皿に彩りのいい野菜とベーコンのスープを盛り付けをしながら月乃が指示を出す。クラウディオは「それ」と言われた布巾を水で濡らしてテーブルを拭きに行く。
「……もしかして昨日までのは夢だったのか」
ぽつ、とテーブルを拭きながらクラウディオは呟いた。
ほんの数日前まで働いていたのはいかがわしい酒場であるが、あの少々後ろめたさを持つ者たちの居場所は「現実」的だった。
それが怪異、異形、そして超常――
そんなものを目の当たりにしていたのだが、この穏やかすぎる空気は何だ。そう少々の混乱の中、クラウディオはテーブルを磨き上げる。
ふと、背後からこんがりと焼けたバゲットの香りが近づいてきた。振り返ればトレーにスープと山盛りのバゲット、そして果物の盛り合わせを乗せて運んできた月乃がいる。
「冷めないうちに食べましょう?」
「……ああ」
二度目のふたりでの食事は、クラウディオの胸に少しばかり温かい物をともし、悪くない、と思わせたのだった。
明日12時からまた連続投稿いたします。
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